ザーーー……ッ、と、どこまでも穏やかで、寄せては返す波の音が響いている。
人間の目には楽園そのものに映るであろう、遮るもののない真っ青な空と、どこまでも透き通ったエメラルドグリーンの美しい海。燦々と降り注ぐ南国の太陽の光が、純白の砂浜を眩しく照らし出している。
だが、その美しいビーチパラソルの下で繰り広げられているのは、世界を呪いで塗り替えようとする者たちの、酷く不気味で冷徹な対話だった。
「──まさか、花御が完全に祓われるとはね。想定外だよ。あの場に五条悟はいなかったはずだが……」
白い砂浜に置かれたビーチチェアに腰掛け、リゾート地を楽しむかのように佇む夏油傑の肉体を乗っ取った存在──羂索は、手元の人形を弄びながら、いつもの冷徹な笑みを浮かべつつも、その声音には明確な計算違いの苛立ちが混ざっていた。
「あああああ、クソッ!! クソォオオオオッッ!!!」
ドゴォオオオン!!! と、怒り狂った漏瑚が、燃え盛る拳で綺麗な砂浜を殴りつけた。爆風で純白の砂が激しく舞い上がり、彼の頭頂部の火山から、美しい海には似合わない激しい炎と黒煙が噴き出す。
「花御が消されただと!? 人間の分際で、我らの仲間を、跡形もなくねじ切りおって……!! あの女特級、浅雛蒼空……!! 許さん、絶対にワシの炎で焼き尽くしてくれるわ!!」
「やめておきなよ、漏瑚」
穏やかな波が足元を濡らす波打ち際で、ガタガタと両膝を抱えて、自分の魂の形を必死に手で触って確かめている呪霊がいた。真人だ。
いつもなら、人間に残酷な笑みを向けるはずのその顔は、眩しい夏の光の下であるにもかかわらず、今までに見たこともないほど真っ青に引き攣り、恐怖にガクガクと震えていた。
「あいつの領域は……あいつの呪力は、狂ってる……。触れられないんだ、俺の『無為転変』が、魂の形に触れようとした瞬間に、上下も、左右も、自分が右手を動かしているのかすら、全部ぐにゃぐにゃにねじ曲げられて……っ! 脳みそが、自分が何なのか分からなくなって爆発しそうになるんだ……っ!!」
真人は美しい海を見つめたまま頭を抱え、思い出すだけでゾッとしたように目を見開く。
そんな真人の怯えきった姿を、羂索は顎に手を当て、楽しげに、そして冷酷に観察していた。
「なるほどね。実に興味深いよ、真人。……浅雛蒼空、あの『青い夏』の時代に覚醒した特級術師。彼女の本質は、存在の完全消滅を司るあの絶対禁忌──『白の領域』にあるとばかり思っていたけれど、認識を改めなければならないな」
羂索は南国の風に長い髪を揺らしながら、ねっとりとした口調で考察を続けた。
「あの一撃必殺の奥の手を除外したとしても、彼女自身の純粋な基礎戦闘力が、我々の見積もりを遥かに上回っている。五条悟の『無限』を不完全に模倣したとされる歪曲呪法……あれは本来、脳にかかる反動が大きすぎて自滅するはずの欠陥呪法だ。それを彼女は、莫大な脳の容量で補うことで無理やりノータイムで最適化して出力している。
おまけにあの領域だ。必中効果を『肉体の破壊』ではなく『認識の歪曲』に絞ることで、呪力の消費を最小限に抑えつつ、君の『無為転変』のような魂の防壁すら無意味化させる。五条悟が『天性の最強』なら、浅雛蒼空は『システムを限界までバグらせた歪みの結晶』だよ。真正面から呪力で殴り合って勝てる術師なんて、現代には五条悟くらいなものさ」
「……だったらどうするのだ! 計画を諦めるというのか!?」
漏瑚が海に向かって煙を吹き出しながら詰め寄る。
「まさか。五条悟を獄門疆で封印する、私の計画に変更はないよ」
羂索はフッと、美しい波音に紛れ込ませるように、不敵な笑みを深くした。
「ただ、彼女を完全に呪霊側で調伏、あるいは排除するための『手札』が、もう少し欲しくなったのは確かだね。……だが、それも些細な問題だ。どれほど戦闘力が高かろうと、彼女の脳はすでにまどろみの底に達している。生徒を想うその心、記憶が消えていく恐怖、それら全てが彼女を縛る強固な『枷』だ」
羂索は、夏油傑の冷たい瞳でどこまでも広がる水平線の奥を見つめながら、勝利を確信したように呟いた。
「五条悟さえ消えれば、彼女がどれほど足掻こうと、私の計画の障害へはなり得ない。……さあ、すべてのピースは揃った。私たちの『大義』のために、存分に呪い合おうじゃないか」
穏やかで美しい波の音が響くなか、羂索の冷酷な言葉だけが砂浜に白く染み込んでいく。
まばゆい南国の光の裏で、世界を揺るがす大きな歪みが、静かに動き出そうとしていた──