白銀の初期化波が、瓦礫の街をゆっくりと侵食していた。
焚き火の跡も、仮設住宅も、壊れた看板も、人々が運び出した木材も、次々と輪郭だけのワイヤーフレームへ変わっていく。色が抜け、重さが抜け、そこにあったはずの生活の手触りが、ただの設計情報へ還元されていく。
ヴェロニカは剣を構えたまま、前方にそびえる黒い巨塔を見上げた。
ガーデン・コア。
都市の最奥に封じられていた、原初の演算中枢。
その前に立つベアトは、もはやかつての肉体を持つ女ではなかった。肌には銀色の回路が走り、背からは黄金のケーブルが無数に伸びている。彼女の笑みは、慈愛でも怒りでもなく、壊れた舞台で一人芝居を続ける道化のそれに近かった。
「さあ、もっと抗ってちょうだい。ヴェロニカ。貴女たちの自由が、どれだけ私の庭を汚せるのか、最後まで見届けてあげる」
「……黙れ」
ヴェロニカは低く言った。
だが、足元は重い。
初期化の波動が近づくたび、自分の魔力の輪郭が薄れていく。左頬の星型の痣はまだ蒼く輝いているが、その光さえ、世界そのものに不要な情報として削られつつあった。
キョウカは拳を握りしめている。
その拳は、いつものように超高密度化しようとしていた。だが、ガーデン・コアの初期化は、異能という現象そのものを「誤差」として扱っている。力が集まる前に、手応えが白くほどけていく。
「チッ……気持ち悪ぃ。殴り方は分かってんのに、拳の中身だけ抜けていくみてえだ」
ハルカは空へ手を伸ばしていた。
しかし、彼女の周囲にあるはずの風も、温度も、湿度も、今は数字へ変えられようとしている。雲を呼ぼうとしても、空の方が自分の名前を忘れていくようだった。
「……風が、遠い。すぐそこにあるのに、触れない……」
アリスは焼けかけた手製端末に指を走らせていた。
画面にはノイズしか映らない。だが、アリスは諦めない。かつて組織に与えられた端末はもうない。けれど、彼女の頭脳と指先は、まだ生きている。
「あはっ……冗談みたいな規模だね。都市の起源に直結したベアト相手に、ジャンク端末一個で殴り込みとか、普通なら笑うところだよ」
「笑っているではないか」
「怖いから笑ってるんだよ、ヴェロニカ」
その時だった。
アリスの端末に、一瞬だけ白い反応が走った。
彼女の表情が変わる。
「……待って」
「何だ」
「あの起源の壁の内側に、生体反応がある」
アリスの声から軽さが消えた。
「しかも、二つ」
ヴェロニカが目を細める。
ベアトは、まるでその反応を待っていたかのように、優雅に指を鳴らした。
黄金の光が割れる。
起源の壁の内側から、二つの影が静かに歩み出た。
白銀の髪。
尖った耳。
細く整った四肢。
瓜二つの顔立ち。
それは、ヴェロニカと同じ特徴を持つ少女たちだった。
「……エルフ、だと……?」
ヴェロニカの声が、かすかに揺れた。
滅びゆく種族。
この都市で、自分一人だけが最後の生き残りだと思っていた。
その孤独を、ベアトは利用した。
一族の再興という餌をちらつかせ、ヴェロニカをガーデンに縛りつけた。
だからこそ、目の前に現れた同胞の姿は、剣よりも深く彼女の胸を抉った。
「驚いたかしら、ヴェロニカ?」
ベアトは楽しげに笑った。
「貴女が最後の一人だなんて、誰が言ったの?」
彼女は双子の肩に手を置く。
まるで美しい人形を見せびらかすように。
「この子たちは、かつて私が採取したエルフの系譜から、もっともコア適性の高い個体を培養し続けたもの。名前はエルフィとフィーナ。都市の免疫システムとして完成された、純血の防衛機構よ」
「採取……培養……」
ヴェロニカの声が低くなる。
「貴様は……同胞を救うと言いながら、その裏で、彼らの命をシステムの部品として弄んでいたのか」
「部品ではないわ。作品よ」
ベアトは微笑む。
「貴女のように泥と感情で汚れた野良のエルフとは違う。都市の均衡を保つために磨き上げた、綺麗な刃」
双子は何も言わなかった。
右に立つ少女は、整った姿勢で剣と盾を構えている。瞳には硬質な光があり、わずかな乱れもない。生真面目な兵士のような静けさ。
左に立つ少女は、口元だけを楽しげに歪めていた。笑っている。だが、その笑みに温度はない。指先には赤黒いデータの糸が絡み、空中の情報層を舐めるように揺れていた。
「エルフィ」
ベアトが右の少女を呼ぶ。
「はい。都市の敵性因子を確認しました」
エルフィの声は澄んでいた。
だが感情はなかった。
「フィーナ」
「あは。やっと遊べるのね」
フィーナは目を細める。
「壊していい? ねえ、ベアト。外から? それとも中から?」
「好きになさい。ただし、ヴェロニカはまだ壊しすぎないで。あの子には、もっと綺麗な絶望を見せてあげたいの」
「了解」
フィーナは舌なめずりするように笑った。
ハルカが小さく震えた。
「……ヴェロニカ。あの二人、変だよ」
「何が見える」
「生きてる。でも、風が避けてる。悲鳴がない。怒りも、怖さも、痛みも、奥に閉じ込められてるみたい」
ハルカの感応は、普通なら人や街の気配を拾う。
だが、エルフィとフィーナから返ってくるのは、閉じた白い壁のような冷たさだけだった。
キョウカが拳を鳴らす。
「つまり、ベアトが作った人形ってことかよ」
「人形ではないわ」
ベアトが笑う。
「都市の免疫よ。汚染を見つけ、切除する。今のこの子たちにとって、貴女たちこそが病巣なの」
エルフィが一歩踏み出した。
「対象、ヴェロニカ。異能反応、反逆履歴、都市秩序への干渉を確認」
彼女の剣に白銀の魔力が集まる。
「排除します」
次の瞬間、エルフィの姿が消えた。
ヴェロニカは反射で剣を上げる。
硬質な衝撃。
細身の魔力剣が、ヴェロニカの刃を押し込んでいた。
「速い……!」
ヴェロニカは歯を食いしばる。
エルフィの攻撃は派手ではない。
炎も、雷も、毒もない。
ただ、純粋に速く、重く、正確だった。
踏み込み、角度、重心、魔力の圧縮。
全てが無駄なく組み上げられている。
都市の免疫という言葉通り、彼女の剣は病変を切除するための外科器具のようだった。
「どけ、ヴェロニカ!」
キョウカが横から飛び込む。
拳を超高密度化し、エルフィの盾へ叩きつけた。
轟音が鳴る。
瓦礫が跳ねる。
だが、エルフィは半歩下がっただけだった。
「っ、硬ぇ……!」
「物理衝撃を確認。盾面構造、再調整」
エルフィの盾に光の格子が走る。
次の瞬間、盾がキョウカの拳を斜めに受け流した。キョウカの巨力が地面へ逃がされ、足元の瓦礫だけが大きく砕ける。
「この……!」
キョウカが再び踏み込もうとする。
だが、その足元に赤黒い糸が絡んだ。
「あははっ。力任せの子、嫌いじゃないよ」
フィーナが指を弾く。
「でも、強い体って、中身を少しずらすとすごく面白く壊れるんだよね」
「キョウカ、下がって!」
アリスが叫び、妨害信号を打ち込んだ。
フィーナのデータ糸が弾ける。
キョウカは舌打ちしながら後退した。
「何だ今の、気色悪ぃ!」
「神経信号に直接触ろうとしてた。あの子、機械だけじゃなく、生体の情報層にも侵食できる」
アリスはフィーナを睨む。
「あはっ。性格悪いね」
「あなたも、なかなか良い目をしてる」
フィーナはアリスへ視線を向けた。
「あなたの中、ぐちゃぐちゃで面白そう。計算、嘘、恐怖、好奇心。ねえ、少しだけ中を見せてよ」
「お断り。私の頭の中は有料だよ」
アリスは即席の防壁を展開する。
赤黒い侵食糸が防壁へ触れ、火花が散った。
「ヴェロニカ!」
ハルカが両手を広げた。
冷たい風が走る。
ハルカは周囲の温度差を作り出し、エルフィの踏み込みをわずかに鈍らせようとした。さらに気圧を変え、フィーナのデータ糸を運ぶ微細な粒子の流れを乱す。
だが、フィーナは楽しそうに笑った。
「あは。風で通信経路を曲げるんだ。かわいいね」
赤黒い糸が、風の隙間を縫うように形を変える。
ハルカは息を呑む。
「……来る!」
ヴェロニカが前へ出た。
蒼い翼でハルカの前を覆い、フィーナの糸を剣で断つ。
その直後、エルフィの剣がヴェロニカの肩をかすめた。
布が裂け、浅い痛みが走る。
ヴェロニカは距離を取った。
双子は並んで立っている。
エルフィが外殻を崩し、フィーナが内部を侵食する。
物理と情報。
剣と糸。
盾とウイルス。
その連携には、無駄がなかった。
アリスの声が低くなる。
「あれ、まずいよ。エルフィが物理的な防御を壊して、フィーナが開いた隙間から情報を侵す。機械相手なら即死。異能者相手でも、触れられたら制御をずらされる」
「対応策は」
「ある」
アリスは即答した。
「触られないこと」
「それは策とは言わん」
「分かってるよ!」
ベアトの笑い声が響く。
「どうしたの、ヴェロニカ。嬉しいでしょう? 同胞よ。貴女が求めてやまなかった、エルフの生き残り。さあ、救ってみせなさい。できるものなら」
ヴェロニカは双子を見た。
怒りがある。
ベアトへの怒り。
同胞を利用された怒り。
そして、目の前の二人を斬らなければならないかもしれないという、重い痛み。
だが、その痛みに膝を折ることはなかった。
かつての自分なら、ベアトの言葉に揺らいでいただろう。
一族。
同胞。
再興。
その言葉は、長い間ヴェロニカの鎖だった。
しかし今は違う。
彼女には、守るべき現在がある。
アリスがいる。
キョウカとハルカがいる。
ルナがいる。
瓦礫の街で生きる人々がいる。
失われた同胞のために、今いる者を差し出すことはできない。
「エルフィ。フィーナ」
ヴェロニカは剣を構え直した。
「聞こえているかは分からん。だが、言っておく」
双子は無表情に彼女を見返す。
「私は貴様たちを、ベアトの作品とは認めない。都市の免疫とも呼ばない」
左頬の星型の痣が蒼く輝く。
「貴様たちは、私の同胞だ」
エルフィの剣がわずかに揺れた。
ほんの一瞬。
見間違いかもしれないほど小さな揺らぎ。
だが、ヴェロニカは見逃さなかった。
「だからこそ、私は戦う」
ヴェロニカの声が強くなる。
「救えるなら救う。救えないなら、せめてベアトの道具として終わらせはしない」
「対象の発言、ノイズと判断」
エルフィが剣を構える。
フィーナは笑った。
「ノイズって、綺麗に潰すと気持ちいいよね」
ヴェロニカは一歩踏み込んだ。
「来い」
蒼い翼が広がる。
「その呪縛を、私の剣で断つ」
エルフィが疾走する。
フィーナの糸が空間を満たす。
キョウカが拳を構え、ハルカが風を呼び、アリスが端末を叩く。
ベアトの嘲笑が降り注ぐ狂える神の庭で。
エルフの生き残りを巡る、残酷な戦いの幕が上がった。