紅蓮都市の闇夜 -オーバークロック・ガーデン-   作:A&T

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episode22 双子の免疫

 白銀の初期化波が、瓦礫の街をゆっくりと侵食していた。

 

 焚き火の跡も、仮設住宅も、壊れた看板も、人々が運び出した木材も、次々と輪郭だけのワイヤーフレームへ変わっていく。色が抜け、重さが抜け、そこにあったはずの生活の手触りが、ただの設計情報へ還元されていく。

 

 ヴェロニカは剣を構えたまま、前方にそびえる黒い巨塔を見上げた。

 

 ガーデン・コア。

 

 都市の最奥に封じられていた、原初の演算中枢。

 

 その前に立つベアトは、もはやかつての肉体を持つ女ではなかった。肌には銀色の回路が走り、背からは黄金のケーブルが無数に伸びている。彼女の笑みは、慈愛でも怒りでもなく、壊れた舞台で一人芝居を続ける道化のそれに近かった。

 

「さあ、もっと抗ってちょうだい。ヴェロニカ。貴女たちの自由が、どれだけ私の庭を汚せるのか、最後まで見届けてあげる」

 

「……黙れ」

 

 ヴェロニカは低く言った。

 

 だが、足元は重い。

 

 初期化の波動が近づくたび、自分の魔力の輪郭が薄れていく。左頬の星型の痣はまだ蒼く輝いているが、その光さえ、世界そのものに不要な情報として削られつつあった。

 

 キョウカは拳を握りしめている。

 

 その拳は、いつものように超高密度化しようとしていた。だが、ガーデン・コアの初期化は、異能という現象そのものを「誤差」として扱っている。力が集まる前に、手応えが白くほどけていく。

 

「チッ……気持ち悪ぃ。殴り方は分かってんのに、拳の中身だけ抜けていくみてえだ」

 

 ハルカは空へ手を伸ばしていた。

 

 しかし、彼女の周囲にあるはずの風も、温度も、湿度も、今は数字へ変えられようとしている。雲を呼ぼうとしても、空の方が自分の名前を忘れていくようだった。

 

「……風が、遠い。すぐそこにあるのに、触れない……」

 

 アリスは焼けかけた手製端末に指を走らせていた。

 

 画面にはノイズしか映らない。だが、アリスは諦めない。かつて組織に与えられた端末はもうない。けれど、彼女の頭脳と指先は、まだ生きている。

 

「あはっ……冗談みたいな規模だね。都市の起源に直結したベアト相手に、ジャンク端末一個で殴り込みとか、普通なら笑うところだよ」

 

「笑っているではないか」

 

「怖いから笑ってるんだよ、ヴェロニカ」

 

 その時だった。

 

 アリスの端末に、一瞬だけ白い反応が走った。

 

 彼女の表情が変わる。

 

「……待って」

 

「何だ」

 

「あの起源の壁の内側に、生体反応がある」

 

 アリスの声から軽さが消えた。

 

「しかも、二つ」

 

 ヴェロニカが目を細める。

 

 ベアトは、まるでその反応を待っていたかのように、優雅に指を鳴らした。

 

 黄金の光が割れる。

 

 起源の壁の内側から、二つの影が静かに歩み出た。

 

 白銀の髪。

 

 尖った耳。

 

 細く整った四肢。

 

 瓜二つの顔立ち。

 

 それは、ヴェロニカと同じ特徴を持つ少女たちだった。

 

「……エルフ、だと……?」

 

 ヴェロニカの声が、かすかに揺れた。

 

 滅びゆく種族。

 

 この都市で、自分一人だけが最後の生き残りだと思っていた。

 

 その孤独を、ベアトは利用した。

 

 一族の再興という餌をちらつかせ、ヴェロニカをガーデンに縛りつけた。

 

 だからこそ、目の前に現れた同胞の姿は、剣よりも深く彼女の胸を抉った。

 

「驚いたかしら、ヴェロニカ?」

 

 ベアトは楽しげに笑った。

 

「貴女が最後の一人だなんて、誰が言ったの?」

 

 彼女は双子の肩に手を置く。

 

 まるで美しい人形を見せびらかすように。

 

「この子たちは、かつて私が採取したエルフの系譜から、もっともコア適性の高い個体を培養し続けたもの。名前はエルフィとフィーナ。都市の免疫システムとして完成された、純血の防衛機構よ」

 

「採取……培養……」

 

 ヴェロニカの声が低くなる。

 

「貴様は……同胞を救うと言いながら、その裏で、彼らの命をシステムの部品として弄んでいたのか」

 

「部品ではないわ。作品よ」

 

 ベアトは微笑む。

 

「貴女のように泥と感情で汚れた野良のエルフとは違う。都市の均衡を保つために磨き上げた、綺麗な刃」

 

 双子は何も言わなかった。

 

 右に立つ少女は、整った姿勢で剣と盾を構えている。瞳には硬質な光があり、わずかな乱れもない。生真面目な兵士のような静けさ。

 

 左に立つ少女は、口元だけを楽しげに歪めていた。笑っている。だが、その笑みに温度はない。指先には赤黒いデータの糸が絡み、空中の情報層を舐めるように揺れていた。

 

「エルフィ」

 

 ベアトが右の少女を呼ぶ。

 

「はい。都市の敵性因子を確認しました」

 

 エルフィの声は澄んでいた。

 

 だが感情はなかった。

 

「フィーナ」

 

「あは。やっと遊べるのね」

 

 フィーナは目を細める。

 

「壊していい? ねえ、ベアト。外から? それとも中から?」

 

「好きになさい。ただし、ヴェロニカはまだ壊しすぎないで。あの子には、もっと綺麗な絶望を見せてあげたいの」

 

「了解」

 

 フィーナは舌なめずりするように笑った。

 

 ハルカが小さく震えた。

 

「……ヴェロニカ。あの二人、変だよ」

 

「何が見える」

 

「生きてる。でも、風が避けてる。悲鳴がない。怒りも、怖さも、痛みも、奥に閉じ込められてるみたい」

 

 ハルカの感応は、普通なら人や街の気配を拾う。

 

 だが、エルフィとフィーナから返ってくるのは、閉じた白い壁のような冷たさだけだった。

 

 キョウカが拳を鳴らす。

 

「つまり、ベアトが作った人形ってことかよ」

 

「人形ではないわ」

 

 ベアトが笑う。

 

「都市の免疫よ。汚染を見つけ、切除する。今のこの子たちにとって、貴女たちこそが病巣なの」

 

 エルフィが一歩踏み出した。

 

「対象、ヴェロニカ。異能反応、反逆履歴、都市秩序への干渉を確認」

 

 彼女の剣に白銀の魔力が集まる。

 

「排除します」

 

 次の瞬間、エルフィの姿が消えた。

 

 ヴェロニカは反射で剣を上げる。

 

 硬質な衝撃。

 

 細身の魔力剣が、ヴェロニカの刃を押し込んでいた。

 

「速い……!」

 

 ヴェロニカは歯を食いしばる。

 

 エルフィの攻撃は派手ではない。

 

 炎も、雷も、毒もない。

 

 ただ、純粋に速く、重く、正確だった。

 

 踏み込み、角度、重心、魔力の圧縮。

 

 全てが無駄なく組み上げられている。

 

 都市の免疫という言葉通り、彼女の剣は病変を切除するための外科器具のようだった。

 

「どけ、ヴェロニカ!」

 

 キョウカが横から飛び込む。

 

 拳を超高密度化し、エルフィの盾へ叩きつけた。

 

 轟音が鳴る。

 

 瓦礫が跳ねる。

 

 だが、エルフィは半歩下がっただけだった。

 

「っ、硬ぇ……!」

 

「物理衝撃を確認。盾面構造、再調整」

 

 エルフィの盾に光の格子が走る。

 

 次の瞬間、盾がキョウカの拳を斜めに受け流した。キョウカの巨力が地面へ逃がされ、足元の瓦礫だけが大きく砕ける。

 

「この……!」

 

 キョウカが再び踏み込もうとする。

 

 だが、その足元に赤黒い糸が絡んだ。

 

「あははっ。力任せの子、嫌いじゃないよ」

 

 フィーナが指を弾く。

 

「でも、強い体って、中身を少しずらすとすごく面白く壊れるんだよね」

 

「キョウカ、下がって!」

 

 アリスが叫び、妨害信号を打ち込んだ。

 

 フィーナのデータ糸が弾ける。

 

 キョウカは舌打ちしながら後退した。

 

「何だ今の、気色悪ぃ!」

 

「神経信号に直接触ろうとしてた。あの子、機械だけじゃなく、生体の情報層にも侵食できる」

 

 アリスはフィーナを睨む。

 

「あはっ。性格悪いね」

 

「あなたも、なかなか良い目をしてる」

 

 フィーナはアリスへ視線を向けた。

 

「あなたの中、ぐちゃぐちゃで面白そう。計算、嘘、恐怖、好奇心。ねえ、少しだけ中を見せてよ」

 

「お断り。私の頭の中は有料だよ」

 

 アリスは即席の防壁を展開する。

 

 赤黒い侵食糸が防壁へ触れ、火花が散った。

 

「ヴェロニカ!」

 

 ハルカが両手を広げた。

 

 冷たい風が走る。

 

 ハルカは周囲の温度差を作り出し、エルフィの踏み込みをわずかに鈍らせようとした。さらに気圧を変え、フィーナのデータ糸を運ぶ微細な粒子の流れを乱す。

 

 だが、フィーナは楽しそうに笑った。

 

「あは。風で通信経路を曲げるんだ。かわいいね」

 

 赤黒い糸が、風の隙間を縫うように形を変える。

 

 ハルカは息を呑む。

 

「……来る!」

 

 ヴェロニカが前へ出た。

 

 蒼い翼でハルカの前を覆い、フィーナの糸を剣で断つ。

 

 その直後、エルフィの剣がヴェロニカの肩をかすめた。

 

 布が裂け、浅い痛みが走る。

 

 ヴェロニカは距離を取った。

 

 双子は並んで立っている。

 

 エルフィが外殻を崩し、フィーナが内部を侵食する。

 

 物理と情報。

 

 剣と糸。

 

 盾とウイルス。

 

 その連携には、無駄がなかった。

 

 アリスの声が低くなる。

 

「あれ、まずいよ。エルフィが物理的な防御を壊して、フィーナが開いた隙間から情報を侵す。機械相手なら即死。異能者相手でも、触れられたら制御をずらされる」

 

「対応策は」

 

「ある」

 

 アリスは即答した。

 

「触られないこと」

 

「それは策とは言わん」

 

「分かってるよ!」

 

 ベアトの笑い声が響く。

 

「どうしたの、ヴェロニカ。嬉しいでしょう? 同胞よ。貴女が求めてやまなかった、エルフの生き残り。さあ、救ってみせなさい。できるものなら」

 

 ヴェロニカは双子を見た。

 

 怒りがある。

 

 ベアトへの怒り。

 

 同胞を利用された怒り。

 

 そして、目の前の二人を斬らなければならないかもしれないという、重い痛み。

 

 だが、その痛みに膝を折ることはなかった。

 

 かつての自分なら、ベアトの言葉に揺らいでいただろう。

 

 一族。

 

 同胞。

 

 再興。

 

 その言葉は、長い間ヴェロニカの鎖だった。

 

 しかし今は違う。

 

 彼女には、守るべき現在がある。

 

 アリスがいる。

 

 キョウカとハルカがいる。

 

 ルナがいる。

 

 瓦礫の街で生きる人々がいる。

 

 失われた同胞のために、今いる者を差し出すことはできない。

 

「エルフィ。フィーナ」

 

 ヴェロニカは剣を構え直した。

 

「聞こえているかは分からん。だが、言っておく」

 

 双子は無表情に彼女を見返す。

 

「私は貴様たちを、ベアトの作品とは認めない。都市の免疫とも呼ばない」

 

 左頬の星型の痣が蒼く輝く。

 

「貴様たちは、私の同胞だ」

 

 エルフィの剣がわずかに揺れた。

 

 ほんの一瞬。

 

 見間違いかもしれないほど小さな揺らぎ。

 

 だが、ヴェロニカは見逃さなかった。

 

「だからこそ、私は戦う」

 

 ヴェロニカの声が強くなる。

 

「救えるなら救う。救えないなら、せめてベアトの道具として終わらせはしない」

 

「対象の発言、ノイズと判断」

 

 エルフィが剣を構える。

 

 フィーナは笑った。

 

「ノイズって、綺麗に潰すと気持ちいいよね」

 

 ヴェロニカは一歩踏み込んだ。

 

「来い」

 

 蒼い翼が広がる。

 

「その呪縛を、私の剣で断つ」

 

 エルフィが疾走する。

 

 フィーナの糸が空間を満たす。

 

 キョウカが拳を構え、ハルカが風を呼び、アリスが端末を叩く。

 

 ベアトの嘲笑が降り注ぐ狂える神の庭で。

 

 エルフの生き残りを巡る、残酷な戦いの幕が上がった。

 

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