1.
「……な、な、なにこれ……?」
女学校の教室。木製の机の上で、あかりは広げられた教科書を前に完全に白目を剥いていた。
日本語のはずなのに、並んでいるのは見たこともない旧字体とカタカナ交じりの歴史的仮名遣い。現代の教科書のように分かりやすい解説や写真などあるはずもなく、黒々とした難解な漢字の壁が延々と続いている。
さらなる悲劇はノートを取る時間だった。
シャープペンシルやボールペンなど当然なく、机の上にあるのはペン軸と小さなインク壺。
周囲の女生徒たちは姿勢正しく、サラサラと流れるような美しい達筆で半紙風のノートを埋めていく。
だが、ペン軸など触ったことのないあかりが書こうとすればインクをつけすぎてノートにボタッと巨大な黒い染みを作ったり、力を入れすぎてペン先を紙に引っ掛けて破いたりと、あかりのノートは大惨事に……
「うう……っ、手も袖も真っ黒だよぉ……」
放課後、机に突っ伏して半泣きになるあかりを、千代が苦笑しながら手ぬぐいで拭いてくれた。
2. 「ありえない」一言と、生真面目な怒り
しかし、本当の事件はその後の「修身・作法」の授業で起きた。
畳敷きの作法室で、正座、お辞儀の角度、立ち居振る舞い、男性の後ろを三歩下がって歩く心得など、細かな規律が延々と叩き込まれる。足が激しく痺れ、指先までガチガチに固まったあかりは、廊下に出た瞬間、思わず深くため息をついて呟いてしまった。
「……はぁ〜、足が死ぬかと思った……。これ、一生ずっと続くの? ありえない……」
「――いま、『ありえない』と言いましたね、時任さん!」
ピシリと鋭い声が響いた。振り返ると、作法を担当する厳格な女性教師・鬼頭(きとう)先生が眉をつり上げて立っていた。
そのまま作法室の奥へ呼び出され、正座させられたあかりと、心配して付き添った千代に雷が落ちる。
「ありえないとは何事ですか! 女子が慎ましく家を守り、夫を立て、礼儀を尽くすのは国民として当然の務めです! そのような不心得で、どうして帝国の立派な母になれるというのですか!」
先生の激しい剣幕に、千代もまた、あかりの袖を引いて小声でたしなめた。
「あかり、あなたの育った場所では違ったのかもしれないけれど……内地ではこれが当たり前なの。国や家を支える大切な規範なのだから、ちゃんとしなさい」
千代にとっては、幼い頃から教え込まれた絶対の「正しさ」だった。だが、足の痛さと理不尽な叱責に耐えかねたあかりは、思わず反論してしまう。
「だって……誰かのために自分を縛ってばっかりなんて、息が詰まるよ! 私には無理だもん!」
「なっ……! 我が国の誇り高き伝統を『息が詰まる』などと……!」
あかりの悪気のない拒絶に、鬼頭先生の表情が引きつった。
自分自身も自由を押し殺し、厳しい規範に耐えて生きてきた――その人生そのものを否定されたような激しい屈辱と焦燥。その心の隙間に、時空の歪みから染み出した闇が食らいつく。
先生の背中から、メラメラと黒い炎が立ち上った。
両目が赤く淀み、周囲の空気が重く凍りついていく。
「伝統ヲ乱ス不届キ者メ……! コノ国ノ規律ヲ……叩キ込ンデヤルッ!!」
先生の体は、巨大な鉄の定規と戒律の鎖をまとった怪人へと変貌した。
「きゃあああっ!」
「先生が……!? あかり、逃げて!」
千代があかりの腕を引いて咄嗟に物陰へと飛び込む。教室の机や椅子が、怪人の振り回す鉄の定規によって粉々に叩き壊されていく。
「あかり、いくわよ!」
「うん……! 私のせいで先生が……絶対に助けなきゃ!」
「「プリキュア! タイム・リライト・プロトコル!!」」
まばゆい光が二人を包み、キュアフューチャーとキュアパストが放課後の教室に現れる。
『オキテヲマモレ! コノ国ノ……オンナノタメニッ!』
怪人が唸り声を上げ、鋭い切っ先のような定規をパストめがけて容赦なく振り下ろした。
「パスト・シールド!!」
キィィィンッ!と凄まじい金属音が響き、パストの展開した光の文字盤の盾が火花を散らす。
だが――パストは歯を食いしばり、盾を支えるだけで、一向に反撃の攻撃を繰り出そうとしない。
「くっ……!」
「パスト、隙があるよ! 押し返して!」
フューチャーが叫ぶが、パストは眉を悲痛に歪めたまま首を振る。
「だ、駄目よ……! 先生なのよ!? 私たちに作法や礼儀を教えてくださる、大切な先生に……手を上げるなんてできないわ!」
「っ……! でも、あのままじゃ先生の心が闇に呑まれちゃうよ!」
怪人の容赦ない連撃がシールドを打ち据え、パストの膝がガクガクと沈み込む。先生を傷つけまいと防戦一方になるパストを見て、フューチャーは意を決して地面を蹴った。
「パスト、盾を支えてて! 私が注意を引く!」
フューチャーは教室の倒れた机を跳び箱のように蹴り上げ、怪人の頭上へと大跳躍した。
「こっちだよーっ! 先生、頭冷やして!」
フューチャーの放った牽制の光弾が怪人の視界を遮り、怪人の体勢が大きく崩れる。その隙を見逃さず、フューチャーはパストの元へ滑り込み、その手を強く握りしめた。
「パスト、今だよ! 二人の光なら、先生を傷つけずに救える!」
「……ええ! 先生を、元の穏やかな先生に戻します!」
「「プリキュア・タイムライン・サルベーション!!」」
二人の繋いだ手から放たれた温かな光の激流が、怪人を優しく包み込む。
鉄の定規も戒律の鎖も淡い光の粒子となって溶け去り、重苦しい黒い霧は綺麗に浄化されていった。
光が収まると、そこには元の着物姿に戻り、床に静かに倒れて眠る鬼頭先生の姿があった。
「先生……! 先生、ご無事ですか!?」
パストは変身が解けるや否や、真っ先に先生のもとへ駆け寄り、その体を抱き起こして必死に介抱し始めた。
その背中を、あかりは少し離れた場所から、ぽつんと立ち尽くしたまま見つめていた。
(……千代ちゃんは、先生のことが心配なんだ……。私、あんなにひどく怒られたのに……)
安堵した表情で先生の額の汗を拭う千代の姿に、あかりの胸の奥で、名前のつかない小さくて苦いモヤモヤが渦巻いていた。
3. 夕暮れのあぜ道、ぶつかり合う価値観
保健室のベッドに先生を寝かせ、二人は並んで女学校の校門を出た。
赤橙色の夕日が二人の影を長く伸ばすあぜ道。重苦しい沈黙を破ったのは、千代の硬い声だった。
「……あかり、あんな風に先生へ口答えするのはよくないわ。規則や作法には、この国で皆が秩序を守って生きていくための理由があるのよ」
あかりは思わず足を止め、唇を尖らせて千代を振り返った。
「……でも! あんな頭ごなしに怒鳴りつけられて、黙って『はい』って言うなんておかしいよ! 誰かの後ろを三歩下がって歩けとか、自分の意見を言っちゃダメとか……そんなの、ただ我慢を押し付けられてるだけじゃない!」
「我慢じゃないわ、慎ましさよ!」
千代も足を止め、きつくあかりを見据えた。
「女が前に出ず、家を支えることで、男の人たちは安心してお国のための仕事に打ち込めるの。それがこの国の調和なのよ。あなたの住んでいた未来がどうだったかは知らないけれど、郷に入っては郷に従うべきだわ!」
「調和って何よ……! 我慢して息が詰まるのが調和なの!?」
あかりの声が悔しさに震える。
「私は間違ったこと言ってないもん! なんで千代ちゃんまで、あんな理不尽な先生の味方するの!? 私たち、一緒にこの国を救う仲間じゃなかったの!?」
「味方とか敵とか、そういう話をしているんじゃないわ!」
千代は胸の前で両手を強く握りしめ、凛とした、けれど頑なな声を張り上げた。
「この時代には、この時代の人々が必死に守ってきた生き方があるのよ! 勝手な理屈で波風を立てて、周囲から浮いてしまったら……一番つらい思いをするのは、あかり、あなた自身なのよ!?」
「勝手な理屈って……っ!」
あかりの目から、ぽろりと大粒の涙がこぼれ落ちた。
千代が自分を心配してくれているのは分かる。けれど、自分が生きてきた「当たり前」を全否定された悲しさと悔しさが、どうしても抑えきれなかった。
「……もういい! 千代ちゃんの分からず屋!」
あかりは袖で涙を乱暴に拭うと、千代に背を向け、一人でスタスタと大股で歩き出してしまった。
千代は伸ばしかけた手を止め、唇を強く噛みしめながら、その背中を少し離れて追うことしかできなかった。
二人の間には、100年の時代の断絶という、あまりにも高く冷たい壁が横たわっていた。
4. 大人のチェス盤
その頃、岡谷首相の私邸の書斎――。
紫煙をくゆらせる岡谷啓示の前に、陸軍の永守鉄志が立っていた。
「皇道派の血気盛んな若手の一部があかりくんの周辺を嗅ぎ回っています。小田も目立つ動きはしていないが、こちらを警戒しているのは明らかです。我々統制派は暴発させないように手を打ってはいるが…陸軍の異様な動きは、海軍の耳にも届いている」
「うむ……」
岡谷は手元の灰皿に煙草を押し付けると、老獪な政治家の鋭い光を瞳に宿らせた。
「昨今の国会でも、軍の急進派を刺激せんよう野党の追及をいなすのに骨を折っておる。連中は今、極度に神経を尖らせておるからな。過敏に反応して追い詰めれば、かえって暴発の火種を大きくするだけだ」
岡谷は立ち上がり、窓の外の庭園に視線を向けながら永守に命じた。
「永守くん。あの子たちの登下校時、立花少尉を中心に極秘裏に警護を強化させたまえ。目立ってはならんぞ。表向きはただの女学生として、自然に見守るのだ」
「承知いたしました。立花少尉にはすでに万全の手配をさせてあります」
「それと……海軍の艦隊派もきな臭い動きをしておるな。予算を巡って陸軍に対抗心を燃やしておる」
元海軍軍人でもある岡谷は、低く唸ると電話機を引き寄せた。
「……本山と米田を呼んで話をしなきゃいかんな。条約派のあの二人なら話が通じる。海軍の身内が勝手な真似をせんよう、私から直接釘を刺しておかねばならん」
国家の舵取りを担う大人たちが、静かに、そして冷徹に防波堤を築きつつあった。
5. 階段下の秘密
一方、岡谷邸の門前に辿り着いたあかりと千代のもとへ、先輩女中がエプロン姿で慌ただしく駆け寄ってきた。
「あかりさん、千代さん! ちょうどよかったわ! 実は女中の何人かが風邪で寝込んでしまって、人手が全然足りないの! すぐにお手伝いをお願いできるかしら?」
「えっ!? は、はい!」
「私も手伝います!」
千代は女中ではないものの、放ってはおけず、着物の袖をたすき掛けにして屋敷へと駆け込んだ。
邸内の拭き掃除や配膳の手伝いに追われ、慣れない着物で走り回るあかりは、あっという間に体力の限界を迎えた。薄暗い階段の下の隅っこにペタリと座り込み、誰もいないのを見計らってポケットの懐中時計を取り出す。
「もー、大変すぎ……! 私、今すぐ自分の時代に帰りたいよぉ……!」
あかりが涙目で零すと、ふいに懐中時計の奥から、頭の中に直接響くような呆れた声が小さく返ってきた。
『まだダメ! やることちゃんとやってから帰してあげるから!!』
「!!? ……い、いま、時計が喋った……!?」
あかりは目を丸くして時計をまじまじと見つめたが、手の中の懐中時計は、銀の文字盤の上でチクタクと無機質に時を刻んでいるだけだった。
「……私、疲れてるんだぁ。幻聴まで聞こえてきちゃった……きっとそうだ……」
あかりはトホホと肩を落とし、ぐすりと鼻をすすった。
その時、階段の上を通りかかった岡谷が、ふと足を止めていた。
手すりの隙間から見下ろすと、未来から来た少女が時計を握りしめながら、必死に涙を拭っている。時計の声は岡谷の耳にも届いていたのだ。
(……そうか。あの子はいずれ、自分の時代へ帰っていくのだな)
岡谷は声をかけることなく、静かにその光景を胸の奥に刻み込んだ。
6. 母の味と、仲直りのポテト
階段下から台所へと戻ったものの、あかりと千代の間には、先ほどまでの刺々しい空気とはまた違う、重くて気まずい沈黙が流れていた。
千代は洗い場に立ち、伏し目がちに黙々と茶碗を洗っている。その背中はどこか硬く、あかりを拒んでいるようにも、どう声をかけていいか迷っているようにも見えた。
あかりもまた、洗い終えた膳を拭きながら、チラチラと千代の横顔を盗み見る。目が合いそうになると、お互いにサッと視線を逸らして手元の布巾や食器に集中するふりをしてしまう。
(……千代ちゃん、まだ怒ってるよね……。私、あんなこと言っちゃったし……)
胸の奥がチクチクと痛む。
千代が自分を心配してくれていたのは痛いほど分かっているのだ。それなのに、感情に任せて「分からず屋」と切り捨ててしまった。謝りたいのに、喉の奥に小石が詰まったように言葉が出てこない。
ふと、台所の隅に置かれた木箱に目が留まった。
土のついた大量のじゃがいもが、ゴロゴロと転がっている。
(……あ、じゃがいも。そういえば……)
脳裏に浮かんだのは、令和の自宅の、明るくて温かい台所の風景。自分が落ち込んだとき、母が「元気出しなさい」と笑いながら作ってくれた、大好きな料理。
(……作法もお掃除も、この時代のことは何一つできないけど。これなら……今の私でも、千代ちゃんに何かできるかも)
あかりは意を決して、きゅっとエプロンの端を握りしめると、すり足で千代の隣へと歩み寄った。
「あ、あの……っ、千代ちゃん」
千代の肩がピクリと跳ね、洗っていた茶碗の動きが止まる。
おそるおそる振り向いた千代は、まだ少し眉を寄せた硬い表情のまま、あかりの目をまっすぐ見られずに視線を少し泳がせた。
「……な、何か用があるの?」
思わずよそよそしい態度をとってしまい、千代自身も「あ」と気まずそうに唇を結ぶ。その不器用な姿に、あかりの緊張がほんの少しだけほどけた。
「えっとね……その、先輩女中さんに、あのお芋を少しだけ使わせてもらえないか、聞いてみても……いいかな? 私、一品だけ作ってみたいものがあって……」
「お芋を……?」
千代は不思議そうに瞬きをし、木箱のじゃがいもとあかりの顔を交互に見比べた。まだわだかまりは完全には消えていないはずなのに、あかりの必死で控えめな申し出を無下に断ることはできず、千代は小さく息を整えると、静かに頷いた。
「……分かったわ。私が聞いてくる」
千代は洗い場の水気を拭うと、先輩女中のもとへ向かった。
「すみません、あかりさんと一緒に、お芋を少し使ってお料理を試してみたいのですが、よろしいでしょうか?」
「あら、千代さんたちが? ええ、もちろん構わないわよ。夕飯の残りだから好きに使ってちょうだい。火と油には気をつけてね」
許可をもらって戻ってきた千代は、まな板の前に立ち、包丁を手にしたあかりの不慣れな手つきを見て、思わず声を漏らした。
「ちょ、ちょっと、あかり……! 猫の手! 指を切る気!?」
「ひゃああっ! だ、大丈夫、切れてないから!」
危なっかしい包丁遣いに耐えかねた千代が、たまらずあかりの手元に覆いかぶさるようにして包丁を取り上げる。
「もう……見ていられないわ。どんな形に切ればいいの?」
「え、あ、細長いくし形! 太さはこれくらいで……」
「こうかしら?」
トントン、と千代の手によってリズミカルに均一なスティック状へと切り揃えられていく。
あかりはそのじゃがいもを受け取り、水にさらしてデンプンを落とすと、清潔な手ぬぐいで丁寧に水気を拭き取った。
「天ぷらにするわけじゃないのね?」
「うん。小麦粉をね、こうやって薄〜くまぶすの。……千代ちゃん、お鍋の油、あったまってそう?」
「ええ、菜箸を入れてみたら、細かい泡が立っていたわ」
さっきまでのぎこちなさが嘘のように、二人は自然と肩を並べ、作業を分担していた。
じゃがいもを油の中へ滑り込ませると、パチパチパチッと小気味よい音が立ち上り、香ばしい匂いが台所いっぱいに広がる。
「火加減が難しいわね……焦げないかしら」
「ちょっと端っこが黒くなっちゃったけど、これくらいがカリッとして美味しいんだよ」
こんがりと黄金色に揚がったポテトを網ですくい、深皿へと盛る。あかりは手早く塩を振り、棚から見つけておいた青のりをパラパラと振りかけた。
「お芋に青のり? 変わった組み合わせね……」
「ふふん、これが最高なんだから! はい、千代ちゃん、熱いうちに食べてみて!」
あかりが差し出した小皿を、千代はおずおずと受け取った。
湯気の立つ一本を指先でつまみ、ふうふうと息を吹きかけてから、小さく口へと運ぶ。
サクッ、ホクッ。
軽やかな歯ごたえのあと、熱々のじゃがいもの甘みと、塩気、そして磯の香りがふわっと口いっぱいに広がった。
「…………っ」
千代の瞳が丸くなり、咀嚼するごとに、その強張っていた表情がみるみるうちに緩んでいく。
「……おいしい。すごく、おいしいよ、あかり」
「ほんと!? よかったぁ……!『フライドポテト』っていうんだよ。塩味だけでも美味しいんだけど、のり塩味が好きなんだ。」
あかりは安堵の息を吐き出し、エプロンに手を当てた。
その顔を見て、千代は手元のポテトを見つめながら、ぽつりと口を開いた。
「……あかり。さっきは、ごめんなさい」
「えっ?」
「あなたの住んでいた未来の自由さを否定するつもりはなかったの。ただ……あなたがこの時代で傷ついたり、つまはじきにされたりしたら嫌だなって、そう思ったら……意固地になって、一方的に私の『当たり前』を押し付けてしまったわ」
千代が少し耳を赤くして俯くと、あかりはぶんぶんと激しく首を横に振った。
「ううん、私の方こそごめんなさい! 千代ちゃんが心配してくれてたのに、私、カッとなってひどいこと言っちゃった……。この時代のルールも、千代ちゃんたちが大切にしてることも、何も分かってなかったのに」
二人は顔を見合わせ、どちらからともなく、くすっと吹き出した。
「ふふっ……私たち、ケンカする時まで全力なのね」
「あはは! ほんとだね!」
重苦しかった壁が綺麗に溶け去り、いつもの眩しい笑顔が二人の間に戻った。
「おや、なんとも香ばしい匂いがすると思えば……」
そこへ、廊下を歩いていた岡谷が、漂う匂いに誘われるようにひょっこりと台所に顔を出した。
物珍しそうに皿を覗き込むと、揚げたてのポテトを一本ひょいとつまみ食いする。
「ほう……! 外はカリッとして、中はホクホクしておる。磯の香りがして、これが意外と合うな。これはいいツマミになる。今夜の晩酌の時に、私の部屋にも持ってきてくれないかね?」
「はい、もちろんです! 後ほどお持ちします!!」
満足そうに頷き、部屋へと戻っていく岡谷の後ろ姿を見送り――
「「やったー!!」」
あかりと千代は顔を見合わせ、満面の笑みでパチンと力強くハイタッチを交わした。
昭和の夕暮れの台所に、二人の少女の澄んだ笑い声がいつまでも響いていた。