クリフは地を蹴った。
その姿が掻き消える。
固有能力――《高速移動》。
親衛隊最速、《韋駄天》。
その異名に相応しい速度で、一瞬にしてエリアスとの間合いを詰める。
二振りの《メルクリウス》が閃く。
鋭い斬撃が空を裂いた。
次の瞬間。
放たれた斬撃は空中で二つに分かれる。
さらに四つ。
八つ。
分裂を繰り返した無数の斬撃が、四方八方からエリアスへ降り注いだ。
それだけでは終わらない。
クリフ自身も《高速移動》で死角へ潜り込み、ほぼ同時に二振りのレイピアを突き出す。
斬撃。
刺突。
分裂する刃。
親衛隊最速と《メルクリウス》を組み合わせた、本来なら回避不可能な連続攻撃。
――だが。
遅い。
親衛隊最速、《韋駄天》と称されるには。
あまりにも、お粗末な速度だった。
迷い。
動揺。
葛藤。
敬愛する隊長へ刃を向ける覚悟が、最後まで決まらない。
そのすべてが、クリフから”最速”を奪っていた。
エリアスは、その一瞬の揺らぎを見逃さなかった。
クリフの斬撃が、その身をすり抜ける。
気付いた時には。
エリアスは、すでにクリフの眼前へ立っていた。
右手が伸びる。
掌が、クリフの眼前で静止した。
「……っ。」
反応できない。
速すぎる。
違う。
(違う……。)
(隊長が速いんじゃない。)
(俺が……。)
(遅かった。)
本来の自分なら届いていた。
親衛隊最速、《韋駄天》。
そう呼ばれるだけの速さは、確かにあった。
だが。
隊長へ刃を向ける覚悟だけは、最後まで持てなかった。
(俺は……。)
(あなたを斬りたくなかった。)
(最後まで……。)
(あなたを敵だと思えませんでした。)
エリアスは短く息を吐く。
「……すまない。」
その一言だけだった。
次の瞬間。
掌から解き放たれた紅蓮の豪炎がクリフを包み込む。
轟音が王城の回廊を揺らす。
火柱は一瞬にして天井へ達し、やがて静かに消えた。
そこに、《韋駄天》クリフ・ノーランドの姿はなかった。
その刹那。
ヴァルターが現れた。
振り返る暇すらない。
エリアスの背後へ転移したヴァルターは、迷うことなく剣を振るう。
鋭い斬撃が首筋を狙う。
だが、エリアスの身体は炎へと変化し、刃は何の手応えもなく空を切った。
しかしヴァルターは止まらない。
次の瞬間には別の小石へ転移し、再び斬り掛かる。
さらに転移。
さらに斬撃。
目まぐるしく位置を変えながら、四方八方から攻撃を浴びせ続けた。
だが。
エリアスの身体は炎へと変化し、斬撃は何の手応えもなく空を切った。
次の瞬間。
ヴァルターは再び転移。
別の小石へ。
今度は側面から斬り掛かる。
しかし。
風刃が唸る。
ヴァルターは咄嗟に身体を捻り、その一撃を躱す。
着地した瞬間。
地面から岩槍が突き上がる。
さらに豪炎。
雷撃。
水刃。
休む間もなく異なる属性の攻撃がヴァルターへ襲い掛かった。
転移を繰り返しながら、その猛攻を紙一重で躱し続ける。
ようやく距離を取ったヴァルターは、静かにエリアスを見据えた。
「流石ですね。王国最強候補と称されるだけはあります。」
一瞬の沈黙。
「《転移》だけでは、反応されますか。」
そう呟くと、ヴァルターは右手の剣を静かに掲げる。
刀身が淡い光を放ち始める。
「ならば。」
「出し惜しみはできません。」
ヴァルターは剣先をエリアスへ向けた。
「私の剣の真髄を、お見せしましょう。」
刀身の輝きが、一層強く増していく。
溢れ出した光がヴァルターの全身を包み込んだ。
その姿が、ゆらりと揺らぐ。
一人。
二人。
三人。
四人。
五人。
六人。
光が静かに収まる。
そこには、六人のヴァルターが並び立っていた。
「……分身か。」
エリアスが目を細める。
ヴァルターの右手に握られた剣。
幻想剣《ミラージュ》。
実体を持つ分身を生み出す能力を宿したダイダロスの遺産。
生み出された分身は本体と同等の身体能力を持ち、装備までも完全に再現する。
ただし、固有能力や魔法は受け継がない。
六人が同時に一歩踏み出す。
コツ――。
乾いた足音が回廊へ響いた。
石畳が僅かに軋む。
その瞬間、エリアスは理解する。
(足音……。)
(床が軋んだ。)
(幻影ではない。)
(実体を持つ分身か……。)
「厄介な能力だ。」
六人のヴァルターが同時に剣を構える。
次の瞬間。
全員の姿が、一斉に掻き消えた。
無数の小石が宙を舞う。
正面。
頭上。
背後。
左右。
六人のヴァルターは、それぞれ異なる軌道で小石を操り始めた。
次の瞬間。
小石と《転移》したヴァルターたちが、四方八方から一斉に斬り掛かる。
エリアスは身体を炎へと変化させ、その斬撃を受け流す。
間髪入れず雷となって距離を取り、風刃を放つ。
さらに岩槍が床を突き破り、豪炎が回廊を埋め尽くした。
しかし。
そのどれもが届かない。
攻撃が迫る寸前。
六人は別々の小石へ《転移》し、そのすべてを紙一重で躱していく。
再び小石が動く。
《転移》。
斬撃。
《転移》。
刺突。
《転移》。
六人は誰一人として同じ動きを見せない。
攻める者。
牽制する者。
退路を塞ぐ者。
次の《転移》の布石となる小石を配置する者。
すべてが、一人の思考によって寸分の狂いもなく連携していた。
「……なるほど。」
エリアスは六人を見据え、小さく息を吐く。
(違う。)
(厄介なのは分身じゃない。)
六人分の位置取り。
六人分の剣筋。
無数の小石の軌道。
《転移》の発動位置と、そのタイミング。
(これほどの情報量を、一人で演算し続けているのか……。)
(……化け物め。)
六人のヴァルターによる猛攻。
《転移》を繰り返しながら繰り出される斬撃。
エリアスは炎へと身体を変化させ、雷で距離を取り、風刃と豪炎で反撃する。
しかし、その攻撃もまた《転移》によって躱される。
互いに決定打を与えられない。
ヴァルターは静かに距離を取った。
「……埒が明きませんね。」
その視線が左手の剣へ落ちる。
「ならば。」
左手に握られた剣が妖しく輝き始めた。
逆刃剣《リバース》。
ダイダロスの遺産の一振り。
その斬撃によって刻まれた傷は、戦闘の余波によってやがて消える。
しかし。
空間へ刻まれた印だけは消えない。
そして術者が望んだ瞬間。
その刻印から、一度だけ同威力の斬撃を放つ。
壁。
床。
柱。
天井。
そして。
何もない空間。
これまでヴァルターが剣を振るったすべての場所が、攻撃の起点へと変わる。
――解放。
その瞬間だった。
壁から。
床から。
天井から。
何もない空間から。
無数の斬撃が一斉に射出される。
死角はない。
回避する隙もない。
さらに。
六人のヴァルターが同時に《転移》を繰り返しながら斬り掛かる。
全方位。
完全包囲。
エリアスは瞬時に六属性を切り替える。
炎。
水。
雷。
風。
岩。
砂。
身体を各属性へ変化させながら、怒涛の連撃を捌いていく。
だが。
《万象》にも、完全ではない弱点があった。
身体を属性へ変化させられるとはいえ、
全身を同時に変化させることはできない。
どれほど精密に制御しても、
必ず僅か一%だけ、肉体のまま残る部位が生まれる。
ヴァルターは、それを知っていた。
否。
戦いながら見抜いていた。
六人の視線が、同時に一点へ集まる。
(そこだ。)
攻撃が届く。
そう思われた、その瞬間――。
世界が、白く染まった。
炎。
水。
雷。
風。
岩。
砂。
本来、決して交わるはずのない六属性が、一つへ収束していく。
次の瞬間。
天地を揺るがす大爆発。
六属性が渦を巻き、エリアスを中心として全方位へ一斉に解き放たれた。
逃げ場など存在しない。
回廊は瞬く間に崩壊し、王城の一角が轟音とともに爆ぜる。
爆炎。
衝撃波。
砕け散る石壁。
猛烈な暴風が周囲すべてを飲み込んでいった。
「……っ!」
ヴァルターは咄嗟に無数の小石を後方へ射出する。
《転移》。
《転移》。
《転移》。
間一髪。
爆発の範囲外へ逃れたヴァルターは荒く息を吐いた。
「……はぁ…はぁ…。」
視線を上げる。
分身は六体。
いや。
違う。
三体が、爆発へ巻き込まれ消滅していた。
残ったのは、本体を含め三人だけ。
ヴァルターは土煙の向こうを見据える。
(今の攻撃は……。)
エリアス・ノール。
《万象》。
彼が同時に扱える属性は、最大二つ。
それが王国中の共通認識だった。
だが。
先程放たれた一撃は違う。
炎。
水。
雷。
風。
岩。
砂。
六属性すべてが、同時に放たれていた。
(あり得ない。)
(私の知り得る情報にはない……。)
その時だった。
コツ――。
静寂の中、足音が響く。
濃く立ち込める土煙の奥。
一つの人影が、ゆっくりと姿を現す。
そして。
その身体は。
六色の輝きを纏っていた。
ご覧いただきありがとうございます!
今回からヴァルターやクリフのダイダロスの遺産が本格的に登場しました。
ダイダロスの遺産は、それぞれ全く異なる能力を持っており、今後も様々な武器が登場予定です。
次回、エリアスとヴァルター。王国最高峰同士の戦いが、ついに決着します。
ぜひお楽しみに!