六月下旬。
梅雨空の下、帝丹高校では期末試験を控えた慌ただしい日々が続いていた。
そんな中、一人の男が教職員玄関を静かにくぐる。
年中変わらぬ黒いスーツ。
寝る時以外は決して外さない伊達眼鏡。
鋭いツリ目と三白眼を隠すように眼鏡の位置を整えながら、数学教師・小西浩平は職員室へ入った。
前任教師の退職に伴い、この日から帝丹高校へ赴任することになった新任教師である。
「皆さん、ご紹介します」
教頭が職員室の教師たちへ声を掛ける。
「本日付で数学科へ着任された、小西浩平先生です」
小西は一歩前へ出る。
「小西浩平です。よろしくお願いします」
簡潔な自己紹介。
教師たちは拍手で迎えた。
その中で、一人の若い女性教師が穏やかに頭を下げる。
「国語科の椎名小春です。よろしくお願いいたします」
「こちらこそ」
短いやり取り。
周囲から見れば、それだけだった。
この場にいる者は誰も知らない。
二人が黒の組織に所属する幹部であり、裏社会では"コニャック"と"シードル"の名で恐れられていることを。
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一時間目。
二年B組。
小西は教壇へ立つと、静かに教室を見渡した。
三十数人の生徒。
それぞれの表情。
机の配置。
教室全体を一度で頭へ刻み込む。
(……ここか)
未来を変えるため、自ら選んだ場所。
この学校には、自分が探し続けてきた「最後の標的」が通っている。
未来で自分を破滅へ導いた、たった一人の存在。
だが、その人物の席だけが空いていた。
小西は何も言わず、出席簿を開く。
「出席を取る」
名前を一人ずつ読み上げていく。
そして、一人だけ返事のない名前を確認すると、静かに次へ進んだ。
教室の空気を乱すことなく、授業を始める。
「数学とは、物事を最短で理解するための言語だ」
黒板へ迷いなく数式を書き連ねる。
難解な問題も、途中式を積み重ねることで誰にでも理解できる形へ変えていく。
生徒たちは自然と授業へ引き込まれていた。
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放課後。
職員室で教材を整理していると、椎名が湯気の立つコーヒーを机へ置いた。
「お疲れさまです、小西先生」
「ありがとうございます」
小西は礼だけ言ってカップを手に取る。
椎名は周囲へ聞こえない声で尋ねた。
「標的は見つかりましたか」
「ああ」
短く答える。
「だが、不在だった」
椎名は少しだけ表情を曇らせた。
「そうでしたか……」
「問題ない」
小西は静かにコーヒーを口へ運ぶ。
「人は逃げ続けることはできない」
「必ず姿を現す」
その言葉には確信があった。
未来で一度、自分を破滅へ追い込んだ相手。
今度こそ、自分が先手を打つ。
そのために教師となり、この学校へ来たのだから。
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夜。
自宅。
黒いスーツを脱ぎ、伊達眼鏡を外した小西は、机のノートパソコンを開く。
画面には、日本各地で起きた事件の記事が並んでいた。
その一つひとつへ目を通しながら、小西は静かに分析していく。
やがて画面を閉じると、小さく呟いた。
「未来は少しずつ変わり始めている」
しかし、最も重要な問題だけは、まだ解決していない。
未来で自分を破滅させた人物。
その人物だけが、今も予定から外れたままだった。
窓の外では、梅雨の雨が静かに街を濡らしている。
令和のモリアーティは、その雨音を聞きながら、誰にも知られることなく次の一手を考え始めるのだった。
もしもこんな男がいたら原作の世界観が出来上がるかも知れませんね。