『箱入りの特級術師』浅雛蒼空   作:おいしいお塩

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浅雛さん頑張ります


『深夜の裏山、黒に染まる覚悟』

五条の目論見と、上層部の思惑は、不気味なほど綺麗に一致していた。

 

あの日以降、上層部から正式に通達されたのは、私の領域展開の『無期限の使用禁止』

 

そして──『高専からの原則外出禁止、および敷地内での常駐要請』という、あまりにも過保護で残酷な枷(お達し)だった。

 

上層部にとっても、領域という自滅のリスクを孕んだ技をみすみす使わせるわけにはいかなかった。何より、術式反転【正緋】によって、他人の怪我だけでなく、これまで硝子ちゃんの手でも完治が難しかったおぞましい『呪詛』や『呪毒』の因果すら平らにして治療してしまう私は、呪術界にとって絶対に失ってはならない、あまりにも貴重な『最高峰の医療要員』になっていたからだ。

 

 

特級呪術師、浅雛蒼空。

その肩書きとは裏腹に、私の日常は高専の医務室のなかに完全に閉じ込められていた。

 

「──はい、これで呪毒の因果は綺麗に消えたよぉ。もう大丈夫だからねぇ」

 

「す、すげえ……。あんなに骨まで腐りかけてたのに、痛みが完全に消えてる……。ありがとうございます、浅雛さん……!」

 

毎日、ボロボロになって運ばれてくる補助監督や術師たちを、私はトロンとした目のまま、淡々と【正緋】の光で癒やし続けていた。

 

「はぁー……。蒼空のおかげで、私のタバコの本数がマジで減ったわ。本当に助かる」

 

医務室のソファに背中を預け、硝子ちゃんが心底嬉しそうに息を吐く。

 

「私の負担が減ったのもそうだけどさ。……何より、あんたが死に急ぐような危険な任務に行かずに、こうして私の隣で安全にいてくれるのが、私は一番嬉しいよ」

 

「うん……。わたしも、硝子ちゃんの力になれて、すっごく嬉しいよぉ……」

 

お互いに微笑み合う。嘘偽りのない、温かい日常。

 

だけど──私の心には、医務室の窓の外に広がる夏の青空が、どこか遠く、酷く冷たく映っていた。

 

私がこうして安全な檻の中で誰かを癒やしている間にも、五条は「最強」の激務をたった一人でこなし、夏油もまた、誰にも言えない孤独を背負ったまま、一人で呪霊の泥濘へと出向いていく。

 

(せっかく、特級になったのに……。このままじゃ、また私は置いていかれちゃう。2人の背中が、また見えなくなっちゃうよぉ……)

 

だから、私は決めたのだ。

 

もともと『混濁の檻』の呪縛のせいで、私の目は常に眠たげで、意識は慢性的なまどろみの中にある。だからこそ──私がどれだけ夜更かしをして、どれほど寝不足になろうとも、周囲の誰もその異変に気づくことはできなかった。

 

「……ん……っ、あついなぁ……」

 

深夜、丑三つ時。

 

高専の全員が眠りについた静寂のなか、私はメンズサイズのブカブカな制服の袖を捲り上げ、一人で高専の裏山へと足を運んでいた。

 

あの日、自らの脳のメモリを焼き切り、白紙の空白を作り出したことで、私の身体には異変が起きていた。

 

脳の処理速度が尋常ではない次元へと跳ね上がったことで、かつては3級術師として拙かった呪力のコントロールが、今は髪の毛一本の狂いもなく掌握できるようになっている。術式そのものの基礎出力も、あの日とは比べ物にならないほど桁違いに跳ね上がっていた。

 

だが、これだけでは足りない。

 

領域という一撃必殺のジョーカーを奪われた今の私が、あの化け物じみた2人の隣に並び立つためには、既存の術式の枠組みを完全に壊し、解釈をどこまでも広げる必要があった。

 

空間を歪める? 物体をねじ切る?

 

そんな物理的な干渉だけじゃダメだ。もっと、もっと深く──

 

目に見える物質そのものだけでなく、その奥にある『認識』や、存在の根源たる『性質』そのものの因果を歪めることができれば──

 

「すぅ……、はぁ……」

 

深夜の木々がざわざわと風に揺れるなか、私は一本の巨大な岩の前に立ち、ゆっくりと両目を閉じた。

 

視界を、完全な闇へと閉ざす。──【触手遮限】

 

視界の捕捉というこれまでのトリガーを自ら捨て、外界の情報の一切を遮断する強い『縛り』。五感を極限まで研ぎ澄まし、私はその冷たい岩の表面に、大きすぎる制服の袖から覗く、華奢な手のひらを直接ペたりと押し当てた。

 

脳裏で、イメージを、呪力の回路を、何百回、何千回と狂ったように反復させる。

 

私の内側から溢れ出る呪力。あの日、すべてを消し去った領域の「白」ではない。

 

すべてを侵食し、己の色で染め上げる、禍々しいまでの濃密な、私の『黒』。

 

(私の黒で……世界を、塗りつぶす……)

 

手のひらから伝わる、強固な岩の「硬さ」「冷たさ」という物質の認識。その因果の糸を、脳内の圧倒的な演算速度でグニャリと掴み取り、強引にへし折る。

 

(岩じゃない。これは──泥だ)

 

(硬い石の性質なんて、最初から間違っている。柔らかく、ドロドロに融けたそれこそが、この物質の『正しい性質』だ──!)

 

私の手のひらから、ドク、と心臓の鼓動のような、悍ましい呪力の脈動が伝わった。

 

押し当てた手のひらを中心に、私の呪力の『黒』が、墨汁を流したように一瞬で岩の表面を侵食し、塗りつぶしていく。

 

ベキッ、ベキギギ……ッ!

 

空間そのものが悲鳴を上げるような歪曲の音が響いた直後、目の前の巨大な岩が、ドサリ、と音を立ててその輪郭を失った。

 

「──あ……」

 

私がそっと目をあけると、そこにあったのは、硬強な岩などではなかった。

 

私の手のひらが触れていた場所から、岩そのものがドロドロに融け去り、真っ黒な『泥の塊』へとその性質を完全に書き換えられ、地面へダラダラと流れ落ちていた。

 

拡張術式──『染黒』

両目を閉じ、対象に直接触れるという肉薄のリスク。その厳しい【トリガー】と引き換えに、対象を己の黒で染め上げ、「物質の性質」や「存在の認識」そのものを完全に書き換える、領域に頼らない私だけの新しい刃。

 

「はは……、できたぁ……っ」

 

流れ落ちる黒い泥を見つめながら、私はトロンとした寝ぼけ眼のまま、ふふ、と狂おしく笑った。

 

高専の奥に閉じ込められた、お人形さんのような箱入り娘のままなんて、絶対に嫌だ。

 

領域を使えなくたって、私は何度でも、暗闇の底から新しい牙を毟り取って生やしてみせる。

 

五条を一人にさせない。夏油をひとりぼっちの闇に落とさせない。

 

2人の怪物の隣に並び立つためなら、わたしだって──どんな歪な化け物にだって、なってやる。

 

「待っててねぇ、二人とも……。わたし、もっと、もっと強くなるからねぇ……」

 

深夜の裏山。真っ黒に融けた泥の横で、私はブカブカの制服の袖でそっと自分の口元を覆い、深く、熱い、決意のまどろみの中へと、その身を深く沈めていった──

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