がっこうぐらし! 孤高のハンター   作:ディクソンさん

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どうもディクソンさんです!

是非感想や評価もお願いします!


第四話 不器用な愛

 窓の外は完全に日が落ち、巡ヶ丘市は深い闇と「かれら」の呻き声に包まれていた。寝室としている部屋では由紀とるーちゃんが寄り添うようにして毛布に包まりすでに寝息を立てていた。

 

 

 由紀には「明日の部活に備えて早く寝よう」と、るーちゃんには「長旅で疲れただろうから」とそれぞれ理由をつけて先に休ませたのだ。二人が完全に寝静まったことを確認し、陣、りーさん、くるみの三人は生徒会室から少し離れた安全が確認されている空き教室へと移動した。

 

 

 ランタンの微かな灯りだけが三人の顔を薄暗く照らし出している。

 

 

「………」

 

 

 陣は教室の机に腰掛け、腕を組みながら二人を見据えた。

 

 

「ガキどもは寝た。これでやっと話ができるな」

 

 

 くるみが壁に寄りかかりながら小さく息を吐いた。

 

 

「……アンタにはちゃんと話しておくべきだと思ったからな。明日出て行くにしても、この学校で何があったのかくらいは知っておいて損はねえだろ」

 

 

 りーさんも静かに頷き、膝の上で両手を強く握りしめた。

 

 

「……どこから話せばいいのか……。あの日、世界がこんな風になってしまってから数日が経って、物資を探しに私たちは放送室に集まっていたんです」

 

 

 りーさんの静かな声が暗い教室に響き始める。

 

 

「そして放送室の中にいた時、廊下の様子がおかしいことに気がついて……。めぐねえはゆきちゃんに『すぐ戻って来るから待ってて』と言い残して、一人で廊下に出て行ったんです」

 

 

 りーさんは言葉を区切り、辛そうに目を伏せた。

 

 

「その後……雨が降っていた日のことです。私たちは学校内に入り込んできた『かれら』に襲撃されました。その時めぐねえが私たちを逃がすために盾になってくれて……」

 

 

 りーさんの声が微かに震え始める。

 

 

「私たちは逃げ延びました。でもめぐねえは……その時に噛まれてしまったんです。そして私たちの前から姿を消しました」

 

 

「……姿を消した?」

 

 

 陣が眉をひそめて聞き返す。

 

 

「……はい」

 

 

 くるみが重い口を開いて引き継いだ。

 

 

「アタシたちを逃がした後、めぐねえがどこへ行ったのか誰にも分からない。遺体を見たわけじゃないから本当に死んでるのかどうかも……。でも、あの状況で噛まれた状態で生きているなんてことは絶対にあり得ない」

 

 

 くるみの声には深い後悔と自責の念が込められていた。

 

 

 陣は無言のままその話を聞いていた。脳裏にるーちゃんを庇って机に頭を固定して死んでいたあの小学校の教師の姿がフラッシュバックする。

 

 

「……あいつがおかしくなったのはそん時からか」

 

 

 陣が静かに問うと、りーさんが涙を拭いながら頷いた。

 

 

「はい。ゆきちゃんはめぐねえが『すぐ戻って来る』と約束したこと、そして雨の日のあの凄惨な別れを受け入れられませんでした。そしてある朝突然……『めぐねえ、おはよう!』って誰もいない空間に向かって笑いかけたんです」

 

 

 りーさんは痛ましそうに唇を噛み締めた。

 

 

「最初は私たちもどうしていいか分かりませんでした。でもゆきちゃんのあの笑顔を見ていると……私たちまで本当にめぐねえがそこにいてまだ平和な日常が続いているような錯覚に陥ってしまって……」

 

 

「だからアタシたちは決めたんだ」

 

 

 くるみが顔を上げて陣を真っ直ぐに見つめた。

 

 

「由紀の幻覚を守る。それがアタシたちが正気を保って生き延びるための唯一の方法だったんだよ」

 

 

 陣は深く息を吐き出し天井を仰いだ。彼女たちの行動は客観的に見れば狂気の沙汰だ。だが、極限状態の中で人間が精神を崩壊させずに生き延びるための「防衛本能」としては理解できないこともなかった。

 

 

「……大体分かった」

 

 

 陣は視線を戻し、淡々と言った。

 

 

「あんたらの先生は立派だった。どうやって生き延びてきたかも分かった。……でも俺の考えは変わらねえ」

 

 

 陣の冷たい言葉にりーさんとくるみの顔が強張る。

 

 

「ここはいつか崩れる。物資が先に尽きるかバリケードが破られるか……それとも由紀が今見てるもんを見失った時だな。俺はそんな場所に付き合う気はねえ」

 

 

 陣は机から立ち上がり二人を見下ろした。

 

 

「明日の朝、俺はここを出る。るーはあんたの妹だ……最後まで守ってやれ」

 

 

 そう言い残し陣は教室を出ようと背を向けた。

 

 

「……待ってくれ!」

 

 

 くるみが切羽詰まった声で陣の背中を呼び止めた。

 

 

 陣が足を止め肩越しに振り返ると、くるみはギリッと唇を噛み締め両手を強く握りしめていた。彼女の瞳には普段の強気な態度からは想像もつかないほどの切実な色が浮かんでいた。

 

 

「……アタシ一人じゃいつか限界が来る」

 

 

 くるみは絞り出すように言った。それは彼女がずっと心の奥底に隠し続けてきた誰にも言えなかった本音だった。

 

 

「下の階にはまだ数え切れないほどの『かれら』がいる。いつバリケードが破られるか分からない。夜も見回りをしなきゃならないし物資だって探しに行かなきゃならない……。アタシのシャベルだけじゃいつか絶対に由紀たちを守りきれなくなる日が来るんだ!」

 

 

 くるみは頭を下げた。見ず知らずの今日会ったばかりの男に対して。プライドも何もかも投げ捨てて彼女は必死に懇願した。

 

 

「頼む……! アタシたちに力を貸してくれ!」

 

 

 その言葉に陣は無言で目を細めた。

 

 

 くるみの手にはシャベルを握り続けたことでできた無数のマメと消えない血の匂いが染み付いている。この華奢な少女がたった一人でどれほどのプレッシャーと恐怖に耐えながらこの狂った日常を守り続けてきたのか。陣には痛いほど理解できた。

 

 

「神崎さん……私からもお願いします」

 

 

 くるみに続くようにりーさんも深く頭を下げた。

 

 

「るーちゃんのためにも……どうか残ってくれませんか」

 

 

「……あんたの妹だろ。ならあんたが守れよ」

 

 

「私ではダメなんです」

 

 

 りーさんは顔を上げ、悲痛な表情で陣を見つめた。

 

 

「るーちゃんは神崎さんを心から信頼しています。あの子が今日どれほど不安そうな顔であなたを見ていたか……神崎さんにも分かっているはずです。もしあなたが明日いなくなってしまったらあの子はまた深い絶望に突き落とされてしまう」

 

 

「……」

 

 

「それにこの学校は確かに危険ですが、外の世界はもっと地獄です。るーちゃんを安全に生かすためにはここを強固な拠点にするしかないんです。……どうか、お願いします」

 

 

 静まり返った教室に二人の少女の懇願だけが響く。陣は大きく息を吸い込み、そして何度もしてきたように深く重い溜息を吐き出した。

 

 

 脳裏に浮かぶのはあの不格好な木彫りのクマを大切そうに抱きしめるるーちゃんの姿と、「どこか行っちゃうの?」とすがるように見上げてきたあの涙ぐんだ瞳だ。

 

 

(……クソ……放っとけばよかった)

 

 

 陣はガシガシと乱暴に頭を掻きむしると忌々しそうに舌打ちをした。

 

 

「……勘違いすんなよ。俺はまだあんたら側じゃねぇ」

 

 

 陣が低い声でそう言うと、りーさんとくるみがハッと顔を上げた。

 

 

「俺は俺のやり方で動く。あいつの茶番にずっと付き合う気はねぇ……だが」

 

 

 陣は二人を真っ直ぐに見据え、言葉を続けた。

 

 

「数日だけだ。この学校の確認と下の階の補強は手伝う。……るーが落ち着くまでな」

 

 

 その言葉を聞いた瞬間くるみの顔にパッと安堵の色が広がり、りーさんの目からは堪えきれずに涙が溢れ落ちた。

 

 

「……っ、ありがとう……! 本当にありがとう……!」

 

 

 りーさんが何度も何度も頭を下げる。

 

 

「ふっ……恩に着るぜ、神崎」

 

 

 くるみもいつもの強気な笑みを少しだけ取り戻し、陣に向かって拳を突き出した。

 

 

「………」

 

 

 陣はその拳を無視し、ぶっきらぼうに背を向けた。

 

 

「今日はもう寝る。明日から動くんだ、あんたらもさっさと寝ろ」

 

 

 そう言い残し陣は今度こそ教室を後にした。

 

 

 背後から聞こえる二人の小さな安堵の吐息を背中で受け止めながら陣は暗い廊下を歩く。孤高のサバイバーはこうして自らの意志で狂気と日常が入り混じる『巡ヶ丘学院高校』に留まることを決めたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 翌朝。薄暗い教室に差し込む朝日で陣はゆっくりと目を覚ました。

 

 

 陣が夜を明かしたのは彼女たちの拠点である『生徒会室』ではなく、その隣にある空き教室だった。いくら安全が確保されているとはいえ、女子高生たちと幼い子供が寝泊まりしている部屋に血生臭い見ず知らずの男が混ざって寝るなどお互いに気が休まるわけがない。

 

 

 陣はここに滞在している間、この隣の教室を自分の拠点とするつもりだった。

 

 

 陣は固い床から身を起こし、ふと割れた窓ガラスの隙間から外を見下ろした。眼下に広がる校庭には相変わらず無数の「かれら」がふらふらと蔓延っている。朝の光に照らされたその光景はこの世界が依然として地獄のままであることを冷酷に突きつけていた。

 

 

「……チッ」

 

 

 陣は短く舌打ちをし、軽く荷物を整理した。そして愛用のクロスボウを背負い腰に狩猟ナイフを差して隣の生徒会室──もとい学園生活部の扉を開けた。

 

 

「……あら、おはようございます神崎さん」

 

 

 中に入ると、そこにはすでに起きている三人──りーさん、くるみ、そしてるーちゃんの姿があった。

 

 

 りーさんは備え付けの小さなキッチンに立ち、カセットコンロを使って手際よく朝食の準備をしていた。温かいスープと焼いた缶詰の肉の匂いが部屋に漂っている。

 

 

 くるみは布で愛用のシャベルの刃を丁寧に磨きながら傍らに座るるーちゃんと何やら楽しげに話していた。

 

 

「あ、陣!」

 

 

 扉が開いた音に気づいたるーちゃんがパァッと顔を輝かせて立ち上がった。昨日、「明日には出て行く」と言っていた陣がちゃんと約束通り残ってくれた。その事実が嬉しくてたまらないのだろう。るーちゃんは小走りで陣に駆け寄るとその革ジャンの裾をぎゅっと握りしめた。

 

 

「おはよう、陣!」

 

 

「……おう。鼻水垂らしてねえだろうな」

 

 

 陣はぶっきらぼうに返しつつもるーちゃんの頭にポンと手を置いた。その様子を見てキッチンにいるりーさんがふふっと優しく微笑む。

 

 

「おっ、起きたか用心棒」

 

 

 くるみもシャベルから顔を上げニヤリと笑いかけてきた。

 

 

「朝飯もうすぐできるってさ。アンタの分もちゃんとあるからそこに座ってな」

 

 

「……悪ぃな」

 

 

 陣は適当なパイプ椅子を引き寄せて腰を下ろし部屋の中をぐるりと見渡した。ふとあることに気がつく。

 

 

「……あの帽子は? まだ寝てんのか」

 

 

 陣が尋ねると、くるみはシャベルを磨く手を止め少しだけ呆れたような、けれどどこか愛おしむようなため息を吐いた。

 

 

「由紀ならまだ夢の中だよ。あいつ、朝はめっぽう弱くてさ。いつもギリギリまで寝てんだ」

 

 

「ゆきお姉ちゃん寝坊助さんなの」

 

 

 るーちゃんも陣の隣にちょこんと座りながらクスクスと笑った。外には無数の化け物がうろついているというのにこの部屋の中だけはまるで休日の朝のような穏やかな空気が流れている。

 

 

 陣はクロスボウを壁に立てかけながらこの奇妙な「日常」の空間に自分が少しずつ馴染んでしまっていることに微かな居心地の悪さと……それ以上の不思議な安堵感を覚えていた。

 

 

 しばらくすると、生徒会室の扉がゆっくりと開いた。

 

 

「ふぁぁ……おはよう、みんなぁ……」

 

 

 目をこすりながら現れたのはまだ半分夢の中にいるような寝起きの由紀だった。特徴的な帽子を少し斜めに被ったままふらふらと部屋の中に入ってくる。

 

 

「おはよう、ゆきちゃん」

 

 

「おー、やっと起きたか寝坊助」

 

 

 りーさんとくるみが声をかけると由紀はへへっと笑い、陣の方を見て「陣さんもおはよう!」と元気に挨拶をした。

 

 

「……おう」

 

 

 陣が短く適当に返すと、由紀はそのまま誰もいない空間に向かって笑顔を向けた。

 

 

「めぐねえもおはよう!」

 

 

 その言葉に陣はピクリとも反応しなかった。ただじっとパイプ椅子に座り、無言でその光景をやり過ごす。昨夜事情を聞いた陣にとってそれはすでに「触れてはいけない茶番」だと理解していたからだ。

 

 

「はい、お待たせしました。朝ごはんにしましょうか」

 

 

 丁度準備ができたのかりーさんがテーブルに人数分の皿を並べていく。

 

 

 メニューは缶詰の肉と野菜をコンロで煮込んだ簡易的なシチューのようなものだった。だが限られた物資の中でりーさんが工夫を凝らしたのか、湯気が立ち上るそれは缶詰料理とは思えないほど温かく美味しそうな匂いを漂わせていた。

 

 

「「「「いただきます!」」」」

 

 

 全員が手を合わせ食事が始まる。

 

 

 陣は周りの女子高生たちの目など一切気にせず出されたシチューをスプーンで掬いがつがつと猛烈な勢いで食べ進めた。一人でサバイバルをしていた頃の癖だ。いつ敵に襲われるか分からない外の世界では食事は「味わう」ものではなく、素早く腹に詰め込んで「エネルギーを補給する」ための作業でしかない。

 

 

 すると、不意に正面から声が漏れた。

 

 

「……クククッ」

 

 

 顔を上げると、スープを飲んでいたくるみが肩を揺らして笑いを堪えていた。

 

 

「……なんだよ」

 

 

 陣が怪訝そうに問うと、くるみは吹き出しながら答えた。

 

 

「いや、お前と由紀が面白いくらいにガツガツ食うもんだからさ。ついな」

 

 

 くるみの視線の先では由紀もまた、陣に負けず劣らずの勢いでシチューを頬張っていた。口の周りに少しソースをつけている。その指摘に由紀はハッとしてスプーンを止め、むすっと頬を膨らませた。

 

 

「むー! 私は陣さんみたいにそんな汚く食べてないよ!」

 

 

「いや、五十歩百歩だろ」とくるみがからかうと、そのやり取りを見ていたりーさんがたまらず「ふふっ」と声を上げて笑い出した。姉の笑い声につられたのか、隣に座っていたるーちゃんも陣の顔を指差して無邪気に笑う。

 

 

「あははっ! 陣、食べ方が動物さんみたいだよ!」

 

 

「……」

 

 

 女子高生たちと幼い子供に一斉に笑われ陣はバツが悪そうに眉間を寄せた。

 

 

「……チッ。向こうで食う」

 

 

 陣が忌々しそうに皿を持ち上げ席を立とうとすると全員が慌てて笑いながらそれを止めた。

 

 

「あははっ、ごめんごめん! 冗談だってば!」

 

 

「そうですよ神崎さん、座って食べてください。まだおかわりもありますから」

 

 

「陣、いかないでー!」

 

 

 るーちゃんに服の裾を引っ張られ陣はため息をつきながら渋々パイプ椅子に座り直した。部屋の中は温かい笑い声に包まれていた。外の地獄を忘れさせるような本当に平和な朝の食卓。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 だが──。

 

 

「あ、めぐねえもそう思う? うんうん、陣さんはお腹を空かせた大きなクマさんみたいだよね!」

 

 

 由紀がふと誰もいない空間に向かって楽しそうに言葉を返した。めぐねえが何かを言ったのに対して相槌を打ったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その一言だけで。ほんの一瞬、部屋の空気がピキッと凍りついたような気がした。温かい笑い声が一瞬だけ途切れる。

 

 

 陣の目の前でりーさんのスプーンを持つ手が微かに止まり、くるみの笑顔の端がほんの僅かに引きつったのを陣は見逃さなかった。それは彼女たちが「狂気」という薄氷の上に立っていることを残酷なまでに突きつける瞬間だった。

 

 

 しかしそれも本当にほんの一瞬のことだった。

 

 

「あはは……そうね。めぐねえの言う通り神崎さんはクマさんみたいかも」

 

 

「違いない! ほらクマさん、もっと食えよ!」

 

 

 りーさんとくるみはすぐに何事もなかったかのように笑顔を作り由紀の幻覚に話を合わせた。そのあまりにも手慣れた、そして悲しいフォローの速さに陣は胸の奥がざわつくのを感じながら無言でシチューを口に運ぶことしかできなかった。

 

 

 食事が終わり、りーさんが食器を片付け始めている間、陣は部屋の隅に座り込み愛用のクロスボウの点検を始めていた。弦の張り具合を確かめ、ボルト(矢)の歪みがないかを一本一本丁寧に確認していく。

 

 

 その無骨な作業を由紀が不思議そうな顔で覗き込んできた。

 

 

「ねえ陣さん。どうしてそんな物騒なもの持ってるの?」

 

 

 純粋な疑問だった。由紀の頭の中にある「平和な学校生活」においてクロスボウのような殺傷能力の高い武器は明らかに異物だ。

 

 

 陣は手を止め、「外にいるやつらから身を守るためだ」と事実を口にしようとした。だが言葉を発する直前、チラリとりーさんとくるみの方へ視線を向けた。

 

 

 りーさんは洗い物をしていた手を止め、血の気が引いたような不安そうな表情で陣を見つめていた。くるみもまたシャベルを握りしめたまま何とも言えない苦渋の表情で俯いている。もしここで陣が「外の現実」を突きつければ由紀の精神は崩壊してしまうかもしれない。二人はそれを恐れているのだ。

 

 

(……本当に面倒くせえ)

 

 

 陣は心の中で悪態をつきながら小さく息を吐き出した。そして、少しだけ考え込んだ後由紀の目を真っ直ぐに見て答えた。

 

 

「……大学の狩猟部で使う。そんなとこだ」

 

 

「しゅりょうぶ?」

 

 

 由紀が小首を傾げる。

 

 

「ああ。本当はこの学校の部活に教えに来てただけだったんだが……」

 

 

 陣はそこで言葉を区切り、由紀の隣にある「誰もいない空間」をチラリと見た。

 

 

「……めぐねえに頼まれてな。少しの間だけお前らに付き合うことになった」

 

 

 その言葉にりーさんがハッと息を呑み、くるみが驚いたように顔を上げた。

 

 

 昨夜、「茶番に付き合う気はねえ」と冷たく言い放った陣が自ら由紀の幻覚に合わせた嘘をつき、あまつさえ『めぐねえ』の存在まで肯定したのだ。

 

 

 陣は由紀に向き直り普段の彼からは想像もつかないような少し悪戯っぽい笑みを浮かべた。

 

 

「お前みたいな手のかかるガキを見るためにな」

 

 

「むーっ!」

 

 

 由紀は陣の言葉に反応し、ぷくっと頬を膨らませた。

 

 

「私、ちゃんとしてるもん! おてんばじゃないよ!」

 

 

 そして由紀はすぐ隣の空席に向かって抗議の声を上げた。

 

 

「ねえめぐねえも酷いよー! 私のことそんな風に言ってたの!?」

 

 

 由紀は誰もいない空間に向かって身振り手振りを交えながらプンプンと怒っている。めぐねえが何か言い訳をしているのか、「もう、めぐねえのバカ!」と笑いながら言い返していた。その平和で滑稽なやり取りを見つめながら、陣は再びクロスボウの点検へと視線を戻した。

 

 

「……神崎さん」

 

 

 不意に背後から小さな声が聞こえた。振り返ると、りーさんが胸の前で両手を組み涙ぐんだ瞳で陣を見つめていた。その表情には言葉では言い表せないほどの深い感謝が込められている。

 

 

 くるみもまた壁に寄りかかりながら陣に向かって小さく「サンキュ」と口パクで伝えてきた。

 

 

 陣は二人の反応を無視するように、「……さっさと準備しろ。見回りに行くぞ」とぶっきらぼうに言い捨てクロスボウの弦を弾いた。

 

 

 

 武器の点検を終えると、学園生活部はそれぞれの活動に移ることになった。

 

 

「それじゃあ私、めぐねえの授業があるから行ってくるね! 遅刻しちゃう!」

 

 

 由紀はカバンを手に取ると誰もいない空間に向かって「めぐねえ、待ってー!」と声をかけながら安全が確保されている別の空き教室へと向かっていった。

 

 

 陣はその背中を無言で見送る。由紀の中では今は「一時間目の授業」が始まる時間なのだろう。

 

 

「ゆきちゃん、気をつけてね」

 

 

 りーさんが優しく見送った後、陣とくるみに向き直る。

 

 

「私たちはここでるーちゃんとお留守番をしています。……お二人とも気をつけて」

 

 

「陣、くるみお姉ちゃん、いってらっしゃい!」

 

 

 るーちゃんが元気よく手を振る。

 

 

「おう、任せとけ。何かあったらすぐに大声出せよ」

 

 

 くるみがシャベルを肩に担ぎながら笑いかけ、陣もるーちゃんに向かって短く頷いてみせた。

 

 

 生徒会室の扉を閉めると先ほどまでの温かい日常の空気は完全に遮断され、血と埃の匂いが混じる冷たい「現実」の廊下が二人を包み込んだ。

 

 

「……まずは確認だ。入口とバリケードを見せろ」

 

 

 陣はクロスボウを片手に構え鋭いサバイバーの目つきへと切り替わる。

 

 

「ああ、こっちだ。三階へ続く階段と二階の主要な通路を中心に塞いでる」

 

 

 くるみが先導し、二人は静まり返った校舎を歩き始めた。昨日も見たが、階段の踊り場や廊下の要所には机や椅子、ロッカーなどを複雑に積み上げたバリケードが築かれている。

 

 

 陣は改めてバリケードの構造をじっくりと観察し、いくつか積まれた机を軽く揺らしてみた。

 

 

 ギシッ、と木と鉄が擦れる音が鳴る。

 

 

「……素人にしちゃよくやってる。だがこいつは塞いでるだけだ」

 

 

 陣は厳しい評価を下した。

 

 

「壁じゃダメなのかよ」

 

 

 くるみが眉を寄せる。

 

 

「数体なら持つだろうな。だが下にいる連中が来たら終わりだ。あいつらは止まらねぇ」

 

 

 陣はバリケードの隙間を指差しながら具体的な改善策を口にし始めた。

 

 

「まずは罠だ、前にワイヤー張っとけ。あいつらは下なんざ見ねぇ。それに転べば後ろも詰まる」

 

 

「なるほど……」

 

 

「それから警報だ。寝てる時が一番危ねぇからな、空き缶のトラップで来たらすぐ分かるようにしとく」

 

 

 くるみは目を丸くして陣の説明を聞いていた。彼女はこれまで持ち前の運動神経とシャベルによる「力技」だけでこの防衛線を維持してきた。だが、陣の口から語られるのは生き残るための徹底的で合理的な「戦術」だった。

 

 

「最後は迎え撃つ場所だ」

 

 

 陣は廊下の幅を手で示しながら続けた。

 

 

「ただ塞ぐだけじゃ駄目だ。……通る場所を作っとけ。そうすりゃ動きも読みやすくなる」

 

 

「……すげえなアンタ」

 

 

 くるみは感嘆の息を漏らしシャベルの柄をポンと叩いた。

 

 

「アタシは今までただガムシャラに塞いで登ってきたやつを叩き潰すことしか考えてなかった。……めぐねえが教えてくれたバリケードの作り方を見よう見まねでやってただけだからさ」

 

 

 くるみの言葉に陣は少しだけ目を伏せた。あの由紀の幻覚の中にいる「めぐねえ」という教師が命を懸けて生徒たちに残した防衛の基礎。それを今度は自分が引き継いで強固なものにしていく。

 

 

「……ここまで持ったのはあんたらの先生のおかげだ。俺は少し手ぇ入れるだけだ」

 

 

 陣がぶっきらぼうにそう言うとくるみは嬉しそうにニッと笑った。

 

 

「へへっ、言うねえ。……よし、そうと決まれば早速作業開始だ! 必要な資材は空き教室からいくらでも引っ張ってこれるぜ!」

 

 

「まずはワイヤーの代わりになるもん探すぞ。空き缶は……りーさんに言えばゴミ袋からいくらでも出てくるだろ」

 

 

 二人は並んで廊下を歩き出す。これまでたった一人で「用心棒」の重圧を背負ってきたくるみの足取りは昨日よりもずっと軽く、その横顔には確かな安堵と希望が浮かんでいた。

 

 

 防衛強化のための資材──延長コードや丈夫な紐、そして音の鳴る金属類を探すため二階のまだ手をつけていないエリアへと足を踏み入れた。

 

 

「この先のパソコンルームなら使えそうなケーブル類が山ほどあるはず」

 

 

 くるみが小声で言いながらシャベルを構えて慎重に廊下を進む。陣もクロスボウを構え、彼女の背後から周囲を警戒しながら続いた。

 

 

 薄暗い廊下には割れた窓から吹き込んだ枯れ葉や誰かが落としたノートが散乱している。二人がパソコンルームの前に辿り着き、くるみがスライド式のドアに手をかけたその時だった。

 

 

「……待て」

 

 

 陣が鋭く囁きくるみの肩を掴んで制止した。陣の耳がドアの向こう側から微かに漏れる「うぁ……」というくぐもった呻き声を捉えていた。

 

 

 くるみもすぐに気付き、コクリと頷く。彼女はシャベルを握り直し陣に目配せをした。陣がクロスボウを構えたのを確認し、くるみが一気にドアを引き開ける。

 

 

「グルァッ……!」

 

 

 ドアが開いた音に反応し室内にいた三体の「かれら」が一斉にこちらへ振り向いた。元は生徒だったのだろう制服は血と汚れで黒ずみ、虚ろな目で二人を捉えてよろよろと歩み寄ってくる。

 

 

「三体か。アタシが前を──」

 

 

 くるみがいつものようにシャベルを振り上げて飛び出そうとした瞬間、陣が冷たく言い放った。

 

 

「下がるな、だが前に出すぎるな。……俺がやる」

 

 

 

 シュッ! 

 

 

 

 

 陣の言葉と同時にクロスボウの弦が空気を裂く音が鳴った。放たれたボルトは先頭を歩いていた一体の眉間を正確に貫きその体を後ろへと吹き飛ばした。

 

 

「すげっ……!」

 

 

「次、右だ」

 

 

 陣の指示に反応しくるみが地を蹴る。

 

 

「オラァッ!」

 

 

 くるみは大きく踏み込み右側から迫ってきた二体目の頭部に向かってシャベルの平らな部分をフルスイングで叩き込んだ。ゴシャッという鈍い音と共に二体目が床に崩れ落ちる。

 

 

 だが、その大きな動作の隙を突くように残る三体目がくるみの死角──左後ろから掴みかかろうと腕を伸ばしていた。

 

 

「しまっ──」

 

 

 くるみが体勢を立て直そうとしたが間に合わない。

 

 

 しかし、彼女が恐怖を感じるよりも早く黒い影が横から滑り込んできた。

 

 

「甘ぇんだよ」

 

 

 陣だ。

 

 

 彼はクロスボウを片手で保持したままもう片方の手で腰の狩猟用ナイフを抜き放ち、三体目の顎の下から脳天に向けて躊躇いなく刃を突き立てた。

 

 

「ガッ……」

 

 

 三体目の動きがピタリと止まり、陣がナイフを引き抜くと同時に糸の切れた人形のように崩れ落ちた。戦闘開始からわずか数秒の出来事だった。

 

 

 静寂が戻ったパソコンルームで陣はナイフの血を死体の制服で拭い鞘に収めた。そして床に転がる一体目からボルトを引き抜きながらくるみの方を振り返る。

 

 

「……怪我は」

 

 

「だ、ダイジョブ……。……助かった」

 

 

 くるみは少しだけ目を丸くして陣を見つめていた。これまで彼女は常に一人で戦ってきた。自分がミスをすればそれは即ち「死」を意味していた。

 

 

 だが今、自分の死角をカバーし、背中を守ってくれる存在がそこにいる。その事実がくるみの心にどれほどの安堵をもたらしたか陣には知る由もなかった。

 

 

「アンタ本当にすげえな。あの距離で正確に頭を撃ち抜くなんてよ」

 

 

 くるみは感心したように息を吐いた。

 

 

「そうでもねえよ」

 

 

 陣はボルトを回収し、クロスボウに再びセットしながら言った。

 

 

「細い腕してるくせによくやる。根性もある。……だが動きがデカい。外した時が危ねぇ」

 

 

「……へへっ、厳しいコーチだな」

 

 

 くるみはシャベルを肩に担ぎ直し、ニヤリと笑った。

 

 

「でも、悪くない。アタシの背中預けてもいいかもな」

 

 

「……勝手にしろ」

 

 

 陣はぶっきらぼうに返し、パソコンルームの奥へと歩き出した。

 

 

「……さっさとケーブル集めるぞ」

 

 

「はいはい、コーチ」

 

 

 くるみは嬉しそうに笑いながら陣の背中を追った。

 

 

 パソコンルームや他の空き教室から延長コードやLANケーブルをかき集めた二人は一旦部室である生徒会室へと戻る。

 

 

「おかえりなさい二人とも。怪我はなかった?」

 

 

 りーさんがるーちゃんと一緒に折り紙を折りながら出迎えてくれた。

 

 

「ああ、余裕だ。陣のやつが的確にカバーしてくれたからな」

 

 

 くるみが集めたケーブルの束をドサッと床に置きながら得意げに笑う。

 

 

「……りーさん、空き缶はあるか? なるべく硬くて音が響きそうなやつがいい」

 

 

 陣が尋ねるとりーさんは「ええ、ありますよ」と頷き、キッチンの隅にあるゴミ袋から綺麗に洗われたフルーツの缶詰やスープの空き缶をいくつか取り出して渡してくれた。

 

 

「陣、なにつくるの?」

 

 

 るーちゃんが不思議そうに空き缶を見つめる。

 

 

「音が鳴る『おもちゃ』だ」

 

 

 陣が短く答えるとるーちゃんは「おもちゃ!」と目を輝かせた。

 

 

「必要なもんは揃った。行くぞ」

 

 

 陣は空き缶とケーブル類を抱え、くるみと共に再び防衛線──三階へと続く階段の踊り場へと向かった。

 

 

「いいか、よく見とけよ」

 

 

 陣は階段の途中にしゃがみ込むと延長コードの被膜をナイフで器用に剥ぎ取り中から細く丈夫な銅線を取り出した。それを階段の手すりの支柱と反対側の壁のフック(あるいは画鋲で固定したもの)にピンと張り詰める。高さはちょうど足首が引っかかる絶妙な位置だ。

 

 

 そしてその銅線の端に小石やボルトを入れた空き缶をいくつか結びつけ、階段の端に不安定に置いた。

 

 

「これで十分だ。気付くのが遅れなきゃ何とかなる」

 

 

「なるほど……構造はシンプルだけど理にかなってるな」

 

 

 くるみが感心したように頷く。

 

 

「理屈だけじゃ分からねぇ。実際に試す」

 

 

 陣は立ち上がりクロスボウを構えた。

 

 

「俺が一体だけおびき寄せる。お前は上で構えてろ。来たら外すなよ」

 

 

「了解だ」

 

 

 くるみはシャベルを握り直し階段の上で身構えた。

 

 

 陣は階段を少し下り、手すりをナイフの柄でカンカンカン! と強く叩いた。静まり返った校舎に金属音が響き渡る。

 

 

 数秒後。

 

 

「うぁ……あぁ……」

 

 

 二階の廊下の奥から音に反応した一体の「かれら」が虚ろな足取りで階段の方へと姿を現した。元は男子生徒だったのだろう、体格は良いがその動きは緩慢で足元など一切見ていない。

 

 

「かれら」は陣とくるみの姿を捉えると呻き声を上げながら階段を上り始めた。

 

 

 一段、二段、三段……。

 

 

 そして陣が仕掛けたワイヤーの位置に足を踏み出したその瞬間。

 

 

 

 

 ピンッ! 

 

 

 

 

「かれら」の足首が見事に細い銅線に引っかかった。痛みも驚きも感じないやつらは足止めされたことにも気づかずそのまま前進しようとし──完全にバランスを崩して前のめりに派手に転倒した。

 

 

 同時にワイヤーに引っ張られた空き缶が階段に落下する。

 

 

 

 

 ガラガラガラッ! ガシャァァン!! 

 

 

 

 

 静寂の校舎に小石の入った空き缶が金属の階段を転げ落ちるけたたましい音が鳴り響いた。

 

 

「やれ!」

 

 

 陣の合図と共にくるみが階段を駆け下りる。

 

 

「オラァッ!」

 

 

 転倒して起き上がろうともがいている「かれら」の後頭部に向かってくるみのシャベルが容赦なく振り下ろされた。ゴシャッという音と共に「かれら」は完全に動かなくなる。

 

 

「……ふぅ」

 

 

 くるみはシャベルを肩に担ぎ直し転がった空き缶とワイヤーを見下ろした。

 

 

「すげえ……! 本当に引っかかって転びやがった! しかもこの音なら部室で寝てても絶対に気づけるぜ!」

 

 

 くるみは興奮気味に陣を振り返り満面の笑みを浮かべた。

 

 

「上出来だ」

 

 

 陣も満足げに頷き、ワイヤーの張り具合を再調整する。

 

 

「これで夜通し起きてる必要はねぇ。休める時に休んどけ」

 

 

「……マジでアンタが来てくれてよかったよ」

 

 

 くるみは心底ホッとしたような、そして感謝の入り混じった声で言った。

 

 

「これで少しは安心して眠れそうだ」

 

 

「……気ぃ抜きすぎんなよ。罠が勝手に全部やってくれるほど世の中甘くねえ……最後は俺たちが片付ける」

 

 

 陣はぶっきらぼうに言いながらも、その口元には微かな笑みが浮かんでいた。

 

 

 防衛線はただの「壁」から陣の知識によって機能的な「システム」へと進化した。二人はこの後、二階の主要な通路や他の階段にも同様のトラップを仕掛けていくのだった。




お読みいただきありがとうございました!

ダリルの雰囲気出すの難しい……
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