紅蓮都市の闇夜 -オーバークロック・ガーデン-   作:A&T

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episode17 都市のオーバーフロー

 翌朝、拠点の中心に仮設の観測場が作られた。

 

 場所は、かつて噴水広場だった場所だ。今は噴水も水盤も砕け、代わりにアリスが拾い集めた基板、古い配線、焦げた端末の残骸、ジジイの店から譲り受けた妨害チップが、円を描くように並べられている。

 

 その中心に、ルナが立っていた。

 

 白いワンピースは洗われ、砂埃は落ちている。だが、顔に張りついた完璧な笑顔は変わらない。

 

 ヴェロニカはその正面に立ち、腕を組んでいた。

 

「ルナ。昨日言ったことは覚えているな」

 

「覚えている」

 

 ルナは笑顔で頷く。

 

「ヴェロニカが言うまで、ハートは作らない」

 

「ああ。今日は、アリスの準備が整っている。少しだけ力を使い、すぐに止める。いいな」

 

「少しだけ」

 

 ルナは繰り返した。

 

「分かった」

 

 アリスはその横で、手製のコンソールを叩いている。かつてのガーデン製デバイスではない。瓦礫の街で拾った部品を組み合わせ、何度も修理した不格好な機械だ。

 

 それでも、アリスの指が触れれば、そこは街の神経へ繋がる窓になる。

 

「あはっ。遮断器、仮設シールド、信号の逃がし先、全部準備済み。理論上は、ルナちゃんの出力が昨日の三倍くらいまでなら受け止められる」

 

「理論上、か」

 

 ヴェロニカが目を細める。

 

「そう。実際には、予想外が起きたら壊れる」

 

「不安しかないな」

 

「でも、何も調べない方がもっと不安でしょ」

 

 アリスは肩をすくめた。

 

 少し離れた場所に、キョウカとハルカもいた。

 

 キョウカはガントレットを外している。ルナの波動が異能を乱す可能性を考え、できる限り負荷を減らすためだった。それでも、右腕には包帯が巻かれ、昨日の暴走の痕が残っている。

 

 ハルカは姉の隣で、じっとルナを見ていた。

 

「……お姉ちゃん、無理しないで」

 

「それはこっちの台詞だ。お前こそ、変な風を拾ったらすぐ言えよ」

 

「うん」

 

 ハルカは小さく頷く。

 

 だが、その瞳には不安がある。

 

 ルナの中には、風が届かない。

 

 なのに、街全体の風はルナへ集まろうとする。

 

 それが、ハルカには恐ろしく感じられた。

 

「始めるぞ」

 

 ヴェロニカが言った。

 

「ルナ。ハートを作れ。ただし、私が止めろと言ったらすぐに止める」

 

「うん」

 

 ルナは両手を胸の前へ上げた。

 

 白い指がゆっくりと組み合わさり、小さなハートの形を作る。

 

「ドクン……ドクン……」

 

 ルナが呟く。

 

「聞こえるよ。みんなの、こえ」

 

 ――ドクン。

 

 地面の底から、拍動が響いた。

 

 コンソールが一斉に光る。

 

 アリスの画面に、天文学的な量のログが流れ込んだ。信号機、下水管理システム、旧地下鉄通信網、倒壊したビルの管理AI、個人端末の残骸、壊れた監視カメラ、消えかけた医療タグ。

 

 死んだはずの情報が、ルナを中心に吸い寄せられていく。

 

「あはっ……すごい」

 

 アリスの声は、歓喜に近かった。

 

「都市中の残骸から、使える情報だけを拾って再構成してる。復旧じゃない。修理でもない。都市そのものが、ルナちゃんっていう新しい中枢を通して書き換わってる」

 

 ログがさらに増える。

 

 コンソールの冷却ファンが悲鳴を上げた。

 

「これは……都市のオーバーフローだよ」

 

 その言葉が終わるより早く、破綻は始まった。

 

「が、はっ……!」

 

 キョウカが右腕を押さえ、膝をついた。

 

「止まれ……止まれって言ってんだろ、アタシの腕ッ!」

 

 包帯の下で、筋肉が異常に脈打つ。

 

 彼女の意思とは関係なく、右拳が超高密度化していた。周囲の空気が押し潰され、足元の瓦礫がめりめりと沈む。拳の表面には、白銀の圧縮光のようなものが走り、異能の出力が無理やり一点へ集まっていく。

 

 その圧力は熱に似た揺らぎを生み、瓦礫の表面をガラスのように焼き固めていった。

 

「キョウカ!」

 

 ヴェロニカが駆け寄ろうとする。

 

 だが、同時にハルカが呻いた。

 

「……お姉、ちゃん……っ」

 

 ハルカが風を起こそうとした瞬間、彼女の周囲の気流が鋭く反転した。

 

 穏やかな旋風ではない。

 

 薄い刃のような真空の流れが、彼女自身の喉元をかすめる。

 

「風が……私の言うこと、聞かない……!」

 

 ハルカは胸を押さえ、よろめいた。

 

 彼女の感応能力は、ルナの波動を真正面から受け止めてしまっている。街の情報と空気の流れが、一つの巨大な呼吸としてルナへ集まり、その圧力がハルカの中の風を押し潰していた。

 

 アリスの顔色が変わる。

 

「出力が予測値を超えた! 遮断器、全然足りない!」

 

「止めろ、ルナ!」

 

 ヴェロニカが叫ぶ。

 

「手を離せ!」

 

 ルナはハートを作ったまま、こちらを見る。

 

 笑顔のまま。

 

「離す?」

 

「そうだ!」

 

「でも、街が呼んでる」

 

 ――ドクン。

 

 拍動がさらに強くなった。

 

 拠点の外周から警報音が鳴る。

 

 アリスのコンソールに、新たな反応が赤く表示された。

 

「最悪のタイミング……!」

 

「何だ」

 

「ガーデン崩壊後に放置されてた無人ドローンと暴走警備AIが動き出した。ルナちゃんの出力を新しいエネルギー源として認識してる。こっちに集まってきてる!」

 

 遠くから、機械の足音が響いた。

 

 瓦礫の隙間から、古い殺戮ドローンが這い出してくる。装甲はひび割れ、レンズは濁っている。だが、その武装はまだ生きていた。

 

 地上だけではない。

 

 空からも、小型の監視ドローンが群れを成して近づいている。

 

 旧ガーデンの残骸。

 

 主を失った機械の群れが、ルナの鼓動に引き寄せられていた。

 

「あはっ。新しい女王様に挨拶しに来たみたいだね!」

 

「冗談を言っている場合か」

 

「冗談言わないとやってられないんだよ!」

 

 アリスはコンソールへ飛びつき、即席の防壁プログラムを走らせた。

 

 だが、外からは機械の軍勢。

 

 内側では、ルナの波動で異能を暴走させた姉妹。

 

 ヴェロニカは、最悪の中心に立たされていた。

 

「……そこを、どいて」

 

 ハルカの声がした。

 

 いつもの柔らかな風の囁きではない。

 

 刃のように冷たい声だった。

 

「ヴェロニカ。そこをどいて」

 

 ハルカの瞳は、ルナを見ていた。

 

 その目に宿るのは恐怖だけではない。

 

 明確な排除の意志。

 

「ハルカ、冷静になれ」

 

「冷静だよ」

 

 ハルカは震えながら言った。

 

「この子がいると、私たちは壊れる。この子が笑うたびに、風が私を切ろうとする」

 

 キョウカも立ち上がる。

 

 右腕の白銀の圧縮光を、歯を食いしばって押さえ込んでいる。

 

「ああ、そうだ。こいつは救世主なんかじゃねえ。この街を塗り替えるための、新しい病原菌だ」

 

「キョウカ」

 

「どけ、ヴェロニカ」

 

 キョウカの声が低くなる。

 

「あんたまで殴りたくねえ」

 

 ヴェロニカはルナの前に立った。

 

 剣を抜く。

 

 だが、その刃先は姉妹には向けない。

 

「どかない」

 

「他の誰かが助かれば、アタシらが壊れてもいいってのかよ!」

 

 キョウカが地を蹴った。

 

 白銀の圧縮光を纏った拳が、ヴェロニカの剣と衝突する。

 

 衝撃波が瓦礫を砕いた。

 

「くっ……!」

 

 重い。

 

 いつものキョウカの拳よりも、さらに重い。

 

 それは彼女自身の意志による強さではなく、暴走した異能が無理やり膨張した結果だった。

 

 ヴェロニカの足が地面を削る。

 

「目を覚ませ、キョウカ! 私たちは、誰かを犠牲にして生き残るためにあの庭を出たのではないはずだ!」

 

「綺麗事で腕の中が焼けるみたいな痛みが消えるなら、いくらでも聞いてやるよッ!」

 

 キョウカがもう一撃を放つ。

 

 ヴェロニカは受け止める。

 

 その背後では、ハルカの指がわずかに動いた。

 

 不可視の真空刃が、ルナの首元へ飛ぶ。

 

「させん!」

 

 ヴェロニカの背から蒼黒い魔力が翼のように広がり、ルナを包んだ。

 

 刃が魔力の翼を裂く。

 

 ヴェロニカの頬に、細い血の筋が走った。

 

「……ヴェロニカ」

 

 ルナは、その背中越しに呟く。

 

「みんな、忙しそう」

 

 彼女はまだハートを作っている。

 

 笑顔のまま。

 

 その笑顔が、姉妹の異能をさらに乱す。

 

 同時に、外から押し寄せる機械の軍勢を活性化させる。

 

「ルナ、手を離せ!」

 

 アリスが叫ぶ。

 

「これ以上続けたら、街より先に君が壊れる!」

 

「壊れる」

 

 ルナは首を傾げた。

 

「ルナが?」

 

「そうだよ!」

 

「でも、街が痛いって言ってる」

 

 ルナの指先が震える。

 

 白い肌に、細いひびが入った。

 

 ハルカが、その瞬間に何かを感じ取った。

 

「……あ」

 

 彼女の風が止まる。

 

 いや、正確には止まったのではない。

 

 聞いたのだ。

 

 ルナのハートを通して流れ込む、膨大な悲鳴を。

 

 瓦礫の下で断線した回路の軋み。

 

 詰まった配水管の喘ぎ。

 

 壊れた端末の中に残る、持ち主を探す通知。

 

 停電した病室の記録。

 

 消えかけた街灯のメモリ。

 

 行き場を失った情報の残骸。

 

 それら全部が、ルナの中へ流れ込んでいた。

 

「……違う」

 

 ハルカが耳を押さえながら、震える声で言った。

 

「お姉ちゃん、待って……!」

 

「んだよハルカ! 邪魔すんな、あと少しで――」

 

「違うの!」

 

 ハルカが風の壁を作り、キョウカの前進を遮った。

 

 その風はもう、先ほどのような刃ではなかった。

 

 必死に姉を止める、細く震える壁だった。

 

「この子は、私たちを壊そうとしてるんじゃない」

 

「何言ってんだよ!」

 

「この子は、この壊れた街の傷口を、全部ひとりで塞ごうとしてるんだ……!」

 

 キョウカの拳が止まった。

 

 ヴェロニカも息を呑む。

 

 ハルカには視えていた。

 

 ルナから溢れる波動。

 

 それは攻撃ではない。

 

 都市の隅々まで伸びる修復の流れだった。

 

 壊れたものを繋ぎ、詰まったものを流し、途切れた情報を拾い、街という巨大な体の傷を塞ごうとしている。

 

 ただ、あまりにも範囲が広く、あまりにも出力が高すぎる。

 

 だから、異能者たちの力を「異常値」として巻き込み、拒絶反応を起こしているのだ。

 

 ルナのハートは、街を動かすスイッチであると同時に、街中に沈殿した痛みを彼女自身へ逃がすための通り道だった。

 

「見て」

 

 ハルカがルナの手を指差す。

 

「ルナちゃんの、手……」

 

 ヴェロニカとキョウカが振り返る。

 

 ルナは笑っていた。

 

 いつもの完璧な笑顔で。

 

 だが、その白い指先には細かなひびが走っていた。ひびの隙間から、光の粒子がこぼれている。

 

 彼女の腕にも、首元にも、薄い亀裂が広がっていた。

 

 痛みを顔に出せないだけだ。

 

 苦しみを知らないわけではない。

 

 ルナは、笑顔という出力で自分の崩壊を覆い隠しながら、街の痛みを受け止め続けている。

 

「あは……」

 

 アリスの声が震えた。

 

「本当だ。この子、自分の容量を完全に無視して、都市全体のデバッグを一人で引き受けてる」

 

 コンソールに表示されるログは、すでに警告で真っ赤だった。

 

「笑顔なのは、感情がないからだけじゃない。痛みっていう情報を、笑顔で上書きして、処理を続けてるんだ」

 

「……そんな、馬鹿な」

 

 キョウカの拳から、白銀の光が薄れていく。

 

「じゃあ、アタシらがこいつを壊そうとしてた間も、こいつは……この街を治そうとしてたってのか」

 

 ルナは、姉妹へ向けられた殺意すらも、ただ街のノイズとして受け入れていた。

 

 笑顔のまま。

 

 壊れた世界を抱きしめるように、ハートを掲げ続けている。

 

「ルナ」

 

 ヴェロニカが呼ぶ。

 

「もういい。止めろ」

 

「でも」

 

「止めろ!」

 

 初めて、ヴェロニカが声を荒げた。

 

 ルナの笑顔が、ほんのわずかに揺らいだように見えた。

 

「……止めると、街が痛いまま」

 

「それでもだ」

 

 ヴェロニカは剣を地面に突き立て、ルナの前に膝をついた。

 

「街の痛みを、貴女一人で背負う必要はない」

 

「一人」

 

「そうだ」

 

 ヴェロニカは、キョウカ、ハルカ、アリスを見た。

 

 さらに、外周で戦うフラン、ライツ、ルーゼ、そして集まり始めた人々を見る。

 

「私たちは、そのためにここにいる」

 

 外からドローンの群れが迫る。

 

 暴走した警備AIが、機械の足を鳴らして進んでくる。

 

 だが、もう内側の敵意は消えていた。

 

 キョウカが拳を握る。

 

「……ルナ。悪かった」

 

 短い謝罪。

 

 不器用で、乱暴で、それでも本物だった。

 

「街の痛みはよく分かんねえ。でも、瓦礫くらいならアタシが砕いてやる。だから、お前一人で全部抱えんな」

 

 ハルカも、そっとルナへ手を伸ばす。

 

「……風を、分ける。ルナちゃんの中に入りすぎた痛み、少しだけ外へ逃がすから」

 

 アリスがコンソールを叩く。

 

「あはっ。都市全体のデバッグを一人でやるなんて、設計思想がブラックすぎるんだよ。処理を分散する。街の残存端末、手動回路、人間の連絡網、全部使う」

 

「できるか」

 

 ヴェロニカが問う。

 

「できるかじゃない」

 

 アリスは不敵に笑った。

 

「やるんだよ」

 

 ルナのハートが、これまでにないほど眩い白光を放つ。

 

 その光は暴走ではない。

 

 助けを求める信号だった。

 

 ヴェロニカは立ち上がり、迫り来る機械の軍勢へ剣を向ける。

 

「全員、聞け!」

 

 彼女の声が、拠点に響いた。

 

「ルナを守る! だが、ルナにすべてを背負わせるな! 街の痛みは、街に生きる私たち全員で引き受ける!」

 

 キョウカが前へ出る。

 

 ハルカが風を広げる。

 

 アリスが情報の流れを分散する。

 

 外周では、フランの斧がドローンを叩き落とし、ライツの光が敵影を照らし、ルーゼのワイヤーが暴走機械の脚を絡め取る。

 

 ルナは、初めて少しだけ目を瞬かせた。

 

「みんなで……?」

 

 ヴェロニカは振り返らずに答える。

 

「ああ。みんなでだ」

 

 白い光が、瓦礫の街を満たしていく。

 

 それは、都市のオーバーフローではなく。

 

 街に生きる者たち全員へ分かち合われた、新しい鼓動の始まりだった。

 

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