チェンジヒストリープリキュア   作:RBうじざね

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『果てなき激流、揺るぎなき灯火 〜満州への出航〜』

1. 軋む世界の歯車と老首相の背中

歴史の歯車は、凄まじい軋みを上げて再び狂い始めていた。

太平洋戦争を回避し、破滅へのカウントダウンを止めて、世界は確かに平和への軟着陸を果たしたはずだった。しかし、歴史の底流で蠢く「ネガティブ・ミリタリー」の呪縛は、そう簡単には人類を解放しなかった。

 

ある日、世界を震撼させる衝撃的な報せが帝都に飛び込む。

ナチス・ドイツが突如としてソビエト連邦と軍事同盟を締結。同時に、極秘裏に開発を進めていた「核兵器」の保有を宣言したのだ。

圧倒的な破壊力を見せつける原爆の実験映像が、最悪のプロパガンダとして世界へ発信される。独ソ連という二大巨頭の巨大な戦力が、ヨーロッパと極東の二方面へと集結しつつあるという絶望的な凶報だった。

 

「なぜ、もっと強硬路線で対抗しなかったのだ!」

「あの弱腰外交が、独ソの暴挙を招いたのだ!」

 

日本の議会は激しく紛糾した。見えない巨大な恐怖に駆られた大衆もまたその声を煽り、責任を取る形で岡谷内閣は退陣を余儀なくされる。

騒然とする議場の中、総理大臣としての最後の答弁に立った岡谷啓示は、騒ぐ議員たちを静かに見据えて言い放った。

 

「私は責任を取る。だが諸君、恐怖に支配された国家は必ず自滅する。我々は恐怖ではなく理性を選んだ。その選択だけは、断じて誤りではない」

 

その毅然とした言葉を遺し、岡谷は国会を後にした。

誰もいなくなった総理大臣公邸の執務室。岡谷は荷物をまとめ、窓の外に広がる帝都の街並みに目を向けた。

「……私の役目はここまでか。だが、あの娘たちが撒いてくれた種は、間違いなくこの国の土壌に芽吹いている」

老首相・岡谷啓示は、静かに、しかし未来への確かな希望をその瞳に宿したまま、歴史の表舞台を去った。

 

それと同時に、防衛特化の軍備改変を推し進めていた軍務局長・永守鉄志もまた更迭され、その後釜には皇道派の重鎮・小田敏次郎が就任する。

「満州を救え!」「独ソの脅威を叩き潰せ!」

ネガティブ・ミリタリーの悪意に煽られた国民は熱狂し、全国規模での暴発の危機が迫っていた。このままでは、かつてあかりや永守たちが必死に抑え込んだ「狂気」の濁流に、再び日本が飲み込まれてしまう。

 

陸軍省の局長室。小田は即座に満州への増派を決定し、各幹部に動かせる部隊の編制を命じた。周囲の将校たちが言葉を失う中、更迭されたはずの永守が、小田の前で静かに頭を下げた。

「俺に行かせてくれ。小田、お前は国内を抑えてくれ。頼む」

 

小田はニヤリと不敵に笑い、煙草に火をつけた。紫煙の向こうから、鋭い眼光が永守を射抜く。

「ほう、おいしいところはお前が持って行くのか。そうなれば、留守の国内は俺の息のかかった連中ばかりになるぞ。失敗すればどうなるか、分かっているな」

 

元の歴史では「統制派」と「皇道派」として、血で血を洗う対立を演じたはずの二人。けれど、この世界線の二人は、お互いの「歪んだ愛国心」と「能力」を120%信頼しきっていた。

(お前が前線で独ソ連を抑えるなら、俺が国内の暴走を1ミリの隙もなく『激詰』で押さえ込んでやる)

それは、小田なりの最上級の、不器用で熱いエールだった。そして、永守がこの背後を預けられるのは、世界で小田敏次郎ただ一人なのだ。

 

2. 恐怖の冷徹と、信じる力

帰国後、急速に狂気へと傾いていく日本社会を前に、千代の脳裏には留学先で学んだ社会学の言葉が、氷のように冷たくリフレインしていた。

『人間は、恐怖に直面した時、一つの強力な――熱狂という名の情動に支配され、みずから思考を放棄する』

 

昨日まで戦争の回避を喜んでいた人々が、手のひらを返したように「戦争だ!」「強硬派万歳!」と拳を突き上げている。千代は自らの膝の上で拳を握りしめ、震える声で呟いた。

「これが……人間の社会の、弱さですか。あかり。あかりが信じる『未来』の人間も、恐怖の前にはこうも簡単に狂気に染まるのですか……」

 

あかりは、千代の強張った手を、痛いほどぎゅっと握りしめた。その瞳には悔しさと悲しさの涙が浮かんでいたが、芯にある強い光は消えていなかった。

「違うよ、千代ちゃん。みんな、怖いだけなんだよ。お化け屋敷で大声を出すみたいに、怖いから叫んじゃうんだよ。だから……だから、私たちがその恐怖を、あのネガティブ・ミリタリーをぶっ飛ばさなきゃいけないんだよ!」

 

千代はハッと目を見開いた。

かつて、ただルールを守るだけだった「模範的な娘」の姿は、もうそこにはない。社会の構造の脆さを冷徹に理解した上で、それでもなお人類を信じる――プリキュアとしての千代の内面が、より深く、確かに深化していく瞬間だった。

 

海の向こう、アメリカのホワイトハウスでもまた、大統領が独ソの核保有という未曾有の脅威の前に「正気」を失いかけていた。

「平和利用だと!? ナチスとソ連が原爆を持ったんだぞ! 看板はそのままでいい、アップルハイム、大至急『神の火』を完成させろ!」

 

大統領からの非公式の密命。

せっかくあかりたちと「科学がもたらす平和への道」を見出しかけたアップルハイム博士は、国家の至上命令と「愛国心」という名の呪縛の前に、深い苦悩に打ちひしがれていた。しかし、彼は再び軍事研究の暗い地下室へと足を踏み入れる。

「……私を裏切り者だと思うなら、そう思えばいい。だが、誰かが犠牲になってからでは遅いのだ」

歴史の審判を受ける覚悟を決めたアップルハイムは、ふぅ、と深く息を吐いた。そして、いつも通りの落ち着いた美しい所作で、机の上の悪魔の図面に向かうのだった。

 

3. 男たちの密約、そして再会

永守が満州へ発つ前夜。陸軍省の薄暗い局長室で、荷物をまとめる永守の前に、小田がふらりと現れた。

「……正気か、永守。軍務局長という中央の要職をなげうって、自ら満州の泥をすすりに行くなど前代未聞だ。かつての日露の戦役で、大臣の椅子を捨ててまで前線の参謀へと格下げを志願し、あの難攻不落の旅順を落とした英雄の真似事でもするつもりか」

 

永守は眼鏡を指先で押し上げ、静かに微笑んだ。

「真似事で結構。あちらには、既存の戦術の教科書が一切通じない『何か』がいる。数理と兵帳を理解できる人間が現場で直接手綱を握らねば、関東軍ごと世界が灰になる。……小田、私が留守の間、帝都を、陸軍を頼めるのは君しかいない」

 

小田はチッと忌々しそうに舌打ちをして、わざとらしく背を向けた。

「お前という男は、いつも一番の貧乏くじを他人に押し付ける。……せいぜい満州の泥に足を取られて死ぬなよ。お前が帰ってくるまで、国内のガキどもには一本の指も動かさせん」

 

翌日、港には招集された多くの兵士たちと、それを見送る群衆が集まっていた。熱気と砂埃が舞う雑雑とした群衆の中に、あかりは見覚えのある男の顔を見つけた。

「あ、あのおじさん――! あのときの泥棒!?」

「げぇっ!? お、お前らは……!」

 

かつてあかりのスマホを盗もうとした、あのおじさんだった。慌てて荷物を抱えて逃げようとするおじさんを、あかりと千代が小走りで追いかける。

「勘弁してくれよ! あれからは俺なりに真面目にやってんだからさ!」

 

タジタジになって頭を抱えるおじさんに、あかりは一瞬だけ真剣な表情になり、「……満州に行くんだね」と静かに声をかけた。おじさんは少し照れくさそうに首のあたりを掻き、自嘲気味に笑った。

「おう、これなら俺なんかでも役に立つんじゃないかって思ったのさ。戦果を上げれば、一端の英雄だろ?」

 

その、少し怯えを隠した笑顔を見たあかりの胸が、なぜか急に締め付けられ、泣きそうになる。

「……逃げ足が遅いんだから、本当に気をつけてよ……! 絶対に生きて帰ってきてよ!」

「へっ、今度はうまくやらぁ、任せとけ!」

おじさんは力強く笑って、兵士の列の中へと消えていった。

 

その直後、二人の前に懐中時計クロノスが、かつてないほど激しく明滅しながら飛び出してきた。

 

『キュピ!! あかり、千代! 大変!! 今までにない、途方もなく巨大なネガティブ・ミリタリーの悪意が、満州に向かって動き出している……!』

 

クロノスの悲鳴のような声に、あかりと千代の表情が引き締まる。事態は一刻を争う。満州に渡る永守たちの前に、これまでにない最悪の怪物が立ちはだかろうとしていた。

二人は一瞬だけ視線を交わし、言葉を交わさずとも、その胸にある答えが完全に一致していることを確かめ合った。

 

「永守さんのところへ行こう、千代ちゃん」

「ええ。もう、迷っている時間はありません」

 

――その日の夕刻、出港を控えた軍用本部の重々しい執務室。

満州へ発つための最終的な書類に目を通していた永守鉄志は、突然ノックもなしに開かれた扉に顔を上げた。そこに立っていたのは、息を切らせたあかりと千代の姿だった。

 

「お前たち……こんな時間に、どうした」

 

永守が眼鏡の奥の目を瞬かせる。そんな彼に向かって、あかりは一歩前に踏み出し、その目をまっすぐに見据えて大声で告げた。

 

「永守さん! 私たちを、満州へ一緒に連れて行ってください!」

 

永守の手がピタリと止まる。部屋を支配した数秒の沈黙の後、永守は静かに書類を机に置き、低く冷徹な声を響かせた。

 

「……却下だ。あそこは、これから地獄の戦場になる。お前たちが命をかけて守り抜いた平和が、今まさに崩れかけようとしている場所だ。そんなところに、わざわざ娘たちを連れて行けるわけがない。お前たちは帝都に残り、岡谷さんの元で大人しくしていろ」

 

それは、軍人としての、そして二人を心から案じる大人としての、冷たくも切ない拒絶だった。だが、千代もまた、あかりの隣へ歩み出て、永守の拒絶を真っ正面から受け止めた。

 

「永守さん。私たちには分かっているのです。満州に向かっているのは、ただのソ連やドイツの軍隊だけではありません。人間の恐怖の心を食らう、あの『ネガティブ・ミリタリー』の真の本体が、あなたたちを、この世界を丸ごと飲み込もうとしています。……大砲や銃だけでは、あれには勝てません」

 

千代の毅然とした言葉に、永守はかすかに息を呑む。

彼自身、今まで見てきたプリキュアの超常的な戦いを、そしてあの悪意の恐ろしさを誰よりも理解していた。だからこそ、現場の最高責任者として、彼女たちの力が必要不可欠であるという冷徹な「数理」も、彼の頭脳は瞬時に弾き出していた。

 

しかし、永守はあえてもう一度、試すように二人を睨みつけた。

 

「たとえそうだとしてもだ。あかりくん、君は100年後の未来で生きるはずだった。千代くん、君はただの、この時代の無関係な学生だ。なぜ、そこまでして命をかける? 国家の運命など、お前たちが背負う必要はない!」

 

永守の鋭い叱咤。それに答えたのは、あかりの弾けるような、しかしどこまでも揺るぎない声だった。

 

「国のためなんかじゃないよ、永守さん! 私たちは、永守さんや、岡谷のおじさんや、創お兄さん……ここにいる大好きなみんなが命がけで繋ごうとしてくれた未来を、絶対に壊させたくないの! 怖いよ。すごく怖い。でも、みんなを失いたくない気持ちの方が、ずーーっと強いんだもん!」

 

あかりの瞳には、うっすらと涙が浮かんでいた。しかし、その奥にあるキュアフューチャーとしての黄金の輝きは、微塵も揺らいでいなかった。

千代もまた、静かに微笑みながら頷く。

 

「ルールに従って守られるだけの私は、もういません。私は社会の弱さを知った。だからこそ、今度は私の意志で、あかりと共に人間を、この世界の明日を信じ抜くために戦いたいのです。……お願いです、永守さん。私たちを信じてください」

 

二人の少女の、燃え盛るような、そして気高い覚悟のロジック。

永守はしばらくの間、拳を握りしめたまま二人を見つめていたが、やがて、深く、降伏するように大きなため息を吐いた。そして、眼鏡のブリッジを指先で押し上げると、その口元にふっと不敵な、しかし酷く優しい笑みを浮かべた。

 

「……まったく、私の浅薄な数理など、お前たちの前では何の役にも立たないな」

 

永守は机から立ち上がり、二人の前へと歩み寄ると、その小さな肩にそっと手を置いた。

 

「分かった。ただし、条件がある。前線での指揮はすべて私が執る。私の指示には絶対に従え。……お前たちの命は、この永守鉄志が責任を持って預かる。いいな?」

 

「――はいっ!!」

 

二人の力強い返事が、薄暗い執務室に響き渡った。

大人の責任と、少女たちの覚悟。時空を超えた真の信頼で結ばれたあかりと千代は、永守と共に輸送船団に乗り込み、決戦の地・満州へと赴くのだった。

 

4. 決戦の地へ

満州、関東軍司令部。

着任早々、永守鉄志は血気盛んな過激派の若手将校たちを前に、氷点下の冷徹な威圧感を放ちながら言い放った。

「勘違いするな。我々の目的は『戦線の拡大』ではない。ソ連・ドイツの核の恫喝に対し、国際社会と連携してこの地を守り抜く『徹底防衛』だ。一歩でも独断で戦端を開く者がいれば――私がこの手で叩き斬る」

その凍りつくような眼光と絶対的な拒絶に、過激派の将校たちも生唾を飲み込み、声を失うしかなかった。

 

漆黒の闇の中、満州へ向けて波間に揺れる輸送船。

兵器のコンテナや荷物に紛れて潜り込んだあかりと千代は、甲板に出て、冷たい夜風に吹かれていた。黒い波が船体にぶつかる音が響く。

「……眠れないの? いまは少しでも休んでおかなきゃ」

千代が優しく声をかけると、あかりは膝を抱え、小さく震える声で返した。

 

「……千代ちゃんは、怖くないの?」

「怖いわよ。身体が震えるくらい、怖い」

「どうして、こうなっちゃったんだろう。私たちは歴史を変えたはずなのに……結局、また大きな戦争になっちゃうのかな……」

 

今にも涙をこぼしそうなあかりの肩を、千代はそっと引き寄せ、自分の体温を分けるように抱きしめた。

「心配しないで、あかり。だって、あかりの歴史では死ぬはずだった永守さんは、今も生きている。あなたの未来の本に書かれていない歴史に、もうなっているでしょう? 確かに、人間の力を超えた、どうしようもない大きな悪意が働いているのは間違いない。でも、私たちも、永守さんや岡谷さんも、たくさんの人たちが、自分たちの意志で新しい未来を選び取ってきた。ここで止まったら、それこそ歴史に負けてしまうわ」

 

千代は満天の星空を見上げ、その瞳に確固たる決意を宿した。

「大丈夫。私たちはきっと、あかりが知っている未来より、ちょっとだけいい世の中にして、あなたの生きる100年後にバトンを渡すことができる。私は、それを証明したいの」

 

千代の言葉に、あかりはゆっくりと顔を上げ、袖で涙を拭うと、力強く微笑み返した。

「……うん、そうだね! 終わらせよう、私たちの手で!」

 

怖いのは誰もが同じ。しかし、その恐怖を乗り越える絆がここにある。

静かな、けれど決して折れない決意を胸に、船は黒い海を割り、決戦の地・満州へと突き進んでいくのだった。

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