静かな庭園、その中心に鎮座するガゼボ*1の中で、少女は紅茶を飲んでいた。到着はそろそろの筈だが、既に当初の想定よりも幾分か遅れている。
「彼女に限って失敗などしないでしょうが、ガードが堅いですからね」
過去に自身が浴びせられた言葉を思い出し、僅かに寒気がした少女は紅茶を飲み、それでも動揺が収まらぬままロールケーキへとフォークを入れた。優しい甘さが広がるそれは紛れもなく最高級品ではあるが、自分で作った方が美味しいと物足りなさを感じながらもう一口紅茶を飲んだ。
趣味であった菓子作りにも暫く興じる暇がなく、思い返せば机仕事に忙殺される日々に対して鬱屈とした気持ちが溜まっていくのを感じながら、桐藤ナギサは大きな溜息を吐く。
自分たちがどれだけ
「あの子は大丈夫でしょうか……?」
「ナギサ様。お待たせいたしました」
「ひゃあっ!?」
独り言のつもりだった言葉に返事が聞こえ、ナギサはその綺麗な翼がばさりと振られた。そしてそのまま大きな音を聞いた小鳥のように立ち上がり声の方に振り返る。
その視線の先には、先程自身が命令を下した少女が静かに佇んでおり、それに連れられるように、まるで面を被っているかのように無表情な少女が立っている。二人の姿を見て──主に無表情なチサトを見て、ほんの少しだが眉が悲しげに歪んだ。だがそれも一瞬のこと、即座に切り替えてナギサは静かに微笑んだ。
「どうぞ、掛けてください。貴女ともう一度話がしたかったのです、チサトさん」
◇
残してきた仕事があると下がったハスミを見送った後に紅茶を改めて2人分注ぎ直し、ナギサはチサトと対面した。だが、どちらも口火を切ることはない。その沈黙に重苦しさを感じ、先に破ったのはナギサの方だった。
「お久しぶりですチサトさん。あれからお加減は如何ですか?
「それで、本日はどのようなご用件で御座いますか、ナギサ様」
「今は私と貴女だけです。昔のように呼んでくださっていいのですよ?」
「ご冗談を。今の私と貴女では
それに対して、チサトが投げ返す言葉は明確な拒絶。尤も、本人からすればそのような自覚は全くなく、心の底からそのように考えている。目の前にいるのが大切だった幼馴染であろうと、今のチサトにそれは関係がない。今の自分が求められているのは派閥の長、その代理としての振る舞いであると位置づけてしまった以上、チサトはそのようにしか動かないし、動けない。
その事はナギサも重々承知している。それでも、久しぶりに会う親友に声をかけずにはいられなかった。
「アイスブレイクという程のお話もしていないのですが、仕方がありませんね。では、本題に移りましょう。この3ヶ月間の間に、大きな出来事が3つありました。
1つ目が、かの条約についてです。ゲヘナの風紀委員会と我々ティーパーティーの間で締結が正式に決定されました。日取りこそ不明ですが、我々の代でひとつ区切りをつけることができるでしょう」
「それは……おめでとうございます。ナギサ様の尽力の賜物でございます」
「いいえ、私は何もしていません。貴女とセイアさんがいなければ、決して実現しませんでした。外交官として、貴女は責務を全うしています」
「……」
定型文のようなやり取りに想定の外となる言葉をかけられ、チサトは沈黙した。返す言葉を持たない様子を見て「幼馴染としても鼻が高いです」と付け加えた後にナギサは言葉を続けた。
「そして2つ目。これがおそらく最も重要な話になりますが、連邦生徒会長が失踪しました」
「あの女狐が失踪?確かなのですか」
「七神行政官を筆頭とした連邦生徒会役員総出で全精力を注ぎましたが見つかりませんでした。ある日突然居なくなってしまったのです。我々トリニティも自治区はくまなく捜しましたが残念ながら痕跡の一つすら洗い出せず、情けない限りです」
そういうとナギサはカップを傾けた。その姿にほんの僅かな違和感を感じたチサトは、その違和感を探ろうとしたがその前にナギサが言葉を続けた為、観察を中断せざるを得なかった。
「そして3つ目、連邦生徒会長の失踪から数ヶ月、入れ替わるように連邦捜査部と呼ばれる組織が台頭し、そのトップには外から大人が抜擢されました」
大人、と言われて反射的にチサトは顔を顰めた。今まで対峙してきたそれらの人々は、全てと言っていいほどの高確率で信用ならなかったからだ。仕事をこなしていく中で話し合わねばならなかったロボットや獣人を思い出し歯軋りをしていた。
ふと我に返れば、対面に座るナギサが僅かに顔を綻ばせている。ここで会って初めて見せる柔らかな表情に、ストンとチサトの中で何かが腑に落ちた。
「……なぜそんなに嬉しそうな顔をしているのですか、ナギサ様」
「貴女の表情が、やっと変わったので。それが嬉しいのです。張り付いた仮面の様な顔、貴女には似合いません」
「なんですか、それ。素敵な性格ですね」
「貴女が傍に居てくれたなら、こうならなくて良かったのかもしれませんよ?」
その軽口にチサトの
きっと以前であれば笑い飛ばしてくれた筈、二言三言を交わす間に甘い幻想を抱いたナギサは、俯いたチサトにかける言葉を探し、しかしそれを制すように凍った言葉が突き立てられた。
「それで、私に干渉させたいのはどちらの案件で御座いますか?2つ目に関してはできることがあると思えませんが」
チサトの口調は、気がつけば先程よりも硬くなっている。もう心を開くつもりはない、そう言わんばかりの態度にナギサは再度強く後悔するが、覆水はもう盆に返らない。
それならば、自分もそのように振る舞うべきだ。もうこれ以上、目の前の少女にもここにはいない幼馴染の少女にも苦しみを味あわせてなるものか。そのように自らを奮い立たせてナギサはホストとしての仮面を自分につけ直した。
「貴女に頼みたいのは、3つ目についてです。今はまだ規模こそ大きくありませんが彼らは連邦生徒会長としての権限の一部を保有しています」
「連邦生徒会がそれを許した、と」
「きっかけがきっかけですからね。先生はD.U.ウトナピシュティム地区のシャーレを襲撃していた七囚人の《災厄の狐》を、赴任初日のその場にいた生徒の寄せ集めだけで退かせています」
「七囚人……?」
「あぁ、貴女はご存知ありませんね。先生がシャーレに着任した日、
その中でも災厄の狐と呼ばれる狐坂ワカモは、以前から常習的な脱獄犯としてトリニティの議題にも度々上がる程の危険人物だった。個人の戦闘力のみならず人心掌握にも長けている彼女は、その話術で巧みに大衆を先導しうる。そんな相手を他校の生徒との連合で、それも即席の陣形で退かせたとなればその功績は計り知れないだろう。
「ナギサ様は、自作自演を疑っておられるのですか?その先生なる人物の」
「分かりません。現時点ではシャーレについての情報が圧倒的に不足していますから」
「あの狐を外から来た大人一人が掌握できるとは正直思えませんが。あれは最早自然災害に近しい暴力です」
「それでも、可能性がある以上は看過する訳には参りません。我々には、セイアさんと貴女が繋いでくれた糸を必ず最後まで紡ぐ義務があるのです」
そう断言し、ナギサはジッとチサトを見つめた。その瞳に強い意志と覚悟を見てとったチサトはしかし、それを見なかった事にして淡白に告げた。
「それで、私にまだ働けと言うのですか」
「今のトリニティには優秀な人材を遊ばせておく余裕はありません」
「在野にも優秀な生徒は多くおりましょう」
「例えどんなに優秀でも、信用出来なければなんの意味もないでしょう」
「こんな抜け殻が、信用に値すると?」
「それを他ならぬ私に聞くのですか?貴女以上に信用出来る人物を私は知りません。それに、セイアさんが成そうとした
舌戦はナギサに軍配が上がった。返せる言葉を失ったチサトは深く溜息をつき、カップに口を付ける。再び場を支配した沈黙を今度はチサトが破った。
「……でしたら、せめてそのようにお命じ下さい。私に、理由をお与え下さい」
「…………」
その言葉の含意を無視するには、ナギサはあまりに聡かった。そして、その事はチサトにも分かっている。そして目の前にいる少女は必ず欲しい言葉をくれることも。僅かな睨み合いの後、大きくため息をついてナギサがそれを言葉にした。
「香黒チサト外交官へ、ホスト代理として命じます。シャーレへ赴き先生へ接触し、友好関係を築きなさい。かの人物の裏を見通し、それを暴きなさい」
その言葉に、チサトは静かに立ち上がりテーブルの横で膝を折る。主に傅く騎士の如くチサトには、ナギサの苦しそうに歪んだ顔は見えなかった。
「謹んで拝命いたします、ナギサ様」