静寂が、地下3階のホームを支配していた。
カイドーの『貫通』を帯びた『デスバウンド』の直撃。そして虎杖悠仁の全身全霊を込めた『黒閃』
二度の致命的な打撃を受けた真人の『遍殺即霊体』は見る影もなく崩壊し、黒い煙を上げながらボロボロの肉体へと巻き戻っていた。
「がっ……あ……ッ!カハッ……ッ!」
ホームの冷たいアスファルトの上で、真人は惨めに血と呪液を吐き散らしていた。かつて人間を玩具のように弄び、その魂を捏ね繰り回してせせら笑っていた特級呪霊の面影は、そこには一切存在しない。
胸を大きく抉られ、呪力の供給も絶たれかけた真人は、死の恐怖にガタガタと全身を激しく震わせていた。
「いやだ……死にたくない……!俺は……俺は人間から生まれた呪いだぞ……!こんなところで……ッ!」
爪を立て、地面を這いずり回る真人。
虎杖たちがゆっくりと歩み寄ってくる足音を聞くたびに、彼の瞳には見苦しいほどの絶望と恐怖が色濃く浮かび上がっていく。
「助け……誰か……夏油……ッ!助けてくれ……」
他者の命を奪う時には一切の躊躇も慈悲も見せなかった男が、いざ己の死に直面した瞬間、ただの惨めな生への執着を露わにして叫ぶ。その姿は、あまりにも醜悪で、哀れだった。
「どこまでも……どこまでも最低な奴……」
歩みを進める一行の中で、ミドリの絞り出すような声が響いた。
彼女の小柄な身体は、激しい怒りによってワナワナと震えている。
「人の命を……みんなの想いを踏み躙っておいて、自分が追い詰められたら助けを求めるの!?許せない……そんなの、絶対に許せないよ!!」
ミドリの頭脳に、これまで見てきた凄惨な光景が走馬灯のように駆け巡る。
変異させられ、泣きながら助けを乞う改造人間たち。東京封鎖という極限の状態に巻き込まれた民衆の無念。そして、この渋谷で不条理に命を奪われていった無数の人々……
悪を挫き、人を救うヒーローになりたいと願うミドリの純粋な正義感が、真人の存在そのものを「絶対に存在してはならない悪」だと断じた。
「ミドリちゃん……」
アツロウが息を呑む。
ミドリの保持するCOMPから、これまでに見たこともない眩いばかりの純白の光が溢れ出している。
悪魔使いとしての彼女の精神力が、人間の尊厳を汚し続けた特級呪霊への激憤によって限界を超え、聖なる力を引き寄せていた。
『――スキル【天罰】を獲得しました――』
COMPの画面に走る無機質な電子音。
不遜なる悪を裁き、神聖なる理(ことわり)によって存在そのものを浄化・討滅する破魔の力。
「あなたが弄んできたたくさんの人たちの痛みを……いまここで、思い知りなさい!!」
ミドリがCOMPを真人に向け、全身の力を込めて叫ぶ。
「天罰てきめーーーーんッ!!!!」
一瞬、地下3階の闇が消え去った。
ミドリのCOMPから放たれたのは、太陽の輝きすら霞むほどの神聖なる破魔の光柱――『天罰』
「あ……あぁぁぁぁぁぁぁッ!?!?あつっ、痛い、熱い熱い熱い熱いッッ!!!!」
光に飲み込まれた真人が、この世のものとは思えぬ絶叫を上げた。
呪霊の肉体のみならず、歪みに歪みきった彼の「魂の根幹」そのものが、神聖なる破魔の光によって瞬時に焼かれ、浄化され、解体されていく。
どれほど魂の形を変えようと、どれほど再生を試みようと、破魔の光は真人の存在そのものを根本から消滅させていく。
「虎杖悠仁ぃぃぃぃぃぃッ――!!」
最期の叫びを残し、真人の身体は一粒の塵すら残すことなく完全に弾け飛んだ。
粘着質な悪意と憎悪に満ちていた地下ホームの空気が、まるで洗われたかのように清涼な静寂を取り戻していく。
人間から生まれた特級呪霊・真人。
悪魔使いの放った裁きの光によって、その存在は完全に消滅したのだった。
眩いばかりの破魔の光芒が去り、地下3階のホームに静寂が戻ってきた。
真人が消滅した空間には、歪んだ呪力の欠片一つ残っていない。あまりにも完璧な浄化だった。
「はぁ……はぁ……」
COMPを握りしめたまま、ミドリはその場に膝をつきそうになる。
全身の力を込めて放った『天罰』の余波と、極限まで張り詰めていた緊張が切れたためだ。
「ミドリちゃん!」
アツロウが素早く駆け寄り、倒れそうになったミドリの肩を支える。カズヤもまた静かに歩み寄り、ミドリの頭にそっと手を置いた。
「すごいよ、ミドリちゃん。あんな凄まじい力……君の『人を救いたい』っていう強い想いが、あの呪いを完全に打ち払ったんだ」
「よくやったぜ……胸糞悪いツギハギ野郎の顔を二度と見なくて済むと思うと、清々する」
カイドーが肩に鉄パイプを担ぎ直し、ぶっきらぼうながらもミドリの奮闘を称えるようにフッと鼻で笑った。
「みんな……ありがとう。わたし、どうしても許せなかったから……」
ミドリは肩の力を抜き、仲間の顔を見つめて小さく微笑んだ。
彼女の真っ直ぐな怒りと正義感があったからこそ、真人の最後の悪足掻きを完璧に防ぎ切ることができたのだ。
「……終わったんだな」
虎杖悠仁は、真人が消滅した虚無の空間を見つめたまま、ポツリと呟いた。
無数の人々を弄び、自分を精神的に追い詰めた宿敵。その命が今、目の前で完全に潰えた。胸の中に去来するのは達成感などではなく、果てしない虚無感と、僅かな安堵だった。
「ああ、ブラザー。因縁の一戦、見事な勝利だ」
東堂葵が歩み寄り、ドスンと強い音を立てて虎杖の肩を叩く。その大きな手が、傷ついた虎杖の心身を支えるように強く力を込めた。
「だが……浮かれてはいられん。俺たちがここに来た本来の目的を忘れてはならない」
東堂の表情が一変し、呪術師としての厳格な眼差しが宿る。
カズヤたち悪魔使いの一同も、表情を引き締めて東堂へと向き直った。
「東堂、下から来たんだろう?地下5階はどうなってたんだ?五条先生は……封印されたっていう『獄門疆』はどこにある!?」
虎杖が食い入るように尋ねる。カズヤたちもまた、この渋谷の混乱の元凶であり、世界の均衡を揺るがしている特級呪物「獄門疆」の行方を固唾を呑んで見守った。
「落ち着いて聞け、ブラザー」
東堂は静かに首を横に振った。
「俺と新田が地下5階へと到達した時には、すでに『五条悟が封印された獄門疆』は、そこには無かったのだ」
「……え!?」
虎杖の目が大きく見開かれる。アツロウも息を呑み、COMPのデータを操作しながら声を上げた。
「待ってくれ、地下5階に五条悟が封印されていて、その獄門疆ってのが動かせないから敵の首謀者がそこにいるって話じゃなかったのか!?」
「その通り。元々はそこにあったはずなんだ」
東堂の背後から、新田新が前に出て来て顔を曇らせる。
「うちと東堂先輩が地下5階に乗り込んだ時、そこには残滓しか残ってへんかった。
五条さんが封印された直後、獄門疆は定着のためにその場から動かせなくなっとったらしいんやけど……敵の首謀者が、すでに封印の定着を完了させて、獄門疆ごとどこかへ移動した後やったみたいで……」
「そんな……! じゃあ五条先生はもう……!」
焦燥感を露わにする虎杖に、東堂が落ち着いた声で言葉を継ぐ。
「諦めるには早い。五条悟が封印されたという事実そのものは変わらんが、敵がわざわざ獄門疆を使って封印したということは、正攻法で彼を排除することができないということ。
封印を解く方法が必ずあるはずだ」
「でも……どこへ持って行ったんだろう?」
ミドリが不安そうに尋ねる。それに対し、新田がどこか引っかかるような、気まずそうな表情を浮かべて顎に手を当てた。
「そこなんですよ……。地下5階に残っていた痕跡を調べた時、何か……凄く妙な違和感があったんです」
「違和感?」
カズヤの問いかけに、新田はゆっくりとうなずく。
「はい。単に敵が獄門疆を持ち去っただけなら、呪力の残光や移動した足跡がもっと分かりやすく地上や別の地下通路に続いてるはずなんです。でも……地下の空間そのものが、何か『もっと深くて巨大な闇』に向かって沈み込んでいくような……気味の悪い気配が残ってたんです」
「もっと深い闇……?」
アツロウが訝しげに呟く。渋谷駅の地下といえば、5階までのはずだ。それよりもさらに深い場所など、通常の地理には存在しないはずだった。
「……空間の歪み、か」
カズヤが呟き、己のCOMPに目を落とす。
画面には、渋谷全域が異界と呼べるほどの歪みを示す波形が描かれていた。そして地下5階よりもさらに下方――存在しないはずの「地下の底」から、不気味なノイズが狂ったように跳ね上がっているのが確認できる。それは呪力ではなくマグネタイトの反応に思えるのだ。
「おそらく敵も全てが想定していた通りには事態が進んでいないのだろう。
何かがおかしい……」
「渋谷の深層……。まさか、強い悪魔でも湧いて出ているっていうのか?」
カイドーが苛立ち混じりに問いかけると、カズヤは深く頷いた。
「ああ。悪魔なのか、それとも別の物なのかは分からないが強いエネルギーが発生しているのは間違いないだろう。
一度地上に戻って七海さんに合流した方がよさそうだ。これからの動きを判断するには情報が足りていない」
真人という巨大な脅威を退けた一行。しかし、彼らの前に立ち塞がる闇は、さらに深い地下でその顎を開いて待っているのだ。
一区切り。ここからオリジナル展開が強くなっていくと思います