紅蓮都市の闇夜 -オーバークロック・ガーデン-   作:A&T

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episode6 死にぞこないの裏切り者

 地下ホームの壁を、キョウカの手が掴んだ。

 

 指先がコンクリートを削る。

 

 血の混じった咳が喉を焼き、視界はぼやけていた。それでも、キョウカは足を止めなかった。

 

 アリスとの戦闘で、体は限界を超えている。

 

 神経は焼けるように痺れ、腕も脚も、自分のものではないように重い。

 

 それでも。

 

 ハルカのいる場所へ行かなければならない。

 

「……ハルカ」

 

 かすれた声で名を呼び、キョウカは階下のフロアへ辿り着いた。

 

 その瞬間、彼女の瞳が絶望に染まる。

 

 冷たいコンクリートの上に、ハルカが横たわっていた。

 

 周囲を守っていた氷の壁は粉々に砕け、薄く漂っていた霧も、すでに完全に晴れている。ハルカの小さな体は動かず、閉じた瞼の下で、弱々しい呼吸だけがかろうじて残っていた。

 

 その傍らに、ヴェロニカが立っている。

 

 彼女も無傷ではなかった。

 

 雷撃を受けたスーツからは煙が上がり、肩口や脇腹には裂けた傷がある。髪は乱れ、左頬の星型の痣はまだ青白く脈打っていた。

 

 それでも背筋は伸びている。

 

 倒れたハルカを見下ろす眼差しは、慈悲にも冷酷にも見えた。

 

「……ハルカ?」

 

 キョウカは、もう一度妹の名を呼んだ。

 

 返事はない。

 

 その沈黙が、キョウカの中に残っていた理性を焼き切った。

 

「テメェッ!!」

 

 獣じみた咆哮が、地下ホームに響き渡る。

 

「ハルカに、何しやがったァッ!!」

 

 怒りが、壊れかけた体を無理やり動かした。

 

 キョウカの全身の筋肉が軋み、ガントレットが鈍く鳴る。先ほどまで立っているのもやっとだった体が、妹を守るというただ一つの目的のために、再び戦闘態勢へ戻っていく。

 

 ヴェロニカは、ゆっくりとキョウカの方へ顔を向けた。

 

「安心しろ」

 

 低い声だった。

 

「峰打ちだ。命は奪っていない」

 

「信じると思うかよ……!」

 

「信じる必要はない。事実だ」

 

 ヴェロニカはわずかに息を吐く。

 

「この娘の気象操作が私の神経を焼き切る前に、私の拳がこの娘の意識を刈り取った。それだけだ」

 

「殺してやる……!」

 

 キョウカの瞳が怒りに燃える。

 

「組織も、ベアトも、お前も……全部、アタシがぶっ壊してやるッ!!」

 

 地面が砕けた。

 

 キョウカが突進する。

 

 もはや精密さはない。

 

 戦術も、駆け引きも、先ほどまでの冷静な読みも消えている。

 

 あるのは、ただ殺意と怒りだけだった。

 

 だが、それでも速い。

 

 重い。

 

 妹を傷つけられた姉の拳は、先ほどまでよりさらに鋭く、さらに荒々しい圧力を帯びていた。

 

 ヴェロニカは深く腰を落とす。

 

 左頬の星型の痣が、再び強く輝く。

 

 彼女の視界の隅には、階段の影からようやく姿を現したアリスが映っていた。

 

 壁にもたれ、口元の血を拭いながらも、アリスは皮肉な笑みを浮かべている。

 

「あはっ……。まだ動くんだ、キョウカちゃん」

 

 その声は弱かった。

 

 けれど、消えてはいない。

 

 ヴェロニカは拳を構える。

 

「……これで終わりだ。キョウカ」

 

 拳と拳がぶつかった。

 

 地下ホームが揺れる。

 

 キョウカの一撃は凄まじかった。

 

 ヴェロニカの腕に衝撃が走り、骨が軋む。だが、彼女は退かない。真正面から力を受け止めるのではなく、半身で流し、踏み込みの軸を崩す。

 

 怒りで単調になった動き。

 

 それは、先ほどまでのキョウカにはなかった隙だった。

 

「ぐっ……!」

 

 キョウカの体がわずかに泳ぐ。

 

 ヴェロニカはその一瞬を逃さなかった。

 

 低く踏み込み、キョウカの腹部ではなく、意識を刈るための急所へ拳を叩き込む。

 

 鈍い衝撃。

 

 キョウカの目が揺れた。

 

 それでも、彼女は倒れなかった。

 

「まだ……!」

 

 再び拳を振り上げようとする。

 

 だが、その腕は途中で止まった。

 

 背後から伸びた細い黒い線が、ガントレットの制御部へ絡みついている。

 

 アリスが、壁に身を預けたまま、黒い手袋の指を伸ばしていた。

 

「ごめんね。これ以上殴られると、私もほんとに死にそうだから」

 

 ガントレットの制御が一瞬だけ乱れる。

 

 キョウカの膝が落ちた。

 

 ヴェロニカの掌底が、最後に彼女の首元へ打ち込まれる。

 

「ハル……カ……」

 

 キョウカの声が途切れる。

 

 巨大なガントレットが床に落ち、重い音を立てた。

 

 地下ホームは、静寂に包まれた。

 

 しばらくして、砂塵がゆっくりと沈んでいく。

 

 キョウカとハルカは、並べられて拘束されていた。

 

 アリスが持っていた特殊な電磁拘束具が、二人の手首を繋いでいる。青白い光が微かに点滅し、異能者の神経系に干渉して能力の発動を封じ込めていた。

 

 キョウカは意識を取り戻していたが、立ち上がる力はない。

 

 ハルカも目を覚ましているものの、魔力を使い果たし、姉の肩に寄りかかるのがやっとだった。

 

 アリスは壁にもたれ、自分の腕に応急処置を施しながら笑った。

 

「あはっ……お疲れ様、ヴェロニカ先輩。お互い、ひどい有様だね」

 

 ヴェロニカは答えない。

 

 彼女は姉妹を見下ろしていた。

 

 このままベアトへ報告すれば、数分後には回収部隊が到着する。

 

 姉妹は連れ戻される。

 

 再教育。

 

 廃人化。

 

 実験体としての解体。

 

 ガーデンが反逆した異能者へ与える結末を、ヴェロニカはよく知っていた。

 

 彼女は通信デバイスに手を伸ばす。

 

 だが、指はそこで止まった。

 

「……報告の前に、一つ聞かせろ」

 

 低い声が、地下ホームに響く。

 

 キョウカは腫れた瞼を上げ、ヴェロニカを睨んだ。

 

「何だよ……」

 

「お前たちは、組織の恐ろしさを誰よりも知っていたはずだ。脱走すれば、一生この紅い夜の下で追われることも分かっていたはずだ」

 

 ヴェロニカは続ける。

 

「それでも外の世界を求めた理由は何だ。ただの自由という、安っぽい言葉のためか」

 

 キョウカは血の混じった唾を床へ吐いた。

 

「自由? そんなもんじゃねえよ」

 

 その声は弱っていた。

 

 だが、火は消えていない。

 

「アタシたちは……あそこにいたら、ハルカがハルカじゃなくなるって分かってたんだ」

 

 ハルカが、かすれた声で続ける。

 

「……あそこは、心が枯れる庭」

 

 ヴェロニカの眉がわずかに動く。

 

「お姉ちゃんが……私の中に、まだ私が残っているうちに、連れ出してくれただけ」

 

「庭……か」

 

 ヴェロニカの胸の奥で、何かが疼いた。

 

 ガーデン。

 

 庭。

 

 ベアトの言葉。

 

 自分の故郷。

 

 それらが、冷たい地下の空気の中で、不意に繋がる。

 

「目的は何だ」

 

 ヴェロニカは問う。

 

「この街を出ることか。それとも、ベアトに牙を剥くことか」

 

「両方だ」

 

 キョウカは即答した。

 

「このクソみたいな街をぶち壊して、ハルカと二人で……誰もいない、静かな場所に行く」

 

 ハルカは姉の肩に頬を寄せた。

 

「お姉ちゃんがいれば、それでいい」

 

 キョウカは何も言わず、拘束されたままの手で、妹の肩へ触れようとした。

 

 電磁拘束具が青白く光る。

 

 それでも二人は寄り添った。

 

 ヴェロニカは、しばらく何も言えなかった。

 

 アリスが横から口を挟む。

 

「あはっ。感動的な姉妹愛のところ悪いけど、私も聞きたいことがあるんだよね」

 

 彼女はキョウカを見る。

 

「君、さっき私の神経干渉を根性で無理やり動いたよね。普通ならありえない。心臓と筋肉の電気信号を直接ぐちゃぐちゃにしたのに」

 

 アリスの笑みが深くなる。

 

「何か禁忌のパッチでも脳に当てた?」

 

「パッチなんて、そんな小細工じゃねえよ」

 

 キョウカは短く息を吐いた。

 

「アタシらの力は、あそこにいた時にベアトが実験で植え付けた種だ」

 

 ヴェロニカの目が細くなる。

 

「種?」

 

「組織が欲しかったのは、従順な兵隊だったんだろうな。けど、皮肉なもんだ」

 

 キョウカはハルカを見る。

 

「その種が芽吹いたのは、アタシらが組織を心底呪って、お互いを守りたいと思った時だった」

 

「……私たちの力は、憎しみだけじゃない」

 

 ハルカは静かに言った。

 

「共鳴」

 

 アリスの笑みが止まる。

 

「……共鳴?」

 

「お姉ちゃんが痛いと、私も痛い。私が死にそうになると、お姉ちゃんが怒る。一人の脳じゃ足りないなら、二人で一つの回路になればいい」

 

 ハルカの瞳が、ぼんやりとヴェロニカを見上げた。

 

「そうやって、私たちは出力を上げた」

 

 ヴェロニカは息を呑んだ。

 

 姉妹の絆。

 

 そんな不確かなものが、組織の冷たい調整を上回る出力を生む。

 

 理解しがたい。

 

 非効率だ。

 

 危険で、不安定で、理屈に合わない。

 

 だが、眩しかった。

 

 個として完成されることを求められたヴェロニカには、それがあまりにも眩しく見えた。

 

「……共鳴だと?」

 

 アリスが自嘲気味に笑った。

 

「そんな非科学的なものが、私の計算を狂わせたってわけ?」

 

「知らねえよ」

 

 キョウカは吐き捨てる。

 

「計算で守れるなら、苦労してねえ」

 

 その言葉が、ヴェロニカの胸に深く刺さった。

 

 目の前の姉妹は、強かった。

 

 だが、それは組織が与えた強さだけではない。

 

 誰かを守りたいという、泥臭く、愚かで、切実な願い。

 

 そのために命を燃やす姿。

 

 それは、ヴェロニカがいつの間にか切り捨てていたものだった。

 

 脳裏に、遠い故郷の風がよみがえる。

 

 紅いネオンに汚れる前の空。

 

 木々の葉擦れ。

 

 朝露の匂い。

 

 仲間の声。

 

 かつての自分は、兵器ではなかった。

 

 ただ一族の中に生きる、一人のエルフだった。

 

 ヴェロニカの手が、知らず知らずのうちに左頬の星型の痣へ触れていた。

 

 部族の長の証。

 

 誇りの象徴。

 

 そう信じてきた。

 

 だが今は、それが組織へ繋がれた刻印のようにも思えた。

 

「……皮肉だな」

 

 ヴェロニカは呟いた。

 

「組織が完璧な庭を作ろうとすればするほど、そこから溢れた雑草の方が、何よりも強く根を張る」

 

「ヴェロニカ……?」

 

 キョウカが警戒した声を上げる。

 

 ヴェロニカは答えなかった。

 

 腰のナイフを抜く。

 

 その刃で、姉妹を繋ぐ拘束具の補助繊維を切り裂いた。続いて、アリスの方へ視線を向ける。

 

 アリスは、壁にもたれたまま笑っていた。

 

 すでにすべて察している顔だった。

 

「……アリス。ベアト様へ報告しろ」

 

「何て?」

 

「不測の事態により、脱走個体の確保に失敗。姉妹は地下深層の闇に紛れ、完全に見失った。そう伝えろ」

 

 キョウカとハルカが息を呑む。

 

 アリスは喉の奥で笑った。

 

「あはっ。いいの? お堅いヴェロニカ先輩。そんな嘘、バレたら再教育どころじゃ済まないよ。ベアト様のお気に入りから、ただの肥料に格下げされちゃうかも」

 

「通信障害。地下構造の崩落。敵の想定以上の反撃。状況証拠は揃っている」

 

「そういう問題じゃないと思うけど」

 

「それに」

 

 ヴェロニカは肩越しに姉妹を見た。

 

「たまには、計算外のノイズが庭に紛れ込んでも面白いだろう。アリス、お前もそれを望んでいるはずだ」

 

 アリスは一瞬黙った。

 

 それから、大げさに肩をすくめる。

 

「了解。目標消失。現在、周辺を捜索中。ただし、発見の可能性は極めて低い……っと」

 

 送信音が小さく鳴る。

 

「あーあ。これで私も共犯だ。責任取ってよね、先輩」

 

「恩に着る」

 

 ヴェロニカは短く言うと、姉妹へ向き直った。

 

「行け」

 

 キョウカは自由になった手首を押さえながら、ヴェロニカを睨んだ。

 

「何のつもりだ」

 

「気が変わった」

 

「ふざけんな。助けたつもりかよ」

 

「そう思う必要はない」

 

 ヴェロニカは静かに言った。

 

「次に見つけた時は、私の気がまた変わっているかもしれん。その時まで、せいぜいその共鳴とやらを枯らさないことだ」

 

 キョウカは唇を噛む。

 

 礼を言うには、互いの立場が歪すぎた。

 

 怒るにも、今は力が足りない。

 

 彼女はハルカの肩を抱き寄せ、ゆっくりと立ち上がった。

 

「……次は、負けねえ」

 

「覚えておく」

 

「行くぞ、ハルカ」

 

「……うん」

 

 ハルカは一度だけ、ヴェロニカを振り返った。

 

「……ありがとう、エルフの人」

 

 二人の足音が、地下の闇へ遠ざかっていく。

 

 やがて完全に消えた。

 

 残されたのは、傷だらけのヴェロニカとアリス、そして凍りついた地下ホームの静寂だけだった。

 

「あはっ」

 

 アリスは横からヴェロニカの顔を覗き込む。

 

「本当、らしくないね。ベアト様の命令は絶対。組織の利益こそ正義。そうやって私よりずっと機械みたいに動いてきた優等生の先輩が、脱走者のガキどもに情けをかけるなんて」

 

 ヴェロニカは答えない。

 

「何が先輩を変えたの? 彼女たちの強さ? それとも感動的な姉妹愛?」

 

「……行くぞ」

 

 ようやく、ヴェロニカは言った。

 

「捜索を継続しているふりくらいはしておかなければ、ベアト様も納得されん」

 

「はいはい」

 

 アリスは笑う。

 

「でも、後悔しても知らないよ。先輩が逃がしたあの雑草、いつかこの庭を全部飲み込むくらい大きく育つかもしれないんだから」

 

「……それなら、それでいい」

 

 アリスの笑みが、わずかに止まった。

 

 ヴェロニカはそれ以上何も言わず、地下の闇へ歩き出した。

 

 数時間後。

 

 二人は、ガーデン本部の司令室へ戻った。

 

 植物が蠢く温室の玉座で、ベアトは静かに待っていた。

 

 ヴェロニカは傷だらけのまま、深く頭を下げる。

 

「ベアト様。報告いたします。地下廃墟コキュートスにおいて脱走個体と接触、交戦しましたが……潜伏先の崩落と地下水脈の急激な増水により、捕捉に失敗しました。姉妹は水流に呑まれ、深層へ消失。生体反応もロストしました」

 

 声に揺らぎはない。

 

 事実の中に、巧妙に嘘を混ぜている。

 

 隣のアリスも、珍しく黙っていた。

 

 ベアトは長く沈黙した。

 

 蔦の葉が擦れる音だけが、部屋に響く。

 

「……そう」

 

 やがて、ベアトが立ち上がった。

 

「残念だったわね、ヴェロニカ」

 

 彼女はヴェロニカの前まで歩み寄り、頬に残る新しい傷の近くへそっと指を伸ばした。

 

「ずいぶん激しい戦いだったようね。あなたほどの猟犬が、これほど傷つくなんて」

 

「私の力不足です。申し訳ございません」

 

「謝らなくていいの」

 

 ベアトは微笑む。

 

 優しく。

 

 恐ろしいほど優しく。

 

「生きて戻ってきてくれた。それだけで十分よ」

 

 ヴェロニカの胃の奥が、冷える。

 

 疑っていないのか。

 

 それとも、疑った上で笑っているのか。

 

 分からない。

 

 だからこそ怖かった。

 

 ベアトはアリスにも視線を向ける。

 

「アリスも、よくヴェロニカを支えてくれたわね」

 

「あはっ。私は私の仕事をしただけだよ、ベアト様」

 

「ええ。とてもよくできました」

 

 二人が退室しようとした時、ベアトは背後から柔らかく声をかけた。

 

「次はきっと、もっと美しい花を咲かせましょうね」

 

 扉が閉まる。

 

 廊下へ出た瞬間、アリスが小さく息を吐いた。

 

「あはっ。ベアト様のあの笑顔、いつ見てもぞっとするね」

 

 人気のない廊下。

 

 アリスは指を動かし、周囲の監視カメラと音声センサーを一時的に眠らせる。

 

「ねえ、先輩。もしさっきの嘘がバレて、私が詰められたらさ」

 

 彼女は軽く笑う。

 

「迷わず言うよ。全部ヴェロニカ先輩に命令されました、って。私、可愛い後輩だから先輩の指示には逆らえなかったって」

 

 冗談のような声。

 

 だが、目は冷たい。

 

 それはアリスなりの確認だった。

 

 共犯関係の線引き。

 

 裏切りの重さを、どこまで背負うつもりかという問い。

 

 ヴェロニカは足を止めずに答えた。

 

「構わん。それでいい」

 

「……即答なんだ」

 

 アリスが少しだけ目を丸くする。

 

「本当、可愛くないね」

 

「私がすべて被れば、お前は組織の駒として生き残れる。私一人で幕が引けるなら安いものだ」

 

「先輩って、意外とヒーロー願望あったんだ」

 

「戯言を」

 

 ヴェロニカは冷たい金属の壁の前で足を止めた。

 

 左頬の星型の痣が、まだ疼いている。

 

「私はヒーローなどではない。ただの……死にぞこないで、裏切り者だ」

 

 その言葉は、誰に聞かせるためでもなく、廊下に落ちた。

 

 一族を救えず、誇りを売り渡し、組織の猟犬として手を汚してきた。

 

 そして今、その組織すら裏切った。

 

 それでも。

 

 あの姉妹の未来を、ほんの少しだけ繋ぐことはできた。

 

 その事実だけが、ヴェロニカの胸に細い杭のように残っていた。

 

 アリスはしばらく彼女を見つめていたが、やがて肩をすくめた。

 

「……ほんと、面白いことになってきた」

 

 そして、軽い足取りで廊下の奥へ歩いていく。

 

 一人残されたヴェロニカは、静かに目を閉じた。

 

 地下の闇へ消えていった姉妹の足音。

 

 ハルカの礼。

 

 キョウカの消えない反骨心。

 

 それらが、胸の奥でまだ響いている。

 

 ヴェロニカは顔を上げ、重い一歩を踏み出した。

 

 その歩みは、もはや迷いのない猟犬のものではなかった。

 

 いつか訪れる報いの時を静かに待つ、孤独な反逆者のものだった。

 

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