1.狂う歯車、あるいは少女たちの鉢合わせ
チ、チ、チ、チ、チチチチチチ――。
あかりのセーラー服のポケットの中で、あの謎の懐中時計が、かつてないほど不気味な金属音を立ててのたうち回っていた。中で噛み合う無数の歯車同士が軋んだ悲鳴を上げ、ガラス越しに見える針は、まるで狂った羅針盤のように激しく左右に振れている。
「あかり、時計がこんなに怯えるなんて……何か、とてつもない大変なことが起きようとしています……!」
「うん、永守さんから聞いた『あの事件』の日より、かなり早い。歴史が焦ってるんだ……怪しいなんてもんじゃないよ!」
お互いに胸騒ぎを覚えたあかりと千代は、連絡を取り合ったわけでもないのに、厳戒態勢が敷かれた三宅坂の陸軍省前でバッタリと鉢合わせしていたのだ。
あかりが慌ててポケットから時計を取り出した、その時だった。
ジリリリリッ! と目覚まし時計のような可愛い音が鳴り響き、文字盤の針がピタリと12時を指して静止する。同時に、時計の裏蓋がパカッと開き、光の粒子がぽわぽわと飛び出してきた。
『キュピ! うわ〜〜ん! 痛い、痛い! 歯車がぎちぎちで、もう限界だよ〜!』
「ひゃあああーーっ!? と、時計が喋った、喋ったよ千代ちゃん!! 物理法則どこ行ったの、最近のアンティークはAIでも搭載されてるの!?」
「あ、あかり、落ち着いてください! 機械の音声にしては、あまりにも……あ、あの、あなたは一体……?」
腰を抜かしかけてジタバタするあかりを、千代が必死に支える。
『ボクは時空の調律者・クロノス! キュピ! 歴史をめちゃくちゃにする悪いやつらが来て、タイムラインが大ピンチなんだ! ほら、そこの食いしん坊な女の子、ボクと一緒に歴史を変えて!』
「だれが食いしん坊よ! ……って、歴史を変えるって、『あの事件』が起こるの!?」
すると次の瞬間、今度は千代が持っていたもう一つの懐中時計までもがジリリリリッ! と激しく鳴り響いた。あかりの時計と共鳴するように裏蓋が開き、眩しい光を放ち始める。
『キュピ! 急いで! のんびりお喋りしてる時間はないんだよっ!』
『そうだよ! 急いで急いでー!』
二つの時計がシンクロしてジタバタと騒ぎ立てる様子を見て、千代はハッと目を見開いた。驚きつつも、その冷静な頭脳で状況を鋭く見抜く。
「……なるほど。私たちに、あの『プリキュア』という不思議な力を与えてくれたのは、あなたたちなのね?」
千代が核心を突く質問を投げかけると、二つの時計は一瞬だけ「キュピ……」と言葉を詰まらせ、お互いの文字盤を合わせるようにしてキョロキョロと視線を泳がせた。
『え、ええっと、それはまあ、追々説明するとして……!』
『とにかく今はそれどころじゃないんだってば! 歴史が焦ってる! 本当に大変なことになっちゃう! 早く早く!』
重々しい石造りの建物を前に、二人は息を飲む。すでに空気そのものがピリピリと張り詰めていた。
「あかりさん、千代! こっちだ!」
裏口の植え込みから顔を出したのは、憲兵の制服を着た創だった。永守の手引きを受けた彼は、少女たちに大きめの軍帽とだぼだぼの詰襟の上着を押し付ける。
「局長から話は聞いている。未来の知識があっても、敵の動きが早すぎるそうだ。いいか、絶対に声を出すなよ」
二人は深く帽子をかぶり、書類を抱えた給仕のふりをして、厳重な警備の目をくぐり抜けた。冷たいコンクリートの廊下を進み、静かに、滑り込むように永守の局長室の隅へと潜り込む。部屋の隅の暗がりに身を潜める二人の胸は、早鐘のように高鳴っていた。
2.張り巡らされた網、そして暴発
その頃、陸軍省の敷地内では、一人の男が目に見えない蜘蛛の巣に絡め取られていた。相川一樹中佐である。
永守が放った密偵や憲兵たちは、相川を物理的に拘束こそしないものの、完璧な包囲網でその行動を制限していた。
「相川中佐、どちらへ」
「局長殿は現在、大事な会談の最中でしてな。こちらでお待ちを」
廊下を歩けば声をかけられ、中庭に出れば鋭い視線が突き刺さる。どこへ行っても「永守の手の者」が立ちはだかり、退路を断っていく。
(永守……貴様、私を、我ら皇道派をそこまで愚弄するか……!)
だが、永守の放ったその「完璧な監視のプレッシャー(焦燥感)」こそが、最悪の呼び水となった。相川の胸の奥底にくすぶる怨念が、時空の歪みから染み出した黒幕のネガティブエネルギーと、バチリと音を立てて結びついてしまう。
「……局長殿に……話が……あるのだ……!」
相川の口から、人間のものではない地を這うような重低音が漏れた。
次の瞬間、彼の五感は狂い、視界は血の赤に染まる。ネガティブ・ミリタリーの憑依による「怪人化」が始まったのだ。
「うおぉぉぉぉッ!」
相川は獣のような咆哮を上げると、立ち塞がった憲兵二人を、常人離れした腕力で左右の壁へと叩きつけた。肉の弾ける鈍い音が廊下に響く。包囲網を力任せにブチ破り、相川は軍刀を血走った目で抱えながら、陸軍省の階段を一段飛ばしで駆け上がっていった。その背中からは、ドス黒い闇の炎が立ち上っていた。
3.会談の決裂、そして「想定外の開戦」
その頃、局長室の重厚な空気は、別の意味で爆発寸前だった。
永守鉄志と、皇道派の巨頭である小田敏次郎が、机を挟んで凄まじい視線をぶつけ合っていたのだ。
「永守、この人事案は何だ! なぜ我ら皇道派の人間をここまで要職に据える! 貴様、何を企んでいる!」
小田が突きつけた書類を机に強く叩きつける。
そこに並んでいたのは、永守自身の権力基盤は絶妙に維持しつつも、皇道派にとって露骨なまでに有利な、異例の人事案だった。不満を逸らし、相川たちの暴発の芽を事前に摘むために永守が仕掛けた「罠(防壁)」である。
しかし、百戦錬磨の小田には、それがかえって不気味な甘い罠にしか見えなかった。
「何か裏があるはずだ。統制派の総本山たる貴様が、理由もなく我らに利を譲るわけがない。……我々を油断させ、一網打尽にする策か?」
「小田、君にはまだ言えんが、これは必要な『防壁』だ。派閥争いなどという次元の話ではない。国を、歴史を守るためのな」
永守は眉一つ動かさず、冷徹な目で小田を見据えた。
冷淡に応じる永守だが、その内心には確かな計算があった。あかりからもたらされた未来の情報に基づき、皇道派の不満をこの人事でコントロールしつつ、主犯となる相川には万全の監視を付けている。これで史実の暗殺事件(相川事件)は未然に回避できるはずだ――。
しかし、それは甘かった。
時空を操る黒幕の焦りは、近代国家のシステムや、一人の天才が張り巡らせた知略のスピードを、遥かに凌駕していたのだ。
4.決戦の局長室、荒ぶる軍刀
――バン!!!
凄まじい衝撃音と共に、局長室の重厚なオーク材の扉が、中央から真っ二つに叩き割られた。
爆風のような木屑の中に立っていたのは、軍服を引き裂き、全身からどす黒いオーラを噴出させている相川だった。その目は白目を剥き、歯茎からは血が流れている。
「永守ぃぃぃッ! 国賊めがぁぁッ!!」
史実の歴史が、恐るべき強制力を持って永守の命を刈り取りにきた。
だが、未来を知る永守もタダでは死なない。即座に机の引き出しから拳銃を引き抜き、小田もまた「相川、正気か!」と叫んで軍刀の柄に手をかける。
コンマ数秒の緊迫した膠着状態。
「これ以上、歴史をめちゃくちゃにさせない!!」
「みんなの未来を、守るんだから!」
部屋の隅から叫び声が響いた。あかりと千代が軍帽を投げ捨てる。二人の手の中で、限界を超えたクロノスが眩い輝きを放ち、局長室全体を真っ白な閃光で包み込んだ。
「うわあああ!?」
「な、何だこの光は!?」
あまりの光量に、小田も永守も目を眩まされ、その場にたじろぐ。
光の渦の中で、二人の少女の身体が弾けるように躍動した。セーラー服と着物が光の粒子へと変わり、戦時下の濁流に立ち向かう、凛々しくも美しいドレスへと編み変わっていく。
「未来へ紡ぐ、希望の光! キュアフューチャー!」
「過去から学ぶ、不屈の願い! キュアパスト!」
「「チェンジヒストリー・プリキュア!!」」
「おのれ……光めぇぇ!」
目が眩みながらも、怪人化した相川は本能的な殺意でフューチャー(あかり)へと斬りかかった。ネガティブエネルギーを纏った軍刀が、不気味な黒い軌跡を描いて迫る。
「危ないっ!」
パスト(千代)が瞬時に踏み込み、和傘型のステッキを抜刀するように構えて防いだ。キィィィン!と耳を突き刺すような金属音が響き、激しい火花が散る。パストの足元の絨毯が、風圧で丸ごと吹き飛んだ。
「くっ……ものすごい力……! 完全に乗っ取られているわ!」
「パスト、持ちこたえて!」
フューチャーが机を蹴り、空中へと高く舞い上がった。そのまま相川の脳天めがけて強烈な踵落としを叩き込む。だが、相川はパストを押し返すと、驚異的な反応速度でフューチャーの蹴りを空いた左腕で受け止めた。
ドゴォン!と重苦しい衝撃音が響き、局長室のガラス窓が激しく振動する。
「永守を殺す……それだけが、我が正義ぃぃ!!」
相川の背後から、黒い影のような巨大な腕が何本も生え、部屋の壁や天井を破壊しながら二人へと襲いかかる。
「正義って、誰かを傷つけるためのものじゃない!!」
フューチャーは迫り来る黒い腕を、拳と蹴りで次々と殴り飛ばしていく。一撃一撃が重く、拳が痺れるほどの衝撃。パストもまた、ステッキから光の障壁を展開し、容赦なく降り注ぐ闇の刺突を必死に防ぐ。
「……これが二人の力、なのか……?」
背後で、激しい風圧に耐えながら二人の背中を見つめる永守の胸に、複雑な感情が去来していた。 彼女たちの正体も、その常識外れの力も、すでに知っていた。だからこそ永守は、この歴史の分岐点を乗り越える作戦に、彼女たちの「超常の力」をあらかじめ組み込んでいたのだ。14歳の少女たちを危険な戦場に頼らざるを得ない自らの冷徹さに、大人としての、そして一人の人間としての激しいためらいと罪悪感を覚えながらも――。しかし、実際に間近で見るプリキュアの戦闘は、書類上の「戦力」という言葉では到底片付けられないものだった。怪人化した相川が放つ、歴史の濁流そのもののような圧倒的な暴力。それを、華奢な身体に似合わぬ強靭な意志と光で真っ向から押し返す二人の姿。知略の天才である永守は、自分の頭脳が導き出した作戦の通りに動いているはずの少女たちの、計算を遥かに超越した「生の輝き」と「超常の力」に、ただただ圧倒され、畏怖の念を抱かざるを得なかった。
「パスト、一気にいくよ!あの人の心を、闇から引き剥がすよ!」
「はい! 彼の『国を想う心』まで消してしまわないように……優しく、強く!」
二人は視線を交わすと、激しい猛攻をかいくぐり、相川の両脇をすり抜けた。フューチャーの拳が相川の胸元に、パストのステッキがその背中に同時に当てられ、相川の動きを完全に封じ込める。
「「これ以上、悲しい歴史を刻ませない!!」」
二人が同時に飛び退き、空中で手を繋ぎ合わせる。クロノスが黄金の光を放ち、二人の放つピンクと藍色のオーラが混ざり合って、巨大な光の歯車を形成していく。
「「プリキュア・クロノス・レボリューション!!」」
放たれたのは、濁流のような光の濁流だった。それは相川を傷つけるための暴力ではなく、彼を縛り付ける歴史の呪縛を解き放つための、圧倒的な「時間の輝き」だ。
「が、あああああああッ!!」
光に呑まれた相川の身体から、ドス黒いネガティブエネルギーが蒸発するように消えていく。相川の脳裏に、かつて自分が愛した日本の美しい風景や、守りたかった人々の笑顔が駆け巡る。歪んだ殺意が、本来の純粋な愛国心へと浄化されていく。
バタリ、と軍刀が床に落ち、相川はその場に崩れ落ちて、静かに意識を失った。
静寂が戻った局長室。
破壊された扉の向こうから、ようやく憲兵たちの足音が近づいてくる。
フューチャーとパストは、息を荒くしながらも、倒れた相川に大きな怪我がないことを確認してホッと胸をなでおろした。
二人は静かに振り返り、呆然と立ち尽くす永守と小田に、軍帽を拾い上げながらニッコリと微笑んだ。
「永守さん。……歴史は、変えられます。」