「写実性が薄れた。42点」
「影が濃すぎる。29点」
「クロッキーからやり直せ。8点」
「自我がない。34点」
美大予備校で講評をするが、作品からは何も得られるものはない。
だが、
「貴様らには美の探究の一助を担わせてやる。
マネージャーに調理スタジオを貸切らせた。ついてこい、気が向けば詳細な講評をしてやる」
私の声を受けて、生徒達は一斉に荷物をまとめ始める。
こいつらはあの曲に疑問を呈さず聞いていた。つまり、私より大衆に近い感性を持っている。ならば、官能的な
―――――
IHコンロがテーブルの上に何台も用意されている。それと同数のフライパンもだ。
材料もマネージャーが揃えた。個展の打ち合わせがあるから付き合えないそうだが、奴が居なくとも問題はあるまい。
「今から
生徒達は顔に困惑を浮かべている。その中で、一人の女が口を開いた。
「あの……意味が分かりません。
それと私のスマホ、返してください! 参考画像探しもそうですが、色々困ってます。Suicaの定期が使えないのが地味に辛いです……」
「後でマネージャーに探させる。いいから
制作時間は6時間だ。それまでに全て終わらせろ!」
私の号令で各々が動き始める。
―――――
スタジオのプロジェクターを通して白板に動画を投影する。
「
私はモチーフばかりに目を奪われてしまっていた。
だが、あの動画は自らの主義を主張するためのものだ。理由は明白だ。
タイトルやフレーズの一部に視聴者へ呼びかける部分があったからだ。
「エチエチ感じるな!」
これらは作者の意見が載せられていると考えてよいだろう。
一般常識程度にしか知らないが、音楽とプロパガンダは相性が良いとされている。
ナショナリズムを強化する国歌、帰属意識を高める讃美歌、耳に残る韻で意見を押し通すラップなど枚挙にいとまがない。
あの曲はそのどれとも違う。ポップなのだろうと思うが、性質は同じだ。
つまり、ここで重要なのは、作者が
私はこれまで
であれば、その制作を横で観察すれば何かを掴めるかもしれない。アマチュアですらない美大予備校生であっても、美を追い求める同志。イデアには触れられずとも、その姿にはヴィーナスが微笑み、糸口を授けてくれるだろう。
自らの思考に誤りがないか確認している場合ではない、吟味して回らなければ。
―――――
同じ材料を用いても生徒ごとに多少の差が生まれている。
だが、皆IHコンロの使い方を知っていた。当然のように電源ボタンを長押しして稼働させていた。大衆との差がこんな所にもあるとは、想定外だった。料理をする者のみが身に着けている専門知識だと考えていた。
材料の混合に関しては問題なく行えていた。日頃から触れる機会の多い油画科の者達の手際が良かったように思える。計量の手際も悪くない。
彫刻科の者達は共同作業になれていた。何十キロもある砂糖や片栗粉を運び、使いやすいよう小分けにしていた。材料運びで鍛えられた筋肉は
工芸科は温度管理を徹底していた。残念なことに、備え付けの温度計は接触させなければ計測できないものだった。苦肉の策として、水をなべ肌に落として蒸発する速度も参考にしていた。IHコンロに表示される温度は役に立たないと知っていたのだな。
私は陶芸について日本陶芸展で賞をもらう程度にしか触れたことがなかったので、そういった部分への意識が弱かった。普段、家庭における温度管理など、エアコン以外気にしたことがなかった。教授の言葉通り、予想外の発見があるものだ。
映像科はステッカーがごてごて付いたMacブックで動画を再生し、そこから読み取れる情報を備え付けの白板に記録していった。動画の混合法では粉が舞って多少の誤差が生じかねないこと、カットや速度編集により正確な加熱時間が割り出せないことを指摘していた。この点は、私も反省すべきだ。作品にばかり目を向けていて資料精査を怠ってしまっていた。エロスは見いだせなくとも、いつの間にか私にパトスは宿っていたようだ。
―――――
完成したものが並んでいる。
包丁で形が整えられたもの、黒い皿の上に小さな星型の
生徒の作品を見て、私は動画の真似に終始してしまっていたことに気が付かされた。未熟と侮ってばかりいて、色眼鏡をかけてしまっていたようだ。
守破離でいえば、私は最初の段階に固執しすぎてしまっていた。生徒達は既に次のステージへと進んでいる。やはり、エロスを掴んでいるようだ。
「よくやった」
当初は生徒達の顔も怪訝なものだった。だが、共同作業により気分が高揚したのか、はたまた官能的な美を目の前にしたせいか頬が少し紅潮している。
だが、私はどの
黄色い物体としか思えない。ここ数日、これ以外口にしていないせいで嫌になってもきている。これは不味い傾向でもあり、打開の予兆でもあるかもしれない。
同じ素材に向き合い続けると、飽きが来る。それでも耐え忍んでいると、いつの間にか違う側面が見えてくることがある。私は水彩画と石材彫刻で経験をしたことがある。
破り捨て、打ちこわし、食し、その先で別の切り口が見えた。だから、
それぞれを観察し、嗅覚を用い、指で触って確かめる。だが、情欲は湧き上がってこない。
しかし、一つの作品にだけ異なる感覚を抱いた。肉欲的な情動も湧かず、
光の反射具合が少し異なっている。そして、香りが違う。どこか獣のようなエッセンスが感じられる。
情動は一切感じられない。だが、ここまで異なった
「これを作ったのは誰だ。どうしてこうも異なる。
画廊で購入を迷う客相手だと思って話せ」
女生徒が皿の前に立ち解説を始める。
「まだ美大にも入ってないんですけど……。そんなことより課題の講評してくださいよ」
「だからどうした」
「……下のまいばすけっとで買ったラードを使いました。
実家が中華屋なんですけど、中華料理って大体ラードを使うんですよ。
それと余った卵でついでにお昼を作ろうかなあって……」
ほう、材料を替えたのか。それも
色や素材も文化的背景を踏まえて選定しなければならない。私はこんな初歩的な事すら頭から抜けていた。
色彩でいえば、日本では桃色、英語圏ではblueが性的な意味も持つ。ジェスチャーもそうだ。日本では手の甲を下にして親指と人差し指で輪を作り金銭を示す。英語圏の一部では親指、人差し指、中指をこすり合わせて示す。
材料選定はその背後にあるものを重んじなければならない。であれば、ラードは適した選択だろう。中華料理で用いられることが多いそうだ。
だが、この変更はどうなのだろうか。材料一つでラベルが変化することは珍しくない。水彩絵具で描かれるからこそ水彩画なのだ。同じ絵画であっても、画材が変更されてしまえば油画にもなる。料理でも、熱湯に加える物が一つ異なるだけでコーヒーか紅茶になるか変わる。
果たして、ラードは
歯がゆいが、今は一旦脇に置くしかない。
「34点、どうしてこれだけは塊になっている。ラードのせいか」
「その前に名前で呼んでください! 点数が低いので恥ずかしいです!
それと前みたいに中華屋の娘だけは絶対に止めて下さい!」
これも教師の務めか。仮にも指導者であり、先達であるのだから為すべきことをせねば。
「他人の記憶に残せない奴が悪い。芸術家は作品で訴えかけ、その訴求力次第で作者の名前も広まる。使い古された言葉だが、作品がお前の名刺だ。
34点の名前なんぞ、価値は無い。34点以外もそうだ。私に覚えさせられなかったのが悪い」
「それで、ラード以外はなんだ」
「……はい。
多分、みんなより料理になれてるからかなと思います。
美大に行こうとする人なんて、趣味でもない限り自分で料理なんてそんなにしませんよね」
確かに34点の指摘は的を射ている。
私も料理に割く時間はない。今回のことがなければ、台所に立つことはなかっただろう。
「例えですけど、同じ材料を使ったとしても料理人と素人だと味が違いますよね。勿論、プロのお父さんと私でも変わります。
火加減だったり、材料の投入タイミングだったり。こういう部分を客観的にしたのを、調理科学だったりガストロノミーなんて言うんです。
先生が気になるんだったら、それを調べてみるといいかもしれません」
名前だけは聞いたことがある。
購入者の付き合いで連れて行かれた店で長々とシェフが語っていた。その冗長な説明により料理の温度が変わってしまい、彼の作品である一皿が劣化しないかばかりが気になってしまった。
私の欠落がはっきりとした。だが、道は見えた。
「講評は後日。そこの封筒から代金は払っておけ! 足りなければマネージャーに聞け!
行くぞ、34点!」
「えっ! 引っ張んないでください!」
34点の手を握り、外へ出る。タクシーを捕まえて乗り込む。
「
蛇の道は蛇、34点を超えるオーセンティックな