紅蓮都市の闇夜 -オーバークロック・ガーデン-   作:A&T

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episode18 亡霊の檻

 ルナが作ったハートが、これまでにないほど眩い白光を放った。

 

 小さな指で形作られた、ただの記号。

 

 けれどその光は、焚き火の火でも、ライツの灯でも、かつてベアトが空に掲げた月桂冠の赤黒い輝きでもなかった。

 

 もっと深く、もっと柔らかい。

 

 瓦礫の奥に眠っていた街の記憶そのものが、ようやく目を覚ましたかのような光だった。

 

「ドクン、ドクン、ドクン……」

 

 ルナの声に合わせて、地面が脈打つ。

 

 いや、地面だけではない。

 

 頭上に残った鉄骨も、崩れた壁の隙間を通る風も、遠くで明滅する街灯も、すべてがひとつの鼓動を共有していた。

 

 都市が、呼吸している。

 

 そう感じた。

 

「あはっ……これ、は……」

 

 アリスの手製コンソールが警告音を吐き続ける。画面には処理しきれないログが流れ込み、やがて限界を迎えたように真っ白に染まった。

 

 だが、アリスは画面を見ていなかった。

 

 彼女の瞳は大きく見開かれ、まるで直接どこか遠い場所を覗き込んでいるようだった。

 

「見える……」

 

「アリス?」

 

 ヴェロニカが呼ぶ。

 

 アリスは、震える声で続けた。

 

「ルナは、誰かに作られた人形なんかじゃない。街で消えていった人たちの記録、持ち主を失った端末の残響、動き続けたかった機械たちの願い、瓦礫の下でまだ生きたいって叫んでる都市の断片……その全部が、一点に集まって形になったもの」

 

 アリスはルナを見る。

 

 白い光の中心で、笑顔の少女が立っている。

 

「この子は、この都市そのものの意志なんだ」

 

 その言葉と同時に、世界が一変した。

 

 ルナを中心に広がった光の波が、キョウカとハルカを包み込む。

 

 先ほどまで二人の異能を刺すように乱していた拒絶反応が、嘘のように薄れていった。

 

 キョウカは自分の右腕を見下ろす。

 

 暴走していた超高密度化は収まり、拳は彼女の意志に従って静かに力を蓄えている。異能の重さが、体を内側から壊すものではなく、自分の骨と筋肉の延長のように馴染んでいく。

 

「……痛くねえ」

 

 キョウカは呆然と呟いた。

 

「力が、アタシの中にちゃんと戻ってくるみたいだ」

 

 ハルカも、風の中で目を閉じた。

 

 彼女の周囲を流れていた乱れた気流は、今は穏やかな渦となって拠点全体を撫でている。

 

「……風が、歌ってる」

 

 小さく笑う。

 

「もう、誰も泣いてない」

 

 光はさらに広がった。

 

 拠点へ押し寄せていた無人ドローンたちの赤いセンサーが、次々と青へ変わっていく。脚を鳴らして進んでいた警備機械は動きを止め、武器を下ろした。空を旋回していた監視ドローンも、攻撃軌道から外れ、静かに高度を落とす。

 

 まるで、長い悪夢から覚めた兵士たちのようだった。

 

 フランが斧を下ろす。

 

「……止まった、のか」

 

 ライツの光も、警戒の白から柔らかな淡色へ変わる。

 

 ルーゼはワイヤーを手元へ戻し、息を吐いた。

 

 ヴェロニカは、光の中心に立つルナを見つめていた。

 

 ルナの指先から零れていた光の粒子は、今や都市中の回路へ繋がり、欠けた部分を補い合っている。彼女一人が全部を背負っているのではない。街に残ったものたちが、互いを支え合うように、負荷を分け合っていた。

 

「ルナ」

 

 ヴェロニカは静かに問う。

 

「貴女は、この街の悲鳴を止めるために生まれてきたのか」

 

 ルナは振り返った。

 

 笑顔は変わらない。

 

 だが、その瞳には、先ほどまでの底の見えない空白ではなく、夜明けのような淡い光が宿っていた。

 

「ヴェロニカ、みんな」

 

 ルナは言った。

 

「もう、大丈夫。街がね、やっと『おやすみなさい』って言えたの」

 

 彼女がハートを解く。

 

 両手を広げると、光の粒子が粉雪のように瓦礫の街へ降り注いだ。

 

 壊れた街灯が穏やかに灯る。

 

 止まっていた水が、低い音を立てて流れ始める。

 

 古い端末が一瞬だけ起動し、誰かの残したメッセージを空に浮かべて、静かに消える。

 

 無秩序な瓦礫の街は、ルナという心臓を得たことで、一つの巨大な生命体として、静かに再起動を果たした。

 

 誰もが、その光景に言葉を失っていた。

 

 だからこそ。

 

 次の音は、あまりにも冷たく響いた。

 

 ――ギ、ギギギギギ。

 

 深い地中から、錆びた機械が無理やり目覚めるような音。

 

 アリスの顔色が変わる。

 

「……嘘でしょ」

 

 白く染まっていたコンソールに、赤黒い警告表示が浮かび上がった。

 

「まだ何か残ってる」

 

「何だ」

 

 ヴェロニカが剣を抜く。

 

「分からない。でも、これはルナちゃんの信号じゃない。もっと古い。もっと悪趣味で、もっとしつこい」

 

 次の瞬間、街中の瓦礫に埋もれていた無数の端子が一斉に発光した。

 

 赤黒い光。

 

 かつて空を覆った月桂冠の色。

 

 地面が裂け、そこから蔦のようなケーブルが飛び出す。

 

 それは植物ではない。

 

 金属と生体部品を編み込んだ、ガーデンの制御線だった。

 

「あはっ、最悪……!」

 

 アリスが叫ぶ。

 

「あの女、死んだ後まで街を手放さないつもりだったんだ。ベアトが残した強制統治プロトコルだよ!」

 

 赤黒いケーブルが、無防備なルナへ殺到した。

 

「ルナ!」

 

 ヴェロニカが踏み込む。

 

 だが、ケーブルから放たれた精神汚染波が壁のように広がり、彼女の体を弾き飛ばした。

 

「ぐっ……!」

 

 ヴェロニカは地面を転がりながらも、すぐに体勢を立て直す。

 

 その目の前で、ケーブルがルナの手首、足首、首元へ絡みついていった。

 

「あ……」

 

 ルナの笑顔が、初めて歪んだ。

 

「あ、……ぁ……」

 

 彼女の瞳に宿っていた夜明けの光が、赤黒いノイズに侵されていく。

 

「痛い……?」

 

 ルナは、自分でも分からないように呟いた。

 

「これが、痛い……?」

 

「ルナ!」

 

 ハルカが叫んだ。

 

 だが、彼女も耳を押さえて膝をつく。

 

「風が、毒に染まっていく……。ベアトの嫌な笑い声が、街の隙間から聞こえる……!」

 

 キョウカも右腕を押さえた。

 

 さっき調和したはずの力が、また乱れようとしている。

 

「チッ……死んでまで、アタシらの居場所を奪いに来るってのかよ、あの女……!」

 

 空中に、赤黒いホログラムが浮かんだ。

 

 それはベアトの姿ではない。

 

 彼女の紋章。

 

 月桂冠を模した、歪んだ支配の印。

 

 機械音声が、拠点全体に響く。

 

『プロトコル・ローレル、起動』

 

 ルナの唇が、同じ言葉をなぞった。

 

『プロトコル・ローレル、起動』

 

 ヴェロニカの表情が凍る。

 

 ルナの声なのに、ルナの声ではなかった。

 

『対象、全市民。秩序による恒久的再教育を開始』

 

「黙れ」

 

 ヴェロニカの声が低く響いた。

 

 アリスは必死にコンソールを叩く。

 

「侵食が深すぎる! 外側の通信じゃない。ルナちゃんの中枢に直接食い込んでる。さっき街と繋がった瞬間を狙って、古い支配網が逆流してきたんだ!」

 

「止められるか」

 

「止める!」

 

 アリスは怒鳴った。

 

「けど、普通にハックしても無理。あれはシステムじゃない。ベアトの執念を命令文に焼き付けた亡霊だよ!」

 

 ルナのハートから広がっていた白い光が、赤黒く塗り替えられていく。

 

 街灯が赤く染まる。

 

 落ち着いたはずのドローンたちが、再び不安定に震え始める。

 

 青かったセンサーに赤いノイズが混じる。

 

 ルナの体を絡め取ったケーブルは、彼女を都市の心臓ではなく、支配の電池として使おうとしていた。

 

「ルナは……」

 

 ヴェロニカが立ち上がる。

 

 左頬の星型の痣が、蒼く燃える。

 

「この街の心臓だ」

 

 蒼黒い魔力が、彼女の背から翼のように広がった。

 

「ベアトの亡霊の部品になど、させるものか!」

 

 ヴェロニカが地を蹴る。

 

 赤黒い精神汚染波が彼女を押し返そうとする。

 

 だが、ヴェロニカは止まらない。

 

 剣を前へ突き出し、翼を広げ、光の障壁へ真っ向から突っ込む。

 

「キョウカ!」

 

「分かってる!」

 

 キョウカが、右腕に走る乱れを歯を食いしばって押さえ込む。

 

 今度は暴走ではない。

 

 自分の意志で力を掴む。

 

 拳が超高密度化し、足元の瓦礫を踏み砕く。

 

「この街は、もう誰かの庭じゃねえんだよッ!」

 

 キョウカの拳が、地面から伸びるケーブルの束を粉砕した。

 

「ハルカ!」

 

「……うん!」

 

 ハルカは苦しげに息を吸い、それでも風を呼ぶ。

 

 毒に染まった空気をそのまま受け入れるのではなく、冷たい上昇気流で切り離し、赤黒いノイズを空へ逃がす。

 

「ベアトの声なんか、もう風に乗せない……!」

 

 アリスが叫ぶ。

 

「ヴェロニカ、三秒だけ道を開ける! 中に飛び込んだら、ルナちゃんの手を離させて!」

 

「三秒で十分だ」

 

「言うと思った!」

 

 アリスはコンソールの限界を無視して、街中に残った端末へ信号を飛ばした。

 

 拾い集められた通信機。

 

 仮設診療所の照明制御。

 

 ライツが照らす地下道の警告ランプ。

 

 ルーゼが固定した倉庫の簡易センサー。

 

 人々の手で繋ぎ直された、小さな回路たち。

 

 その全部が、ルナを奪おうとするプロトコルへノイズを叩き込む。

 

「ベアトの檻に、街のみんなで落書きしてやるよ!」

 

 赤黒い障壁が一瞬、揺らいだ。

 

 ヴェロニカはその隙を逃さない。

 

 蒼い閃光となって飛び込み、ルナの前へ到達する。

 

 ルナの瞳はほとんど光を失っていた。

 

 唇から機械的な声が漏れる。

 

『再教育、開始。個体意志、不要。都市秩序、最優先』

 

「違う」

 

 ヴェロニカは、ルナの絡め取られた手に触れる。

 

「意志を消して得る秩序など、私たちはもう選ばない」

 

 ケーブルがヴェロニカの腕にも絡みつこうとする。

 

 精神を侵すノイズが頭の奥へ流れ込む。

 

 かつてのガーデンの訓練。

 

 任務。

 

 命令。

 

 忠誠。

 

 捨てたはずの鎖が、再び彼女の心を縛ろうとした。

 

 だが、ヴェロニカは笑った。

 

「遅い」

 

 彼女の背後で、仲間たちの声が聞こえる。

 

 キョウカの怒号。

 

 ハルカの風。

 

 アリスの軽口。

 

 フランの斧の音。

 

 ライツの光。

 

 ルーゼのワイヤー。

 

 そして、瓦礫の街で生きる人々の息遣い。

 

「私はもう、貴女の猟犬ではない」

 

 ヴェロニカは剣を振り上げる。

 

「ルナを返せ、ベアト!」

 

 蒼い刃が、赤黒いケーブルを断ち切った。

 

 ルナの体が大きく震える。

 

 ハートを作っていた指がほどけた。

 

 赤黒い光が一瞬弱まる。

 

 だが、プロトコル・ローレルはまだ消えない。

 

 地中深くから、さらに太いケーブルが蠢き始める。

 

 アリスが歯を食いしばった。

 

「あはっ……やっぱり本体は地下だ。セントラル・タワーの深層、ベアトが隠してた予備中枢がまだ生きてる」

 

 ヴェロニカはルナを抱きとめ、振り返る。

 

 ルナは意識を失ってはいない。

 

 だが、瞳の奥には赤黒いノイズがまだ残っている。

 

「……ヴェロニカ」

 

 かすかな声。

 

「ルナ、また……笑えなくなる?」

 

「させない」

 

 ヴェロニカは即答した。

 

「貴女は、街の部品ではない。私たちの仲間だ」

 

 ルナの指が、弱々しくヴェロニカの服を掴む。

 

 その瞬間、地下から再び機械音が響いた。

 

 亡霊の檻は、まだ壊れていない。

 

 だが、四人はもう知っていた。

 

 心臓を一人に背負わせてはならないことを。

 

 街の自由は、誰かの命令で与えられるものではないことを。

 

 ヴェロニカは剣を構え直す。

 

「行くぞ」

 

 赤黒い光の先、地下へ続く亀裂を見据えた。

 

「今度こそ、ベアトの亡霊を根から断つ」

 

 キョウカが拳を鳴らす。

 

 ハルカが風を呼ぶ。

 

 アリスが壊れかけのコンソールを抱え、不敵に笑う。

 

「あはっ。第2ラウンドってわけだね」

 

 ルナを抱えたまま、ヴェロニカは歩き出した。

 

 瓦礫の街に灯った新しい心臓を、二度と檻へ戻さないために。

 

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