紅蓮都市の闇夜 -オーバークロック・ガーデン-   作:A&T

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episode5 入れ替わる猟犬たち

 凍てついた地下ホームに、レールの悲鳴が響いた。

 

 キョウカが振るった巨大な鉄道用レールを、ヴェロニカは紙一重でかわす。砕けたコンクリートが雨のように降り注ぎ、ホームの端に積もっていた氷片が一斉に跳ね上がった。

 

 キョウカは笑っていた。

 

 その笑みは獰猛で、挑発的で、どこか楽しげですらあった。

 

「いいねえ、エルフ女。今度こそ決着つけようぜ」

 

 巨大なガントレットが、暗闇の中で鈍く光る。

 

「前回は邪魔が入ったからな。今度は最後まで――」

 

 しかし、ヴェロニカはキョウカへ向かわなかった。

 

 彼女の視線は、キョウカの背後にいるハルカへ向けられていた。

 

 次の瞬間、ヴェロニカは地面を蹴る。

 

 キョウカの横をすり抜け、凍りついた線路の上を一気に駆け抜けた。

 

「なっ……!?」

 

 キョウカが目を見開く。

 

「おい、待て! アタシを無視すんじゃねえ!」

 

 ヴェロニカは振り返らない。

 

 彼女が選んだ相手は、キョウカではない。

 

 ハルカだった。

 

 ハルカは一瞬だけ意外そうに目を細めたが、すぐに静かな笑みを浮かべた。

 

「……お姉ちゃんじゃなくて、私なら勝てる……とでも思ったの?」

 

 その声は冷たい。

 

 だが、怒りではない。

 

 確認するような、試すような声だった。

 

 ヴェロニカは拳を構える。

 

「違う」

 

「じゃあ、どうして?」

 

「アリスを信頼している」

 

 その言葉に、ハルカの瞳がわずかに揺れた。

 

「アリスなら、キョウカをなんとかできる。そう判断した」

 

「……へえ」

 

 ハルカは少しだけ首を傾げる。

 

「仲間を信じて、分断したんだ」

 

「そうだ」

 

「組織の人なのに?」

 

「任務中の判断だ」

 

 ヴェロニカは低く答えた。

 

「それ以上でも以下でもない」

 

 ハルカは小さく笑った。

 

「嘘は下手だね」

 

 一方、取り残されたキョウカは不満を隠そうともしなかった。

 

「おいおいおい、マジかよ。アタシの相手がこいつか?」

 

 キョウカの視線の先には、アリスが立っていた。

 

 アリスは黒い手袋をひらひらと振り、いつもの不気味な笑みを浮かべる。

 

「あはっ。ひどいな。私じゃ不満?」

 

「不満に決まってんだろ。アタシはあのエルフ女をぶっ飛ばしたかったんだよ」

 

「じゃあ、まず私を片付ければいいじゃん」

 

 アリスは笑った。

 

「その後で先輩と遊びなよ」

 

「言われなくてもそうする」

 

 キョウカはレールを肩に担ぎ直した。

 

「テメェをぶっ潰してから、ヴェロニカを殴る。それで決まりだ」

 

「順番待ちとか律儀だね、キョウカちゃん」

 

「その呼び方やめろ」

 

「やだ」

 

 キョウカの足元が砕けた。

 

 次の瞬間、レールが横薙ぎに振るわれる。

 

 アリスは跳んだ。

 

 彼女の細い体が空中でひねられ、巨大な鉄の一撃を避ける。

 

 だが、レールは攻撃の本命ではなかった。

 

 キョウカは振り抜いた勢いのまま、床に転がる瓦礫を蹴り上げる。大小のコンクリート片が、アリスの退避方向へ飛んだ。

 

「うわ、嫌な置き方するね」

 

 アリスは空中で舌打ちする。

 

 着地候補が潰される。

 

 右へ逃げればレールの返しが来る。

 

 左へ逃げれば瓦礫にぶつかる。

 

 後ろへ下がれば線路脇の氷に足を取られる。

 

 キョウカは大雑把に見えて、逃げ道を削るのが上手い。

 

 アリスは笑っていた。

 

 だが、その胸の奥には、わずかな焦りがあった。

 

 相性が悪い。

 

 サイバーウェア頼りの敵なら、触れる前に殺せる。

 

 ドローンや自動兵器なら、呼吸をするより簡単に奪える。

 

 けれど、キョウカは違う。

 

 単純な肉体。

 

 制御器としてのガントレット。

 

 それを支える異能と、執念。

 

 アリスが最も嫌う、アナログの暴力だった。

 

「……ほんと、嫌になるね」

 

 アリスは着地直前、黒い手袋を線路へ触れさせた。

 

 残留電流を拾う。

 

 磁場を歪める。

 

 周囲の鉄片をわずかに引き寄せ、足場を作る。

 

 その上を滑るように移動し、キョウカの背後へ回り込んだ。

 

「あはっ。こっち」

 

「見えてんだよ!」

 

 キョウカは振り向かずに肘を打ち込んだ。

 

 アリスは目を見開く。

 

 咄嗟に身を反らす。

 

 肘が鼻先をかすめ、風圧だけで髪が乱れた。

 

「野生動物みたいな反応するじゃん」

 

「誰が動物だ!」

 

 キョウカが踏み込む。

 

 アリスは笑いながら後退した。

 

 その頃、ハルカとヴェロニカの戦いも始まっていた。

 

 ヴェロニカの動きは速い。

 

 地下ホームの柱を蹴り、壁を蹴り、天井近くの梁まで利用して、ハルカの周囲を疾走する。

 

 真正面から挑めば、キョウカほどではなくともハルカも危険だ。

 

 ならば、速度で崩す。

 

 ヴェロニカはそう判断していた。

 

 だが、ハルカは捕まらない。

 

 彼女は小柄な体を滑らせるように動かし、最小限の動作でヴェロニカの攻撃をかわし続けた。

 

 拳が空を切る。

 

 足払いが水たまりを裂く。

 

 壁際へ追い詰めたはずのハルカは、霧の屈折を利用して一瞬だけ距離感を狂わせ、ヴェロニカの横を抜ける。

 

「逃げてばかりでは勝てないぞ」

 

 ヴェロニカが低く言う。

 

 ハルカは息を乱さず、静かに答えた。

 

「逃げるのも、戦いでは大事だよ」

 

「相手を倒さなければ意味がない」

 

「倒されなければ、次がある」

 

 ハルカの足元で、水が波紋を作る。

 

「私たちは、そうやって生きてきた」

 

 その言葉に、ヴェロニカの眉がわずかに動いた。

 

 ハルカは逃げているだけではない。

 

 誘導している。

 

 ヴェロニカは踏み込みを止めた。

 

 足元。

 

 水たまり。

 

 不自然に広がった薄い水膜。

 

 気づいた瞬間、ハルカの声がした。

 

「もう遅いよ」

 

 水が凍った。

 

 ヴェロニカの両足が、一瞬で氷に拘束される。

 

 ハルカは手をかざす。

 

 天井の結露が集まり、氷の槍となって形成された。

 

「終わり」

 

 氷槍が放たれる。

 

 だが、ヴェロニカの顔に焦りはなかった。

 

「対策をしてきていないとでも思ったか」

 

 次の瞬間、彼女のブーツの底から炎が噴射した。

 

 小型の熱噴射装置。

 

 アリスが急造した、対氷結拘束用の装備だった。

 

 氷が割れる。

 

 ヴェロニカは拘束を抜け出し、迫る氷槍を拳で砕いた。

 

 ハルカは目を細める。

 

「……用意がいいね」

 

「二度も同じ手は食わん」

 

「でも」

 

 ハルカの笑みが、少しだけ深くなる。

 

「私の能力が、氷だけだと思ったの?」

 

 地下ホームの空気が変わった。

 

 上層へ続く崩落穴の奥で、黒い雲が渦巻く。

 

 ハルカが局所的に作り出した雷雲だった。

 

 湿度。

 

 気圧。

 

 温度差。

 

 地下に満ちる水分と、金属の線路。

 

 すべてが導線になる。

 

 ヴェロニカは上を見た。

 

 光。

 

 直後、雷が落ちた。

 

「ぐっ……!」

 

 青白い閃光がヴェロニカを貫く。

 

 彼女の体が大きく弾かれ、ホームの柱へ叩きつけられた。

 

 煙が上がる。

 

 スーツの一部が焦げ、左頬の星型の痣が強く脈打つ。

 

 ハルカは静かに見つめていた。

 

「……驚いた」

 

 素直な声だった。

 

「今ので倒れないんだ」

 

 ヴェロニカは柱に手をつき、ゆっくりと立ち上がった。

 

 呼吸は荒い。

 

 だが、目は死んでいない。

 

「この程度のダメージ……組織の訓練に比べれば、まだ軽い」

 

「……それ、自慢にならないよ」

 

 ハルカの声が少しだけ冷たくなる。

 

「そんな場所にいるから、あなたたちはおかしいんだね」

 

「任務に不要な感想だ」

 

「そうやって考えないふりをするんだ」

 

 ハルカは手を振った。

 

 線路脇に溜まっていた砂埃と砕けたコンクリート粉が、一気に巻き上がる。

 

 簡易的な砂嵐。

 

 視界が茶色に塗りつぶされる。

 

 ハルカの姿が消えた。

 

 直後、死角から氷の刃が飛ぶ。

 

 ヴェロニカは首を傾けて避ける。

 

 次は背後。

 

 さらに足元。

 

 ハルカは姿を隠しながら、細かく位置を変え、確実に急所を狙ってきた。

 

「……卑怯とは言わん」

 

 ヴェロニカは砂嵐の中で呟く。

 

「だが、姑息だな」

 

 砂の向こうからハルカの声が返る。

 

「……勝つのが、仕事なんでしょ? なら、私も勝つために……全部使う」

 

「学が少しばかり足りないようだな」

 

 ヴェロニカは拳を引く。

 

「姑息とは、その場しのぎという意味だ」

 

 左頬の星が輝く。

 

「卑怯だと非難しているのではない。貴様の策は、その場しのぎにすぎないと評価している」

 

 ヴェロニカの拳に、青白い魔力が集まる。

 

「視界を奪えば勝てると思ったか」

 

 次の瞬間、彼女は拳を振り抜いた。

 

 衝撃波が走る。

 

 砂嵐が真っ二つに裂けた。

 

 ハルカの姿が露わになる。

 

 その瞳に、初めて明確な警戒が浮かんだ。

 

 時間は少しだけ戻る。

 

 キョウカとアリスの戦いは、すでに泥仕合へ入りかけていた。

 

 アリスは余裕そうな口調を崩さない。

 

「あはっ。キョウカちゃん、動きが大きいよ。そんなに暴れると、天井が落ちてくるかも」

 

「落ちてきたら、まとめてぶっ壊す」

 

「ほんと発想が単純」

 

「単純なもんほど強いんだよ!」

 

 キョウカが瓦礫を投げる。

 

 ただ投げるだけではない。

 

 一つはアリスの右側。

 

 一つは左後方。

 

 一つは頭上の配管。

 

 逃げ道を切る。

 

 退路を狭める。

 

 アリスがどこへ動いても、キョウカの間合いへ戻されるように。

 

 アリスは内心で舌打ちした。

 

 厄介。

 

 本当に厄介。

 

 この姉、見た目ほど雑ではない。

 

「あはっ。頭も回るパワー系って、ゲームバランス壊れてない?」

 

「知らねえよ!」

 

 キョウカが踏み込む。

 

 アリスは手袋で壁に触れ、古い配電盤を起動させた。

 

 床に流れる微弱な電流。

 

 キョウカのガントレットに干渉し、一瞬だけ動きを鈍らせる。

 

 その隙にアリスは接近した。

 

 黒い手袋の指先が、キョウカの胸元へ触れる。

 

「捕まえた」

 

 ナノインターフェースが走る。

 

 ガントレットの制御器を経由し、キョウカの神経系へ干渉する。

 

 強制停止。

 

 筋肉信号を乱し、心拍と呼吸のリズムを崩す。

 

 キョウカの体が大きく跳ねた。

 

「ぐ、っ……!」

 

「あはっ……! さすがにタフだねえ、キョウカちゃん。普通なら今のだけで、心臓がポップコーンみたいに弾けてるはずなんだけど」

 

 アリスは笑った。

 

 勝った。

 

 そう思った。

 

 だが、キョウカの手が動いた。

 

「……誰が」

 

 震える指。

 

 血管が浮き上がり、目の焦点も合っていない。

 

 それでも、キョウカは動いた。

 

「止まるかよ……!」

 

 巨大な手が、アリスの顔面を掴んだ。

 

「っ……!?」

 

 アリスの笑みが固まる。

 

 キョウカの握力が、頭蓋を軋ませる寸前まで迫る。

 

「捕まえたのは、こっちだ」

 

 しかしアリスは、そこで終わらなかった。

 

 黒い手袋から微細な振動が走る。

 

 さらに、廃油と結露を利用して、皮膚と手袋の表面を滑らせる。

 

 彼女の体は、まるで液体のようにキョウカの手から抜けた。

 

 アリスは床を転がり、距離を取る。

 

「危な……っ。顔を掴むとか、女の子にすることじゃないよ」

 

「テメェが言うな!」

 

 キョウカは吠えた。

 

 だが、その膝が揺れる。

 

 先ほどの神経干渉は効いている。

 

 全身が悲鳴を上げているはずだった。

 

 アリスは再び手を伸ばす。

 

 今度こそ落とす。

 

 だが、キョウカはそこで前へ出た。

 

 理屈ではない。

 

 計算でもない。

 

 ただ、妹のもとへ行くという意志だけで、体を動かした。

 

 キョウカの拳が、空気を爆ぜさせながらアリスの視界を埋め尽くす。

 

「あ、が、っ……!?」

 

 アリスは咄嗟に磁場シールドを展開した。

 

 しかし、薄い防壁はキョウカの執念が乗った一撃の前では、紙細工に等しかった。

 

 拳が突き抜ける。

 

 衝撃が体を貫く。

 

 アリスの細い体は、糸の切れた人形のように弾き飛ばされ、地下ホームの壁へ叩きつけられた。

 

 轟音。

 

 壁が砕け、粉塵が舞う。

 

「げほっ、……あ、は……っ」

 

 崩れたコンクリートの中で、アリスは口元を押さえた。

 

 手袋に赤が滲む。

 

 背中が軋み、視界の半分がノイズのようにぼやける。

 

 それでも彼女は、笑った。

 

「……あは、……やっぱり、脳筋って……嫌いだよ……」

 

 キョウカもまた、無事ではなかった。

 

 その場に崩れ落ちそうになる体を、震える脚で必死に支えている。

 

 全身に走った神経干渉の反動で、呼吸は乱れ、視界も揺れていた。

 

 それでも、彼女は拳を握り直す。

 

「……待ってろ、ハルカ……」

 

 一歩。

 

 また一歩。

 

 キョウカは、妹とヴェロニカが戦う階下へ向かって歩き出した。

 

「今、行く……」

 

 地下の静寂に、キョウカの荒い息遣いが響く。

 

 崩れた壁の中では、アリスが力なく笑っていた。

 

「あはっ……ほんと、最悪……」

 

 その声は小さかった。

 

 けれど、完全には消えていない。

 

 キョウカは振り返らない。

 

 彼女の中にあるのは、ただ一つ。

 

 ハルカのもとへ行く。

 

 そのためだけに、壊れかけた体を前へ進めていた。

 

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