『箱入りの特級術師』浅雛蒼空   作:おいしいお塩

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浅雛さんやります


『黒の祝福と、届かぬ背中』

「五条、わたしと手合わせしてよぉ」

 

ある日の放課後、高専のグラウンド。

 

トロンとしたいつもの眠たげな目のまま、ブカブカの制服の袖を揺らしてそう告げた私に、五条は鼻で笑って応えた。

 

「は? お前なにバカ言ってんの? 」

 

五条は完全に私を舐めていた。彼にとって、自分以外の人間は、強弱に関わらず『守るべき対象』か『それ以外』でしかない。

 

彼が他者に自分を理解してほしいと望まないのは、その生物としての圧倒的な一線の裏返しだ。上層部から籠の鳥にされ、治療要員として扱われている今の『箱入りの特級』である私は、彼にとって『共に戦う仲間』ではなく、ただの『守るべき対象』に過ぎなかった。

 

「お前の術式じゃ、俺には一生触れねえよ。大人しく硝子と並んでろ」

 

「……やってみないと、分からないよぉ」

 

私が一歩も引かずに五条を見据えると、グラウンドの端で見守っていた硝子ちゃんと夏油の顔に、強い緊迫感と心配の表情が走った。

 

「ちょっと、蒼空……! 本気なの!?」

 

「浅雛さん、悟の言う通りだ。君の役割は治療だ。無理に戦う必要は──」

 

硝子ちゃんと夏油も止めようとするが、私の強い眼差しを見て、五条はしぶしぶといった様子で首の骨を鳴らした。

 

「……ハッ、勝手にしやがれ。どうなっても知らねえからな」

 

五条がポケットから片手だけを抜き、だらりと構える。

 

私は地を蹴った。瞬時に五条との距離を詰める。

 

五条は動かない。ただ、私をあしらうように、その綺麗な右手の指先から軽く術式を放った。

 

術式順転──「蒼」

 

軽い牽制のつもりだろう。だが、それでも空間を強制的に引き寄せる引力の塊だ。私はひるまず、脳内の莫大な演算速度を以て、迫り来る引力の因果を掌握する。

 

「──『歪蒼』……っ!」

 

私の呪力が空間そのものを大きく歪曲させ、直撃のコースを強引に右へとへし折った。グニャリと歪んだ「蒼」が、私のすぐ横を通り抜け、背後の防壁を爆音とともに粉砕する。

 

(──ここだ。ここしかない……!)

 

牽制を放ち、完全に油断している五条の懐へと一気に肉薄する。

 

五条の周囲には、世界を隔絶する絶対的な『不可侵』の壁。触れることすら許されない、神の領域。

その至近距離で、私はガチリと、固く両目を閉じた。──【触手遮限】

 

視界の全てを暗闇に閉ざし、外界の情報の一切を遮断する強い『縛り』。五感を極限まで研ぎ澄まし、五条の不可侵へと、直接、私は右の掌で『無限に触れた』

 

(──拡張術式『染黒』!!)

 

ドクンッ!!

 

私の手のひらから溢れ出た禍々しい『黒』の呪力が、五条の目に見えない不可侵の壁を一瞬で塗りつぶした。五条の「無限」の性質が歪み、書き換わり──その効力が、一時的に完全消滅する。

 

「──なっ!?」

 

五条の『六眼』が、驚愕に大きく見開かれた。触れるはずのない距離に、私の手が完全に侵入している。最強の男が生まれて初めて見せた、一瞬の、致命的な隙。

 

そこに、世界からの祝福が、私に味方した。

 

ガ ギ ィ ィ ィ ィ ィ ン ッ ッ ! ! !

 

空間が爆ぜるような、禍々しい漆黒の光。

 

呪力の歪みが衝突し、空間がひび割れた瞬間、私の一撃に【黒閃】が炸裂した。

 

通常の2.5乗という凄まじい質量が、不可侵を剥ぎ取られた五条の、剥き出しの顔面へと直撃する。

 

「が、はっ……!?」

 

凄まじい衝撃波とともに、あの「最強」の五条悟の身体が、グラウンドの地面を何十メートルも派手にバウンドしながら、砂煙を上げて吹き飛んでいった。

 

「あは、あははははっ……!」

 

黒閃をキメて、呪力の核心に触れた高揚感。脳が沸騰するような感覚のなかで、私はブカブカの袖の拳を握りしめ、少しハイになったテンションのまま、トロンとした目の奥の光をギラつかせて叫んだ。

 

 

「あんまり……あんまり、わたしのことを舐めないでよぉ、五条……!!」

 

 

グラウンドの端で、硝子ちゃんと夏油は完全に固まっていた。

 

あの五条悟が、領域もなしに、ただの体術と術式で殴り飛ばされた。その圧倒的な光景。

 

起き上がった五条は、口元の血を親指で拭いながら、ゆっくりとサングラスを外した。

 

その瞳には、怒りはなかった。あるのは、狂おしいほどの歓喜と、戦慄。他者との間に絶対的な一線を引き、自分と同じ景色を見られる存在などいないと冷徹に割り切っていた五条。その彼が、目の前で荒い息を吐く私を見て、初めてその一線の内側へと、私の存在を引きずり込んだ。

 

(こいつ……マジでやりやがった──!)

 

「──ハッ、いい一撃じゃねえか、蒼空」

 

砂煙の向こうから、五条の雰囲気がガラリと変わった。

 

もう、舐めた態度など微塵もない。私を完全に「ライバル」として見据えた最強の圧。

 

「じゃあ……ここからが本番な」

 

五条の指先が、今度は明確な殺意を孕んで私へ向けられる。

 

威力を跳ね上げた術式順転「蒼」の連撃。

 

さらに、それと同時に放たれる、おぞましいほどの正のエネルギーの塊──術式反転「赫」。

 

「──っ!? おい、悟!!」

 

「ちょっと五条、模擬戦だって言ってんでしょ!?」

 

夏油と硝子ちゃんが血相を変えて叫んだ。いくら相手が特級とはいえ、ただの手合わせで「赫」まで引き出すなど、常軌を逸している。

 

光の速度で迫り来る、空間を塵へと変える弾斥の暴力。私は奥歯が折れるほど強く噛み締め、制服の袖から両手を突き出した。

 

「あああ、あああああ……っ!!」

 

全力を注ぎ込んだ『歪蒼』。迫り来る「蒼」の引力を空間ごとねじ曲げて同士突撃させ、さらに、真正面から突き刺さる「赫」の全方位の空間を、目に見えぬ巨大な万力のように力任せに包み込み、グググ……と、その因果の塊を強引に圧迫していく。

 

ベキベキベキッ!!!

 

空間がガラスのようにひび割れる凄まじい軋み音。私は、五条の放った「赫」を、術式の歪みによって文字通り『力尽くで握りつぶして』霧散させた。限界以上の呪力出力に、私の鼻から一筋の血が伝う。

 

「へぇ……。マジでやるじゃん」

 

五条が笑った。だが、その笑みは戦慄の裏返し。

 

五条の身体がブレた。

 

私は慌てて『歪蒼』で空間を歪め、彼のさらなる猛攻を必死に回避しようとする。だが、体術の練度も、呪力運用の経験値も、すべてにおいて五条の方が遥か、遥か格上だった。

 

「だけど……お前のその『染黒』、眼を閉じるのがトリガーだな? 一度見りゃ、対策なんていくらでもできるんだよ」

 

もう一度『染黒』を当てようと目を閉じて踏み込んだ瞬間、五条がそんな隙を二度も晒すはずがなかった。私の死角から、音もなく回り込んだ五条の容赦のない足払いが決まり、私の身体はあっけなくグラウンドに転がされた。

 

どさ、と地面に倒れ込み、五条の靴が目の前に止まる。

 

一度は届いたはずなのに、そこから先は、あまりにも果てしない実力差。手も足も出ない、絶対的な敗北だった。

 

「……う、ぅ……っ」

 

地面に伏せたまま、私の目からポロポロと涙が溢れ出た。

 

悔しかった。届いた、隣に並べたと思った瞬間に、容赦なく突き放された現実。やっぱり、私はまだあの2人の怪物の足元にも及ばない。それが悔しくて、ボロボロと土の上で泣きじゃくる私を見下ろし、五条はフッと笑って、乱暴に私の頭を撫でた。

 

「メソメソすんな。……いずれ俺の隣に立つつもりの奴が、そんなんで泣いてんじゃねえよ」

 

その言葉は、ぶっきらぼうだけど、明確に私を認めてくれた五条なりの最高の励ましだった。

 

「ふふ、悟にそこまで言わせるなんてね。本当に、浅雛さん、君には驚かされるよ」

 

夏油も歩み寄り、グラウンドに座り込む私を見つめて、その瞳に熱い炎を灯しながら宣言した。

 

「だが、悟の親友である私こそが、君よりも先に、悟の隣に立ってみせるさ。負けてはいられないからね」

 

涙を拭いながら、私はトロンとした目で2人を見上げた。

 

あっさりと負けてしまったのに。私のわがままで模擬戦を挑んだのに、なんで2人はこんなに優しくしてくれるんだろう、と不思議で仕方がなかった。

 

でも──

 

(あぁ……これでまた、みんなと一緒に、前を向いて歩けるかもしれない……)

 

その事実に、私の胸はぽかぽかと温かい喜びで満たされていった。

 

──そして

この時、誰も気づいていなかった。

 

黒閃をキメて、呪力の核心に触れてしまったこと。それにより、私の脳内の演算システムが、さらなる進化を遂げてしまったことに。

 

『白の領域』は禁止された。もう二度と、大切な日常を融かすあの白には頼らない。

 

それなら──白を禁じられた私が、あの『染黒』の認識の歪曲を、世界そのものに押し広げたら、一体どうなる……?

 

私の脳裏の、まだ誰も立ち入れない深淵の中で、新しい世界のイメージが、美しく、おぞましく産声を上げていた。

 

それは、すべてを消し去る純白でも、己を染め上げる漆黒でもない。

 

順転の「蒼」と反転の「緋」が、ドロドロと狂おしく混ざり合う、昼と夜の狭間──

 

どこまでも不気味で、世界の境界線が美しく溶け落ちていくような、どこまでも綺麗な『黄昏時』の空の情景。

 

領域を必要としない新しい強さを求めたその果てに、皮肉にも、私だけの新しい「檻」が、まどろむ頭の奥底で静かにその幕を開けようとしていた──

 

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