シャーレの入口で、チサトは先生が来るのを待っていた。まだ完全に明けない東雲の空をぼんやりと眺めながら、先日のリンとの話し合いに思いを馳せていた。
戻ってきて開口一番、長期出張に出る旨を告げられたリンは、金縛りにあったかのように暫く動きを止めた。その後、口を開きかけては閉じるのが何度か続き、その末に一度大きなため息を漏らしてぐしゃりと前髪を無造作にかき上げ、チサトを睨みながら低い声を絞り出した。
『それで、どちらに行かれるのですか?』
あまりにもな犯人の決めつけに抗議するチサトの主張は話し合いをする先生とリンに黙殺され、ついぞ最後まで聞き入れられることはなく、『タダで済むとは思わないことですよ、香黒チサト外交官』というリンからの呪いの言葉を頂戴する形でミーティングは終わった。
「私は悪くないのに……」
「お待たせ、チサト。ごめんね遅くなって」
「いえ、構いません。主より先に用意をしておくのは当然のことで──」
チサトは出てきた先生の声に思考を寸断させて顔を上げ、その格好に言葉を詰まらせ顔を引き攣らせた。
「私は確か昨夜、行き先をお伝えしましたよね?」
「うん。聞いたよ。アビドス高校だよね?」
「ええ、その通りです。ですからくれぐれも軽装は避けるようにと言ったはずですよね?」
アロハシャツに短パン、サングラスという出で立ちの先生にどのような言葉をかけるべきか迷っていると、先生の明るい声がチサトの耳朶を打った。
「え?だってアビドスは常夏だって聞いたけど」
「違います、自治区のほとんどが砂漠だと申しました。ですから照り返しで焼かれぬように肌の露出はくれぐれも避け、通気性の良い長袖を着てくるようにとお願いしたハズです」
「あ、あれ?そうだっけ?」
先生の発言に、スっとチサトの瞳が細められる。その瞳から僅かに残された光が消えていくのを何故だか視界より先に本能で理解した先生は、背筋を走る寒気に従って慌ててシャーレの中へ戻っていく。
「はぁ……なんでそんな所まで似てるんですか、貴方達」
もう存在しない主を先生と重ねながら思わず零れたチサトの呟きは、誰に聞こえることもなく朝焼けに染まり始めたビル街に溶け消えていった。
◇
普段通りの格好に着替えた先生と共にハイランダーの運営する電車に揺られながら、チサトは認識の擦り合わせを改めて行っていく。
「先程も申し上げましたがアビドス高校、というよりアビドスの自治区はその殆どが砂漠地帯です。一体いつからこのような事態に見舞われたのか正確な時期は不明です」
「砂漠化の原因はわかっていたりするの?」
「ええ、自然環境の変化が大きな原因であると書いてあります。ただ、送られてきた書類を鑑みると他の可能性も考慮に入れておくべきかと」
「……それは、環境変化以外に考慮に入れるべき原因があるってこと?」
静かに頷きつつチサトは別の資料を手渡す。ズラリと並んだ名前の羅列を上から指でなぞりつつ、チサトは説明を始める。
「これらは、ミレニアムサイエンススクールの発明品ですがその中の赤字になっている物は理論の段階で使用が禁じられています。例えばこの降雪機『ゆきんこちゃんMark.Ⅴ』は半径15kmに雪を降らせるものですが、雪雲を無理矢理発生させます」
「15km……尋常じゃないね」
「はい。そして副産物として、範囲外の大気は異常かつ急激な水蒸気量の低下と気温の上昇を起こします。なので、その理論や技術体系こそ認められていますが製造技術そのものはロストテクノロジーとされました。このように気を抜けば環境変化を人為的に起こしうる発明はキヴォトス内には数多く有ります」
「チサトはこれらの発明品が悪用されてアビドスは砂漠化したと考えているんだね?」
チサトはその質問には答えずに次の資料を渡す。そこに書いてあるのは、自治区の環境保全の為過去のアビドス生徒会が奮闘した記録であり、その結果として背負う事になった莫大な借金が記されている。
読み終えた先生が顔を上げるのを待って、チサトは投げられた質問に答える。
「これはあくまで推測ですが、アビドスに借金を負わせた企業に思惑があるのではないかと。一企業がここまでの融資を学園にするのは不自然です」
「砂漠化もさっきの様な特殊なマシーンで引き起こされた可能性もあるのかな?」
「はい。そして同時に砂漠化自体は自然の現象であり、それを上手く利用しただけの可能性もあります。タイミングが良すぎるというのもこの世界には存在しますので」
じっと見つめられた先生は苦笑いで返すしかない。チサトがシャーレに派遣された理由こそがまさにその『タイミングが良すぎるから』だったからだ。
「私が申し上げたいのは、様々な考慮すべき可能性があるという事です。現時点だと情報が少なすぎてその方向性すら絞れません」
「そうだね。私も気をつけるよ」
「そうしてもらえると私としては助かりますが、それよりも私の忠告を聞き入れて下さい。今朝のような事があると疲れます」
「あはは……」
今度こそ、声を出して乾いた笑いを零すしか先生には出来なかった。これは反省していないな、と盛大にため息を吐いてからチサトはスッと封筒を差し出した。
「チサト、これは?」
「こちらの情報はアビドス高校を救う為の切り札です。ですが、今すぐには開けないでください。これの扱いを少しでも間違えれば、アビドス高校はその瞬間廃校になります」
「どうしてそんなに大切な情報を今渡すんだい?チサト自身で管理すれば確実なのに」
「最終判断を行うのは私ではありません、先生です。ましてや外様の私がその情報を使ったところで害にしかなりませんよ」
「その理論から行くと、私も外様だと思うけど」
「でも、そのままでいるつもりもない。違いますか?」
「それは、勿論。そのつもりだけど」
ならばそれでいい、内心で静かに呟き、チサトは外の景色にその瞳を向けた。その視線に釣られるように先生も窓の方を向けば、いつの間にかごく普通の市街地だった筈の景観に砂漠が混じり始めていた。
「目的の駅まではもうすぐです。先方によればそちらでガイド役の生徒がいてくれるそうなのでこの先はそちらの方に案内を頼みましょう」
まぁなんか、繁忙期とか環境の変化でちょっと疲れてました。
また気張らず頑張ります