異界化が進む渋谷の街並み。その瓦礫と闇が入り交じる地上の路上を、三つの影が疾走していた。
一級呪術師の七海建人、そしてカズヤたちと一時的に別れ、行動を共にしている悪魔使いの谷川柚子と渡辺梨月の三人だ。
「……あっちです!COMPのマッピング機能に、微弱ですが生命反応のバイタルが引っかかっています!」
ユズが手元の端末――COMPの画面を指差しながら、前方を走る七海に叫ぶ。
遊び人風の男が追加機能としてCOMPに入れたマッピングシステムは、目まぐるしく構造を変える渋谷の街においても正確に生存者の位置を捉えていた。
「助かります、ユズさん。……道案内は任せました」
七海は短く応えると、背中の呪具を握り直して速度を上げた。
彼の表情は硬い。ここに至るまで、想定外の事態が相次いでいる。
路地裏を曲がった直後、リツキの目が鋭く光る。
「七海さん……あそこ!誰か倒れてる!」
血の海の中に倒れていたのは、スーツ姿の補助監督・伊地知潔高だった。
背中を刃物のようなもので深く刺され、息も絶え絶えになっている。
「よかった息はある……!」
「任せて!『ディアラマ』」
ユズが素早くCOMPを操作し、回復の魔法を伊地知へ注ぎ込む。まばゆい光が伊地知の体を包み込み、背中の刺し傷が瞬く間に塞がっていく。荒かった息遣いが落ち着き、伊地知の顔に生気が戻ってきた。
「ん……ぐ……七海……さん……?」
「まだ動かないでください。回復のおかげで命に別状はありません。何があったのですか?」
「奇襲を受けました……。他の……補助監督たちも……」
伊地知が絞り出す声を聞き、七海の眼光が一層冷たく冴え渡る。
呪術師をサポートする補助監督を狙う不意打ち。七海の中で、静かな怒りがマグマのように煮え滾っていく。
「……なるほど。相手は呪霊ではなく、悪意を持った人間……いや、呪詛師ですか」
「七海さん、COMPのマップに別の戦闘反応が出ました!文化村通りの方向です!」
ユズの悲鳴のような報告に、リツキが自身のCOMPを構える。
「急ぎましょう!伊地知さんはここで少し休ませて!」
「ええ、行きましょう。これ以上、呪詛師に好き放題させるわけにはいきません!」
七海たちは伊地知を物陰に隠すと、すぐさまマッピングに現れた戦闘地点へと急行する。
――ビルの合間の路上。
そこでは、悲惨な光景が広がっていた。
「あははっ!ウケちゃうな、もっと泣いて頼んでよ!そうしたら楽に切ってあげるからさぁ!」
奇妙な刀を手にしたサイドテールの男――重面春太が、ヘラヘラとした笑みを浮かべて残虐な刃を振るっていた。その足元には、血を流して倒れる呪術高専東京校の補助監督・新田明。そして彼女を庇うように立ち塞がる呪術高専東京校1年、釘崎野薔薇の姿があった。
「くっ……顔ばっか狙ってんじゃないわよ、この野郎……ッ!」
釘崎は少ないながらも傷から出血し、息を切らせながら釘と金槌を構え直す。だが、重面の不気味で読めない攻撃速度と、新田明を庇わなければならない状況に苦戦を強いられていた。
「あーあ、可愛げないなぁ。じゃあまずは、そっちの倒れてる女の子の首から切っちゃおうかな―」
重面が嘲笑いながら、倒れている新田明へ刃を向けたその瞬間――。
「――そこまでです」
低く、地獄の底から響くような声が夜の渋谷に落ちた。
「え?」
重面が振り向く暇すら与えなかった。
ドゴォッッ!!!!という凄まじい破砕音とともに、重面の体が横合いから殴り飛ばされ、アスファルトの地面を何メートルも滑りビル壁に激突した。
「な……なになに!?なんなの急に――ッ!?」
血を吐きながら立ち上がろうとする重面。だが、その視界を遮ったのは、眼鏡の奥で冷徹な視線を向ける七海建人の姿だった。
釘崎が目を見開く。その背後から、ユズとリツキが素早く駆け寄ってきた。
「大丈夫ですか!?この人が敵?」
「なんでここに……」
リツキが素早く『メディア』を唱え、回復魔法の光が釘崎と新田明の傷を癒やしていく。ユズはCOMPから仲魔を召喚、周囲に配備して警戒を怠らない。
「なんなのさ……僕の『運』が削られてる気がするんだけど……ッ!」
七海の放つ圧倒的な威圧感に、重面の顔からヘラヘラとした余裕が完全に消え失せていた。
「仲間の数、配置……そして、あなたがたの目論見。答えてもらいますよ」
七海が静かに歩み寄る。その手にある呪具が、術式を帯びて鈍い光を放っていた。
「ひっ……な、なんだよお前……! 邪魔すんなよッ!」
奇跡的な『運』を無意識に消費して死を免れた重面だったが、七海から放たれる凄まじい威圧感に、その両膝はガタガタと震えていた。
刀を振り回して必死に抵抗しようとする重面。しかし、七海にとっては小蠅を払うようなものだった。
「――不愉快です」
七海の手にしたナタ状の呪具が、完璧な7:3の比率による弱点を付与し重面の腕、脚、そして胴体を正確に打撃する。
「ぐ、がはっ……!?」
骨が砕ける重苦しい音が路上に響き渡った。術式『十劃呪法』による強制的な弱点付与と、怒りを乗せた一級呪術師の打撃。
重面が蓄えていた『運』のストックは、わずか数撃の間に枯渇することになる。
全身の骨を折られた重面は、もはや悲鳴を上げる気力すら奪われ、地面に崩れ落ちて白目を剥いた。完全に戦闘不能である。
「七海さん……容赦ないですね」
リツキが息を呑みながら呟き、ユズもまた冷酷なまでに敵を叩き潰した七海の背中に、頼もしさと圧倒的な凄みを感じていた。
「今まで散々戦う力を持たない人間を狙った報いです。これでも生かしてあります」
七海は呪具を納めると、息を整えて釘崎と新田明に向き直った。
「さて……二人とも、動けますか?」
「ええ!すっかり傷が塞がっちゃったわ。この光……あんたたちのおかげね?」
釘崎が自分の腕や脚を見回しながら驚きの声を上げる。リツキが放った『メディア』の温かな光によって、皮膚の裂傷も打撲も綺麗に完治していた。
「ほんとに助かったッス!うち、死ぬんかと……」
新田明もまた、痛みが消えた体に驚きつつも礼を述べる。
「無事でよかったです。これで伊地知さんに続き、二人とも無事に保護できました」
ユズが胸を撫で下ろしながら、優しく微笑んだ。
「七海さん……これって一体どういう状況なんですか?そっちの二人組もそうだし、さっきの回復といい、わけが分からないわ」
釘崎が状況の不透明さに苛立ち混じりの疑問を投げかける。
七海は眼鏡の位置を直し静かな、しかし重みのある口調で事態の整理を始めた。
「そうですね。一度状況を共有しておきましょう」
七海は、渋谷の地上と地下で分断した戦力と現在の目的を簡潔に説明していく。
「虎杖君とカズヤくんたち悪魔使いの混成チームは、封印された五条さん救出のために渋谷駅の地下……最深部を目指して突入しました。今も激闘を繰り広げているはずです」
「虎杖と悪魔使いが地下へ……。本当に五条先生が封印されたなんて……」
釘崎が拳を強く握りしめる。
「そして私たちは、五条悟の封印という前代未聞の異常事態を受け、後方連絡網の確立と生存者の救助、そして呪詛師たちの排除を目的に地上を進軍していました。補助監督が次々と襲われている以上、情報の伝達経路が遮断されるのが最も危険だからです」
「なるほど……だから伊地知さんや私たちを助けに来てくれたんですね」
新田明が深く頷く。ユズがCOMPの画面を示しながら言葉を継いだ。
「私たちの端末……COMPのマッピング機能を使えば、異界化した渋谷でも味方の位置や敵の状況、街の異変が分かるんです。
さっき伊地知さんも治療して物陰で休んでもらっています。命に別状はありませんよ」
「伊地知さんが無事……!よかった……」
新田明は心底安心したようにホッとする。
「安全の確保は、これで概ね目処が立ちました。後は上層部への報告ですね」
七海は倒れている重面を一瞥し、地上に漂う不穏な空気を見上げる。
「ですが……油断はできません。地上の呪詛師を片付けても敵の首謀者は渋谷駅地下で待ち構えているはずです。虎杖君たちが無事である保証はありませんからね」
「だったら私も行くわ!傷も治ったし苦戦してるかもしれない虎杖たちに加勢しないと!」
釘崎が金槌を力強く握り直し、七海を真っ直ぐ見据えた。
「頼もしいですね。ですが、まずは待機中の伊地知さんと合流し、後方を完全に固めてから動きましょう。……虎杖くんたちが地下から戻ってくるか、私たちが降りるか。どちらにせよ、判断は慎重に下さねばなりません」
急造七海班と釘崎たちの合流。彼らは、渋谷の地下で巻き起ころうとしているさらなる激動の予感を感じ取りながら、次なる行動へと足を踏み出すのだった。