『箱入りの特級術師』浅雛蒼空   作:おいしいお塩

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渋谷事変⑥

2018年10月31日

 

渋谷駅周辺において発生した特定特級呪詛師「夏油傑(を騙る何者か)」、および特級呪霊らによる大規模呪術テロ。

本件は、一般人を巻き込んだ大規模な結界術の展開、および一級術師複数を巻き込む大規模な戦闘へと発展した。

 

 

【人的被害報告】

一般人: 精神的混濁、軽度の呪力当てられによる体調不良者多数。しかし、事変後半における「未知の広域呪力中和現象」により、懸念されていた大量虐殺、および改造人間化による致死被害は軽微

高専術師:

七海建人(一級):特級呪霊との戦闘により一時重傷を負うも、現在は反転術式による治療を終え、生命に別条なし。

釘崎野薔薇(三級):顔面および脳頭蓋への呪術攻撃を受けるも、突如として攻撃因子の「消失」が発生。軽度の裂傷のみで生還。

その他、全出動術師において、戦線復帰不可能な致命傷を負った者はゼロ。

 

【報告】

本テロ活動は、特級詛詛師の肉体の完全破壊、および主犯格の死亡をもって鎮圧。

首謀者が狙っていた「五条悟の封印」は完全に失敗に終わり、現世に帰還した五条悟単独の圧倒的な武力によって、事変は最小限の被害で完全解決へと至った。

 

……

 

「今回ばかりは生きていることが不思議な気持ちです。命拾いしました」

 

高専の医務室で、包帯を巻いた七海建人が、いつもと変わらない冷静な口調で珈琲を口にしていた。

 

その向こうでは、顔に小さな医療用テープを貼っただけの虎杖悠仁が、釘崎や伏黒と一緒になってケラケラと笑い声を上げている。

 

「本当だよ、ナナミン! でも良かったー、五条先生が帳をぶっ壊して、全部の呪霊を一人で片付けてくれたんすよね! さすが最強!」

 

「ほんとほんと。ムカつくけど、あの目隠しが間に合ってくれなきゃ、今頃あたしたち全員トマト缶になってたわよ」

 

高専の廊下も、生徒たちの寮も、まるでお祭りのような安堵と喜びに満ち溢れていた。

 

あの地獄のような渋谷の夜から生還できた奇跡。五条悟という「最強」が、全ての因果を引っ繰り返して自分たちを救ってくれたのだと、誰もが信じて疑わなかった。彼らは笑い、互いの無事を喜び、明日の任務について語り合っている。

 

そこには、一ミリの曇りもない、完璧に守られた「幸福な世界」があった。

 

ただ──

 

「……五条。あんた、さっきから何その顔。みんながあんなに喜んでるんだから、少しは最強らしく踏んぞり返ってりゃいいじゃない」

 

高専の中庭

 

どんちゃん騒ぎをする生徒たちから離れた木陰で、硝子がタバコに火をつけながら、隣の男に声をかけた。

 

五条悟は、いつもの目隠しを外し、剥き出しの『六眼』で、ぼんやりと自分の手のひらを見つめていた。

 

いつもなら「だろ? 僕、最強だからね!」と調子に乗るはずの男が、ここではずっと、不自然なほどに重く、浮かない顔のまま沈黙している。

 

「……硝子」

 

「何よ」

 

「僕さ、渋谷の地下五階で、本当に一人で全部解決したのかな」

 

五条の声は、どこか掠れていた。

 

その瞳──世界の因果、原子の揺らぎすらも見通す『六眼』には、あまりにも狂おしいほどの「世界のバグ」が映り込んでいた。

 

あの地下五階、羂索が消え、自分が獄門疆から解放されたあの瞬間。

 

そこには、五条の知識にあるどの結界術とも違う、完全に呪力のブレすら存在しない「不自然なまでの無」が広がっていた。完璧すぎるのだ。

まるで、世界そのものが『何か』を強引に無かったことにしたかのような、美しいほどの修正の跡。

 

六眼は、その空白を捉えている。

 

脳の記憶は「自分がやった」と言っている。

世界の歴史も「五条悟が解決した」と記録している。

 

だが、世界の因果そのものに紐づく彼の瞳だけは、その空白の向こう側に、確かにあったはずの、自分を救ってくれた『誰か』の圧倒的な特級の呪力の残滓を、かすかに、けれど絶対に消えない肉眼の記憶として焼き付けていた。

 

「何言ってるのさ。あんたが帳を払って、夏油の偽物をぶっ飛ばして、獄門疆を壊したんでしょ。現にみんな無事だし、私もこうして……」

 

硝子はそこまで言って、ふと、言葉を詰まらせた。

 

胸の奥を、冷たい指でキュッと締め付けられるような、強烈な寂しさが再び彼女の心臓を叩く。

 

「……私、誰かと、約束した気がするんだよね。“みんなで無事に戻ってくる”って。でも、誰だか思い出せない。変な感じ。タバコの吸いすぎかね」

 

硝子は自嘲気味に笑い、煙を吐き出す。

 

その様子を見て、五条の青い瞳が、鋭く、そして確信を孕んで細められた。

 

(硝子だけじゃない。世界の記憶が、まるごと書き換えられてる。……いや、違う。記憶を書き換えたんじゃない。自分自身の存在の因果そのものを天秤に捧げて、世界から自分を『白紙』にした奴がいる)

 

それが誰なのか、名前はまだ出てこない。顔も思い出せない。

 

だけど、ポケットの中で、指先が何かに触れた。

 

取り出したのは、あの地下五階の虚無の中心にぽつんと落ちていた、中身がぜんぶ「白紙」の小さなメモ帳。

 

五条はそれをじっと見つめ続けた。

 

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