『箱入りの特級術師』浅雛蒼空   作:おいしいお塩

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日常回:『琥珀色の珈琲と、白の残響』

「──浅雛先輩。少し、お時間をよろしいですか」

 

高専の校舎裏。ベンチでぽやぽやと日向ぼっこをしていた浅雛蒼空の前に、七海建人が静かに歩み寄ってきた。その手には、丁寧に紙袋に包まれた、都内の有名な老舗専門店の珈琲豆と、上品な和菓子の詰め合わせが握られている。

 

「あ、七海くん……! お仕事お疲れさまぁ。ふふ、なぁに? 」

 

蒼空はメンズサイズの大きな袖をパタパタさせて、嬉しそうに寝ぼけ眼を細めた。

 

「ええ。いつも任務のたびにお菓子をいただいたりお世話になっていますから。それに……この前の川崎の任務でもあなたに助けられました。そのお礼を兼ねて、出張先で良い豆を見つけたので差し入れに来たのです」

 

「わぁ……! 七海くんの珈琲、すっごく大好きなんだぁ……!」

 

「では、休憩室へ移動しましょう。淹れたてを振る舞います」

 

ちょうどそこへ、グラウンドから戻ってきた虎杖、伏黒、釘崎の3人が「あ、浅雛先生とナナミンだ」と通りかかり、みんなで賑やかに休憩室へと移動することになった。

 

高専の休憩室。

ガラリと広めのトビラを開けて中に入ると、七海は手際よくポータブル用のミルとドリッパーをセットし、珈琲を淹れ始めた。

 

お湯を注いだ瞬間、部屋いっぱいに香ばしく、深い琥珀色の香りがふわりと広がっていく。

 

「はい、どうぞ。熱いですから気をつけてください」

 

七海が丁寧に淹れてくれた珈琲と、虎杖たちが並べたどら焼きや大福がテーブルを彩る。

 

「んむ……! 美味しいねぇ……! 七海くんの淹れてくれる珈琲は、コクが深くて、心がすっごくポカポカするよぉ……」

 

蒼空はカップを大きすぎる萌え袖の両手で包み、ずずっと嬉しそうに音を立てて目を細めた。

 

「ナナミン、これマジで美味いな! 大福にもめちゃくちゃ合う!」

 

「本当ね、お店の珈琲みたいじゃない」

 

虎杖と釘崎が声を弾ませて大福を頬張り、伏黒も静かに珈琲を味わっている。みんなで美味しいものを囲む時間は、何よりもほっこりとしていて温かい。

 

そんな賑やかな生徒たちの姿を眩しそうに見つめながら、七海はふと、遠い目をして珈琲を口にした。

 

「……浅雛先輩がそうして、穏やかに過ごしてくれているだけで、私は今でも、救われるような気持ちになるのですよ。……覚えていますか。まだ私が高専の2年生だった、あの夏の任務のことです」

 

「ん……? 2年生の、なつぅ……?」

 

蒼空はコテンと小首を傾げ、白くまどろむ記憶の帳を優しく手繰り寄せようとする。

 

「え、ナナミンと浅雛先生って、昔一緒に任務行ってたの?」

 

虎杖が興味津々で尋ねると、七海は静かに頷いた。

 

「ええ。当時の浅雛先輩は、失礼ながら、今ほどの圧倒的な強さはありませんでした。ですが……ある任務の際、私と、私の大切な同級生が、強大な呪いの前で為す術なくたおされた──彼女は、私たちを守るために、ご自身の限界を遥かに超えて、必死に戦ってくれたのです」

 

七海は静かに眼鏡の奥の目を伏せる。

 

「あの日、先輩がボロボロになりながらも立ち塞がってくれなければ、私はここに居ません。そして……呪術師は引退して、今はどこか遠い田舎で、私の好きなパンを焼きながら普通に暮らしている私の友人も、今この世界には存在していなかったでしょう」

 

「……っ」

 

伏黒は、七海の言葉の重みに息を呑んだ。

 

「ただ……その戦闘の最中でした。突如として、世界の全てが消えていくような『真っ白な領域』が、先輩と呪霊を包み込んだのです。……圧倒的な呪力に、私たちは何が起きたのかすら分かりませんでした」

 

七海は珈琲カップを見つめ、あの日目撃した、世界の理が白紙に還るような絶対的な光景を思い返す。

 

「そして、気づいた時には、すべてが終わっていました。……呪霊は塵一つ残さず消滅し、私と灰原は、救われていました。先輩がどのような経緯で極地に達したのか……具体的に何があったのかは、今でも私には分かりません。……ですがあの日を境に、先輩は特級へと昇格し……そして、今のように穏やかな雰囲気に変わっていったのです」

 

「あはは……そうだったっけぇ……?」

 

蒼空は、白く霞むまどろみの奥を覗こうとしたけれど、やっぱり何も思い出せず、ただ洗練された大人の笑顔で微笑むだけだった。

 

「……浅雛先生」

 

伏黒が、ずっと胸に引っかかっていた疑問を口にする。

 

「先生は、この前の真人という呪霊を相手に、あの黄昏色の領域を使ったと虎杖から聞きました。……領域展開は、呪術の極地です。生涯に一つ、己の心象風景をカタチにするもののはずだ。……なのに、五条先生や七海さんの話し方を聞いていると、まるで先生が、あれとは違う『別の領域』を持っているように聞こえるんです。そんなこと、あり得るんですか……?」

 

呪術の極地を「2種類」も持つなど、天才の五条悟ですらしていない。伏黒の術師としての常識が、それを信じられないと拒絶していた。

 

七海は伏黒を制するように手を挙げ、それから蒼空を見た。

 

「……私は、先輩がこうして元気でいてくれるならそれで十分です。伏黒くん、領域とは本来、他人が容易に踏み込んでいいものではない。先輩には、今の優しい夕焼けの空があれば、それでいいのですよ」

 

「……はい」

 

伏黒は静かに頷き、浅雛蒼空のブカブカな制服のポケットを見つめた。

 

七海を救い、引き換えに何かを失っていった浅雛蒼空の優しさと、あの「真っ白な領域」の残響。琥珀色の珈琲の湯気の向こうで、その切ない謎が、静かに生徒たちの胸に刻まれていった。

 

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