『箱入りの特級術師』浅雛蒼空   作:おいしいお塩

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最後のほうはおまけですね


京都姉妹校交流会

東京高専の広大な敷地内。青く澄み渡った空の下、姉妹校交流会の集合場所には、東京校の生徒たちが集まっていた。

 

「おい、なんで京都校の連中を迎え撃つのに、俺たちがこんな荷物を持たされてんだよ」

 

「いいじゃない、お菓子。真希さん、これ何が入ってるんですかね?」

 

伏黒と釘崎は、虎杖が死んでしまったという大きな傷を胸に抱えながらも、それを乗り越えて強くなるために必死に特訓を重ねてきた。パンダ、真希、棘たち先輩に見守られ、少し張り詰めた空気のなかで京都校の到着を待っている。

 

そこへ、ペタペタと気の抜けたスリッパの音が近づいてきた。

 

「みんなぁ……お待たせいたしましたぁ……。五条にお願いされて、すっごく、すっごく素敵な『お宝』を運んできたよぉ……」

 

大きすぎる萌え袖をゆらゆらさせながら、台車を一生懸命に押してやってきたのは、相変わらず寝ぼけ眼の浅雛先生だった。

 

そしてその台車の上には、大人が一人すっぽり入りそうな、やたらと派手でバカデカい木箱がドンと載せられている。

 

「蒼空、なんだよそのデカい箱は。五条の奴、また変なもん持ち込んできたのか?」

 

「あ、パンダくん……。ふふ、これはねぇ、五条が『蒼空、この箱を運んでくれたら、みんなすっごく大喜びして、お祭り騒ぎになるよぉ〜!』って言んで。絶対に大成功するから、浅雛先生も一緒にやろうって……」

 

蒼空は萌え袖できゅっと両手を包み込み、みんなが喜んでくれる未来を想像して、わくわくした新鮮な満面の笑みを浮かべている。

 

「……嫌な予感しかしないわね」

 

「おかか」

 

釘崎が怪訝そうに眉をひそめ、棘くんもコクリと首を傾げたその瞬間。

 

ババーーン!!! と勢いよく木箱の蓋が跳ね上がった。

 

「はい!!! 故人・虎杖悠仁です!!!!! 姉妹校交流会、みんな揃って楽しんでいこーーーう!!!」

 

中から飛び出してきたのは、満面の笑みで謎のポーズを決める、死んだはずの虎杖だった。

 

「わぁーーー!! 虎杖くん、大成功だねぇ……! おめでとう、おめでとう〜〜!」

 

蒼空は五条の言葉を100%信じ切っていたため、手を叩いて大喜び。大きすぎる袖の先を「パチパチパチ〜!」と激しく振って、これ以上ないほどキラキラした笑顔で虎杖の復活をお祝いした。

 

しかし

静まり返るグラウンド。東京校の生徒たちの反応は、蒼空が想像していた「お祭り騒ぎの大喜び」とは、あまりにもかけ離れていた。

 

「……は?」

 

釘崎の目が完全に据わる。伏黒は呆然と立ち尽くし、京都校の面々に至っては「何やこれ……気味悪っ……」と冷ややかな目を向けていた。

 

「え? あれ……? みんな、あんまり喜んでない……?」

 

虎杖がポーズを決めたまま冷や汗を流し、蒼空もパチパチしていた手をピタッと止めて、とろんとした目をパチクリとさせた。

 

「ちょっとおおお!!! 何よこれ!! 悪趣味にも程があるわよ!!!」

 

「つーか、生きてんならさっさと連絡してきやがれこの馬鹿!!」

 

怒り狂った釘崎が虎杖の胸ぐらをつかんで前後に激しく揺さぶり始める。

 

さらに、一歩前に出た真希先輩が、虎杖の脳天をパコーン! と容赦なく小突く。

 

「おい、生きてるなら生きてるって一番に報告しに来い! こちとらどれだけ心配したと思ってんだ!」

 

「しゃけ! いくら!!」

 

棘くんもいつも以上に鋭い目を宿し、不満げに両手をバツ印にして虎杖を非難した。

 

「うわあああ! ごめん! ごめんって!! 五条先生と浅雛先生が『これが一番盛り上がる』って言うから……っ!」

 

虎杖が涙目で弁明した瞬間、東京校の生徒たち全員の、般若のような恐ろしい視線が、一斉に浅雛先生へと突き刺さった。

 

「あ、えっと……みんなぁ……? 怒っちゃ、めっ、だよぉ……?」

 

蒼空はブカブカの萌え袖で顔を半分隠しながら、ペタペタと後退りする。

 

「浅雛先生!!! いくら五条先生の頼みだからって、一緒になってこんなくだらないドッキリ仕掛けるなんて、教師としてどうなんですか!!!」

 

「そうよ! 浅雛先生が優しく見守っててくれると思ってたのに、裏切られた気分だわ! 術師の風上にも置けない!!」

 

「浅雛先生、あんた特級だろ。もっと威厳持って五条の馬鹿を止めろよ!」

 

「とびっこ!!」

 

「蒼空、お前も五条のノリに付き合うなよ……。ほら、恵も野薔薇も本気で泣きそうだったんだからな」

 

「うぅ……伏黒くん、釘崎さん、真希ちゃん、狗巻くん、パンダくん……ごめんなさいぃ……。五条のいけずぅ……絶対にみんな大喜びするって言ったのにぃ……」

 

完全に巻き添えを食らった蒼空は、生徒たちから一斉にメチャクチャに叱られ、はうぅ、としょんぼりハネ髪を揺らして、虎杖の隣で小さく縮こまるのだった。

 

――――――

 

「みんなぁ、お怪我だけはしないように、いっぱーい頑張ってねぇ……。浅雛先生、ここでずーっと、みんなのこと応援しているからねぇ……」

 

サプライズの説教タイムが一段落したあと、蒼空は大きすぎる萌え袖から手をのぞかせ、東京校の生徒たち一人ひとりに、あまくて美味しい和菓子を「はい、どうぞぉ……」「真希ちゃんも、狗巻くんも、仲良くねぇ……」と配って回っていた。

 

生徒たちは、さっきまで怒っていたのが嘘のように「あ、あざっす」「しゃけ」と、いつものおっとりした優しい先生の姿にほっと胸をなで下ろしている。

そんな東京校の様子を、少し離れた場所からツカツカと気品のある足音を響かせて近づいてくる女性がいた。

京都校の引率、庵歌姫である。

 

「ちょっと、五条! あなたまた蒼空を変なドッキリに巻き込んで……! 昔から相変わらず、くだらないことばっかり企むんじゃないわよ!」

 

「あ……! 歌姫先輩……!!」

 

その声を聞いた瞬間、蒼空の寝ぼけ眼がパッと新鮮に輝いた。

 

いつもは眠気の限界でぽやぽやと歩く蒼空が、この時ばかりはスリッパをペタペタと激しく鳴らし、小さな子供のように歌姫の元へと真っ直ぐに駆け寄っていく。

 

「歌姫先輩ぃ……! おひさしぶりですぅ……! 会いたかった、ですよぉ……」

 

ぎゅっ、と大きすぎる袖ごと歌姫の腰にしがみつく蒼空。

 

さっきまで五条への怒りで眉を吊り上げていた歌姫だったが、腕の中の愛らしい後輩のぬくもりを感じた瞬間、その表情は一瞬でとろけるようなお姉さまの笑みへと変わった。

 

「まぁ〜〜〜! 蒼空! 相変わらずなんて可愛いの……! 学生のころからおっとりしてたけど、大人になってさらに輪をかけてのんびり屋さんになったわねぇ。本当に癒やされるわ……」

 

歌姫は大切な後輩が「ちょっと天然で、とってもおっとりした可愛い女性」に成長したことを愛おしそうによしよしと何度もハネ髪を撫でてあげる。

 

完全に、隙あらばこのまま新幹線に乗せて京都へ連れ帰りたい、という溺愛の目が炸裂していた。

 

「ねぇ蒼空、こんなむさ苦しくて五条のいる東京校なんて今すぐ辞めちゃいなさい。京都に来たら、私が毎日美味しい和菓子と、最高の寝床を用意してあげるわよ? ね?」

 

「わぁ……京都、いいなぁ……。歌姫先輩と、まいにち、一緒……」

 

「おいおい歌姫、僕の目の前で堂々と引き抜きの相談をしないでよ。蒼空は僕の大事な『箱入りの同期』なんだからさぁ」

 

すぐ近くの木に寄りかかっていた五条が、ニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべながら、片手をひらひらと振って近づいてくる。

 

「っ……五条! 気安く近づかないで! 蒼空にその汚い呪力を伝染させないでちょうだい!」

 

歌姫はすぐさま蒼空の前に立ちはだかり、まるで雛鳥を守る親鳥のように、両手を広げて五条をガルガルと猛烈に警戒した。

 

「ひどいなぁ、これでも僕たち、学生時代を生き抜いた仲良しスリーピースの一角だよ? ねぇ、蒼空?」

 

「ん……? 五条はねぇ、いっつもわたしに嘘のサプライズを教えるから、ちょっとだけ、めっ、だよぉ……」

 

「ほら見なさい! 蒼空だって怒ってるわよ! さぁ蒼空、五条は見ちゃダメ。京都の生八つ橋、お姉さんがたくさん持ってきてあげたからね」

 

「わぁ……なまやつはし……。歌姫先輩、だいすきぃ……」

 

五条の軽いノリを歌姫がピシャリと撥ね退け、その横で蒼空が八つ橋の言葉にぽやぽやと頬を緩める。

生徒たちのピリついた空気とは裏腹に、先生サイドのエリアだけは、いつものように賑やかで、どこか懐かしい高専時代の空気がそのまま流れているようだった。

 

「浅雛、お前は戦闘能力もさることながら、術式による『治癒』ができる極めて稀少な人材だ。今回はもしもの時のための救護班として、歌姫や楽巌寺学長のいるモニター室で待機していなさい」

 

大会前、夜蛾学長からそう言い渡されたとき、蒼空は大きすぎる萌え袖のなかで「はぁい……」と大人しく頷いていた。

 

いつもなら高専の地下にいる硝子がその役目を負うが、姉妹校交流会は呪霊を用いた実戦形式の対抗戦。何が起こるか分からない現場において、特級の呪力量を持ち、現場に同行できる蒼空が「もしもの回復役」として待機するのは、これ以上ないほど確実で安全な布陣だった。

 

──そして、いよいよ団体戦開始の直前

 

各校の学長や引率が集まるモニター室のソファで、蒼空はぽやぽやとした寝ぼけ眼のまま、ちょこんと座っていた。

 

「さぁ蒼空、お茶が入ったわよ。五条のことは気にせず、ここで一緒に生徒たちの頑張りを見守りましょうね」

 

「わぁ……歌姫先輩、ありがとうございますぅ……。お茶、あたたかくて、とっても美味しいですぅ……」

 

歌姫が淹れてくれたお茶を、萌え袖の両手で大事そうに持ち、ふーふーと息を吹きかけながらすする蒼空。その隣には、歌姫が京都からわざわざ持ってきてくれた、箱いっぱいの生八つ橋が綺麗に並んでいる。

 

「……チッ。本当なら、僕が蒼空の隣で一緒にポップコーンでも食べながら観戦するはずだったのにさ。なんで僕だけこんな特等席なわけ?」

 

少し離れた上座の席で、京都校の楽巌寺学長と並んで座らされている五条が、足を組みながら不満げに口を尖らせていた。

 

「五条、静かにしなさい! 楽巌寺学長の前で失礼でしょう! あなたはそこで大人しくお茶でもすすってなさい!」

 

「え〜? 歌姫だって蒼空を独り占めして職権濫用じゃん〜」

 

「な、なんですって……っ! 私は傷つきやすい可愛い後輩を、あなたの魔の手から保護しているだけよ!」

 

ガルガルと五条を睨みつける歌姫の横で、蒼空は八つ橋を「もぐもぐ……」と美味しそうに頬張りながら、壁にずらりと並んだモニターを見つめていた。

 

画面の向こうでは、東京校の真希ちゃんや棘くん、そして今回急遽参戦することになった虎杖くんたちが、それぞれの武器や呪力を確かめながら、作戦開始の合図を待っている。

 

(みんなぁ……お怪我、しちゃダメだよぉ……。もし痛いお耳や、痛いおててになっちゃったら、浅雛先生がすぐに『正緋』で平らになおしてあげるからねぇ……)

 

心の中で生徒たちへ温かいエールを送りながら、和菓子の甘さに頬を緩める蒼空。

 

ガガッ、とスピーカーからノイズが走り、歌姫がマイクを手に取る。

 

『──それではこれより、京都姉妹校交流会・一日目団体戦を……開始します!』

 

 

歌姫の合図と共に、モニターに映る東京校・京都校の生徒たちが、一斉に森の奥へと駆け出していく。

 

室内に並んだ何十台もの画面には、冥冥の術式『黒鳥操術』によって共有された、カラスたちの視界がリアルタイムで映し出されていた。

 

「みんなぁ、がんばれ、がんばれぇ……。お怪我しちゃ、めっ、だよぉ……」

 

蒼空は萌え袖の手で温かいお茶の湯気をあおぎながら、画面の向こうの生徒たちへぽやぽやとエールを送っていた。

 

すると、一つの大きなモニターに、東京校の作戦通り単独で東堂を迎撃する虎杖の姿が映し出される。しかし次の瞬間、東堂の背後から、加茂や西宮、真依といった京都校の面々が一斉に姿を現し、虎杖を完全に包囲した。

 

「あ、あら……!? 歌姫先輩、見てくださいぃ……。虎杖くん、京都校のみんなに囲まれていますよぉ……。やっぱりさっきのドッキリが面白かったから、みんなでお祝いに集まってくれたのかなぁ……? すっごく人気者だねぇ……」

 

「えっ!? い、いや、蒼空、あれは明らかにお祝いの雰囲気じゃ……って、ちょっと五条! 京都校のあの子たち、完全に虎杖くんの命を狙ってるじゃないの! どういうことよ!」

 

「あはは、本当だ。京都のジジイ、随分と分かりやすい嫌がらせをしてくれるよねぇ」

 

歌姫が慌てて五条に詰め寄る横で、蒼空は「人気者でよかったなぁ……」と、とろんとした目で画面を見つめ続けていた。

 

──ガガッ、ピピッ

 

その時、いくつかのモニターが不自然な砂嵐を起こし、バツンと映像が途切れた。

 

「ん……? 画面が、真っ暗になっちゃった……。冥さん、カラスさんたち、森のなかで迷子になっちゃったの……? どこかでぶつかって、痛い痛いになっちゃったのなら、かわいそうだなぁ……心配だよぉ……」

 

蒼空はソファから少し身を乗り出し、室内の特等席で優雅に書類を眺めていた冥冥へと、ぽやぽやとした心配げな声をかけた。冥冥は髪をいじりながら、ふっと艶やかな笑みを浮かべる。

 

「おや、優しいね、浅雛術師。けれど心配いらないよ。私の可愛いカラスたちは、お給料(呪力)さえ払えばいくらでも命を懸けてくれる素晴らしいビジネスパートナーだからね。……もっとも、この映像の乱れは、ただの事故ではなさそうだけれど?」

 

冥冥の言葉が終わるか終わらないかの、その刹那だった。

 

ゾワッッッ!!!!

 

モニター室の空気が、一瞬にして凍りついた。

壁一面に設置された呪霊の生体反応を示すお札が、バリバリバリ! と音を立てて、一斉に燃え落ちていく。森に放たれていた二級以下の呪霊たちが、まるでドミノ倒しのように、一瞬で「全滅」したのだ。

 

「なっ……何事ですか!? 呪霊の反応が、すべて消えた!?」

 

歌姫が驚愕して立ち上がる。

それと同時に、モニターに映る高専の美しい青空が、上空からドロドロとした不気味な「黒い液体」のようなものに侵食され、世界が急速に闇へと包まれていくのが見えた。

 

「これは……『帳』……っ!?」

 

「ん……。お空がぐにゃぐにゃに、真っ黒になっちゃった……。お外の空気が、すっごく歪んでるよぉ……」

 

蒼空の寝ぼけ眼から、すうっと光が消えていく。

特級術師としての本能が、高専全体を包み込もうとするその巨大な結界の「異常な呪力」を、誰よりも早く、あまりにも精密に感知していた。

 

穏やかだった待機室の空気が一変し、外敵の襲来を告げる凶悪な呪力が、高専の森を支配しようとしていた。

 

 

「おいジジイ、歌姫、蒼空。行くよ。のんびりお茶すすってる場合じゃないみたいだ」

 

五条がいつもの軽い口調を捨て、鋭い声で立ち上がると同時に、モニター室の全員が部屋を飛び出した。

 

高専の美しい山々を覆い尽くすように、ドロドロとした黒い結界──『帳』が、地面へと完全に着地しようとしていた。

 

「浅雛! お前は救護班だ、ここに残りなさい! 敵の目的が分からない以上、お前を危険に晒すわけにはいかない!」

 

夜蛾学長が厳しく叫び、歌姫も蒼空の萌え袖の手をぎゅっと握りしめて、顔を真っ青にしながらあたふたとした声を上げる。

 

「そうよ、蒼空! あなたは大人しくここにいなさい! 敵はあなたを誘い出すためにこんな結界を張ったのかもしれないのよ!? 私、あなたが傷つくなんて絶対に嫌だからね!?」

 

歌姫の優しい心配。けれど、蒼空の寝ぼけ眼からは、完全にまどろみが消え去っていた。

 

「……いいえ、夜蛾先生、歌姫先輩。わたしも、絶対に行きますぅ……。生徒のみんなが、森のなかで泣いているかもしれないのに……先生だけ、お留守番なんて、めっ、ですよぉ……」

 

「浅雛……!」

 

「だ、ダメよ蒼空! 危険すぎるわ!」

 

おっとりとした口調の中に、決して揺らがない、鋼のような特級の意志。

 

普段ののんびりした姿からは想像もつかない頑固さに、歌姫が言葉を詰まらせたその時、五条がニカッと白い歯を見せて、蒼空のハネ髪をワシャワシャと手乱暴に撫でた。

 

「いーじゃん、連れて行こうよ。僕が隣にいるんだから、世界中どこにいたって大丈夫でしょ? 歌姫は心配性だなぁ」

 

「五条! あなたねぇ……!!」

 

歌姫の猛抗議を無視して、五条と蒼空、そして楽巌寺学長と冥冥は、帳の境界線へと一瞬で跳躍した。

眼前にそびえ立つ、禍々しい呪力の黒い壁。

 

「……ん。この『帳』、すっごく歪な構造をしてる……」

 

蒼空が細い人差し指を黒い壁にそっと近づける。彼女の極限まで洗練された呪力知覚が、結界に組み込まれた「縛り」の設計図を瞬時に読み解いていた。

 

「これ……五条の呪力だけを、すっごく、すっごく嫌がってるの。……五条悟の侵入を拒む代わりに、他のすべての人間は、自由に出入りできちゃう結界だよぉ……」

 

「へぇ、触るだけでそこまで分かるんだ。流石だね、蒼空。──っと」

 

五条が手を伸ばして帳に触れようとした瞬間、バチバチッ! と強力な呪力の反発が起き、五条の身体が拒絶された。

 

「本当に僕だけ弾かれるわ、これ。じゃあ、僕はこれを外側から強引に壊すから、中の生徒たちは──」

 

「──わたしが、行きますぅ」

 

蒼空が静かに、けれど遮るように一歩前へ出た。

彼女の脳の奥、五感を超えた『歪曲の知覚』が、帳の向こう側の森の惨状を、あまりにも生々しく捉えていた。

 

「五条……。カラスさんたちの映像が乱れる直前、森の奥で、すっごく大きくて歪な、特級クラスの呪霊の気配がしたの。それに、見たことのない悪い呪詛師の歪みも、ふたつ、みっつ……」

 

蒼空はブカブカの萌え袖をきゅっと握り締め、五条の目隠しの奥を見つめた。

 

「五条が入れないなら、今ここにいる『特級』は、わたししかいないの。……特級の相手をできるのは、特級だけだよぉ。だから、五条を除く最高戦力として、わたしが行くべきですぅ……!」

 

「……」

 

五条は一瞬だけ沈黙し、それから、ふっと満足そうに口元を緩めた。

 

「オッケー。東京校の『箱入りの特級』、みんなを頼んだよ、浅雛先生」

 

「はぁい……。いってきますぅ……」

 

スリッパをペタペタと鳴らしながら、蒼空は一人、真っ黒な帳の壁の中へと静かに吸い込まれていった。

 

 

 

その頃、帳の最深部、呪力空間の狭間で。

全ての戦況を遠隔で、冷徹に見つめている存在がいた。──夏油傑の肉体を乗っ取った黒幕、羂索である。

 

(ほう……五条悟の足止めは予定通り。そして、やはりあの場にいた浅雛蒼空が、単独で結界内に突入してきたか)

 

羂索は、不気味な笑みを浮かべて思考を巡らせる。

 

真人の一件の報告を受け、魂を知覚せずとも『歪みの計測』だけで真人の魂を削り取ってみせた浅雛蒼空の技術は、一流の呪術師として高く評価していた。

 

(だが、所詮は『箱入りの特級』だ。かつて夏油傑と共に数々の戦場を潜り抜けた経験があるわけでもない。何より、彼女の最大の切り札である『白の領域』は、脳の白紙化を恐れた五条悟によって、事実上の使用禁止の縛りを課されている……)

 

領域の押し合いになれば、花御の領域で十分に中和、あるいは押し潰せる。五条悟のような、世界そのものをひっくり返す『理外の化け物』ではない──

 

(一流ではあるが、規格外ではない。精々、花御たちの良い経験値になってもらおうか、浅雛術師)

 

 

 

 

黒い帳をくぐり抜けた蒼空は、一歩足を踏み入れた瞬間、森の最深部から放たれる圧倒的な呪力の「歪み」を捉えていた。

 

(……見つけたよぉ。すっごくおっきな、植物の呪いさん……。みんなのところへ、いそがなきゃ……)

 

生徒たちの危機を感じ取り、蒼空はまどろむ脳にムチを打って呪力を練り上げる。

 

空間の距離を強引に圧縮する、身体への負担が最も大きい移動術式。

 

「順転……『歪蒼・縮地』」

 

ガゴォッ!! と空間が歪む爆音と共に、蒼空の姿はその場から掻き消えた。

 

その頃、森の開けた場所では、伏黒、加茂、狗巻の3人が、圧倒的な力を誇る特級呪霊・花御(を前に満身創痍となっていた。

狗巻の「ぶっとべ」という呪言も限界を迎え、花御の巨大な木の根が、逃げ場を失った伏黒たちに容赦なく振り下ろされようとした、その瞬間──

 

ドゴォォォンッッッ!!!!

 

空間が爆発したかのような衝撃波と共に、花御の木の根が粉々にねじ切られ、周囲の木々がドミノ倒しのように吹き飛んだ。

 

「なっ……何事だ!?」

 

加茂が驚愕の声を上げ、砂煙の向こうを見据える。そこには、大きすぎる萌え袖をなびかせ、特級としての圧倒的な呪力を放つ浅雛先生の姿が──

 

「みんなぁ……お待たせいたし、まし……た……あ、あれぇ……? お頭が、ぐるぐる、して……」

 

かっこよく大見得を切るはずが、連続の『縮地』によって案の定、脳の処理能力が限界を迎えていた。蒼空は白目を剥きそうになりながら、ぽてっ、と頼りなく前方へ倒れ込んでしまう。

 

「浅雛先生!? ──危ないっ! 玉犬!!」

 

伏黒が咄嗟に叫び、影から召喚された白い玉犬が、間一髪のところで蒼空の身体をパクッと背中で受け止めた。モフモフの毛並みに埋もれて「ふぇぇ……ありがとう、玉犬ちゃん……」と、蒼空は涙目でまやまやしている。

 

「何しに来たんですか特級が!! 倒れるなら最初から縮地なんて使わないでください!!」

 

「しゃけ、おかか!!」

 

伏黒にめちゃくちゃに怒られ、狗巻からもお説教のニュアンスでおにぎりの具をぶつけられる。

 

花御はその様子を静かに見つめ、(この小柄な女、先ほどの空間削り……間違いなく私を消滅させうる危険な個体……!)と、全身の蔦を逆立てて極限まで警戒を強めていた。

 

「ん……よし、気を取り直して、わたしがその大根さんを平らに──」

 

蒼空がふらふらと立ち上がり、指先を掲げようとした、まさにその時。

 

「待たれよ、浅雛先生!!!」

 

ドォン! と地面を割るような足音と共に、どこからともなく現れた超巨漢──京都校の東堂葵が、蒼空の前にド派手に立ちはだかった。隣には、いつの間にか合流していた虎杖も並んでいる。

 

「ここは、俺と、マイベストフレンドである虎杖悠仁に任せていただきたい!」

 

「えっ……? 東堂くん……? でも、あの呪いさん、すっごく強いよぉ……?」

 

尋常ではない現場の緊迫感のなか、東堂はフッと男前な笑みを浮かべ、物知り顔で人差し指を立てた。

 

「浅雛先生。教育者とは、時に生徒の可能性を信じ、あえて手を引いて見守るべき存在……。ここで先生がすべてを解決してしまえば、この虎杖(マイフレンド)のさらなる覚悟の成長は望めない! 生徒の未来を想うなら、ここは俺たちを信じるべきではないか!?」

 

「……えっ?」

 

伏黒が、何を言っているんだこのゴリラは、という顔で盛大に困惑する。明らかに特級呪霊相手に言っていい場面ではない。

 

だが、おっとり天然な浅雛先生の心には、東堂の言葉がスパーンとクリーンヒットしてしまった。

 

「わぁ……! 生徒の成長を信じる、とっても、とっても良い先生……! 東堂くん、すっごく深いことを言うんだねぇ……! 浅雛先生、目からウロコがぽろぽろ、だよぉ……!」

 

蒼空は、これ以上ないほど目をキラキラと輝かせ、萌え袖の手を頬に当てて感動に震えている。

 

「ちょっ……納得しないでください浅雛先生!! あんた本当に特級ですか!?」

 

伏黒の必死のツッコミも、今の蒼空の耳には届かない。

 

一方、戦況を冷静に見極めていた花御は、激しく困惑していた。

 

(……どういうことだ? 自分より確実に遥かに弱い人間の男が、私にとって最も脅威であるあの女を、わざわざ前線から遠ざけてくれた……。人間の思考は、本当に理解しがたい……)

 

「よし、いくぞマイフレンド!」

 

「おう!!」

 

花御が困惑している隙を突いて、東堂と虎杖が爆発的な踏み込みで花御へと肉薄する。東堂の術師としての妙技と、虎杖の爆発的な打撃が組み合わさり、2人は特級呪霊を相手に一歩も引かない猛攻を開始した。

 

「がんばれ、がんばれぇ……! 虎杖くん、そこ、右からおっきな木の根っこがグイーンって来るよぉ……! 東堂くん、後ろからトゲトゲの種がぷすって飛んできてるから、気をつけてねぇ……!」

 

安全圏に下がった蒼空は、玉犬の背中を撫でながら、後ろから大きすぎる袖をパタパタと振って、一生懸命に的確な(けれど擬音だらけの)アドバイスとエールを送り続けるのだった。

 

 

虎杖は激しい猛攻の最中、蒼空から教わった感覚を完全に掴んでいた。淀みのないスムーズな呪力の波動が全身を巡り、その拳が花御の顔面に炸裂した瞬間──

 

ズガァァァンッッッ!!!!

 

空間が歪むほどの衝撃。黒い火花が激しく飛び散る。

 

極限の集中がもたらす一撃──『黒閃』

 

「しゃあぁぁ!!」

 

虎杖が気迫の声を上げ、東堂との息の合ったコンビネーションで、怒涛のラッシュを花御へと叩き込んでいく。

 

その凄まじい大激戦を少し離れた場所で見守りながら、蒼空は大きすぎる萌え袖の手を伏黒、狗巻、加茂の3人の傷口へとそっとかざしていた。

 

「みんなぁ、動いちゃ、めっ、だよぉ……。いたいのいたいの、平らになぁれ……術式反転・『正緋』」

 

じわり、と温かく鮮烈な緋色の呪力が3人を包み込む。

その瞬間、ボロボロだった伏黒の身体の骨がバキバキと繋がり、狗巻の喉の激痛が消え去り、加茂の失血した体力が一瞬で満たされていく。驚異的な速度の治癒。

 

「……信じられない。傷口が……一瞬で肉が再生していく……」

 

加茂が驚愕に目をみはり、伏黒も「……ありがとうございます、浅雛先生」と、その異次元の回復力に改めて特級の格を思い知らされていた。

しかし、戦場の中央では、徐々に地力の違いが狂い始めていた。

 

「──甘いな、幼き戦士たちよ」

 

花御が地中から爆発的に生やした無数の硬質な樹木が、東堂と虎杖の足場を完全にロックし、彼らの肉体をガチガチに固定してしまった。位置を入れ替える術式『不義遊戯』を使おうにも、2人が同時に固められ、入れ替える対象の質量すら遮断された最悪の結末。

 

「しまっ……! 動けねえ……っ!」

 

「ブラザー……っ!」

 

動けない2人を目がけ、花御の背後から、大蛇のようにのたうつ無数の鋭利な蔓が、命を刈り取るべく一斉に撃ち出された。

 

──だが

 

「……そこまで、だよぉ」

 

ひときわおっとりとした、けれど世界の物理法則を震わせるような声が響いた。

 

次の瞬間、虎杖たちの目の前の空間が、まるで雑巾を絞るかのように「ぐにゃり」と超巨大な螺旋を描いて歪んだ。

 

バリバリバリバキィィィンッッッ!!!!

 

東堂と虎杖を襲うはずだった無数の蔓が、何かに衝突する間もなく、空間の歪みに巻き込まれて一瞬で塵一つ残さず「ねじ切られ」て消滅した。

爆音すら置き去りにする絶対の破壊。

 

「お待たせいたしましたぁ……。バトンタッチ、だねぇ……」

 

ペタペタと気の抜けた音を立てて、蒼空が2人の前に進み出る。その寝ぼけ眼は、すでに冷徹な特級の光を宿していた。

 

花御は全身の産毛を逆立て、恐怖に近い呪力の高まりを感じて後退りする。

 

(先ほどの女……! 生徒を守りながら、この精度の空間削りを……!?)

 

「この星の、生命の嘆きを聞け……! ──」

 

花御が死に物狂いで呪力を最大に解放する。地面から、空を覆い尽くさんばかりの、呪いを孕んだ巨大な黒い大木と蔦の嵐が、津波のように蒼空へと押し寄せた。森そのものが意志を持って襲いかかってくるような絶望的な光景。

 

しかし、蒼空は一歩も引かない。萌え袖の指先を、すうっと空中に滑らせた。

 

「お外の世界を……ちょっとだけ、塗りつぶしちゃおっかぁ……」

 

「……『染黒』」

 

蒼空の指先から、光すら吸い込むような「絶対の闇」の呪力が、墨汁をこぼしたように空間へと広がっていった。

 

それは、花御が放った巨大な大木の波、地を這う蔦、さらには周囲の影に至るまで、すべての事象を瞬時に真っ黒な闇の色へと『上書き』していく。

 

(……なっ!? 私の植物が、私の呪力を拒絶する……!? 動きが……動かない……!)

 

花御は驚愕した。自分が操っていたはずの広大な植物の嵐が、蒼空の『染黒』によってコントロールを完全に奪われ、真っ黒に染まったまま、空間にピタッと静止してしまったのだ。世界がモノクロームの闇に静止したような、圧倒的に美しく、絶望の光景。

 

「大根さん……みんなをいじめるのは、めっ、だよぉ……」

 

花御の動きが完全に止まった、その絶対的な好機。

蒼空は掲げた右手を、目の前でグッと力強く握り込んだ。

 

 

「術式順転……『歪蒼』」

 

 

オォォォォォォンッッッ!!!!

 

空間そのものが悲鳴を上げた。

真っ黑に染まった花御の植物の嵐、構造そのものにいた花御の巨大な肉体ごと、半径数十メートルに及ぶ空間そのものが、巨大な目に見えないブラックホールに吸い込まれるように、凄まじい勢いで中心へとねじり潰されていく。

 

圧力、質量、空間の拒絶。

防ぐ手立ても、再生する余地すら与えない。

 

ドガァァァンッッッ!!!!

 

次の瞬間、ねじ切られた空間が弾けるように爆発し、そこには塵一つ、草葉一枚残されていない、完全に「平ら」に削り取られたクレーターだけが残されていた。特級呪霊・花御、跡形もなく完全消滅した。

 

「……う、嘘だろ……」

 

伏黒が呆然と呟き、座り込む。

 

「しゃけ……」と狗巻も言葉を失い、加茂は「これが……東京校の、箱入りの特級……」と、その次元の違う強さにガタガタと震えていた。

 

東堂と虎杖も、ただただ圧倒され、背筋に走る戦慄と共に、その背中を見つめることしかできなかった。

 

戦いが終わると、蒼空はふぅ、と大きすぎる萌え袖で額の汗をぬぐい、瞳の光をぽやぽやとした寝ぼけ眼に戻した。

 

「ふぅ……。みんなぁ、もう大丈夫だからねぇ……」

 

スリッパをペタペタと鳴らしながら、いつものおっとりした先生に戻って微笑む蒼空。

 

「ブラザー」と呼び合って命懸けで戦った2人の熱い熱量をその身に受けながら、後ろから「みんな、がんばったねぇ……」と優しく労うのだった。

 

 

―――――――――――

 

襲撃の爪痕が残る高専の敷地。しかし、張り詰めた空気を吹き飛ばすかのように、初夏の青空の下で白球が弧を描いていた。

 

「呪術高専・姉妹校親睦野球大会」

 

昨日の大激戦が嘘のように、生徒たちは白いユニフォームに身を包み、全力で白球を追いかけている。

 

「みんな、がんばれ、がんばれぇ……」

 

一塁側ベンチの端っこ。日差しを避けるように座る浅雛蒼空は、大きすぎる萌え袖の手をパタパタと振って、のんびりと応援の声を上げていた。お隣には、京都校の引率である庵歌姫が、お茶の入った水筒を手に座っている。

 

「本当に、みんな無事でよかったわ……。蒼空、昨日は生徒たちを守ってくれて、本当にありがとうね。あなたがあの特級呪霊を完全に祓ってくれなきゃ、どうなっていたか……。がんばったわね、蒼空」

 

歌姫に頭を優しく撫でられ、蒼空は目をぽやぽやと細めて嬉しそうに微笑んだ。

 

「ん……歌姫先輩に褒められるの、すっごく嬉しいなぁ。みんなが一生懸命に繋いでくれたバトンだったから、わたし、ちょっとだけ格好よく頑張っちゃいましたぁ……」

 

二人がお弁当の生八つ橋をはんぶんこしながら、のどかに微笑み合っている──その賑やかな歓声が響くグラウンドから少し離れた、重苦しい会議室。

 

「……今回の襲撃、目的は生徒の殺害ではなく、高専内部の忌庫だった、ということか」

 

夜蛾正道校長が重々しい声を上げ、京都校の楽巌寺嘉伸学長が、深く刻まれた眉間のシワをさらに寄せた。

 

「捕らえた呪詛師の供述、そして結界の状況から見ても間違いなかろう。奴らの狙いは──『特級呪物・両面宿儺の指』、そして『呪胎九相図の1番から3番』。すべて奪われた」

 

「それとぉ、うちの可愛い蒼空が、侵入してきた推定特級呪霊をチリ一つ残さず完全消滅させちゃったことね」

 

パイプ椅子をギシギシと鳴らしながら、五条悟が足を机に放り出して、にやにやと付け加えた。

 

「植物を操る未知の特級だったらしいけどさ、蒼空の『歪蒼』で空間ごとねじ切られて跡形もなし。いやぁ、さすが僕の自慢の箱入り娘。強すぎて相手の呪霊に同情しちゃうよね」

 

夜蛾が冷ややかな視線を五条に向ける。

 

「話が逸れているぞ、悟。指と九相図が奪われたということは、敵側に強力な肉体、あるいは戦力が加わることを意味する。上層部への報告と、今後の防衛線の再構築を──」

 

「あー、もう! 重い! 話が重いよ夜蛾!」

 

五条はわざとらしく両手で耳を塞ぎ、椅子から立ち上がった。

 

「せっかく生徒たちが青春を謳歌してるんだからさ、大人は大人しくそれを応援しに行こうよ。僕はもう行くからね。バイバ〜イ!」

 

「待て、悟!!」

 

夜蛾の怒声を背中で受け流しながら、五条はひらりと窓からグラウンドへと飛び出していった。

 

 

グラウンドでは、最終回の緊迫した局面を迎えていた。

 

マウンドには、なぜか東京校の虎杖悠仁。そしてバッターボックスには、東京校のユニフォームを着せられ、大きすぎる萌え袖で長すぎるバットをおろおろと構えている、浅雛蒼空の姿があった。

 

「え、ええぇ……? 五条、わたし、野球なんてやったことないよぉ……?」

 

「大丈夫大丈夫! 蒼空ならボールをよーく見て、えいって振れば飛ぶから!」

 

ベンチからメガホンを持って適当な指示を飛ばす五条に、歌姫が「ちょっと悟! 蒼空に無茶させないでよ!」と怒鳴っている。

 

キャッチャーを務めるのは、京都校の東堂葵。

プロテクター越しにも分かるその超巨漢は、バッターボックスの蒼空を見上げ、ニヤリと不敵に笑った。

 

「フッ……浅雛先生。野球とは、白球に魂を込め、チームの想いを繋ぐ聖なるスポーツ。初心者とて容赦はせん! さあ、我がブラザー、虎杖悠仁の剛速球、受けてみせよ!!」

 

「ん……東堂くん、キャッチャーの格好もすっごく似合ってるねぇ……。よし、わたし、がんばるねぇ……」

 

蒼空はぽやぽやとした寝ぼけ眼のまま、長いバットを両手でしっかりと握り直した。

マウンドの虎杖が、大きく振りかぶる。

 

「いくぜ、浅雛先生ーーっっ!!」

 

ドゴォッ!! と風を切り裂くような、虎杖の魂の込もった剛速球が、ホームベースめがけて一直線に突き進む。

 

(わぁ……ボールさん、すっごく速いなぁ……。よし……えいっ……!)

 

蒼空はボールの軌道に合わせ、大きすぎる萌え袖のまま、バットを思い切り横に振り抜いた。

しかし、その瞬間のこと。

 

蒼空が「視界に捉えて腕を振る」という動作をしたことで、身体に染み付いた呪力が無意識に最悪の形で連動してしまった。

 

バットの先端に、ほんのわずかな『歪曲』の空間圧縮が──発動する。

 

カキィィィィィィンッッッッッ!!!!!!!

 

次の瞬間、野球場にあるまじき、空間そのものが破裂したかのようなとんでもない爆音が轟いた。

 

バットがボールに触れた瞬間、ホームベース付近の空間がグニャリとねじれ、すさまじい衝撃波が全方位へと吹き荒れた。

 

「……え?」

 

虎杖が呆然と声を上げる。

ボールは、弾き飛ばされたというレベルではない。空間の爆発的な推進力を得て、光の帯となって上空へ垂直に収束し、雲を突き抜けて遥か彼方の宇宙へと消え去っていった。

 

そして、その凄まじい空間の破裂音の余波──爆風をゼロ距離で正面から喰らったキャッチャー、東堂葵は。

 

「ぬおおおおおおおおっっ!? これが、浅雛先生の……魂のフルスイン、グッ……!!」

 

綺麗な姿勢のまま、文字通りキィィィィィン……と音を立てて、空の彼方へと吹き飛んでいった。 瞬く間に小さくなり、最後にはお空の向こうで「キラリ」と光って消えていく。

 

「……あ」

 

蒼空は、バットを持ったまま、ぽやぽやとした顔で東堂が消えた空を見上げた。

 

「東堂くん……どこかへ行っちゃったぁ……。ボールさん、ちゃんと当たってよかったなぁ……」

 

「よくないわよ!!! 蒼空、あんた何やってんのよーーーっ!?」

 

歌姫の絶叫がグラウンドに響き渡る。

 

「あはははは! さすが蒼空! 場外ホームランどころか場外大気圏突破じゃん! ギネス載るよこれ!」

 

お腹を抱えて大爆笑する五条の横で、伏黒は「……やっぱりあの人、特級なんだな……」と、遠い目でホームベースのクレーターを見つめるのだった。

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