紅蓮都市の闇夜 -オーバークロック・ガーデン-   作:A&T

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episode25 最後のハート

 コアの最深部は、狂気の祭壇と化していた。

 

 黄金の神経網が、天井も壁もない空間を這い回っている。脈打つたびに、黒い柱が震え、床の下で膨大な情報が渦を巻いた。都市の起源。ガーデン・コア。その中心に、ベアトは立っていた。

 

 銀色の回路に覆われた肌。

 

 背後から伸びる黄金のケーブル。

 

 そして、歪んだ月桂冠。

 

 彼女はもう、人ではなかった。

 

 だが、その笑い声だけは、あの空中庭園で聞いたものと同じだった。

 

「あはははは! 壊しなさい! 奪い合いなさい! 傷つけ、支配し、最後には誰かの上に立とうとする! それが貴女たち人間の本能でしょう!?」

 

 ベアトの叫びに呼応し、エルフィとフィーナが動いた。

 

 エルフィは盾を構え、白銀の魔力剣を低く引く。

 

 フィーナは赤黒いデータ糸を指に絡ませ、愉悦に濡れた笑みを浮かべている。

 

「対象、ヴェロニカ。対象、ルナ。コアへの干渉を確認」

 

 エルフィが静かに告げた。

 

「排除します」

 

「ねえ、ベアト」

 

 フィーナが甘えるように言う。

 

「ルナは壊していいの? それとも、きれいに剥がしてから飾る?」

 

「ルナは駄目よ」

 

 ベアトは笑う。

 

「あの子は心臓。私の庭に必要な最後の苗床。壊すなら、その周りの欠陥品たちになさい」

 

「あはっ。じゃあ、ヴェロニカの翼からにする」

 

 フィーナの視線がヴェロニカの蒼い翼へ絡みついた。

 

「一枚ずつ、記憶ごと剥がしたら、どんな顔をするのかな」

 

 ヴェロニカはルナを背に庇い、剣を構えた。

 

 その刃は欠けている。

 

 魔力の翼も、幾度も切り裂かれて輪郭が揺らいでいる。

 

 それでも、彼女の眼差しは折れていなかった。

 

「フィーナ」

 

 ヴェロニカは名を呼ぶ。

 

「貴女は本当に、それを望んでいるのか」

 

「望む?」

 

 フィーナは首を傾げた。

 

「望むって何? 壊したいから壊す。楽しいから笑う。それ以外に何がいるの?」

 

「痛みを隠すために笑っているだけではないのか」

 

 その言葉に、フィーナの糸が一瞬だけ震えた。

 

 笑みが深まる。

 

 だが、目の奥に小さな亀裂が走った。

 

「……嫌い」

 

「そうか」

 

「あなた、嫌い。分かったような顔をするから」

 

「分かったつもりはない」

 

 ヴェロニカは剣先を下げない。

 

「だから聞いている」

 

「うるさい!」

 

 フィーナの糸が空間を裂くように伸びた。

 

 同時に、エルフィが踏み込む。

 

 剣と盾。

 

 糸と侵食。

 

 二つの攻撃が、ヴェロニカとルナを挟み込もうとした。

 

 だが、その直前。

 

「――どけってんだよ、人形どもッ!!」

 

 轟音。

 

 コアの外壁が砕け、白銀の衝撃光を纏った拳が飛び込んできた。

 

 キョウカだった。

 

 異能によって一瞬だけあり得ない密度に高められた拳が、空気を押し潰し、床を沈ませ、エルフィの盾へ真正面から叩きつけられた。

 

 盾が軋む。

 

 エルフィの足が、透明な床を削って後退した。

 

「物理衝撃、再計算」

 

「計算してる暇なんかやるかよ!」

 

 キョウカは歯を剥いて笑った。

 

「本能だぁ? 笑わせんな! アタシの本能はな、ムカつく奴の面を殴れって言ってんだよ!」

 

「粗暴な定義です」

 

 エルフィが盾を構え直す。

 

「ですが、強い」

 

「へっ。褒め言葉として受け取っとくぜ」

 

 キョウカの拳が再び唸る。

 

 エルフィの剣が振り下ろされる。

 

 怪力と防衛機構が、真正面から衝突した。

 

 その横を、フィーナの糸が蛇のようにすり抜ける。

 

「邪魔しないでね、怪力女。私はルナとヴェロニカで遊びたいの」

 

「……あなたの相手は、私」

 

 静かな声がした。

 

 ハルカが、霧の中から現れた。

 

 彼女の周囲に、空気の層が幾重にも重なっている。熱い空気、冷たい空気、湿った空気、乾いた空気。それらを繊細に編み込み、フィーナの糸が進む道を狂わせていた。

 

「フィーナさん。あなたの毒は、もう怖くない」

 

「へえ。さっきは怖がってたのに」

 

「怖いよ」

 

 ハルカは素直に答えた。

 

「でも、怖いから見える。どこから来るか、どこへ入ろうとしているか」

 

 彼女が手を握る。

 

 コア内部の空気が一瞬で引き絞られ、局所的な低圧域が生まれた。フィーナのデータ糸が伝わるための微細な媒体が断たれ、赤黒い侵食が空中でほどけていく。

 

「あなたの糸は、風に乗る。なら、風を変えれば届かない」

 

「……嫌な子」

 

 フィーナは笑う。

 

 しかし、その笑みには明らかな苛立ちが混じっていた。

 

「静かそうな顔して、すごく意地悪」

 

「お姉ちゃんと一緒に逃げてきたから」

 

 ハルカの周囲に雨粒が浮かぶ。

 

「生き残るための意地悪なら、たくさん覚えたよ」

 

 雨粒が弾け、赤黒い糸の輪郭を浮かび上がらせる。

 

「アリス」

 

「見えてる!」

 

 アリスが壊れかけの端末に指を走らせた。

 

 手袋の残存インターフェースが火花を散らす。指先に薄く血が滲むが、アリスは止まらない。

 

「あはっ、フィーナ。あなたの糸、性格が悪いね。持ち主そっくり」

 

「褒めてる?」

 

「半分くらいは」

 

「残り半分は?」

 

「消し飛ばす」

 

 アリスの妨害信号がフィーナの糸へ叩き込まれる。

 

 フィーナが初めて、顔を歪めた。

 

「……っ、痛い」

 

 その声は小さかった。

 

 だが、ハルカは聞き逃さなかった。

 

「フィーナさん」

 

「何よ」

 

「痛いって、言えたね」

 

 フィーナの瞳が揺れる。

 

 ベアトが苛立たしげに叫んだ。

 

「フィーナ! 余計な感情を拾うな! 貴女は私の刃よ!」

 

「……私は」

 

 フィーナの唇が動く。

 

 けれど言葉は続かない。

 

 その隙に、ハルカの風がフィーナの周囲を包み込み、彼女の侵食糸をさらに遠ざけた。

 

 一方、キョウカとエルフィの戦いは激しさを増していた。

 

 エルフィの盾は、キョウカの拳を受けるたびに形を変え、衝撃を逃がす。都市の免疫システムとして最適化された防御。普通なら、どんな物理攻撃も届かない。

 

 だが、キョウカは止まらない。

 

「何度でも受け流してみろよ!」

 

 拳。

 

 拳。

 

 拳。

 

 彼女は技術で勝っているわけではない。

 

 計算でもない。

 

 ただ、自分の守りたい場所へ続く壁を、正面から殴り続けている。

 

「非効率です」

 

 エルフィが言う。

 

「同じ攻撃の反復に意味はありません」

 

「ある」

 

「ありません」

 

「あるんだよ!」

 

 キョウカの拳が盾へ突き刺さるように沈んだ。

 

 エルフィの表情がわずかに変わる。

 

「なぜ」

 

「一発目で駄目でも、二発目でひびが入る。二発目で駄目なら、三発目で少し沈む」

 

 キョウカは笑う。

 

「守りたいもんがある奴はな、効率なんか知らねえんだよ!」

 

 最後の一撃。

 

 キョウカの拳が、限界まで超高密度化する。

 

 白銀の衝撃光が奔り、エルフィの盾を真正面から貫いた。

 

 盾が砕けた。

 

 鋼の防壁が結晶のように散る。

 

 エルフィは後ろへ下がり、初めて自分の空いた左手を見た。

 

「盾が……」

 

「なあ、エルフィ」

 

 キョウカは肩で息をしながら言った。

 

「それ、守るためのもんだろ。ベアトの後ろで突っ立ってるためじゃねえ」

 

「守る……」

 

 エルフィの瞳が揺れる。

 

「私は、都市を守る盾」

 

「違うだろ」

 

 キョウカは拳を下ろさない。

 

「お前が本当に守りたかったもん、まだ思い出せねえのかよ」

 

 エルフィは答えなかった。

 

 しかし、その剣先がわずかに下がる。

 

 ベアトの顔が歪んだ。

 

「役立たずどもが……! 私が与えた形すら保てないの!?」

 

 その声が、エルフィとフィーナを貫いた。

 

 二人の体に走る銀色の回路が、赤黒く染まる。

 

「エルフィ、フィーナ。再同期。余計なノイズを削除しなさい」

 

 双子が呻く。

 

 エルフィは頭を押さえ、フィーナは笑おうとして失敗した。

 

「ベアト……」

 

 エルフィが呟く。

 

「私は……」

 

「私は、何?」

 

 ベアトが冷たく言う。

 

「貴女たちは私の作品。私の免疫。私の庭を守るための美しい標本。それ以外の名前など不要よ」

 

「……名前」

 

 フィーナが震える声で笑う。

 

「私、フィーナって呼ばれた時、少し……変だった」

 

 ハルカが小さく頷く。

 

「うん。それが、あなた」

 

「うるさい……でも、そうかも」

 

 フィーナの赤黒い糸が、一瞬だけベアトの黄金ケーブルへ向かった。

 

 だが、ベアトの支配は早かった。

 

「反抗? 私の中で生まれた子たちが、私に?」

 

 黄金のケーブルが双子を締め上げる。

 

 エルフィとフィーナの瞳から、再び光が消えかける。

 

 ヴェロニカが叫んだ。

 

「ベアト! 貴様はどこまで奪えば気が済む!」

 

「奪う?」

 

 ベアトは笑った。

 

「違うわ。返しているのよ。ばらばらで、醜くて、痛みに満ちた個体を、私という根へ戻してあげる。みんなが私の一部になれば、孤独も恐怖もなくなる」

 

「それは救いではない」

 

 ヴェロニカはルナを背負い直した。

 

 ルナの体は、もう半ば光になっていた。

 

 指先が透け、髪の先が粒子になってほどけている。

 

 それでも、ルナはヴェロニカの首に腕を回した。

 

「ヴェロニカ」

 

「ルナ」

 

「ルナ、分かったの」

 

 声は小さい。

 

 けれど、コア全体に優しく響いた。

 

「笑っているのが、正しいんじゃない」

 

 ヴェロニカは足を止めない。

 

 アリスがベアトの防壁をこじ開ける。

 

 キョウカがエルフィの動きを押さえ、ハルカがフィーナの糸を遠ざける。

 

 その隙間を、ヴェロニカは走る。

 

「かなしい時に、かなしい顔をしていい。こわい時に、こわいって言っていい」

 

 ルナの肌に、初めて確かな温もりがあった。

 

「だいすきな人と、同じ場所で、同じ痛みを持って、それでも一緒にいるのが……ハートなんだね」

 

 ヴェロニカの喉が詰まる。

 

「ルナ、貴女は――」

 

「ヴェロニカ」

 

 ルナは静かに笑った。

 

 涙のような光が、彼女の瞳からこぼれた。

 

「泣いてる?」

 

「……泣いていない」

 

「うそ」

 

「そうだ。嘘だ」

 

 ヴェロニカは認めた。

 

 ルナは少しだけ嬉しそうに笑った。

 

「ヴェロニカが、ルナと同じ顔してる」

 

「同じ顔?」

 

「かなしい顔」

 

 ルナの腕が、ヴェロニカの首にぎゅっと回る。

 

「ルナ、うれしい。ひとりじゃないって、こういうことなんだね」

 

 その時、アリスが叫んだ。

 

「ヴェロニカ! 道、開いた! でも長く持たない!」

 

 ヴェロニカは前を見る。

 

 ベアトの眼前。

 

 ガーデン・コアの中心。

 

 黄金の神経網の奥に、黒い深淵が口を開けていた。

 

 そこが、ベアトの意志が絡みついた根だった。

 

 ベアトは怒りに顔を歪める。

 

「やめなさい。そこに触れるな。そこは私の庭の根よ。私の痛み、私の救済、私の世界!」

 

「ベアト」

 

 ヴェロニカは剣を構える。

 

「貴女の痛みは、本物だったのだろう」

 

 ベアトの表情が一瞬止まる。

 

「世界に焼き払われ、実験台にされ、都市の悲鳴を流し込まれ続けた。その痛みは、確かに貴女のものだった」

 

「分かったような口を……!」

 

「分からない」

 

 ヴェロニカは言った。

 

「だが、貴女がその痛みで他者を縛ったことは、許さない」

 

 ベアトの瞳が燃える。

 

「ならば一緒に消えなさい! 私を拒む世界など、最初から要らない!」

 

 黄金のケーブルが全方位から襲いかかる。

 

 エルフィとフィーナも、ベアトの強制同期に縛られたまま動き出そうとした。

 

 だが、その瞬間。

 

「……通しません」

 

 エルフィが、自分の剣で黄金ケーブルを切った。

 

 ベアトが目を見開く。

 

「エルフィ?」

 

「私は、盾」

 

 エルフィの声は震えていた。

 

「でも、何を守るかは……私が決めます」

 

 フィーナも笑った。

 

 今度の笑みは、残忍なものではなかった。

 

 泣きそうで、壊れそうで、それでも自由な笑みだった。

 

「ベアト。私、あなたの中に戻るの嫌」

 

 赤黒い糸が、黄金ケーブルへ絡みつく。

 

「痛いの嫌。でも、何も感じないのは、もっと嫌」

 

「貴女たち……!」

 

 ベアトの声が怒りに震える。

 

 エルフィとフィーナの体が光の粒子へほどけ始める。

 

 ガーデン・コアと直結した彼女たちは、ベアトの根が断たれれば共に消える。

 

 二人も、それを理解していた。

 

 エルフィがヴェロニカを見る。

 

「同胞」

 

 初めて、彼女はその言葉を自分の意志で口にした。

 

「私たちは、救われますか」

 

 ヴェロニカは答えるまでに、一瞬だけ息を呑んだ。

 

「分からない」

 

 誤魔化さなかった。

 

「だが、少なくとも貴女たちは、ベアトの道具としては終わらない」

 

 エルフィは小さく頷いた。

 

「十分です」

 

 フィーナはハルカとアリスを見た。

 

「ねえ。私、最後に痛いって言えた」

 

 ハルカの瞳に涙が滲む。

 

「うん」

 

「それ、たぶん……私の声だった」

 

 アリスは唇を噛みながら笑った。

 

「あはっ。性格悪いけど、悪くない声だったよ」

 

「嫌いって言ったの、ちょっと嘘」

 

「私も嫌いじゃなかった」

 

 フィーナは満足そうに笑った。

 

 双子が、黄金ケーブルを押さえ込む。

 

「今です」

 

 エルフィが言った。

 

「行って」

 

 ヴェロニカは頷く。

 

「ありがとう」

 

 そして、最後の一歩を踏み出した。

 

 ルナが両手を前へ伸ばす。

 

 小さな指が、最後のハートを形作る。

 

 アリスが血の滲む指で最後の一鍵を叩いた。

 

「あはっ……ターゲット・ロック! 都市全データ、ルナちゃんの心臓へ全転送!」

 

 彼女は泣きながら笑う。

 

「さよならだ、クソババア!」

 

 街中の情報が、ルナの掌へ収束した。

 

 人々の声。

 

 瓦礫の記憶。

 

 止まった機械の願い。

 

 咲いた野の花の小さな命。

 

 そのすべてが、圧倒的な質量を持つ「拒絶」の意志へ変わる。

 

「やめなさい!」

 

 ベアトが叫ぶ。

 

「私の庭が、私の世界が、私の救済が!」

 

 ルナは、静かに首を横に振った。

 

「ベアト。みんな、あなたの花じゃないよ」

 

 その声は、優しかった。

 

「みんな、自分で咲きたいんだよ」

 

 ルナのハートが、ガーデン・コアの深淵へ触れた。

 

「――拒絶」

 

 白い光が爆ぜた。

 

「みんな、おやすみなさい」

 

 純粋な光が、コアの最深部を満たした。

 

 ベアトの黄金の神経網が、根元からほどけていく。銀色の回路も、月桂冠も、蝶の翅も、すべてが白い粒子へ変わっていった。

 

「嫌……嫌よ……! 私はまだ、庭を……世界を……!」

 

 ベアトは手を伸ばす。

 

 だが、その手はもう何も掴めない。

 

 彼女の背後で、すべてのバックアップ領域が白く焼き消えていく。月桂冠の残滓も、プロトコル・ローレルも、ガーデン・コアに刻まれた彼女の意志も、同時に崩壊していった。

 

 もう根は残らない。

 

 もう復元先はない。

 

 もう、ベアトが戻る場所はどこにもない。

 

「ヴェロニカ……!」

 

 最後に、ベアトは憎悪とも悲鳴ともつかない声で名を呼んだ。

 

「貴女たちの自由なんて……きっと、また痛むだけよ……!」

 

 ヴェロニカは光の中で答えた。

 

「それでも、生きている方がいい」

 

 ベアトの姿が砕けた。

 

 エルフィとフィーナも、同じ光の中でほどけていく。

 

 エルフィは静かに目を閉じた。

 

「……自由、という言葉を記録します」

 

 フィーナは小さく笑った。

 

「次があるなら、今度は最初から自分で笑いたいな」

 

 二人の姿は、白い花びらのように散った。

 

 ベアトと共に。

 

 ガーデン・コアの呪縛と共に。

 

 そして、ルナの体もまた、粉雪のようにほどけ始めていた。

 

「ルナ!」

 

 ヴェロニカが叫ぶ。

 

 腕の中の少女は、もうほとんど重さを失っていた。

 

 けれど、温かかった。

 

 確かに、温かかった。

 

「ヴェロニカ」

 

 ルナは微笑む。

 

「わらって」

 

「無理だ」

 

「うん。かなしいもんね」

 

「ああ」

 

「じゃあ、かなしい顔でいいよ」

 

 ルナは、ヴェロニカの頬に触れた。

 

「ルナ、みんなにハートをあげる。街が止まっても、みんなの中で、トクンってするように」

 

「ルナ、私は……」

 

「ヴェロニカ。だいすき」

 

 その言葉が、静かに届く。

 

「アリスの笑い声も、キョウカの大きな声も、ハルカの風も、みんな好き。スープも、花も、手をつなぐのも、怖いって言えたことも」

 

 ルナの瞳から、光の雫がこぼれた。

 

「ルナ、生まれてよかった」

 

 ヴェロニカは、声にならない息を漏らした。

 

 ルナは最後に、本物の笑みを浮かべた。

 

 貼り付いたものではない。

 

 命令でもない。

 

 世界の痛みを隠すための出力でもない。

 

 悲しみを知り、恐怖を知り、それでも誰かを愛した少女の笑みだった。

 

「みんな、おやすみ」

 

 光が、ほどけた。

 

 ヴェロニカの腕に残ったのは、かすかな温もりだけだった。

 

「ルナアアアアアアッ!!」

 

 叫びが、沈黙へ落ちていく世界に響いた。

 

 ガーデン・コアが停止する。

 

 黄金の神経網が消える。

 

 都市の光が、一つ、また一つと消えていく。

 

 ネオンも、端末も、AIの声も、配水ポンプの低い唸りも、すべてが静かに眠りについた。

 

 完全な夜が訪れた。

 

 だが、それは支配の夜ではなかった。

 

 誰かに管理されるための沈黙ではなかった。

 

 すべての呪縛を断ち切った後に残された、真っ暗で、自由な夜だった。

 

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