がっこうぐらし! 孤高のハンター   作:ディクソンさん

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第三話 狂気と困惑

 陣はるーちゃんの記憶と案内を頼りに入り組んだ市街地を抜け、ついに目的地へと辿り着いた。小高い丘の上に建つ立派な正門。その横の石碑には『巡ヶ丘学院高等学校(めぐりがおかこうとうがっこう)』と刻まれている。

 

 

 陣はエンジン音で「かれら」を刺激しないよう少し離れた場所でバイクを停め、手押しで正門脇の植え込みの奥へと隠した。

 

 

「……ここだな」

 

 

 陣はクロスボウを手に取り、正門の陰からそっと校庭の様子を窺った。広いグラウンドには制服やジャージ姿の「かれら」がそこそこの数あてもなくふらふらとうろついている。もし真正面から突っ込めばあっという間に囲まれてしまうだろう。

 

 

 だが、陣の鋭い観察眼はすぐに安全なルートを見つけ出していた。校庭の中央は危険だが、校舎の壁沿い──花壇や用具入れの倉庫が並ぶ死角を通っていけばやつらの視界に入らずに校舎の入り口まで接近できる可能性が高い。

 

 

 陣は背後に隠れるるーちゃんを振り返り真剣な表情で目を合わせた。

 

 

「俺から離れんな。足跡だけ踏め」

 

 

「……うんっ」

 

 

 るーちゃんは力強く頷き、陣の革ジャンの裾を両手でぎゅっと握りしめた。

 

 

「行くぞ」

 

 

 陣はクロスボウを構え、姿勢を低くして駆け出した。るーちゃんも必死にその後を追う。

 

 

 風の音と遠くで響く「かれら」の呻き声だけが耳に届く。陣はやつらの動きを常に視界の端で捉えながら花壇の陰から倉庫の裏へ、そして校舎の壁沿いへと音もなく滑るように移動していく。

 

 

 るーちゃんも陣の教え通り、小さな足音すら立てないよう必死に息を殺してついてきた。

 

 

 数分間のヒリつくような緊張感。やがて二人は一体の「かれら」にも気づかれることなく無事に校舎の出入り口──生徒用の昇降口へと辿り着いた。

 

 

「……っ!」

 

 

 そこを見た瞬間陣は思わず目を見張った。昇降口のガラス戸の内側には机や椅子やロッカー、さらには黒板といった学校の備品が山のように積み上げられ強固な『バリケード』が築かれていたのだ。それは明らかに「かれら」の侵入を防ぐために知能を持った人間が意図的に作り上げたものだった。

 

 

(……誰かいるな)

 

 

 陣はバリケードの隙間から中を窺おうと近づき──そしてあることに気がついた。完全に塞がれているように見えたバリケードの一部、ちょうど人が一人通れるくらいの『少しの隙間』が意図的に空けられていたのだ。

 

 

 それは外から侵入された跡ではない。中にいる人間が物資の調達や見回りのために「外へ出るための通路」として確保している隙間だ。

 

 

「……陣?」

 

 

 るーちゃんが不思議そうに陣の顔を見上げる。

 

 

 陣はバリケードの隙間を見つめたままふっと口角を上げた。普段は他人の生存などハナから期待していない孤高のサバイバーの胸にこの時ばかりは確かな『希望』が灯っていた。

 

 

「……誰かいるのは確かみてえだ」

 

 

 陣の言葉にるーちゃんの顔がパッと明るくなる。

 

 

「ほんと!? お姉ちゃんいるかな!?」

 

 

「声がデケェ。……まだ分からねえ。だが見てみる価値はある」

 

 

 陣はるーちゃんを背後に庇いながらクロスボウを片手にそのバリケードの隙間へと慎重に足を踏み入れる。

 

 

 だが、そこは決して安全な楽園などではなかった。薄暗い昇降口から続く一階の廊下はるーちゃんが隠れていたあの小学校と同じように凄惨な有様だった。

 

 

 割れた窓ガラス、ひしゃげた下駄箱、床に散乱したプリントや上履き。そして壁や床にこびりついた赤黒い血の跡がここで起きた惨劇の激しさを物語っていた。

 

 

「……」

 

 

 陣は油断なく周囲を見渡しクロスボウを構えた。静まり返った廊下の奥からズルッ、ズルッと靴を引きずるような足音が聞こえてくる。

 

 

 薄暗がりの中から姿を現したのは三体の「かれら」だった。いずれもこの高校の制服を着ている。かつてはここで青春を謳歌していたであろう生徒たちの成れの果てだ。

 

 

 彼らはバリケードを抜けてきた陣とるーちゃんの僅かな気配と匂いに気づき、濁った瞳をこちらに向け、「アァ……」と低い呻き声を上げながらふらふらと近づいてきた。

 

 

「ひっ……!」

 

 

 るーちゃんが小さく悲鳴を漏らし、陣の革ジャンに顔を押し付けてガタガタと震え出した。小学校での恐怖がフラッシュバックしているのだろう。

 

 

「目ぇ瞑ってろ」

 

 

 陣は短くそう告げると、るーちゃんを背後に庇いながら一歩前へ出た。

 

 

 距離は約七メートル。陣は最も手前にいた男子生徒の「かれら」にクロスボウの狙いを定め躊躇なく引き金を引いた。

 

 

 

 

 シュッ! 

 

 

 

 

 静音ダンパーによって殺された発射音と共にボルトが男子生徒の眉間を正確に貫く。ドサリと倒れる音に反応し残りの二体──女子生徒の「かれら」が歩みを速め陣に向かって手を伸ばしてきた。

 

 

 距離が詰まる。装填している暇はない。陣はクロスボウを背中に回し、腰から狩猟ナイフを抜き放った。

 

 

「悪く思うなよ」

 

 

 陣は低く呟きながら迫り来る一体目の懐へと滑り込んだ。伸びてきた腕を左手でいなし、右手のナイフを顎下から脳天に向けて深々と突き立てる。

 

 

 ビクンと痙攣した体が崩れ落ちるのと同時に陣はナイフを引き抜き、そのままの勢いで最後の一体へと向き直った。

 

 

「グルァッ!」

 

 

 最後の一体が陣の肩口に噛みつこうと顔を近づけてくる。だが陣は冷静にその胸ぐらを左手で掴んで引き寄せバランスを崩させたところにナイフの刃をこめかみから脳へと正確に突き入れた。

 

 

「……ッ」

 

 

 声も出さずに崩れ落ちる三体の「かれら」。陣はナイフの血を払い鞘に戻すと、一体目に刺さったボルトを素早く回収した。

 

 

 流れるような一切の無駄がない動き。ほんの十数秒の出来事だった。

 

 

「……終わったぞ、るー。もう目を開けていい」

 

 

 陣が声をかけるとるーちゃんは恐る恐る顔を上げ、倒れた「かれら」を見てビクッと肩を揺らしたがすぐに陣の背中にしがみつき直した。

 

 

「……陣、つよい」

 

 

「大したことじゃねえ。……行くぞ」

 

 

 陣は廊下の奥へと視線を向けた。一階には「かれら」がうろついている。だがあの意図的に作られたバリケードの隙間を考えれば生存者はもっと安全な場所──上の階に拠点を構えているはずだ。

 

 

「お前の姉ちゃんがどこにいるかは分からねえが上を探す。足元に気をつけろよ」

 

 

 陣はるーちゃんの手を引き血塗られた一階の廊下を抜け、二階へと続く階段に足をかけた。二階の廊下にも一階の昇降口で見たような机や椅子を組み合わせた簡易的なバリケードがいくつか設置されていた。

 

 

 廊下の奥に目をやると数体の「かれら」がうろついているのが見える。だが一階のように群れを成しているわけではなく、数はまばらだ。

 

 

 陣は無駄な戦闘と消耗を避けるためるーちゃんに合図を送りバリケードの陰に身を隠しながら進んだ。やつらの視界に入らないよう死角を縫い、素早く三階へと続く階段を目指す。るーちゃんも陣の足跡を正確にトレースし、息を殺してついてきた。

 

 

 そして三階。階段を上りきり、防火扉の隙間から廊下を覗き込んだ陣はそこの光景を見て僅かに眉をひそめた。

 

 

「……」

 

 

 三階の廊下にも下の階と同じようにバリケードが築かれている。

 

 

 しかし、妙なことが一つあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──「かれら」が一体もいないのだ。

 

 

 陣はクロスボウを構えたまま静まり返った廊下を鋭い視線で見渡した。床には黒ずんだ血痕や何かが引きずられたような跡が残っている。だが動く死体の姿はどこにもなく、不気味なほどの静寂が支配していた。

 

 

 陣は頭の中で状況を分析する。階段が塞がれているわけではない。やつらが偶然ここまで登ってきていないだけなのか? いや、それにしては不自然だ。下の階にはあんなにいたのだから何体か迷い込んできてもおかしくない。

 

 

 となると答えは一つ。ここにいる『生存者』が三階に上がってきたやつらを全て始末したのだ。

 

 

(もしそうだとしたらそいつは手慣れてる。ただ怯えて隠れてるだけの素人じゃねえ)

 

 

 陣の脳裏に警戒心が強く警鐘を鳴らす。相手が「かれら」を処理できるほどの武闘派であるなら見知らぬ侵入者である自分たちに対しても問答無用で攻撃を仕掛けてくる可能性があるからだ。極限状態の人間ほど恐ろしいものはない。

 

 

 だがどちらにせよ、この三階を散策すれば何かしらの手がかりが見つかるはずだ。るーちゃんの姉が生きているかどうかも。

 

 

「るー」

 

 

 陣は背後に隠れるるーちゃんに極めて小さな声で囁いた。

 

 

「気ぃ抜くなよ。化け物じゃなく『危ない人間』が出てくるかもしれねえ」

 

 

「……あぶないにんげん?」

 

 

「ああ。俺の背中から絶対に離れるな」

 

 

 陣はるーちゃんを自分の背中にぴったりと隠すように庇い、クロスボウの銃口を僅かに下げた状態で構え直した。

 

 

 相手が生存者だった場合、いきなり銃口を向ければ一触即発の事態になりかねない。だがいつでも引き金を引ける準備だけはしておく。

 

 

 陣は教室の中を一つ一つ覗き込みながら慎重に廊下を進んでいった。

 

 

 だがどの教室にも「かれら」の姿はなく、人間のいる気配もない。ただ机や椅子が乱雑に片付けられている様子から誰かが意図的に物資を運び出した痕跡だけははっきりと残っていた。

 

 

 廊下を半分ほど進んだところで二人の行く手を阻むように巨大なバリケードが築かれていた。机やロッカー、黒板などを複雑に積み上げたもので一階や二階にあった簡易的なものとは比べ物にならないほど強固だ。だが天井付近には僅かな隙間があり、よじ登ればなんとか反対側へ越えられそうだった。

 

 

「俺が先行く。動くなよ」

 

 

 陣はクロスボウを背中に固定し、バリケードの隙間に足をかけて身軽に上へと登った。頂上から反対側を覗き込む。廊下は続いているがやはり動く影はない。

 

 

 陣は音を立てずに反対側へと着地し、周囲の安全を確保してからバリケードの向こう側にいるるーちゃんに声をかけた。

 

 

「よし、来い。焦んな」

 

 

 るーちゃんは小さく頷き、小さな手足を一生懸命に動かしてバリケードをよじ登り始めた。陣が下から手を伸ばし、彼女を迎え入れようとしたその時だった。

 

 

 るーちゃんが頂上に辿り着き、陣の方へ降りようと体重をかけた瞬間。バランスを崩していた一番上の机の一つが無情にも彼女が登ってきた側──つまり先ほどまで二人がいた廊下側へと滑り落ちた。

 

 

 

 

 ガシャァァァンッ!! 

 

 

 

 

 静まり返った校舎に鉄と木が激突する凄まじい轟音が鳴り響いた。

 

 

 

「っ!」

 

 

 陣は反射的に手を伸ばし落ちそうになったるーちゃんの小さな体を抱きとめてバリケードの反対側へと引きずり下ろした。るーちゃんを腕の中に庇いながら陣は即座にクロスボウを構え、周囲を鋭く睨みつける。

 

 

(……クソ、下のやつらが動くぞ)

 

 

 陣は最悪の事態を想定し、引き金に指をかけたまま息を殺した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 だが──数秒待っても十数秒待っても階段の方から「かれら」の呻き声や足音が近づいてくる気配は全くなかった。

 

 

(……来ねえ……妙だな)

 

 

 陣が僅かに安堵し、同時にその不自然さに眉をひそめたその時。

 

 

 

 

 ギィ……。

 

 

 

 

 少し先の廊下にあるドアがゆっくりと開く音がした。陣は瞬時にクロスボウの銃口をそちらへ向けた。

 

 

 開いたドアの隙間から警戒心を剥き出しにした二人の少女が顔を出す。

 

 

 一人はツインテールの髪を揺らし、その華奢な体には不釣り合いなほど無骨な『シャベル』を肩に担いだ少女。彼女の瞳は侵入者である陣を明確な「敵」として捉え鋭く射抜いていた。

 

 

 そしてもう一人は長い髪を下ろし、どこかおっとりとした雰囲気を持つ少女。その容姿は陣の腕の中で震えているるーちゃんにどこか面影が似ていた。

 

 

 シャベルの少女が陣の構えるクロスボウを見てギリッと奥歯を噛み鳴らし、一歩前へ出ようとした瞬間。

 

 

「……お姉ちゃん?」

 

 

 陣の腕の中にいたるーちゃんが信じられないものを見るような声で呟いた。そのか細い声は静寂の廊下に確かに響いた。

 

 

 シャベルの少女の後ろで様子を窺っていた長い髪の少女がビクッと肩を震わせ、陣の腕の中にいる小さな影へと視線を向けた。

 

 

「……え?」

 

 

 信じられない。そんなはずはない。だってあの日妹は小学校にいて、助けに行けなくてもう絶対に会えないとそう思っていたのに。

 

 

「るー……ちゃん……?」

 

 

 彼女の手から持っていた懐中電灯がカランと床に落ちた。彼女はシャベルを構える少女を押し退けるようにして前へ出ると、涙で顔をぐしゃぐしゃにしながら陣の方へとふらふらと駆け寄ってきた。

 

 

「るーちゃん! るーちゃんっ!!」

 

 

「お姉ちゃんっ!!」

 

 

 るーちゃんも陣の腕から抜け出し、駆け寄ってくる姉の元へと小さな足で走っていく。そして二人は廊下の真ん中で強く、強く抱きしめ合った。

 

 

「ああ……っ、るーちゃん、るーちゃん……っ! よかった、生きててくれたのね……っ!」

 

 

「お姉ちゃん……っ、うわぁぁぁんっ!」

 

 

 姉妹の号泣が静まり返った校舎に響き渡る。陣はクロスボウの銃口をゆっくりと下げその光景を無言で見つめていた。

 

 

(……マジかよ)

 

 

 奇跡など信じていなかった孤高のサバイバーの胸に言葉にできない温かい感情が広がっていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 だが、感動の再会に水を差すようにシャベルを担いだ少女は依然として陣から鋭い視線を外していなかった。

 

 

「……感動の再会中悪いんだけどさ」

 

 

 くるみはシャベルを両手で構え直し、陣を真っ直ぐに睨みつけた。

 

 

「アンタ何者? どうやってここまで入ってきたの?」

 

 

 一触即発の空気はまだ完全に解けてはいなかった。

 

 

 陣はゆっくりと身を屈め手にしていたクロスボウを床に置いた。さらに腰の鞘から狩猟用ナイフを抜き、それもクロスボウの横に並べて置く。そして武器を一切持っていないことを示すように両手をゆっくりと肩の高さまで上げた。

 

 

「落ち着け。俺はあんたらを襲いに来たわけじゃねえ」

 

 

 陣は低く落ち着いた声で告げた。その声と不穏な空気に気づいたるーちゃんが姉の腕の中から振り返った。陣に武器が向けられているのを見て彼女は慌ててシャベルの少女に向かって叫んだ。

 

 

「だ、だめっ! 陣は悪い人じゃないよ! わたしをずっと守ってくれたの!」

 

 

 るーちゃんの必死な訴えを聞き、長い髪の少女も涙を拭いながらシャベルの少女の肩にそっと手を置いた。

 

 

「待って、落ち着いて。この人がるーちゃんをここまで連れてきてくれたのよ……」

 

 

 シャベルの少女はるーちゃんと長い髪の少女、そして両手を上げている陣を交互に睨みつけた後、チッと小さく舌打ちをして息を吐き出した。

 

 

「……わかったよ」

 

 

 彼女はシャベルの刃を床に下ろした。しかしその鋭い警戒の眼差しは依然として陣から外れてはいなかった。陣が少しでも妙な動きを見せればいつでもそのシャベルを振り上げるつもりだろう。

 

 

 張り詰めた空気が僅かに緩んだその時だった。

 

 

「あれー? どうしたの二人とも」

 

 

 ギィ、と先ほどの教室のドアがさらに大きく開き、そこからまた一人の少女がひょっこりと顔を出した。

 

 

 特徴的な帽子を被り、短いピンク髪を揺らすその少女は血生臭いこの世界には全くそぐわない底抜けに明るく能天気な笑顔を浮かべていた。少女は両手を上げている陣と床に置かれた武器、そしてるーちゃんを見てパァッと目を輝かせた。

 

 

「わぁっ! 誰? もしかしてお客さん?」

 

 

 そのあまりにも場違いな平和な日常と何ら変わらない無邪気な声に陣は思わず目を丸くした。

 

 

(……客? 頭でもイカれちまってんのか。こんな地獄でそんな言葉が出てくるかよ)

 

 

 外には無数の化け物がうろつきいつ死んでもおかしくないこの極限状態の校舎の中で、目の前の少女はまるで「放課後の教室に他校の生徒が遊びに来た」かのような反応をしているのだ。

 

 

 陣が困惑してシャベルの少女と長い髪の少女に視線を向けると、二人の顔には一瞬だけ何とも言えない悲痛で複雑な色が浮かんだ。しかし長い髪の少女はすぐに優しい笑顔を作り、帽子を被った少女に向かって頷いた。

 

 

「ええ、そうよ。……るーちゃんを連れてきてくれた大切なお客さん」

 

 

「そっかー! いらっしゃい! 私たちの学校へようこそ!」

 

 

 帽子を被った少女は無邪気に笑い、陣に向かって元気よく手を振った。

 

 

「私、丈槍由紀(たけやゆき)! この学校の『学園生活部』の部員だよ! よろしくね!」

 

 

 帽子を被った少女──由紀は血生臭い廊下の真ん中でまるで新入生を歓迎するかのような満面の笑みで自己紹介をした。

 

 

(……学園生活部? ふざけてんのか、世界はとっくに終わってんだぞ)

 

 

 陣は内心で眉をひそめた。

 

 

 外の世界は生ける屍で溢れかえり、この校舎の下の階にもやつらがうろついているというのにこの少女は「部活動」をしていると言うのか。由紀の瞳には恐怖も絶望も、そしてこの凄惨な現実すらも映っていないように見えた。

 

 

 色々と問い詰めたいこと聞きたいことは山ほどある。だが、ここで波風を立てるのは得策ではない。陣はゆっくりと上げた両手を下ろしながら短く答えた。

 

 

「……神崎陣。好きに呼べ」

 

 

「陣さんだね! 遊びに来てくれてありがとー!」

 

 

 由紀は嬉しそうに手を叩くと無邪気な声で提案した。

 

 

「立ち話もなんだし私たちの部室に来てよ! お茶くらいなら出せるからさ!」

 

 

「……部室だぁ?」

 

 

 陣が戸惑い気味に聞き返すと由紀の後ろに立っていた長い髪の少女が少しだけ申し訳なさそうな、しかし由紀の言葉を肯定するような視線を陣に向けてきた。

 

 

「ええ……。ここじゃなんだし安全な場所へ案内するわ。るーちゃんもこっちへ来て」

 

 

 長い髪の少女が優しく手を引くと、るーちゃんは陣の顔を一度見上げてからコクリと頷いて姉のそばへと歩み寄った。

 

 

「……おい、アンタ」

 

 

 シャベルを構えていた少女が低い声で警告する。

 

 

「るーちゃんを助けてくれたことには感謝してる。でも、妙な真似をしたら……その時は容赦しないからな」

 

 

「……分かってる。俺はただこのガキを姉貴んとこまで連れてきただけだ」

 

 

 陣は短く返し、床に置いていたクロスボウと狩猟用ナイフを拾い上げた。シャベルの少女は陣の武器を一瞥したが、それ以上は何も言わず由紀たちの後を追って歩き出した。

 

 

「さあさあ、こっちだよー!」

 

 

 由紀が先頭に立ちスキップでもしそうな軽い足取りで廊下を進んでいく。その後ろをるーちゃんと手を繋いだ長い髪の少女が歩き、最後尾をシャベルの少女が警戒しながら歩く。

 

 

 陣はクロスボウを肩に担ぎ直し彼女たちの後を静かについて行った。案内されたのは三階の奥にある部屋だった。生徒会室と書かれたプレートの前に可愛らしい文字で『学園生活部』と書かれた紙がテープで貼られている。

 

 

 中に入ると、そこには外の地獄からは想像もつかないような「日常」の空間が広がっていた。机の上にはお菓子やティーカップが並べられ、窓際には洗濯物が干されている。黒板には日直の名前や部活動の目標がチョークで書かれていた。

 

 

 まるでここだけ時間が止まっているかのような、あるいは世界が崩壊する前の平和な学校生活をそのまま切り取ったかのような光景。

 

 

「適当に座っててね! 今お茶淹れるから!」

 

 

 由紀がキッチンへと向かい鼻歌を歌いながらヤカンに火をかける。

 

 

 陣は部屋の隅にクロスボウを立てかけ近くの椅子に腰を下ろした。そして、由紀の背中を見つめながら向かいに座った長い髪の少女とシャベルの少女に声を潜めて問いかけた。

 

 

「……おい。あいつ、一体どうなってんだ?」

 

 

 陣のストレートな問いに二人の少女は顔を見合わせ重く悲しげな沈黙を落とした。由紀の心が壊れてしまっていること。そして彼女のその「幸せな幻覚」を守るために自分たちが『学園生活部』という嘘の日常を必死に演じ続けていること。

 

 

 それを今日会ったばかりの、しかも血の匂いを纏った見知らぬ男に打ち明けるべきか。二人の目には明らかな葛藤が浮かんでいた。

 

 

 その重苦しい空気を敏感に感じ取ったのか、姉の隣に座っていたるーちゃんが不安そうに陣と姉の顔を交互に見上げた。

 

 

「……お姉ちゃん?」

 

 

 るーちゃんの小さな手が姉の制服の袖をきゅっと掴む。その震える手を感じ取った長い髪の少女はハッとして表情を和らげ、るーちゃんの頭を優しく撫でた。

 

 

「大丈夫よ、るーちゃん。なんでもないからね」

 

 

 妹を安心させるように微笑みかけると彼女は小さく深呼吸をし、陣に向き直った。由紀の事情を話す前に、まずは自分たちが何者であるかを明かすのが筋だと判断したのだろう。

 

 

「……そういえばまだきちんと名前を名乗っていませんでしたね」

 

 

 彼女は背筋を伸ばし、芯のある声で言った。

 

 

「私は若狭悠里(わかさゆうり)。この学園生活部の……一応部長をやっています。みんなからは『りーさん』って呼ばれてるわ」

 

 

「……若狭、か」

 

 

「ええ。そしてるーちゃんを……私の大切な妹を助けてくれて本当に、本当にありがとうございました。神崎さんにはどれだけ感謝してもしきれません」

 

 

 りーさんは深く頭を下げた。その言葉には嘘偽りのない心からの感謝が込められていた。

 

 

 陣は気まずそうに視線を逸らし、「……大したことはしてねぇ」と短く返す。

 

 

 続いてシャベルを傍らに立てかけて座っていた少女が腕を組みながら口を開いた。

 

 

「アタシは恵飛須沢胡桃(えびすざわくるみ)。……まあ見ての通りこの部活の用心棒みたいなもんだ」

 

 

 くるみは依然として陣に鋭い視線を向けたまま探るような口調で続けた。

 

 

「アンタ、神崎って言ったな。そのクロスボウとナイフの扱い……素人じゃねえだろ。それにここまで来るのに下の階のやつらを何体かやってきたはずだ。どうやって生き延びてきた?」

 

 

「……運が良かっただけだ」

 

 

 陣は短く答えた。

 

 

「……大した話じゃねえ。山で育って、いつも獲物を追って生きてた。それが今じゃ鹿が化け物に変わっただけだ」

 

 

「ふーん……」

 

 

 くるみは陣の言葉を吟味するように目を細めた。

 

 

「それで? なんでわざわざこんな危険な学校まで来たんだよ。るーちゃんを助けたならもっと安全な場所に隠れてることもできたはずだろ」

 

 

「……」

 

 

 陣はチラリとるーちゃんを見た。るーちゃんは陣が自分のために危険を冒してくれたことを知っている。彼女の大きな瞳が陣を真っ直ぐに見つめていた。

 

 

「……このガキが姉貴に会いたいって泣くからだ」

 

 

 陣はわざとぶっきらぼうに言った。

 

 

「…俺ぁ一人でいる方が気楽なんだよ。ガキ抱えて歩いてりゃ、食いもんも寝床も全部二人分になる。姉貴んとこまで連れてきて、それで終わりにするつもりだった」

 

 

 その言葉が照れ隠しであることはりーさんにも、そして警戒心の強いくるみにもなんとなく伝わったようだった。くるみの険しかった表情がほんの少しだけ和らぐ。

 

 

「……っそ。口は悪いけど根は悪くないってわけだ」

 

 

「おい、勝手に解釈すんじゃねぇよ」

 

 

 陣が鼻を鳴らしたその時。

 

 

「お待たせー! お茶入ったよー!」

 

 

 キッチンから由紀がお盆にティーカップを乗せて満面の笑みで戻ってきた。彼女は陣の前にカップを置くと、隣の空いている空間──誰も座っていない椅子に向かって楽しそうに話しかけた。

 

 

「ねえめぐねえ! 今日はお客さんが来てくれてすっごく賑やかだね!」

 

 

「……は?」

 

 

 由紀のその言葉に陣は自分の耳を疑った。彼女の視線の先には誰もいない、ただの空席だ。だが、由紀は確かにそこに「誰か」がいるかのように嬉しそうに笑いかけている。

 

 

「うんうん、そうだよね! るーちゃんも無事で本当によかった!」

 

 

 由紀は誰もいない空間に向かって相槌を打ち、まるで本当に会話が成立しているかのように言葉を紡いでいく。その異様な光景に陣だけでなくるーちゃんも目をまん丸くして困惑していた。

 

 

 るーちゃんは小さな声で囁く。

 

 

「……陣、由紀お姉ちゃんだれとお話ししてるの……?」

 

 

「……俺が知るかよ」

 

 

 陣は低く答えながらりーさんとくるみの方へ視線を向けた。二人は再び悲痛な沈黙を落としていた。その表情には隠しきれない苦悩とどうしようもない無力感が滲んでいる。

 

 

 すると、由紀がこちらを向き満面の笑みで「いないはずの人物」の紹介を始めた。

 

 

「あ、ごめんね! 紹介が遅れちゃった! こちら私たちの学園生活部の顧問の佐倉慈(さくらめぐみ)先生! みんなからは『めぐねえ』って呼ばれてるんだよ!」

 

 

 由紀は空席を手で示し、誇らしげに胸を張った。

 

 

「めぐねえはね、すっごく優しくて生徒思いで私たちのことをいつも見守ってくれてるの! ね、めぐねえ!」

 

 

「……」

 

 

 陣とるーちゃんはどう反応していいのか分からず完全に固まってしまった。見えない。どう目を凝らしてもそこには誰もいない。

 

 

 だが、由紀の瞳には確かに『めぐねえ』という人物が映っているのだ。その凍りついた空気を察してか、りーさんとくるみがあからさまにフォローに入った。

 

 

「……そうね、ゆきちゃん。めぐねえも喜んでるわ」

 

 

 りーさんが引きつった笑顔で由紀の言葉に合わせる。

 

 

「お、おう! めぐねえ、今日は特別にお茶菓子多めに出していいか? お客さんもいるしな!」

 

 

 くるみも誰もいない空間に向かってわざとらしく声をかけた。

 

 

「うん! めぐねえも『いいわよ』って言ってる!」

 

 

 由紀は嬉しそうに笑いキッチンへとお茶菓子を取りに戻っていった。由紀が背を向けた瞬間、りーさんとくるみの顔からスッと笑顔が消え深い疲労の色が浮かんだ。

 

 

 陣はその一連のやり取りを見てようやく事態を正確に理解した。

 

 

(……なるほどな)

 

 

 由紀の心は完全に壊れてしまっているのだ。この地獄のような現実を受け入れられず、彼女の精神は「平和な学校生活」という幻覚の中に逃げ込んでしまった。そしておそらくその『めぐねえ』という教師は──すでにこの世にはいないのだろう。

 

 

 そしてりーさんとくるみはそんな由紀の幻覚を否定せず、彼女の心が完全に崩壊してしまわないように必死に『学園生活部』という茶番を演じ続けているのだ。

 

 

(……狂ってやがる)

 

 

 陣は心の中で毒づいた。外には生ける屍が溢れ、いつ死ぬかも分からない極限状態の中で女子高生たちが「見えない教師」と「平和な部活動」をごっこ遊びのように演じている。こんな歪んだ空間が長く続くはずがない。いずれ破綻するに決まっている。

 

 

「……おい」

 

 

 陣は由紀に聞こえないよう声を潜め、りーさんとくるみを鋭く睨みつけた。

 

 

「よく分からねぇが……俺もそれに付き合えってか」

 

 

 陣の冷たい問いかけにりーさんはギュッと唇を噛み締め、くるみはシャベルの柄を強く握りしめた。

 

 

「……お願いです」

 

 

 りーさんはキッチンで楽しそうにお茶の準備をしている由紀の背中を一度見てから陣に向かって深く頭を下げた。

 

 

「ゆきちゃんの……由紀の現実を壊さないでください。あの子は、あの子の心は……あの幻覚がなければもう耐えられないんです」

 

 

 その悲痛な懇願に陣は無言で眉をひそめた。

 

 

「茶番で悪かったな!」

 

 

 くるみが由紀に聞こえない程度のギリギリの音量で声を荒げた。

 

 

「アンタから見りゃ狂ってるように見えるだろうよ! でもアタシたちはこれで生き延びてきたんだ! 由紀のあの笑顔があったからアタシたちは今日まで正気を保ってこられたんだよ!」

 

 

 くるみの言葉には由紀を守るための強い覚悟と、同時に「自分たちもまた、由紀の幻覚に依存している」という脆さが滲み出ていた。

 

 

 陣は小さく息を吐き出し、るーちゃんに視線を落とした。るーちゃんは不安げな顔をしながらも何かを一生懸命に考え込んでいるようだった。幼いながらにこの異常な状況をどう受け止め、どう振る舞うべきか彼女なりに必死に答えを探しているのだろう。

 

 

(……どいつもこいつもギリギリのところで立ってやがる)

 

 

 陣は頭を掻きむしり忌々しそうに舌打ちをした。

 

 

「……俺は長居するつもりはねえ」

 

 

 陣は冷たく言い放った。

 

 

「明日、ここから抜ける。それまでなら口裏を合わせてやるよ。見えねぇ教師にも挨拶くらいはしてやる」

 

 

 その言葉を聞いた瞬間、るーちゃんの考え込んでいた表情が一変した。

 

 

「……え?」

 

 

 るーちゃんは陣の革ジャンの袖を強く掴み、大きな瞳に涙を浮かべて見上げた。『どこか行っちゃうの? 行かないで』──その瞳が言葉以上に雄弁に語っていた。

 

 

「ちょっと待ってください!」

 

 

 りーさんが慌てて身を乗り出した。

 

 

「明日出て行くって……こんな危険な外に出てどこに行くつもりなんですか! ここならバリケードもあるし物資だってまだ少しは……」

 

 

「一人の方が性に合ってる。さっきも言ったろ」

 

 

 陣はりーさんの言葉を遮るように言った。

 

 

「安全なのは分かる。……だがな、こういう場所はいつか崩れる」

 

 

 陣の冷徹な言葉にりーさんは言葉を詰まらせた。

 

 

 くるみは何も言わなかった。だがその表情を見れば彼女がどう判断するべきか悩んでいるのは明らかだった。陣の戦闘能力とサバイバルスキルはこの学校で生き延びるために喉から手が出るほど欲しい戦力だ。

 

 

 だが、彼の現実主義的な考え方は由紀の幻覚を守るという彼女たちの「絶対のルール」と決定的に相容れない。

 

 

「……お待たせー!」

 

 

 重苦しい空気を切り裂くように由紀がティーカップとお茶菓子を乗せたお盆を持って戻ってきた。

 

 

「はい、陣さん! るーちゃんも! めぐねえがね特別にクッキーも出していいって言ってくれたんだよ!」

 

 

 由紀は満面の笑みで陣とるーちゃんの前にカップとクッキーを置いた。そして誰もいない空席に向かって「ね、めぐねえ!」と嬉しそうに笑いかける。

 

 

 陣は出されたティーカップを見つめ、そしてすがるような目で見上げてくるるーちゃんと祈るような目で見つめてくるりーさんを交互に見た。

 

 

「………」

 

 

 陣は極めて不器用に、そして誰に言うでもなくそう短く呟いてティーカップを手に取った。それが彼なりの「茶番に付き合う」という意思表示だった。




お読みいただきありがとうございました!

陣くんの声のイメージなんですけど、ダリルの吹き替えの方と同じ「小山力也」さんをイメージしていただくと、より感情移入できるかもです!

『名探偵コナン』の毛利小五郎(二代目)とか担当されてる方です!
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