チェンジヒストリープリキュア   作:RBうじざね

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『凍りついた天才と、悪魔の処方箋』

暗い研究室の奥、無数の計算式が書き殴られた黒板の前で、一人の男が立ち尽くしていた。ロビン・アップルハイム。元の歴史では「アメリカの原爆の父」と呼ばれることになる天才物理学者は、冷たい銀色の筐体――ネガティブ・ミリタリーの歴史を加速する力によって、すでに実物大の原子爆弾の完成間近にまで歪められた怪物の雛形を見つめ、低く呻いた。

「しかし、今でもわからない……。いったい誰が、あの資料を……」

大統領からの密命を受け、国家の命運を賭けた極秘研究を進めていたアップルハイムであったが、本来の歴史であれば、この時点ではまだ基礎的な理論の確立段階に過ぎなかった。到底、現実的な兵器としての姿は見えていない。

今後数年……いや、10年以内に完成に持って行けるかというのが、彼の科学者としての正直な見立てであった。

ところが、ある日のことだった。

いつも通り研究室の重い扉を開けると、誰もいないはずの机の上に、差出人の書かれていない一通の素気ない封筒が置かれていた。不審に思いながらも中身を引き抜いたアップルハイムは、その場で息を呑んだ。

そこに記されていたのは、人類がまだ到達していないはずの未知の原子核物理の理論、そして具体的な「同位体分離」や「爆縮レンズ」の製造方法を明確にほのめかす、驚くべき極秘資料だった。

アップルハイムは色を失い、廊下へ飛び出して同僚の白衣の胸ぐらを掴まんばかりに詰め寄った。

「誰だ! 誰が私の机にあれを持ってきたんだ!」

しかし、詰め寄られた同僚は、怯えたように首を振るばかりだった。

「え……? 先生がどこからか取り寄せた資料だとばかり聞いていましたが……。今朝、見慣れない男が届けていったと、警備の者が言っていました」

あまりにも不審すぎる、出所不明の資料。

最初は、原子力開発に懐疑的なリベラル連中の、手の込んだ嫌がらせか、あるいは他国の二重スパイによる罠かとも疑った。しかし、科学者としての本能が、その資料から目を離すことを許さなかった。

半信半疑のまま、記載された数式をなぞり、実験による検証を繰り返す。そのたびに、アップルハイムの背筋には恐ろしいほどの戦慄が走った。

弾き出されるデータは、どれも資料に書かれていることと「ほぼ同じ結果」を示していたからだ。

「これは……天使の導きか。それとも、悪魔の囁きか……」

自らの力で、生みの苦しみを経て導き出したものではない。

その出所不明の「答え」に頼ることへの、科学者としての強い葛藤とプライドが彼を苛んだ。だが、目の前で開かれようとしている未知の領域への圧倒的な知的好奇心と、「ナチスより先に完成させねばならない」という強迫観念が、彼の理性を限界まで侵食していく。

一度狂い始めた歯車は、もう止まらなかった。

悪魔の処方箋を基に、本来の歴史を何年も先跳びするような、信じられない速さで開発が加速していく。

「E = mc²……。この数式が解き放つエネルギーは、人類を、世界を根底から変える」

アップルハイムを中心とするトップクラスの開発チームは、寝食を忘れ、ひたすら狂気的な研究へと没頭していく。世界を焼き尽くす悪魔の火は、巨大な陰謀の影に踊らされる天才たちの手によって、確実にその完成への道筋をつけ始めていた。

 

【二人の天才と、未来への数字】

1.たった一発の重み

「――アップルハイムたちの研究で、原子力の兵器利用が実現間近らしい」

 

大学の研究者仲間からその驚くべき噂を耳にした瞬間、レオン・シラルドの背中に冷たい汗が伝った。ロビン・アップルハイム。同じ物理学者として一緒に研究する機会こそなかったが、その類稀なる頭脳を知る旧知の仲であった。

 

シラルドの脳裏に、あのネオン輝くダイナーの夜、一人の人間として向き合った日本の少女・時任あかりから聞いた「未来の原子爆弾がもたらしたもの」が鮮烈に蘇る。

 

あまりにも膨大で、あまりにも残酷なそのエネルギー。それは、たった一発でそこに住む人々もろとも、巨大な都市を焼き尽くしたという。わかっているだけでも、最初の街で14万人、次の街で7万人。それぞれ、たった一発で、だ。

生き残った多くの人々の体をも放射線が蝕み、何世代にもわたる多大なる禍根を残す。……それでもなお、世界はその強大な破壊力の魅力を断ち切ることができず、人類を何度も滅ぼせる量の核兵器を持ち続けている――。

あかりが語った悲劇のデータは、書き写した未来の周期表と同じく、残酷なほどのリアリティを持ってシラルドの理性へと突き刺さっていた。

 

(ナチスの脅威に対抗するためとはいえ、そんな怪物をこの世界に解き放つわけにはいかない。私は……間違えるわけにはいかないんだ)

 

シラルドは深く息を吐き、机の上の書類を丁寧に片付けると、コートを身に纏った。その表情からはすでに焦燥は消え、ただ静かな、そして揺るぎない覚悟だけが宿っていた。

 

 

二人が身を寄せている交換学生たちの宿舎のロビーに、シラルドは落ち着いた足取りで現れた。突然訪ねてきたアメリカ物理学界の重鎮の姿に、あかりと千代は驚き、姿勢を正して彼を迎える。

 

シラルドは帽子を脱いで胸に当て、まっすぐに二人を見つめた。

「突然の訪問を許してほしい。アカリさん、チヨさん。あの日、君たちは私に『一緒に歴史を変えてくれ』と言ってくれたね。今日は、その返答をしに来た」

 

シラルドの声は静かだったが、だからこそ確固たる重量感があった。彼は二人の目を見つめ、科学者としてのプライドではなく、未来を憂う一人の人間として、深く頭を下げた。

「アップルハイムという、私の旧知の天才が、今まさに原子力の兵器開発に手を染めようとしている。……私は彼を、そしてこの世界を、あの破滅の引き金から遠ざけたい。だが、今の私一人の言葉では、時代の波に抗うには足りないかもしれないんだ」

 

シラルドはゆっくりと顔を上げ、信頼を込めて二人を見つめた。

「お願いだ。未来を、人類の明日を救うために、私に力を貸してほしい」

 

あかりはシラルドの強い眼差しに一瞬だけ目を見張ったが、すぐにパッと表情を輝かせ、勢いよく頷いた。

「もちろん! シラルドさんがそう言ってくれるのを待ってたよ! アップルハイムさんだって、ちゃんと話せばわかってくれるかもしれないよ!!」

 

千代もまた、自らの意志で悲劇の歴史へ立ち向かう道を選んだシラルドに、深い敬意を込めた一礼を返す。そして、その瞳に強い決意を宿して応じた。

「ええ、喜んで。あの黒い炎――ネガティブ・ミリタリーの狂気にとり込まれてしまう前に、必ず彼を説得しましょう」

 

こうして、未来を変えるという重い決意を一つにしたシラルド、あかり、千代の三人は、厳重な警戒が敷かれたアップルハイムの研究施設へと向かった。

 

2.応接室の対峙

当然、ここは簡単に入れる場所ではない。しかしシラルドは、旧知のアップルハイムを個人的に訪問し、「日本の留学生を実習の見学として連れ添っている」という名目を使い、あかりと千代を同席させることに成功した。アップルハイムも旧友の突然の訪問に応じ、一行は静かな応接室へと通された。

 

革張りのソファに腰を下ろしたシラルドは、対面に座る若き天才を見つめた。

「久しぶりだね、ロビン。噂では、ずいぶんと研究が進んでいるみたいじゃないか」

 

アップルハイムは眼鏡の奥の目をわずかに細め、フッと不敵な笑みを浮かべた。

「ああ、おかげさまでね。まだまだ課題ばかりだが、いろいろな『資料』も揃ってね、思った以上に進んでいるよ」

 

その「資料」という不穏な言葉に、あかりと千代は小さく息を呑む。シラルドは真っ直ぐに相手を見据えたまま、核心を突いた。

「……もう、核実験を検討している段階なのか?」

 

「……!?」

アップルハイムの顔から余裕の笑みが消え、空気が一瞬で凍りついた。シラルドは静かに言葉を続ける。

「君たちが優秀なのはよくわかっている。だが、その噂が事実ならば、それでもあまりにも研究が進むのが早すぎる。……何か、特別な資料を手に入れた。違うかね?」

 

「レオン、君は一体何の話をしているんだい?」

アップルハイムは不快感を露わにし、あかりたちを一瞥した。

「それも、何も知らない日本の留学生の前で。根拠のない噂話で、我々の研究を妨げるのは勘弁してくれないか。引き取ってくれ」

 

「実は私も、驚くべき資料を手に入れてね……」

シラルドは動じず、隣のあかりに目を向けた。

「これを提供してくれたのは、彼女たちだ」

 

あかりは意を決して、鞄から一冊のノートを取り出した。それは日本の永守から託された、「あかりが未来から持ってきていた、中学生向けの歴史・戦争の解説本」を正確に写し取ったものだった。

あかりはそのノートを、机の上でアップルハイムのほうへと滑らせた。

 

アップルハイムは眉をひそめながらも、科学者としての習性でそのページをめくった。だが、数ページ見たところで、その手がピタリと止まる。

 

「これは……!? なんだ、この本は……!?」

 

そこには、いま自分が国家の最高機密として開発しているはずの『原子爆弾』が完成し、実際に日本の都市へ投下されたという「未来の歴史」が、分かりやすい図解と共に淡々と記録されていた。

 

何万という無辜の市民が一瞬にして熱線と爆風に焼かれ、街が瓦礫の荒野と化し、黒い雨に打たれた人々が苦しみながら命を落としていく惨状。外傷がなくても放射線によって体が内側から崩れていく恐怖。そして、たった一発がもたらしたあまりにも具体的な犠牲者の数字。

それらは、自分が研究室で計算している「理論上のエネルギー」が実体化し、最悪の形で解き放たれたあとの、目を背けたくなるような現実の姿だった。

 

アップルハイムの顔から、みるみる血の気が引いていく。

「なぜ……なぜこんな資料を持っている? いや、それどころか……これが、この破壊の山が、私の目指している研究の『結果』だというのか……!?」

 

シラルドが静かに告げる。

「どうも、この世界の裏側で、破滅の歴史を意図的に加速させようとする不可解な力が働いているようだ。……解き放たれたエネルギーは、国家の勝利のためという美名のもと、ただ世界を焼き尽くすためだけに使われる。全く信じられない話だ。だがロビン、目の前のその生々しい事実を見て、これがすべて悪質な冗談だと思えるか?」

 

あかりは身を乗り出し、震える声で、けれど懸命に伝えた。

自分が遥か先の未来からやってきた人間であること。

数万発もの核弾頭が恐怖の均衡を保っていること。

そして、自らが過ごしてきた「二十一世紀」という世界の、本当の姿を。

「私の周りはね……便利な道具も、美味しいものもたくさんあって、戦争なんて教科書の中のことみたいに、一見するとすっごく平和に暮らしてるの」

あかりはきゅっと自分の拳を握りしめ、胸の奥にずっと澱のように溜まっていた不安を吐き出すように言葉を続けた。

「でもね、世界の別の場所では今も爆弾が降ってて、罪のない人たちがたくさん傷ついてる。私のいる場所がどれだけ平和でも、世界は全然、本当の意味で平和なんかになってないの。地球を何度もチリにできるくらいの、何万発もの核弾頭っていう恐ろしい爆弾が、今もあちこちに隠されて、お互いに銃を突きつけ合うみたいにして、ギリギリでバランスを保ってるだけ……。もし誰かが一回でもボタンを押したら、私たちのささやかな平和だって一瞬で全部消えちゃう。みんなそれが怖いのに、一度作り始めちゃったから、もう誰もその爆弾を手放せなくなっちゃってるんだよ」

 

「ロビン、目を覚ますんだ!」

シラルドが立ち上がり、声を絞り出す。

「我々が解放しようとしているのは、人類の手にはあまる『地獄の業火』だ! 未来を見ろ! この美しい物理の結晶は、人類を照らす光ではなく、子供たちを焼き尽くす絶飾の炎として使われることになるんだ!」

 

3.天才の背中

激しい沈黙が応接室を支配した。

アップルハイムはノートを開いたまま、しばらく微動だにしなかったが……やがて、深く、冷たいため息をついて、それを机に放り出した。

 

「……こんなものをいきなり見せられて、いったいどう信じろというのだ?」

アップルハイムの声は、ひどく冷徹だった。

「未来から来ただと? 冗談なら、もっと上手なのがあるだろう、レオン。そもそも、原子力の兵器としての可能性に最初に言及し、大統領に手紙を書こうと提案していたのは、他ならぬ君じゃなかったのか?」

 

鋭い反論に、シラルドは一瞬言葉を詰まらせる。アップルハイムは立ち上がり、窓の外へと視線を向けた。

「……帰ってくれ。こんな馬鹿げたお伽話をするために、わざわざ来たのか」

 

拒絶の言葉。しかし、窓硝子に映る彼の横顔は、引きつったように硬く、張り詰めていた。中学生向けの本に書かれたあまりにもリアルな惨状の記録が、天才の誇りと理性を激しく揺さぶっているのは明白だった。

あかりが何かを言おうと一歩踏み出したが、シラルドがそれを手で制した。

 

シラルドは落ち着いたトーンを取り戻し、旧友の背中に語りかける。

「私だって、すべてを信じ切ったわけではない。……だが、我々科学者が一体どのような未来を作りたいのか、もう一度考えてほしかっただけだ。このノートは君に預けておくよ。」

 

アップルハイムからの返事はなかった。

シラルドは小さく頷き、「また来るよ、ロビン」と言って、あかりと千代を促して応接室を後にした。

 

研究施設の重い扉を出て、アメリカの乾いた風が三人の頬をなでる。

千代はシラルドの横顔を見上げ、一歩近づいて尋ねた。

「……シラルドさん。あのまま説得しなくて、よろしかったのですか? 力ずくで引き止めることもできたはずですが……」

 

シラルドは空を見上げ、ふっと優しく、けれど確信に満ちた笑みを浮かべた。

「いいんだよ、チヨさん。彼は傲慢に見えるが、誰よりも優秀で、誰よりも繊細な学者だ。あの記録に書かれた惨劇の重さは、彼自身が一番よく分かっているはずさ。ここからどうするべきか……きっと自分の頭で、真剣に考え抜くことができる男だ。……また後日、伺おう」

 

その言葉通り、応接室に残されたロビン・アップルハイムは、机の上のノートを見つめたまま、いままでにない激しい葛藤の海へと深く沈み込んでいくのだった。

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