地下へ続く石階段を、三つの足音が駆け抜ける。
石壁へ反響する乾いた足音だけが、静寂に包まれた王城地下へ響いていた。
湿った空気。
冷え切った石畳。
壁へ等間隔に灯された魔導灯だけが、ぼんやりと三人の足元を照らしている。
先頭を走る青年は、一度も振り返らない。
レオナルド・ローゼズ。
王直属親衛隊の一人。
雷を操る固有能力を持つ青年。
その異名は――雷帝。
握り締めた拳には力が入り過ぎ、爪が掌へ食い込み血が滲んでいた。
――生きていてくれ。
胸の内で何度も繰り返される、その願いだけが彼を突き動かしていた。
そのすぐ後ろを、一人の男が走る。
王直属親衛隊隊長。
エリアス・ノール。
六つの属性を自在に操る世界唯一の能力者。
その異名は――万象。
最後尾を、小柄な金髪の少女が続く。
ルイーゼ・アーデルハイド・レオノーレ。
王直属親衛隊の一人。
拳を主体とした近接戦闘を得意とする少女。
その異名は――鉄拳。
張り詰めた空気を破るように、ルイーゼが口を開いた。
「……なんだここ。」
「王城の地下に、こんな場所あったのかよ。」
エリアスは前だけを見据えたまま答える。
「俺も初めてだ。」
「はぁ? 隊長でも知らねぇの?」
「本来、知る必要のない場所だったんだろう。」
短く答えた声には、僅かな警戒が滲んでいた。
「……だからこそ、嫌な予感しかしない。」
ルイーゼは小さく息を吐く。
「気味悪ぃな……。」
再び沈黙が訪れる。
レオナルドだけは、一度も会話へ加わらなかった。
今の彼には、妹のことしか頭になかった。
やがて階段は終わる。
目の前には巨大な鉄扉。
地下とは思えないほど重厚で、その表面には幾重もの封印魔法が刻まれている。
エリアスが静かに扉へ手を掛けた。
「……開けるぞ。」
レオナルドとルイーゼは無言で頷く。
重々しい金属音が地下へ響く。
長い年月閉ざされていたかのように軋みながら、巨大な扉がゆっくりと開いた。
その先に広がっていた光景に、三人は息を呑む。
地下とは思えないほど広大な研究施設。
壁一面を埋め尽くす本棚。
山のように積まれた羊皮紙。
見たこともない魔導器具。
薬品の匂い。
人体模型。
複雑な魔法陣が刻まれた実験台。
そこは研究所ではなかった。
人の命を弄ぶための実験施設だった。
白衣を纏った研究員たちが一斉に振り返る。
「なっ……!」
「なぜ親衛隊が――」
最後まで言葉は続かなかった。
紫電が走る。
レオナルドの姿が掻き消える。
轟音すら置き去りにする速度で研究施設を駆け抜けた。
首筋へ一撃。
腹部へ打撃。
魔力だけを断つ精密な雷撃。
一人。
また一人。
研究員たちは何が起きたのか理解する間もなく、その場へ崩れ落ちていく。
誰一人として命は奪わない。
十数名いた研究員は、ものの数秒で全員が意識を失っていた。
静寂が戻る。
三人は自然と役割を分けるように動き出す。
レオナルドは研究机へ。
ルイーゼは施設の奥へ。
エリアスは入口へ立ち、地下へ続く通路を警戒する。
レオナルドは山積みになった資料を一枚ずつ捲っていく。
『魔力循環理論』
『固有能力発現実験』
『人体適合率』
理解できない専門用語ばかりが並ぶ。
その中で、一冊だけ異様な古さを放つ資料が目に留まった。
表紙には古代文字と現代語が並んでいる。
『肉体再構築 研究記録』
鼓動が速くなる。
震える手で頁を捲る。
『七つの遺物』
『永遠の炎』
『魂宝玉』
『賢者の石』
レオナルドの指が止まる。
「……賢者の石。」
王国が建国以来守り続けてきた秘宝。
その名が、なぜこの研究資料に記されている。
さらに頁を捲る。
しかし、肝心な部分だけが不自然に切り取られていた。
一枚。
また一枚。
儀式の核心と思われる部分だけが、意図的に持ち去られている。
「……なんだ、これ。」
レオナルドは切り取られた頁を見つめた。
「肉体の再構築……。」
「七つの遺物……。」
「賢者の石……。」
断片的な情報しか残されていない。
それでも、一つだけ頭に浮かぶ考えがあった。
「まさか……。」
「これは、人を蘇らせるための研究なのか……?」
思わず息を呑む。
もし、その考えが正しいのなら――。
レオナルドは隣に積まれていた別の書類へ手を伸ばした。
表紙には、大きく記されている。
『被験体記録』
何気なく視線を落とした、その瞬間だった。
『フィオナ・ローゼズ』
レオナルドの思考が止まる。
呼吸が浅くなる。
少し前、突然姿を消した最愛の妹。
その名前が、なぜこんな場所にある。
震える手が、ゆっくりと次の頁へ伸びる。
あと一枚。
あと一枚捲れば真実が分かる。
だが――。
指先は途中で止まった。
怖い。
その一枚を捲った瞬間。
もう以前の日常へは戻れない。
そんな予感が全身を支配していた。
「違う……。」
掠れた声が漏れる。
「違うはずだ……。」
その時だった。
地下研究施設へ、少女の悲鳴が響き渡る。
「レオナルドーーーーッ!!」
ルイーゼの悲鳴を聞いた瞬間、レオナルドの身体が弾けた。
紫電が研究施設を一直線に駆け抜ける。
エリアスも異変を察知し、すぐにその後を追う。
二人が辿り着いた先は、施設の最奥。
他の部屋とは明らかに造りが違っていた。
幾重にも刻まれた封印魔法。
床一面へ描かれた巨大な魔法陣。
重厚な鉄扉。
そして、その部屋全体を満たす、息苦しいほど濃密なマナ。
部屋の中央。
白い祭壇の上に、一人の少女が静かに横たわっていた。
黒に近い茶色の長い髪。
穏やかな寝顔。
どこかレオナルドによく似た面影。
まるで眠っているだけのような、美しい姿だった。
「……フィオナ。」
レオナルドは呆然とその名を呼ぶ。
ゆっくりと祭壇へ歩み寄る。
震える手が、少女の頬へ触れる。
冷たい。
あまりにも冷たい。
生者の温もりは、どこにも残っていなかった。
「……っ。」
膝から力が抜ける。
レオナルドは祭壇の前へ崩れ落ちた。
「フィオナ……。」
何度呼んでも返事はない。
もう二度と、その瞳が開くことはない。
部屋は静まり返っていた。
ルイーゼは拳を強く握り締める。
唇を噛み、涙を堪えながら俯いた。
「……なんでだよ。」
震える声だけが漏れる。
エリアスは何も言わない。
静かに室内を見渡す。
拘束具。
薬品。
魔導器具。
無数の実験記録。
その光景だけで、この部屋で何が行われていたのかを理解するには十分だった。
「……やはり。」
低く漏れた声には怒りが滲む。
「王は……。」
その先の言葉は飲み込まれた。
レオナルドはフィオナの手を握り締める。
まだ諦めたくなかった。
しかし現実は、あまりにも残酷だった。
その時だった。
祭壇のすぐ傍で、淡く輝く透明な結晶が目に入る。
内部では、莫大なマナが静かに渦を巻いていた。
「……これは。」
レオナルドはゆっくりと立ち上がる。
先ほど目にした研究資料。
そこに記されていた文字が脳裏によみがえる。
『賢者の石』
「まさか……。」
王国が建国以来守り続けてきた秘宝。
その賢者の石が、なぜフィオナの傍らに置かれている。
偶然ではない。
そう思わせるには十分だった。
そしてもう一つ。
脳裏に浮かぶ、あの資料。
レオナルドの瞳が大きく見開かれた。
「肉体の……再構築……。」
祭壇の傍らに置かれた賢者の石。
先ほど目にした研究資料。
断片的だった情報が、頭の中で繋がり始める。
「……あの資料だ。」
次の瞬間、紫電が弾けた。
レオナルドの姿が掻き消える。
一瞬で研究机の前へ戻ると、山積みの資料の中から先ほど見つけた古びた冊子を掴み上げた。
『肉体再構築 研究記録』
荒々しく頁を捲る。
「七つの遺物……。」
「永遠の炎……。」
「魂宝玉……。」
「賢者の石……。」
切り取られた頁で手が止まる。
「くそっ……!」
その時だった。
「レオ!」
いつの間にか隣へ駆け寄っていたルイーゼが、肩を掴む。
「助かるのか!?」
「それでフィオナは助かるのか!!」
レオナルドは資料から目を離さない。
「分からない!」
苦しそうに叫ぶ。
「だけど……!」
「可能性はある!!」
その言葉に、ルイーゼは息を呑んだ。
希望と呼ぶにはあまりにも小さな可能性。
それでも、絶望の中で初めて見えた一筋の光だった。
そこへエリアスが静かに歩み寄る。
周囲を見渡したエリアスは眉をひそめた。
「……まずい。」
低い声が響く。
「この部屋のマナの量が異常だ。」
空気そのものが震えている。
濃密なマナが地下研究施設全体へ溢れ出していた。
「このままでは、いずれ気付かれる。」
エリアスはレオナルドへ視線を向ける。
「ここで調べている時間はない。」
「資料は持ち帰るぞ。」
レオナルドは周囲を見渡した。
研究記録。
古代の文献。
被験体記録。
机の上に積まれた無数の羊皮紙。
何が手掛かりになるのか分からない。
だからこそ、答えは一つだった。
「……持てるだけ全部回収する。」
エリアスは短く頷く。
「急げ。」
三人は一斉に動き始めた。
ルイーゼは机の上へ積まれた羊皮紙を束ね、次々と革袋へ押し込んでいく。
エリアスは棚に並ぶ古い書物を見渡し、重要そうなものだけを素早く選び取る。
レオナルドは研究記録や被験体記録を掻き集め、腕に抱え込んだ。
何が必要なのか分からない。
だからこそ、一枚たりとも置いていくわけにはいかなかった。
「それで全部か!」
ルイーゼが叫ぶ。
「ああ。」
短く返事をすると、レオナルドは再び祭壇の部屋へ駆け戻る。
静まり返った部屋。
祭壇の上では、フィオナが眠るような表情のまま横たわっていた。
レオナルドはゆっくりとフィオナを抱き上げる。
「帰ろう……。」
小さく呟き、その身体をしっかりと抱き寄せた。
そして視線は祭壇の傍らへ向く。
透明な結晶。
内部では膨大なマナが静かに揺らめいている。
「賢者の石……。」
迷いはなかった。
レオナルドは結晶を手に取る。
その瞬間、祭壇の端で淡く輝く小さな宝玉が目に入った。
研究資料で見た文字が脳裏をよぎる。
『魂宝玉』
「……。」
確証はない。
だが、胸騒ぎがした。
「これも……。」
レオナルドは宝玉を静かに握る。
ルイーゼが不思議そうに尋ねる。
「それも持っていくのか?」
「ああ。」
「理由は分からない。」
「でも……これも必要な気がする。」
エリアスは何も言わない。
レオナルドの判断を信じ、静かに頷くだけだった。
その時だった。
コツ――。
静まり返った地下研究施設へ、小さな足音が響く。
誰も気付かなかった。
地下への通路を警戒していたエリアスですら、その気配を感じ取れなかった。
コツ――。
足音は、すぐ背後で止まる。
「……よくぞ、ここまで辿り着きましたね。」
聞き慣れた男の声だった。
三人は弾かれたように振り返る。
そこには、白い外套を纏った一人の男が静かに立っていた。
王の側近。
《転位》ヴァルター・クロイツ。
第一話を最後までお読みいただき、ありがとうございました。
この作品は長編を予定しています。
少しずつ世界の謎や伏線を回収していく物語です。
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次回もよろしくお願いします!