『箱入りの特級術師』浅雛蒼空   作:おいしいお塩

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おまけです
何話か終わったあとに懐玉・玉折です


日常回:『お姉さんの秘密のノート』

「──あれ? なんだこれ」

 

放課後の廊下。夕暮れの茜色の光が差し込むなか、足元に落ちていた小さな一冊のノートを見つけ、虎杖悠仁がひょいとそれを拾い上げた。

 

使い込まれて少し端が擦り切れた、手のひらサイズのシンプルなメモ帳だ。

 

「どうしたのよ、虎杖」

 

「いや、なんかノート落ちてんなーと思って。……あ、これ」

 

虎杖がパラパラとページをめくると、そこには見覚えのある、ぽやぽやとした柔らかい丸文字がびっしりと並んでいた。

 

 

『○月○日 虎杖くん、映画のお話でいっぱい笑ってくれた。すっごく優しい子』

 

『○月○日 伏黒くん、呪力操作がすっごく上手になった。五条より頼りになるって言ってくれて、照れちゃうねぇ』

 

『○月○日 釘崎さん、お洋服のお話のとき、目がキラキラしてて可愛かった。今度一緒にお出かけしたいなぁ』

 

 

「これ、浅雛先生のメモ帳じゃない」

 

横から覗き込んだ釘崎野薔薇が、ふっと目を細めた。

 

「……何よこれ。生徒一人一人のこと、こんなに細かく書いてるわけ? 普段ぽやぽやしてるくせに、意外とマメじゃないの」

 

「……あ」

 

伏黒恵が、何かを思い出したように小さく声を漏らす。

 

「そういえば、授業のときも特訓のときも、浅雛先生はいつもポケットからこのメモ帳を出して、何かを確認したり、終わった後にすぐ書き込んだりしてたな。……ただの仕事熱心だと思ってたけど」

 

「先生、忘れっぽいからさ」

 

虎杖が、メモ帳をぎゅっと握りしめた。

 

「きっと、俺たちのことを忘れたくないから、困らないように一生懸命書いてるんだよ。早く届けに行こうぜ」

 

「そうね、職員室にいるかしら──」

 

釘崎が歩き出そうとした、その時。

 

虎杖が何気なく、メモ帳の「一番最初のページ」へと指を滑らせた。

 

そこだけ、紙の質感が違っていた。今のおっとりした丸文字ではなく、もっとずっと美しく知的な筆跡だった。

 

「……五条悟、家入硝子……」

 

虎杖が、そこに書かれた名前を小さく読み上げる。

 

だが、その2人の名前のすぐ隣──

 

もう一つの名前が書かれていたはずの場所だけが、激しい涙の跡でボロボロに紙が波打ち、文字が真っ黒に滲んで、どうしても読めなくなっていた。

 

かろうじて分かるのは、それが『三文字の名前』であるということだけ。

 

「何これ、ここだけ真っ黒じゃない。何て書いてあるのかしら……」

 

気になった釘崎が、さらに首を伸ばして覗き込もうとする。

 

「──あ、ダメだよ釘崎」

 

虎杖が、ポンと自分の手でメモ帳を閉じ、釘崎の視線を優しく遮った。

 

「他人のメモをあんまり盗み見るのはよくねぇって。先生、今頃これがなくてめちゃくちゃ困ってるはずだし、早く探しに行こう!」

 

「……っ、あんたに言われなくても分かってるわよ。早く行くわよ!」

 

釘崎は少し顔を赤くしながらも、素直に頷いた。伏黒も無言で頷き、3人は歩調を速めて廊下を走った。

 

 

「ない……どうしよう、どこに行っちゃったのかなぁ……。お写真も、みんなのページも、ぜんぶあの中に……っ」

 

高専の中庭。

 

そこにいた浅雛蒼空の姿を見て、3人は思わず息を呑んだ。

 

いつもなら眠気の限界のような寝ぼけ眼で、メンズサイズの制服をブカブカに揺らしながらぽやぽや歩いている彼女が、今は完全に、その「おっとりしたお姉さん」の雰囲気を失っていた。

 

髪を振り乱し、顔を真っ青にして、地面の草むらを必死に手でかき分けている。

 

大きすぎる萌え袖の先から白い指先を覗かせ、泥を払うのも忘れて、今にも泣き出しそうな、ひどく怯えた子供のような顔でメモ帳を探していた。

 

ただの物忘れで、メモ帳を無くしただけとは思えない──まるで、自分の命の在り処を無くしてしまったかのように、取り乱していた。

 

「浅雛先生!」

 

虎杖が声をかけながら駆け寄る。

 

蒼空がビクッと肩を震わせ、涙目のまま振り返った。

 

「虎杖くん……っ、どうしよう、わたし、大切なものを……っ」

 

「これ、廊下に落ちてましたよ! はい!」

 

虎杖がポケットからメモ帳を取り出し、両手で差し出す。

それを見た瞬間、蒼空の瞳に劇的な光が戻った。

 

「あ──っ!!」

 

奪い取るようにしてメモ帳を両手で胸に抱きしめ、へなへなとその場に座り込んでしまう。大粒の涙が、今度こそぽろぽろと頬を伝って零れ落ちた。

 

「よかったぁ……っ、よかったぁ……! なかったらどうしようって……消えちゃったらどうしようって、すごく、怖かったのぉ……!」

 

蒼空はメモ帳を壊れ物を扱うように何度も撫で、何度も胸に押し当てて、心の底から安心したように、消え入りそうな声で「よかったぁ」と繰り返した。

 

だが、ふと目の前に、心配そうに自分を見つめる1年生3人の視線があることに気づく。

 

(あ、めっ、だよぉ……。わたしは、みんなを優しく見守る、しっかりした浅雛先生なんだから……っ)

 

「あ……! コ、コホン……!」

 

蒼空は慌てて大きすぎる袖でゴシゴシと涙を拭うと、スカートの泥をパタパタと払って、すくっと立ち上がった。

 

そして、いつものようにトロンとした寝ぼけ眼に戻り、少し猫背気味にぽやぽやと微笑みながら、洗練された大人の笑顔を作ってみせる。

 

「ん……! ごめんねぇ、みんな。ちょっと、大事な任務の資料が挟まっていたから、お姉さん、ちょっぴり慌てちゃったんだよぉ。ふふ、拾って届けてくれて、本当にありがとうねぇ……!」

 

無理をして「しっかり者のお姉さん先生」を装おうとする、愛おしい強がり。

 

「……うん。見つかって本当によかったよ、浅雛先生」

 

虎杖は、その健気な笑顔に少し戸惑いながらも、何事もなかったかのように満面の笑顔で返した。

 

「今度からは、ポケットのボタン、ちゃんと閉めておきなさいよね」

 

釘崎が少し呆れたように、でも優しい声で言う。

 

「……そうですね。忘れないように、俺たちからも毎日、声をかけますから」

 

伏黒も静かに微笑んだ。

 

「ん……! みんな、本当にあったかいねぇ……。よぉし、お礼に、今日のご飯は浅雛先生が奢っちゃうよぉ。みんなで仲良く食べよっかぁ!」

 

いつものおっとりした声が、中庭に響く。

 

蒼空はメモ帳を、今度は制服の奥の一番安全なポケットへと、大切に、大切に仕舞い込んだ。

 

その一番最初のページにある、涙で消えかけた名前が、夕暮れの茜色の光のなかで、静かに次の季節の訪れを待っているかのように眠っていた──

 

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