行先を伝えたのにも関わらず、タクシーは少しも進まない。
「おお、
「そうだ。案内を頼む」
「いや……具体的なお店の名前を伝えないと無理でしょ……」
ミラー越しに、運転手の口元が上がるのが見える。
「お嬢ちゃん、プロを舐めちゃあいけないよ。話題を知らないとやってけない商売なんでね」
最前線を往く者だけが見せる誇りと傲慢にも思える自信が端からにじみ出ている。ロンドンの彼を思い出す。
彼にはイギリスでの個展の隙間を縫って各地の建造物を案内してもらった。
ロンドンではタクシーは免許制らしい。道の細かな情報は勿論、どこにどの標識があるかも暗記する必要があるらしい。
曰く、ロンドンであればB.S.ラウントリーの調査員にも負けないと緑のバッジと黒い車体を見せつけてきた。
日本のタクシーもそうだったのか。口ぶりからして世情にも明るくなければならないようだ。
「まじかよ……。
「まあ、息子が歌ってたから調べたんだけどね。外で歌うなって言っても中々聞かないんだよ」
「ああ……子供って下ネタ好きですよね……」
やはり、あの曲は人口膾炙している。
今朝視聴しながら
更に、投稿されてから1年も経たないうちにこの数字を記録したことは驚嘆に値するだろう。加えて、複数サイトに投稿されており、正確な再生数はもっと上だろう。34点が行ったように、同時に複数人が視聴することもある。加えて、意図せず耳にする者もいる。あの日の私もそうだった。
従って、数以上にあの曲を耳にした者がおり、その全てでないにしても共感を得た可能性は否定できない。そんなコンセンサスが得られる感覚に私は触れていなかった。それが苦々しくて仕方がない。
「店へ出発だ!」
「どの店を予約しているんですか?
関東でも出している店はほとんどないし、そのどれもが飛び入りは無理ですよ」
なん……だと……。
―――――
いや、道は閉ざされていない。後でマネージャーに予約させればいい。
それよりも、新たな背景が見えたことの方が重要だ。
先ずは、あまりにも当たり前であることだ。
絵画でいえば、現代では額縁がない方がおかしいまでになっている。料理店であれば、食器は料理と共に提供される。歴史では使いまわしや持ち込みが常識だったこともあったそうだ。
このように現在の価値観において当然のものであれば、わざわざ店も提供しないだろう。そうであれば、生徒達が私よりも趣向を凝らしたものを作り上げたことも説明できる。外食とは、簡便性だけでなく美食や新発見も客を惹きつけるファクターの一部だ。家で食べるようなものは選ばない。
「関西の方にもあるにはあるらしいですが、運転しましょうか?」
「営業がすごい……。一体いくらになるんですか、普通飛行機使いますよ」
あるいは、高い技能が要求される、もしくは高級な料理として見られるのかもしれない。そのため身近ではないが、憧憬を抱くような一皿として
私は勿論、生徒達の
であれば、この料理を提供するということは、自らが中華料理の頂点に立っていると誇示することになる。客観的に、私は芸術家として傑出している。だが、西洋でいえばクロード・モネやレオナルド・ダ・ヴィンチ、日本でいえば葛飾北斎や横山大観と並ぶとは主張できない。
道を知る者であればこそ、名乗れない境地がある。中華料理人達も同じなのだ。だから、食に熱心とされる日本の、それも首都近郊にすら
私は、軽率に彼らの求道と研鑽を犯そうとしてしまったのかもしれない。襟を正し、敬意を払わねばならない。
美術館には、誰も仕事終わりに行かない。許されるのは、それが仕事か門外漢だけだ。私はそうはなりたくない。私は芸術家で在り続ける覚悟と願いを抱えている。
「ははは、そりゃあそうだ。空港までは運転するよ。
代金はお嬢ちゃんには苦しいだろうね。そっちのお客さんなら大丈夫なんじゃないか?」
「……まあ、そうですけど。なんで先生のお財布事情も知ってるんですか?」
「プロだからね。
お客さんが支払えそうか見分けられないと、子供に飯を食わせられなくなっちゃうよ」
あるいは、
であれば、
「……先生、とりあえず降りましょう?
運転手さんも困っちゃいますよ。初乗り代金くらいは置いて、とりあえず教室にもどりましょうよ。私の荷物、置きっぱなしになっちゃってますよ」
ちょうど良い伝手があったな。
「ドライバー、34点の店へ!」
「なんで⁉ うちは出してませんよ!」
「了解しました。練馬の店ね」
「なんで⁉」
「そりゃあお嬢ちゃん、この間乗っただろう。上野からあそこまで、ジーっと料金メーターを見ていたじゃないか。
こっちはプロなんだ。セクハラとかストーカーとか言わないでくれよ」
別ではあるが、私と同じく道を究めんとする者。観察と記録は怠らないか。
それでこそ安心して私の背を座席に預けられる。
新たな発見を土台に、再びスマホで再生する。
「
―――――
「
ドライバーは、最後に助言を残して去って行った。
教授の言葉は私が思っていた以上に意味があった。外へ目を向けた途端、未熟者達への見方が変わり、傑出した御仁が市井にも存在すると知れた。全てが回り道とは、良く言ったものだ。
「先生、何をするつもりですか? 遅いですけどお昼食べていきます?
手前味噌ですけど、味もいいし中々評判のお店なんですよ。
娘を美大に送ろうと出来るくらいにはね。凄いでしょ」
三階建ての染料が薄れた外観をしている。
中華芸術に詳しくないため分からないが、漢民族的な要素と満州の特徴が混ざった上、雷紋まであしらわれておりパッチワークのように見える。各部位の塗装の禿方から、後から増築されたように見受けられる。更に、窓にはメニューの写真が貼られている。端的に言って、調和していない。
……だが、混沌のるつぼの中、言語が通じなくとも中華料理店であると分かる以上調和がとれているとも捉えられるか。どの鑑賞者にも自らの属性を示すことが出来るのであれば、機能美としては最上級なのかもしれない。
「ランチタイム終わりの休憩中みたいですね。もう少し早ければよかったで」
「
閉店中を示す札を無視して、扉を開ける。
―――――
店内には従業員と思わしき人間が複数いる。決まりの制服は無いらしく、私服の上にエプロンをつけている。皆が私を怪訝そうに見つめている。
「先生、今はやってません!
……ただいま。えっと、ちょっと厨房を借りたい……のかな?」
テーブルでラーメンをすすっている男性がこちらに声をかけてくる。
「おう、お帰り。先生っていうと、予備校のか。
どうせなら何か作ってやる。お世話になってるんだ、お代は要らないよ。何が食べたいですか?」
「
店主が無言で首をひねっている。
スマホを突き出して、画面を触る。耳慣れたメロディーが奏でられ始める。
「