絶望の花咲く東京で   作:ベイベ後藤

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渋谷事変
11話 狂った台本


 

 十月三十一日。時刻は十九時を回ったところだった。

運命の夜が幕を開けようとしている渋谷駅の地下深く、まだ一般の利用客たちが地上の異変に怯えながら右往左往している喧騒のさらに奥、呪術的な隠れ家にその一団は集まっている。

 

「……おい、夏油。説明してもらおうか。地上のあれは一体何の真似だ!」

 

 コンクリートの壁を震わせるような怒声を発したのは、頭頂部から火山の如き炎を燻らせた特級呪霊・漏瑚だった。彼は一つしかない巨大な眼を血走らせ、不愉快極まりないといった様子で、机の上に置かれた何台かのスマートフォンを睨みつけている。

 

「昨日から、我々の通信が完全に圏外のままだ。それだけならまだしも、東京の空を覆っているあの『光の壁』……あれは我々の用意した『帳』ではない。それどころか、あの中に満ちているのは、呪力とは似ても似つかぬ、反吐が出るほど無機質な『システム』の気配だ。

お前の計画に、あんなものは入っていなかったはずだぞ!」

 

 漏瑚の剣幕を前にしても、夏油傑の肉体を纏った男――偽夏油は、いつもと変わらない穏やかで胡散臭い笑みを崩さなかった。

彼は細い指先で自身の額にある縫い目をなぞりながら、宥めるように手を挙げた。

 

「落ち着いてくれ、漏瑚。君の苛立ちは尤もだ。確かに、あの光の檻――『東京封鎖』は、私の台本にもない完全なイレギュラーだよ」

 

「イレギュラーだと?」

 

 その傍らで、継ぎ接ぎだらけの顔をした呪霊・真人が、興味深そうに首を傾げた。

彼は人間の死体を弄ぶような手つきで、一般人から奪ったのであろうスマートフォンを弄んでいる。

 

「でもさ、夏油。これ、めちゃくちゃ面白いよ。ほら、この画面に出てるアプリ。さっき、そこらにいた人間に無理やり起動させてみたらさ、空間の隙間から、呪霊とは違う『異形』がポンと飛び出してきたんだ。

呪力を持たないただの人間が、スマホの操作一つで特級に近い暴力を呼び出せる。

人間の魂の形が変わっちゃったみたいでさ、見ていて飽きないねぇ」

 

「ああ、それが悪魔召喚プログラム。そして、この事態を引き起こしたのが、私が以前から注目していた、徹底的な『数式と論理』で世界をハックしようとしていたあの狂気的な若者……」

 

 夏油は椅子に深く腰掛け、モニターに映し出される東京の電子ログを眺めた。

 

「彼がやったことは、呪術的な『結界術』とは根本的に異なる。我々の結界術は、空間に呪力で『壁』や『条件』を付与するものだ。だが彼は、天元の因果そのものをデジタルデータに置換し、別のサーバーへ隔離(ハック)してしまった。だからこそ、高専の連中も、そして我々も、あの光の壁を呪術的に解除することができない」

 

「チッ、人間の小細工が……!」

 

 漏瑚が忌々しげに床を焦がす。しかし、夏油はその漏瑚を見つめ、声音を一段と低く、そして妖しく響かせた。

 

「いや、素晴らしい小細工だよ、漏瑚。

君たち呪霊は、人間の情念――呪力から生まれた純粋な存在だ。だが、ナオヤがバラまいたこのプログラムは、呪力という前時代的なルールそのものを上書きしている。

規約に同意すれば、誰だって神の領域の暴力(パワー)を扱える。これはある意味、私が目指す『非術師の淘汰と、人類の次なるステージ』の、極端で歪なプロトタイプと言ってもいい」

 

「へぇ……。夏油は、その人間のやり方が気に入ったわけ?」

 

 真人が顎を突き出し、無邪気な、しかし底の知れない濁った瞳で夏油を見つめた。

 

「まさか。目的の方向性は近くても、彼の手段はあまりに悪趣味で、かつ私にとっては都合が悪い。

彼は世界を救うためでも、呪術を完成させるためでもなく、この東京を巨大な地獄の揺り籠に変えたんだからね」

 

 夏油は懐から、禍々しい無数の目を閉じた立方体――特級呪物「獄門疆」を取り出し、愛おしそうに掌の内で転がした。

 

「じゃあ、夏油。肝心の作戦はどうするんだ?」

 

 それまで静かに戦況を分析していた脹相が、重い口を開いた。

 

「もう間も無く、五条悟がこの渋谷にやってくる。

東京がこんな『悪魔の檻』に変わってしまった以上、奴をハメるための前提条件が狂っているんじゃないか?」

 

「いいや、脹相。むしろ、状況は我々にとってこれ以上ないほど有利に傾いている」

 

 夏油の唇が、歪な三日月のように釣り上がった。

 

「五条悟は現代最強の男だ。だが、彼には致命的な弱点がある。それは、彼が『強者』であり、同時に『人間の理性』を捨てきれない善人だということだ。

我々は当初、地下ホームに大量の一般人を詰め込み、彼に『無量空処』を使わせない人質にする予定だった。……だが、今はどうだい?」

 

 夏油はスマートフォンの画面を指差した。そこには、一般人たちの頭上で非情にカウントダウンを刻む『ラプラスの魔』のシステムデータ、そして余命に追い詰められて悪魔を召喚し、互いに殺し合いを始めた人間の暴動ログがリアルタイムで流れていた。

 

「地上も地下も、ただ怯えるだけの羊ではない。スマホ一台で強力な暴力を手に入れ、残り数日の寿命に狂わされ、猜疑心と悪意で暴徒化した一般人たちが、この渋谷の街を埋め尽くしている。

五条悟がここへ降り立ったとき、彼が目にするのは、呪霊に襲われる可哀想な被害者ではない。悪魔を従えて殺し合う、狂った人間どもの地獄絵図だ」

 

 夏油の言葉に、漏瑚と真人が同時にニヤリと笑みを浮かべた。

 

「なるほどねぇ! 五条悟は『人間を守る術師』でしょ? でも、守るべき人間が自分から悪魔を呼んで暴れてるんだ。おまけにそいつらの頭には、あと何日で死ぬかっていう、意地悪な数字がチカチカしてる。

五条悟がどれだけ強くたって、人間の自滅までは止められないよね」

 

「その通りだ、真人。さらに、悪魔という存在は呪力を持たない。あれは世界のバグ(演算コード)が実体化したものだ。

五条悟の『六眼』は、世界中の呪力の流れを原子レベルで知覚する。だが、その網膜に、呪力を持たない異物(悪魔)の情報や、東京封鎖の膨大なプログラムノイズが津波のように流れ込んだらどうなると思う?」

 

 夏油は獄門疆をきつく握りしめ、その目を妖しく輝かせた。

 

「最強の脳であっても、処理しきれない未知のバグ(ノイズ)に一瞬の『戸惑い』が生じるはずだ。その一瞬のノイズと、暴徒化した人間たちの混沌こそが、獄門疆の開門条件――彼の脳内時間を『一分間』奪うための、最高のスパイスになる」

 

 夏油は立ち上がり、袈裟の袖を翻した。

 

「漏瑚、真人、花御、脹相。予定通り、渋谷駅の地下で五条悟を迎え撃つ準備を。ナオヤがせっかく用意してくれたこの極上の舞台、我々が利用しない手はないさ」

 

 夏油傑の皮を被った男の命により、特級呪霊たちはそれぞれの配置へと散っていった。

誰もいない地下室に残った夏油は、静かに地上の『光の壁』を見上げ、冷たい独り言をこぼした。

 

「千年の謀略と、現代のプログラム。どちらがこのチェス盤を制するか……。見物だね?」

 

 偽夏油の合図と共に、渋谷の街を包むように、一般人を閉じ込める禍々しい呪力の『帳』が、静かに降ろされ始めた。

 

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