チェンジヒストリープリキュア   作:RBうじざね

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『空欄の未来図、残響のルミエール』

時は、さらに淀みなく流れ、2032年。

世界はまたひとつ新しい技術の波を被り、人々の手元にある端末の画面はより鮮やかに、より滑らかに世界を映し出していた。そんな令和の真っただ中において、時任あかりは大学生となっていた。

 

高校生の頃、あれほど彼女の頭を激しく悩ませ、真っ白な紙を前にして思考を停止させていた「進路」という名の巨大な壁は、地元の大学に数年前に新設された『映像学部』への進学という、自分でも予想していなかった形で決着を見ていた。

 

きっかけは、至極単純で、どこにでもあるありふれたものだった。

高校二年生の夏、突如として日本中のエンタメ界を席巻し、あかり自身も鮮烈にドハマりした男性五人組のダンス&ボーカルグループ「WALZ(ワルツ)」。彼らがテレビや動画配信のステージで見せる、一瞬の隙もないほどにキラキラとしたパフォーマンスに、あかりはこれまでにないほど心が躍るのを覚えた。

 

特に、彼らのシングル曲の世界観を徹底的に表現した、映画さながらのミュージックビデオ(MV)は、動画サイトで何度も何度も再生した。光と影の緻密な計算、カメラの滑らかなワーク、音楽のビートと完璧にシンクロするカット割り――。それらを浴びるように見つめているうちに、あかりの胸の、ずっと眠っていたはずの一箇所に、パチリと熱い火が灯ったのだ。

 

(これ……私も作ってみたい! 私の手で、こういう凄いものを作って、誰かに届けられたら……!)

 

その衝動に突き動かされ、友人に冗談半分で「こういうお洒落なMVの作り方を基礎から勉強できる大学ってないのかな」と相談したところ、「専門学校っぽいイメージだけど、実は近くの総合大学に最近、最先端の『映像学部』ってのができたらしいよ」と教えてもらった。

 

すぐに調べてみると、そこは単にカメラの回し方や三脚の立て方を教えるだけの場所ではなかった。映画、コマーシャル、ドキュメンタリー、そして報道といったあらゆるジャンルの映像表現を網羅する、まさに新時代の学部だった。さらに撮影の技術のみならず、生成AIを駆使した効率的な演出方法、映像が社会に与える影響のデータ解析、さらには大正や昭和初期の歴史的な古いフィルム映像を最新技術でデジタル復元するサイエンス領域まで、映像にまつわる広範な学問が横断的に学べるという。

生成AIによる大量生産の時代だからこそ、人間がこだわり抜いて、自らの知性と意志で作り上げた映像の価値が、社会的に再評価されつつある――そんな風潮も、あかりの背中を強く押した。

 

そのカリキュラムの紹介画面を見つめていた時、あかりの脳裏に、あの忘れられない昭和の日々が鮮烈によぎった。

 

(私には、千代ちゃんみたいに、図書館に残るような難しい本や論文は書けない。社会を動かすような頭の良い数式も分からない。……だけど、映像なら。私の手で、この世界の素敵な瞬間を未来に形として残せるかもしれない。千代ちゃんみたいに、自分の足で一歩を刻めるかもしれない――)

 

両親も、あかりが高校の終わりに見つけたその明確な目標に深い理解を示し、「あんたがそんなに熱中するなんて珍しいね」と笑顔で背中を押してくれた。それからのあかりの集中力は凄まじかった。過去から戻って以来、なぜか飛躍的に向上していた記憶力と集中力をフルに発揮し、猛勉強の末、人気の学部で高倍率だったその新設映像学部への切符を見事に勝ち取ったのだった。

 

しかし、華やかに見えた実際の大学生活は、あかりの想像を遥かに超えて過酷で、目まぐるしいものだった。

 

次々に課される実践的な実習課題、映像史やメディア論の膨大なレポート、サークル活動のミーティング、そして何より、プロ仕様の編集ソフト、カメラやレンズといった高額な機材費を稼ぐためのアルバイト。

高校生の頃の、あのテニス部で汗を流していた日々からは想像もしていなかったような濁流のような毎日が、あかりの心身を否応なしに押し流していく。

 

それでも、あかりはそれなりに充実した毎日を送っていた。大学ならではの、趣味や価値観の近い気心の知れた友人もできた。休日には映画館の暗闇で最新のインディーズ映画を観に行き、終われば大学近くの学食で他愛のない話をダラダラと、日が暮れるまで交わす。どこにでもいる、ごく普通の、少し元気な女子大生。少なくとも、教授の目にも、周囲の学生たちの目にも、彼女はそう映っていただろう。

 

ただ――。時折、本当にふとした瞬間に、世界の輪郭が不意に歪んで、あの記憶が鮮明に蘇ることがある。

 

古い木造校舎の、あの湿った木の匂い。

夜空を信じられないほどの色彩で彩った、あの河原の花火の光。

そして、耳の奥にこびりついて離れない、あの喧しいほどに生命を謳歌していた昭和の蝉の声。

何より、その世界の中心で、誰よりも気高く凛として前を向いていた一人の少女、立花千代の姿。

 

あかりは大学の広大な大図書館で、映像関係の資料を探している時、学術書の棚に彼女の名前が背表紙に黒々と刻まれた社会学の著作を、何度も目にしていた。

もちろん、自分がその高名な著者と「かつて親友だった」「手を繋いで戦った」などと、大学の友人の誰かに話したことは一度もない。話せるはずがなかった。いまや彼女は、地域の資料館でガラスケースの向こうに飾られる偉人であり、日本の社会構造の基礎を支えた偉大な学者であり、先駆的な福祉思想家なのだ。そんな雲の上の肩書きを持つ「歴史上の教科書の人物」に対して、自分はあまりにも卑小な、ただの現代の迷える学生に過ぎない。

 

地元のあの資料館の前を通りかかる時、あかりは何となく気まずさと、胸の奥をキリキリと引き絞られるような切なさが入り混じった妙な感覚に襲われ、いつも愛用の電動スクーターのアクセルを少し強めに捻り、目を背けるようにしてそのまま通り過ぎてしまうのだった。

 

(あの日々は……あの戦火の中で千代ちゃんと笑い合った日々は、本当に存在したのかな。本当は、私が受験のストレスか何かで都合よく見た、ただの長い夢だったんじゃないだろうか……)

 

調べれば調べるほど、大人の『立花千代』としての立派な業績ばかりが目に入り、自分の中の「千代ちゃん」が歴史の彼方へ消えていくような気がする。そんな割り切れない思いを抱えながら、日々の大学生活の忙しさが増していくにつれ、その大切だったはずの記憶の輪郭は、少しずつ、確実に生活の彼方へと遠ざかっていくようだった。

 

そんなあかりの目まぐるしい大学生活において、一番のスパイスであり、救いになっているのは、やはり個性豊かな友人たちの存在だった。

 

たまたま一回生の春に同じ映像概論の講義を選択することが多く、席が前後になったことからすぐに意気投合した「奈央子(なおこ)」は、地方の田舎町から出てきて一人暮らしをしている女の子だ。あかり以上の凄まじい行動力と好奇心の持ち主で、面白い被写体があると見ればどこへでもカメラを持って飛び込んでいき、いつも周囲の肝を冷やしていた。高校時代は写真部だったらしく、静止画から動く映像への興味を持ってこの学部に入ったという。あかりがなけなしのバイト代をはたいてようやく購入した、お気に入りの中古のミラーレス一眼カメラは、奈央子が「これ、サイズ感が絶妙だし、何より動画に強いのが最高だよ!」と秋葉原の中古カメラ店で一緒に選んでくれたものだ。

 

もう一人の友人である「達也(たつや)」は、映像のデジタル処理やデータ復元を学ぶ「映像解析コース」に在籍しているため、あかりたちと一緒の授業は少なかったが、高校時代は甲子園を目指していたという元野球部のスポーツマン。とにかく体育会系ならではの面倒見の良さがあり、気づけばいつの間にか自分たちの賑やかな輪の中に自然と溶け込んでいるような、お調子者だが底抜けに頼れる男だった。

 

「ねえあかり、今期末の自主制作ドキュメンタリーの自由課題、テーマもう決まった?」

 

お昼休み、ガラス張りの開放的な学生ラウンジのテーブルで、奈央子が自身のタブレットにノートを広げながら、紙パックのジュースを咥えて話しかけてくる。

 

「あー……それがさぁ、まだ全然、一文字も決まってないんだよね……」

 

あかりがノートを開いたままベタリと机に突っ伏すと、奈央子は大きな目をさらに丸くして驚いた。

 

「え、嘘でしょ!? 納期まではまだあるけど、そろそろ構成案を出してロケハンの許可取りに動き出さないと、マジで撮影期間が足りなくなって詰むよ?」

 

「そりゃそうなんだけどさぁ……そもそも、何をテーマにして取材したらいいのか、全然ピンとこなくて。自分が何を撮りたいのかが分かんなくなっちゃったんだよね」

 

そこへ、大きな機材カバンを無造作に肩にかけた達也が、ドサリと隣の椅子に腰掛け、白い歯を見せてニカッと笑った。

 

「お、あかりはまだ悩んでるのか? 俺はもう、構成案も通って、撮影もほとんど終盤だぜ。あとはクライマックスの試合を残すだけだな!」

 

「えっ、早っ! 達也、テーマ何にしたんだっけ?」

 

あかりが顔を半分だけ上げて尋ねると、達也は自慢げに胸を張った。

 

「昔、俺が小学生の時に所属してた地元の少年野球チームの密着ドキュメント。現役の監督や子どもたちにインタビューしてさ、今度の週末の試合をガッツリ撮影したらクランクアップ。だけど、問題はそっからの編集だなー。カット数が膨大すぎて、ストレージの容量がパンパンになりそうだし、何より俺のパソコンが熱で爆発しそう」

 

「へえ、めっちゃいいテーマじゃん! 青春だねぇ」奈央子が身を乗り出し、ファインダーを覗くような仕草で鋭く突っ込む。「でも達也、少年野球のグラウンドって遮蔽物がないから風が強そうだけど、マイクの風防はちゃんと付けた? 外でのインタビュー音、風の雑音でボロボロになってない?」

 

「あ……」達也は一瞬で笑顔を消し、冷や汗を流した。「ヤバ、そのまま内蔵マイクで録っちゃったかも……」

 

「ほら言わんこっちゃない! 音声の録り直し、結構キツいんだからね!」

 

あかりはその二人のいつものコミカルなやり取りをクスクスと微笑ましく見ながら、今度は奈央子の方に水を向けた。

 

「奈央子はどんなテーマで撮ってるの?」

 

「私はねー……ヒ・ミ・ツ! 教授のオッケーはもらったけど、あかりたちにはまだおしえなーい! 完成してからの上映会でのお楽しみってことで。それよりあかりさ、そんなにテーマが決まらないなら、いっそのこと大好きな『WALZ』のヒロくんの、ファンによる勝手に応援非公式PVでも作ればいいんじゃない? せっかくの『ルミちゃん』が泣いてるよー」

 

「ルミちゃん」とは、あかりが愛用している中古のミラーレス一眼カメラのことだ。ブランドの響きをもじってそう名付け、あかりは授業でもプライベートでも、どこへ行くにも大切に持ち歩いている。

 

「学校の公式課題の提出に、推しのヒロくんの映像を勝手に使うのは、著作権的にも倫理的にも色々とアウトでしょ……」

 

あかりが苦笑いしながら頭を振っていると、背後から「おーい、三人とも、お話し中すまんがね」と、低く穏やかな声が響いた。

振り返ると、あかりたちのゼミの担当教授が、資料を抱えて顔を出していた。

 

「ちょっと時任くんに頼み事というか、アルバイトの相談があるんだが、いいかい?」

 

「あ、教授。なんですか?」

 

「来週の木曜日、他大学からも結構なお偉い先生方が集まる、大きめの学術研究発表会が、うちの大学のメインホールであるんだ。その会場設営の準備とか、当日の記録用の動画撮影を手伝ってほしくてね。映像学部の学生の手際が良いと助かるんだよ。もちろん、ちゃんと学内の正規アルバイトとしての手当も出すよ。どうかな?」

 

「学術研究発表会、ですか……」

 

一瞬、お堅いイベントだなと身構えたが、他学部の教授たちの生の動きや、記録映像の現場ワークを実戦で学べるチャンスかもしれない。もしかしたら、ずっと空白のままのドキュメンタリー課題のヒントやインスピレーションが、何か転がっている可能性もある。

 

あかりは机から勢いよく顔を上げ、満面の笑みで二つ返事をした。

 

「あ、はい! 喜んでやらせていただきます! ちょうど来週の木曜の午後は全休なので、バッチリ動けます!」

 

「おお、助かるよ。じゃあ詳しいマニュアルと機材のリストは後でメールしておくから、よろしく頼むよ」

 

教授は満足そうに頷くと、足早に廊下の向こうへと去っていった。

 

「いいなー、バイト代でまたルミちゃんの新しいレンズの資金が貯まるね」と奈央子が冷やかす。

「よーし、来週は気合入れてカメラ回すぞ!」

 

その来週のアルバイトが、自身の止まってしまったままの運命の歯車を、再び激しく回転させる引き金になるとは――この時のあかりは、まだ知る由もなかった。

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