紅蓮都市の闇夜 -オーバークロック・ガーデン-   作:A&T

15 / 26
episode15 瓦礫の中の心臓

 ガーデンが崩壊してから、数ヶ月が過ぎた。

 

 かつて白銀の摩天楼が支配していた紅蓮都市は、今もまだ瓦礫の街だった。

 

 空を裂くようにそびえていた高層ビル群は折れ、道路はひび割れ、高架はところどころで途切れている。ベアトの巨大な蔦が灰となって消えた後、都市は支えを失い、あちこちが崩落した。

 

 だが、その廃墟にはもう、死んだような沈黙だけがあるわけではなかった。

 

 朝になると、人々の声が響く。

 

 瓦礫をどかす音。

 

 鉄骨を切る音。

 

 簡易発電機の唸り。

 

 仮設の炊き出し場から立ち上る湯気。

 

 誰かが誰かの名を呼び、返事がある。

 

 まだ街とは呼べない。

 

 だが、街になろうとしていた。

 

「オラァ! どいたどいた! これで道が通るぜ!」

 

 メインストリートを塞いでいた巨大なコンクリート塊の前で、キョウカが拳を振り上げる。

 

 巨大なガントレットが鈍く唸った。

 

 彼女の拳が一瞬だけ異能で超高密度化し、空気が重く軋む。

 

 次の瞬間、拳が叩き込まれた。

 

 轟音。

 

 重機でも動かせなかった塊に亀裂が走り、内部から砕けるように崩れていく。周囲にいた作業員たちが歓声を上げた。

 

「よし、細かい破片は後で運べ! 通路だけ先に確保しろ!」

 

 キョウカは肩で息をしながらも、満足げに笑う。

 

「へっ。こういう使い方なら、アタシの拳も悪くねえな」

 

 その横で、舞い上がった粉塵が不自然なほど滑らかに流れていった。

 

「……埃、あっちに飛ばすね」

 

 ハルカが両手を軽く広げている。

 

 彼女の周囲で風が生まれ、作業員たちの顔にかかる粉塵を遠くへ運んでいく。乾いた瓦礫の匂いを含んだ空気は、彼女の作る清浄な流れに押し出され、代わりに少し冷たく澄んだ風が現場を満たした。

 

「……みんな、息苦しくないように」

 

 かつて敵を閉じ込め、凍らせ、雷を呼んだ彼女の気象操作は、今や街の肺になっていた。

 

 別の区画では、フランが斧を振るっていた。

 

 巨大な戦斧が、半壊したビルの鉄骨を正確に断ち切る。乱暴な破壊ではない。崩落方向を読み、支柱の荷重を見極め、危険な箇所だけを切り離す。

 

「三番支柱を落とす。全員、距離を取れ」

 

 フランの声に、作業員たちが一斉に退く。

 

 斧が閃く。

 

 鉄骨が切断され、半壊していた壁が予定通りの方向へ崩れた。

 

 誰も巻き込まれない。

 

 誰の家もこれ以上潰さない。

 

 かつて敵を斬るために振るわれていた力は、今や街を安全に解体するための外科手術になっていた。

 

 ライツは、地下水道の入り口で光を放っている。

 

 彼の異能は強烈な発光だ。

 

 かつては逃亡者の視界を奪い、隠れ場所を暴くために使われた光。今は、電力が届かない地下の修復現場を照らす灯台だった。

 

「足元、段差がある。右側は崩れてるぞ」

 

 ライツの光が、暗い地下道の奥まで伸びる。

 

 作業員の一人が安堵したように息を吐いた。

 

「助かった。真っ暗だったら落ちてたな」

 

「礼はいい。俺は照らしてるだけだ」

 

 ライツはそっぽを向く。

 

 だが、その光は少しだけ柔らかくなった。

 

 ルーゼは、崩れた倉庫の隙間に特殊ワイヤーを伸ばしていた。

 

 影に紛れるように細いワイヤーを滑り込ませ、奥に取り残された物資の箱へ絡める。彼女の得意とする捕縛術は、狭い瓦礫の隙間から必要なものを引き出すのに向いていた。

 

「引くわよ。ゆっくり、合わせて」

 

 数人がロープを引く。

 

 ルーゼのワイヤーが内部の支点を利用し、箱を崩落させずに外へ引き出した。

 

 中身は、まだ使える医療キットだった。

 

「……こういう使い方も、あるのね」

 

 ルーゼは自分の手元を見つめ、少しだけ不思議そうに呟いた。

 

 その光景を、少し離れた場所からヴェロニカが見ていた。

 

 彼女は古びた市民服の上から、簡易の防護ベストを身につけている。腰にはジジイの店で買った中古の剣。かつてのガーデンの制服も、紋章もない。

 

 それでも、彼女が立つだけで現場の空気は引き締まった。

 

「フラン、東地区の解体は昼までに一度止めろ。支柱の熱が上がりすぎている」

 

「ああ、分かった」

 

「ライツ、夜勤班の交代時刻を早める。地下は酸素が薄い。長時間入れるな」

 

「了解した」

 

「ルーゼ、医療キットを仮設診療所へ。破損がないか確認してから渡せ」

 

「ええ」

 

 指示は短く、的確だった。

 

 かつて冷徹な処刑人として恐れられた統率力は、今やばらばらだった生存者たちを繋ぎ止めるために使われている。

 

 その横で、アリスの声が仮設テントの奥から飛んできた。

 

「あはっ。ヴェロニカ、外の指揮もいいけど、こっちの心臓部もそろそろ構ってよ」

 

 ヴェロニカはテントの中へ入る。

 

 そこには、廃材を組み合わせて作られたサーバーラックが並んでいた。綺麗な設備ではない。古い基板、焼け残った光ファイバー、拾い集めたバッテリー、手作りの冷却ファン。

 

 そのすべてを、アリスが半ば力技で繋ぎ合わせている。

 

 彼女の黒手袋は以前ほど万能ではない。組織の端末も、多機能デバイスも、もうない。

 

 だが、アリスは瓦礫の中から部品を拾い、自分の手で街の神経を作り直していた。

 

「北ブロックの光ファイバー、三十二箇所断線。だけど、旧地下鉄の通信線がまだ生きてる。そこを迂回すれば、仮設診療所と配給所、居住区の三点は繋げられる」

 

 アリスは基板に指を走らせながら続ける。

 

「情報が流れれば、人が迷わなくなる。人が迷わなければ、無駄な喧嘩も減る。今の街には、食料と水と同じくらい、情報が必要なんだよ」

 

「……一歩ずつだな」

 

 ヴェロニカは、テントの外に広がる街を見た。

 

 ベアトの庭のような完璧な美しさはない。

 

 だが、ここには命令ではなく、自分の意志で汗を流す者たちがいる。

 

 壊れた都市の中に、確かに鼓動が戻り始めていた。

 

「ヴェロニカ」

 

 アリスが顔を上げる。

 

「西の空虚地帯、まだ通信が戻らない。昨日から、こっちの仮設網に妙なノイズが混ざってる。自然発生にしては、ちょっと綺麗すぎるノイズ」

 

「ベアトの残滓か」

 

「可能性はある。もしくは、まだ誰かが地下で信号を出してる」

 

 ヴェロニカは頷いた。

 

「見に行く。キョウカとハルカは現場から外せない。フランたちも復旧作業中だ。今回は私と貴女で行こう」

 

「あはっ。二人きりの散歩にしては、場所が荒れすぎだけどね」

 

「油断するな」

 

「してないよ。油断できるほど平和じゃないし」

 

 西の空虚地帯。

 

 そう呼ばれる場所は、都市の中でも特に崩壊が激しい区画だった。

 

 ベアトの根が最も深く地中へ食い込んでいた場所であり、彼女の死後、支えを失った建物が連鎖的に崩れた。今は広大な瓦礫の平原のようになっている。

 

 風が吹くたび、粉塵が薄く舞った。

 

 遠くで、傾いたビルが軋む。

 

 ヴェロニカは剣の柄に手を添え、慎重に進んだ。

 

 アリスは肩掛けのジャンク端末を覗き込みながら歩く。組織の機器ではない。自分で組んだ不格好な端末だ。

 

「ノイズ、近い」

 

「どの方向だ」

 

「左前方。崩れかけたビルの影。……でも変だな」

 

「何がだ」

 

「信号みたいで、信号じゃない。心拍みたいで、心拍じゃない。まるで街そのものが、小さく寝言を言ってるみたい」

 

 ヴェロニカの眉が動く。

 

 その時だった。

 

 崩れかけたビルの影から、少女が現れた。

 

 足音はなかった。

 

 ふらり、とそこに立っていた。

 

 ボロボロの白いワンピース。

 

 砂埃で汚れた細い手足。

 

 だが、その顔には完璧な笑顔が張り付いていた。

 

 あまりにも綺麗で、あまりにも不自然な笑顔。

 

 アリスが即座に一歩下がる。

 

「あはっ……ちょっと待って、ヴェロニカ」

 

 端末の表示を確認し、彼女の声から笑いが薄れる。

 

「生体反応は正常。脈も呼吸もある。だけど、感情の揺れが見えない。恐怖も驚きも好奇心も、ほとんどゼロ」

 

 少女は二人を見る。

 

 笑顔のまま、口を開いた。

 

「私は、ルナ」

 

 声には高低がなかった。

 

 まるで録音された音声を、正確に再生しているようだった。

 

「あなたは?」

 

 ヴェロニカは、剣から手を離さず、それでも膝を少し折って視線を合わせた。

 

「私はヴェロニカだ」

 

「ヴェロニカ」

 

 ルナは名前を繰り返す。

 

 音の形を確かめるように。

 

「ルナ。こんな危険な場所で一人で何をしていた。親や保護者はどうした」

 

「おや……?」

 

 ルナはこてんと首を傾げる。

 

「分からない。ルナは、ここにいた。それだけ」

 

「どこから来たかは覚えているか。ガーデンの関係者か、それとも外から迷い込んだのか」

 

「ガーデン」

 

 ルナは笑顔のまま、少しだけ瞬きをした。

 

「きれいな名前。でも、分からない。ルナは、ルナ。それ以外は、何もないみたい」

 

 ヴェロニカは眉をひそめる。

 

 この街の惨状を見ても。

 

 自分たちが武器を持っていても。

 

 ルナの表情は一ミリも揺らがなかった。

 

「空腹はあるか」

 

「空腹」

 

「腹が減っているか、という意味だ」

 

「分からない」

 

「どこか痛むところは」

 

「痛む」

 

 ルナは自分の胸に手を当てた。

 

「ごめんなさい。それも、よく分からないの。でも、心はとても静か」

 

 そして、ヴェロニカをまっすぐ見た。

 

「ねえ、あなたは笑わないの? 笑っていると、とても楽なのに」

 

 その瞳には、生気があるようでなかった。

 

 好奇心も恐怖もない。

 

 ただ、笑顔という形だけがそこにある。

 

 アリスが低く呟く。

 

「笑えないね」

 

 彼女は端末の表示を見ながら、さらに言う。

 

「脳波は外部刺激に反応してる。でも、感情が動いた結果として表情が出てるんじゃない。刺激に対して、笑顔って出力だけが自動で返ってる感じ。まるで感情の蛇口を、根元から持っていかれたみたい」

 

 ヴェロニカはルナの手首にそっと触れた。

 

 脈は安定している。

 

 だが、肌は冷たかった。

 

 死体の冷たさではない。

 

 もっと別の、都市の地下水のような冷たさ。

 

「ルナ」

 

 ヴェロニカは静かに言う。

 

「貴女をここに置いていくわけにはいかない。私たちの拠点に来るか。温かい食事と、屋根のある場所がある」

 

「拠点」

 

 ルナは繰り返す。

 

「行く。ルナ、分からないことを探しに行きたいの」

 

 笑顔のまま、彼女はヴェロニカの手を握り返した。

 

「いいかな?」

 

 ヴェロニカは、冷たい手を見下ろす。

 

 感情を持たず。

 

 過去も持たず。

 

 ただ完璧な笑顔だけを貼り付けた少女。

 

 警戒すべき相手なのか。

 

 保護すべき迷子なのか。

 

 それすらまだ分からない。

 

「……何を考えているのか、さっぱり掴めないな」

 

 ヴェロニカはため息をつく。

 

「ただの迷子なのか、何かの罠なのかすら判断がつかん」

 

「あはっ。いいじゃん」

 

 アリスはルナの周りをゆっくり歩きながら、端末で記録を取り続ける。

 

「効率最優先で生きてきた私たちにとって、この意味不明ってやつは最高に面白い変数だよ」

 

「面白がるな」

 

「面白いものは面白いんだから仕方ない」

 

 アリスはルナの顔を覗き込む。

 

「ルナちゃん。君、案外この街の誰よりも完成されてるのかもね」

 

「完成」

 

 ルナは笑顔のまま言った。

 

「ふふ。おもしろい」

 

 その声に抑揚はない。

 

 けれど、その言葉が瓦礫の間に落ちた瞬間、アリスの端末が小さく震えた。

 

 ノイズが走る。

 

 ほんの一瞬。

 

 仮設網に繋がった街の信号が、ルナの声に反応したかのように揺れた。

 

 ヴェロニカはそれを見逃さなかった。

 

「アリス」

 

「うん。今の、見た」

 

 アリスの笑みが、少しだけ深くなる。

 

「この子、ただの迷子じゃないかもしれない」

 

 ルナは二人を交互に見た。

 

 完璧な笑顔のまま、言う。

 

「行こう、ヴェロニカ。アリス」

 

 まるで最初から、その名前を知っていたかのように。

 

 ヴェロニカはルナの手を引き、崩れたビルの影を後にした。

 

 瓦礫の街に戻り始めた情報の鼓動。

 

 その中心に、得体の知れない小さな心臓が現れたことを、まだ誰も知らなかった。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。