高専の広大なグラウンド
春のうららかな陽気のなか、一年生の虎杖悠仁、釘崎野薔薇、伏黒恵の3人は、ジャージ姿で並んで立っていた。彼らの前には、メンズサイズのブカブカな上着の袖から、ちょこんと指先だけを出した浅雛蒼空が立っている。
「ん……っ、みんな、集まってくれてありがとうねぇ……」
蒼空はいつも通りのトロンとした寝ぼけ眼のまま、おっとりと微笑んだ。豊かなロングヘアには、相変わらずぽやぽやとした寝癖がハネている。
「今日はね、五条の代わりに、わたしがみんなに『呪力操作』の基礎と、わたしの術式をお手本として教えてあげる授業だよぉ。……あ、忘れないように、ちゃんとメモしておかなきゃ」
胸元の大きなポケットから小さなメモ帳を取り出し、拙い文字で【きょうは、じゅぎょう。みんな、がんばる】と書き留める。そのおっとりとしたマイペースな姿に、虎杖と野薔薇は顔を見合わせた。
「なあ伏黒、浅雛先生って本当に特級なんだよな? なんか、いまにもその場でお昼寝しちゃいそうだけど……」
「……黙って見てろ、虎杖。五条先生の『ニュッとやってパッとやる』みたいな適当な説明とはワケが違うからな」
伏黒が腕を組んでそう告げると、蒼空はメモ帳を大事にポケットに仕舞い、3人に向き直った。その瞬間、彼女の纏う空気が、おっとりしたお姉さんから『教育者』のものへと、すっと洗練されたものに変わる。
「じゃあ、まずは呪力操作の基本からねぇ……。呪力はね、感情の火種から生まれるけれど、それをそのままぶつけるだけじゃ、効率が悪くて自分の体も痛めちゃんだよ。大切なのは、体の中の呪力を『水』のようにイメージすること。指先ひとつ、細胞ひとつにまで、均一に、丁寧に流し込んでいくの。……伏黒くん、ちょっとやってみてくれる?」
「はい」
伏黒が前に出ると、蒼空はブカブカの袖から細い手を出して、伏黒の肩や肘に優しく触れた。
「ん、上手上手……。でもね、ここ、右肘のあたりの呪力が少し澱んでるよぉ。そこを、こうして……キュッと流してあげるの」
蒼空が触れた瞬間、伏黒の体内の呪力循環が見違えるほどスムーズになり、無駄な呪力の漏出がピタリと止まった。
「すっげえ……! 伏黒の呪力が一瞬できれいになった!」
「本当に分かりやすいわね……あの目隠しクソ眼鏡にも爪の垢を煎じて飲ませたいわ」
虎杖と野薔薇が感動の声を上げる。蒼空は嬉しそうにトロンとした目を細めた。
「ふふ、ありがとうねぇ。……じゃあ、基礎が分かったところで、次は応用。わたしの『歪曲呪法』がどんなものか、実際に見てもらうのが一番早いかなぁ。……というわけで、虎杖くん。わたしに向かって、思いっきり殴りかかってきてくれる?」
「ええっ!? 嫌ですよ、そんなの! 浅雛先生、細いし眠そうだし、俺が本気で殴ったら怪我しちゃいますって!」
虎杖は慌てて両手を振って拒絶した。だが、蒼空はおっとりと小首を傾げ、洗練されたお姉さん先生としての自信を覗かせて微笑む。
「大丈夫だよぉ。わたし、これでもしっかりもののお姉さん先生だもん。手本を見せたいから、本気で、おもいっきりおいで」
「……虎杖、手加減しなくていい。じゃなきゃ、術式の意味がない」
伏黒に後ろから促され、虎杖はゴクリと唾を飲み込んだ。
「……分かった。怪我、させないように気をつけるからね、浅雛先生!」
虎杖の足がグラウンドの土を爆発的に蹴り上げる。驚異的な身体能力から繰出される、重戦車のような踏み込み。一瞬で蒼空の懐へと潜り込み、鋭い右拳が彼女の顔面へと真っ直ぐに突き出された。風圧で蒼空の髪が激しく舞い上がる。
その拳が届く、直前。
いつもの眠たげな蒼空の長い睫毛がゆっくりと持ち上がり、その奥から、澄み渡るような「鋭い蒼」と「鮮烈な緋」の呪力が激しく混ざり合った双眸が、カッと見開かれた。
蒼空は、迫り来る虎杖の拳を視界の中心に捉えると、ブカブカの袖から出した白く細い人差し指で、空中にクルリと、小さな「渦」を描いた。
──フッ
「うおっ!?」
次の瞬間、虎杖は奇妙な感覚に襲われた。
確かに真っ直ぐ蒼空の顔面を狙って放ったはずの拳が、彼女の顔の手前数センチの空間で、まるでグニャリと世界が湾曲したかのように、物理的な軌道をあり得ない角度へ『逸らされた』のだ。
虎杖の拳は蒼空の何もない横の空間を虚しく突き抜け、その勢いのまま虎杖は前方へつんのめった。
「なっ……何が起きたの!? 五条先生の無下限呪術とも違う……!?」
野薔薇が驚愕の声を上げる。
「無下限は『近づけない』だけど、浅雛先生のは『空間の性質そのものを歪めて、軌道をねじ曲げる』んだ」
伏黒の解説を聞きながら、虎杖は自分の右拳を見つめて呆然としていた。指先ひとつ触れられていないのに、完全に攻撃を無効化されたのだ。
「ふふ、これが空間や性質を掌握する『歪曲呪法』だよぉ。じゃあ次はね……」
蒼空は再び人差し指で空中にクルリと「渦」を描き、今度はグラウンドの端にある、鋼鉄並みの強度を持つ巨大な訓練用呪骸へと視線を向けた。
グラウンド全体の空気が、一瞬でガタガタと震え出す。肌を刺すような特級の威圧感。
「術式順転──」
蒼空は手を開いた状態から、呪骸に向けてその五指を──『グッと力強く握り込んだ』。
「──『歪蒼』」
パキィィィィン!!! ボゴォッ!!!
次の瞬間、巨大な呪骸を中心に、周囲の「空間」そのものが内側に向かって猛烈に絞られ、雑巾のように雑に捻じられた。
鋼鉄以上の硬度を誇る呪骸が、まるで紙粘土か何かのように、中心点へ向かってメキメキと音を立ててねじ切られ、最後には跡形もなく粉々に粉砕されてグラウンドに転がった。
「…………ッ!!!」
あまりの破壊の規模に、先ほどまで蒼空の目の前にいた虎杖は、顔の血の気を引かせてガタガタと震え出した。
「ん……っ……. 空間の密度を『内側』に絞ってねじ切るイメージだよぉ。みんな、見えたかな……?」
術式を終え、またいつものトロンとした寝ぼけ眼に戻った蒼空が、ブカブカの袖をパタパタさせながらおっとりと言った。
そんな先生を見上げながら、虎杖は冷や汗をだらだらと流し、自分の体を抱きしめるようにして怯えた声をだす。
「あ、浅雛先生……もしかして、さっき俺が殴りかかった時……一歩間違えたら、俺もあそこの呪骸みたいに、ボキボキにねじ切られてたかもしれないの……!?」
その怯え方に、蒼空はトロンとした目を丸くしたあと、くすくすと大人の洗練された笑顔を咲かせた。
「ふふ、まさかぁ。大切な可愛い生徒にそんなことするわけないじゃない。虎杖くん、おもしろいねぇ……」
「よ、よかったぁぁぁ……! マジで死ぬかと思った……!!」
へなへなとその場に崩れ落ちる虎杖。その横で、野薔薇は「……格好いい。女の特級としてマジで憧れるわ……」と、畏怖の混ざった羨望の眼差しを蒼空に送っていた。
蒼空は胸のポケットからお気に入りのメモ帳を取り出すと、安心した様子の生徒たちの姿を見ながら、丁寧な文字でこう書き加えた。
【じゅぎょう、大せいこう。虎杖くんがちょっと怖がっちゃったから、今度はおいしいおやつをたくさん用意してあげようね。】
浅雛蒼空は、生徒たちとの時間を、愛おしそうに何度もノートの文字で確かめていた。
その後、授業は一転して、地味で、そして恐ろしく過酷な「基礎修行」へと移っていた。
「ん……っ、じゃあ次はね、みんな座って、体の中で呪力をずーっと一定の速度で流し続けてみてねぇ……」
浅雛蒼空先生の指示で、虎杖悠仁、釘崎野薔薇、伏黒恵の3人は、グラウンドの芝生の上に胡坐をかいて目を閉じていた。瞑想に近い、己の内面と向き合う修行だ。
蒼空はメンズサイズのブカブカな制服の袖をパタパタとさせながら、3人の周りをぽやぽやとした足取りでゆっくりと歩いている。おっとりとした寝ぼけ眼のままだが、その瞳は3人の呪力の流れを完璧に見極めていた。
「あ、虎杖くん、いま後ろから鳥の声が聞こえたでしょぉ? 心が動いて、お腹のあたりの呪力が少し跳ねちゃったよ。ふーって息を吐いて、落ち着かせてねぇ……」
「う、うっす……! 浅雛先生、なんで目瞑ってるのに分かるんだ……」
「釘崎さんもねぇ、ちょっと肩に力が入りすぎかなぁ。呪力はお水だから、肩から指先へ、さらさらって流すイメージだよぉ……」
「は、はい……! 流す、さらさら、さらさら……」
少しでも呪力の流れが淀んだり乱れたりすると、蒼空の萌え袖がパタパタと振られ、的確なアドバイスが優しく飛んでくる。
時計の針が1時間を回る頃には、3人の額からは滝のような汗が流れ落ちていた。激しく動いているわけではないのに、脳と精神が酷く摩耗する。地味だが、信じられないほど疲れる授業だった。
しかし、ふと目を開けて立ち上がった瞬間、3人は驚きに目を見張った。
「……あれ? なんか、体が軽いっていうか……呪力がめちゃくちゃスムーズに練れる気がする!」
「ええ、いつもより無駄な呪力が出ないわ。今日だけで、呪力の流れが良くなった気がする……」
「……だから言っただろ。浅雛先生の呪力操作の指導は、高専で一番なんだ」
汗を拭いながら、虎杖と釘崎は「浅雛先生、マジですごい……」と、尊敬の眼差しをそのぽやぽやとしたお姉さん先生へと向けた。蒼空は胸のポケットからメモ帳を取り出しながら、嬉しそうにくすくすと笑う。
「ふふ、みんな筋が良いからだよぉ。じゃあね、今日の授業の最後に……みんなでわたしと、軽く手合わせをしてみようねぇ」
「手合わせ!?」
さっきの空間ごとねじ切る『歪蒼』の絶望的な光景が脳裏をよぎり、3人は一瞬だけ青ざめて身構えた。それを見た蒼空は、慌ててブカブカの袖を振る。
「まさかぁ、さっきの『歪蒼』は危ないから使わないよぉ。ルールはね、みんなの攻撃で、この場所からわたしを一歩でも動かすこと。それだけで、今日の授業は合格だよぉ」
そう言って、蒼空は両足を揃えてぽつんと立った。ブカブカの制服に手をすっぽりと隠したまま、いつも通りの猫背気味な、威圧感の全くないおっとりとした構えだ。
「一歩動かすだけでいいの? よし、それなら──」
虎杖がニカッと笑って拳を構える。しかし、現役の特級術師は、そんなに甘くはなかった。
「いくわよ、浅雛先生!」
釘崎が呪力を込めた釘を飛ばし、同時に虎杖が凄絶なスピードで正面から突っ込む。
だが、蒼空は足元を一歩も動かさない。長い睫毛がかすかに持ち上がり、トロンとした瞳が二人を捉えると、空中に指先でクルリと「渦」を描く。
それだけで、釘崎の釘はあり得ない角度へグニャリと逸れて地面に刺さり、虎杖の必殺の拳も、まるで滑り台を滑るように蒼空の体のすぐ横へと滑らかに受け流されてしまった。
「くそっ、全然触れねぇ……!」
「おっとりしてるのに、一歩も動かずに全部捌いてくる……!」
何度挑んでも、空間の性質を歪める『歪曲呪法』の防御を破ることができない。
しかし、その激しい攻防の中で、後方から観察していた伏黒の鋭い観察眼が、ある「法則」を見つけ出した。
(……待てよ。浅雛先生は、攻撃を逸らす直前、必ずその対象を『視線』で捉えている。五条先生の無下限のように自動で全方位をガードしているわけじゃない。あの術式は、視線を向けなければ発動できないんだ……!)
「虎杖! 釘崎! 浅雛先生の術式は視界の捕捉がトリガーだ! 視界を潰すぞ!」
伏黒の鋭い指示が飛び、即座に影が大きく広がる。
「──『脱兎』!!」
ポンッ、ポンポンポンポン!!!と、影の中から数え切れないほどの白い泥のウサギたちが溢れ出し、グラウンドを埋め尽くした。大群となった脱兎たちが、一斉に蒼空の周囲へと飛び跳ね、彼女の視界を文字通り真っ白に埋め尽くしていく。
「わぁ……ウサギさんがいっぱいだねぇ……」
蒼空はトロンとした目を少しだけ見開き、視界を遮る脱兎たちを指先の描画でクルリ、クルリと遠くの空間へ弾き飛ばしていく。しかし、弾いても弾いても、伏黒の呪力によって次から次へと新しい脱兎が湧き出し、なかなか数が減らない。
(生徒たちが、こんなに頑張って考えて連携してくれてる……。わたし、すっごく嬉しいなぁ……!)
まどろむ脳の奥で、お姉さん先生としての深い喜びが湧き上がる。
「先生、こっちも見なさいよ!」
脱兎の隙間、完全な死角から、釘崎が鋭い軌道で呪力を込めた釘を打ち込んできた。チィン!と空気が鳴る。蒼空はハッとしてそちらに視線を向け、指先をクルリと動かして釘を弾く。
その瞬間──
「これで、上は完全にガラ空きだ!!!」
伏黒の手のひらを力強く踏み台にして、脱兎の白い壁を遥か高く飛び越えた虎杖が、蒼空の真上から猛烈な勢いで急降下してきた。弾丸のような肉弾強襲。完全に、蒼空の視線が釘崎に向いた一瞬の隙を突いた、3人の完璧な三位一体の連携だった。
「わぁ……っ!」
真上からの気配に、蒼空はびっくりして顔を上げた。咄嗟に術式を展開して弾き飛ばそうとする──
(あ……でも、この高さの虎杖くんを空間の歪みで無理に弾いちゃったら……地面に叩きつけられて、大怪我しちゃうかもしれないよぉ……!)
生徒を想う、あまりにもおっとりとして優しい、お姉さん先生としての本能。
そのほんの一瞬の「躊躇」が、特級術師の完璧な防御に、決定的な隙を生んだ。
「おっしゃぁぁぁーーー!!!」
虎杖が風を切り裂き、蒼空の眼前に迫る。
ハッと我に返った蒼空が指先を動かした瞬間には、すでに虎杖の体は彼女の鼻先まで達していた。歪曲呪法の見えない壁がギリギリで展開され、虎杖の体が直撃することは防いだものの、上空から叩きつけられた凄まじい風圧と質量が、蒼空の体を強烈に押し潰す。
──トサッ
「……あっ」
蒼空のブカブカの制服の裾が揺れ、その足元が──ほんの数センチ、後ろへとズレた。
一歩。
確かに、浅雛蒼空の足が、後ろへと後退したのだ。
「あーっ! クソっ、やっぱり直撃は防がれたかぁ……!」
地面に着地した虎杖が、頭を掻きむしりながら悔しそうに声をあげる。伏黒も脱兎を消し、釘崎もガックリと肩を落とした。
「ダメだったかぁ……やっぱり特級の壁は厚いわね。触れることすらできないなんて」
3人は、自分たちの作戦が上手くいかなかったと落ち込んでいた。
しかし、そんな3人の前に、蒼空はメンズサイズの大きな袖をパタパタと大きく、最高に嬉しそうに振りながら、満面の洗練された笑みで駆け寄ってきた。
「みんな、何言ってるのぉ……? 凄かったよぉ! 伏黒くんの脱兎も、釘崎さんのアシストも、虎杖くんの上の強襲も……わたしね、本当にびっくりしちゃった!」
おっとりと微笑みながら、蒼空は胸のポケットから大切なメモ帳を取り出し、大きな文字でハナマルを描いた。
「わたしね、ちゃんと一歩下がっちゃったもん。だからね、今日の授業はみんな、文句なしの『はなまる合格』だよぉ! すごいねぇ、みんな……!」
「えっ……! じゃあ、俺たちの勝ち……!?」
虎杖がパッと顔を輝かせる。
「ふん、まあ、当然の結末よ。特級を動かしたんだから、ご褒美は特大のやつを期待してるわよ、浅雛先生!」
野薔薇が嬉しそうにフンスと胸を張る。伏黒も、少しだけ誇らしげに口元を緩めていた。
夕暮れ時のグラウンド
生徒たちの名前の横に、拙いけれど愛おしそうな文字で【みんなで一歩うごかしてくれた。とっても強い。はなまる。】と書き加えた。
「はなまる合格」をもらってへなへなと芝生に座り込む一年生3人と、その前で嬉しそうにメモ帳を仕舞う浅雛蒼空先生のもとへ、聞き慣れた軽い足音が近づいてきた。
「おーい、みんなお疲れサマンサ! 蒼空の特別授業はどうだった?」
任務を終えた五条悟が、いつも通りのひょうきんな調子で片手を挙げて現れる。その手には、どこか老舗の和菓子屋のものらしき品のある紙袋が提げられていた。
五条の姿を見るなり、虎杖が真っ先に飛びつくようにして声をあげた。
「五条先生! 浅雛先生、マジですごかったぞ!! 触れねえし、空間がグニャッて曲がるし、最後なんか的の呪骸をボキボキにねじ切っちゃうんだもん!」
「そうよ。呪力の流し方の教え方も、どっかの目隠し眼鏡の100倍分かりやすかったわ」
釘崎もフンスと胸を張りながら、熱っぽく感想を五条にぶつける。伏黒も、静かに頷きながら言葉を添えた。
「……五条先生の指導がいかに適当だったか、よく分かりました。浅雛先生は、俺たちの拙い連携もちゃんと見てて、最後はわざと一歩下がって合格にしてくれたんです」
3人からこれでもかと絶賛の言葉を浴びせられ、蒼空はメンズサイズの大きな袖に口元をすっぽりと隠しながら、トロンとした寝ぼけ眼をパチパチとさせて赤くなった。
「ん……っ、みんな、褒めすぎだよぉ……。わたし、そんなに大したことは……。でも、たくさん褒めてもらえて、すっごく嬉しいなぁ……」
照れてぽやぽやと体を揺らす蒼空の頭を、五条は大きな手でポンポンと優しく、だけど少し誇らしげに叩いた。
「だろ? だから言ったじゃん、蒼空は凄いんだって。……ほら、これ。頑張ったしっかりもののお姉さん先生と、優秀な生徒たちにご褒美。帰りにちょっといい店で行列に並んで買ってきたんだよね」
五条が紙袋から取り出したのは、竹皮に包まれた、ふっくらと大きな高級どら焼きだった。
「わあ……! どら焼きぃ……! 五条、ありがとうねぇ……」
大好物の登場に、蒼空のトロンとした瞳がパッと輝く。
このまま5人は、高専の敷地内にある畳敷きの休憩室へと移動していた。
「ん……っ、みんな、たくさん動いて疲れたでしょぉ?ここに座って、ちょっと待っててねぇ……」
蒼空はメンズサイズのブカブカな制服の袖をパタパタさせながら、休憩室の給湯スペースでおっとりと動き始めた。
自分の大好きなほうじ茶の茶葉を取り出し、急須にお湯を注ぐ。少し時間を置いてから、5つの湯呑みへ均等に、最後の一滴まで丁寧に注ぎ分けていく。部屋の中に、ほうじ茶の香ばしくてホッとする特有の香りが、ふんわりと広がっていった。
「お待たせねぇ……。熱いから、気をつけて飲んでねぇ……」
ブカブカの萌え袖で湯呑みを包むようにして、虎杖悠仁、釘崎野薔薇、伏黒恵、そして五条の前にトレイからお茶を置いていく。
そして、五条が買ってきてくれた老舗のふっくらとした大きな高級どら焼きをみんなで机に広げた。
「おー! 浅雛先生、お茶入れてくれたのか! ありがてえ!」
虎杖が早速湯呑みを手に取り、ズズッと音を立ててお茶を啜る。
「うわ、すっげーいい匂い……! 落ち着くなぁ、これ」
「ん〜〜! 幸せ! 汗をかいた後の糖分が五臓六腑に染み渡るわね!」
釘崎も上品などら焼きを一口齧り、温かいほうじ茶を口に含んで、幸せそうに頬を緩ませた。
「……生き返ります。今日一番頭を使ったので、お茶の温かさが染みますね。生地も甘さが控えめで食べやすい」
伏黒は湯気の向こうでホッとしたように息を吐いている。
そんな生徒たちの姿を隣で見つめながら、蒼空も自分の大好きなほうじ茶を、湯呑みからトロンとした目を細めて一口、大切そうに味わった。
「ん……っ……、おいしいねぇ……。みんなと一緒に飲むほうじ茶は、世界でいちばん美味しいよぉ……」
「みんなと一緒」の幸せに満たされて、蒼空は最高に穏やかな満面の笑みを咲かせた。豊かなロングヘアの寝癖が、畳の上に座っておっとりと首を傾げるたびにぽやぽやと揺れている。
五条は自分の分のどら焼きを片手で口に放り込みながら、湯呑みを両手で大事そうに持っている蒼空の横顔を、黒い布の奥の『六眼』で静かに、愛おしそうに見つめていた。
「あ、浅雛先生、口の横に餡子ついてるぞ!」
「えっ、どこぉ……? 虎杖くん、とってぇ……」
「はいはい、じっとしててねー。……はい、綺麗になった!」
無邪気に笑い合う虎杖と蒼空の姿に、釘崎と伏黒も自然と笑顔になり、お茶を啜る。
蒼空は、汚れを拭いてもらった後、胸のポケットから大切なメモ帳をそっと取り出した。
そして、夕暮れの休憩室を優しく照らすみんなの笑顔を見つめながら、一文字ずつ、消えないように丁寧な文字で書き加える。
【じゅぎょうのあと、休憩室でみんなでおやつ。
五条のどら焼きと、わたしのほうじ茶。
虎杖くんも、伏黒くんも、釘崎さんも、五条も、みんなで笑ってて楽しかったね。
このあったかい湯気のこと、ぜったいに、わすれたくないな。】
畳の部屋に広がる、香ばしいお茶の香りと、弾けるような子供たちの笑い声。
これは、『箱入りの特級』浅雛蒼空の物語