急造された七海班によって重面春太が排除された後、七海建人は伊地知潔高、釘崎野薔薇、新田明、そしてユズとリツキを安全な路地裏の待機場所に一旦集結させていた。
「皆さんはここで待機し、後方の安全を確保してください。私は直毘人さんがいるという井の頭線アベニュー口の様子を見てきます」
そう言い残し、七海は一人で戦場へと戻っていったのだった。
――それから、小一時間が経過している。
七海が向かった先では、地獄のような死闘が繰り広げられていた。
禪院直毘人、真希と合流した七海は、特級呪霊・陀艮と遭遇。
陀艮の展開した領域『蕩蘊平線』に閉じ込められ、多くの式神という物量の前に全滅の危機に瀕した。そこへ伏黒恵が領域『嵌合暗翳庭』を重ね合わせて乱入し、押し合いによって脱出の穴を穿つ。だが、その穴から乱入してきたのは、降霊術によって亡霊のごとく蘇った暴走する殺戮の獣――伏黒甚爾だった。
甚爾は特級呪霊である陀艮を圧倒的な身体能力と呪具で一方的に屠り去ると、次のターゲットとして息子である伏黒恵を選び出し、そのまま領域の外へと連れ去っていった。
陀艮が祓われ領域は解け、解放された七海は、重傷を負った直毘人と真希を安全な場所へ退避させると、傷つきながらも再び釘崎たちの待機場所へと足を早めている。
――同じ頃。
「ダメだ……やっぱり繋がらない……ッ!」
路上で車に体を預け、携帯電話を握りしめていた伊地知潔高が、苦々しい表情で唇を噛んだ。
ユズの回復魔法によって背中の刺傷は塞がり、立ち上がれるまでに回復した伊地知だったが、その顔には別の焦燥と絶望が色濃く浮かんでいた。
「伊地知さん、上層部や高専の本部とは連絡取れないんスか……?」
新田明が不安そうに問いかける。伊地知は重い首を振った。
「電波の圏外というレベルではありません。固定回線も、呪術的な緊急連絡網も……あらゆる通信プロトコルが遮断されています。まるで、ここが世界から物理的に切り離されてしまったかのように……」
「通信障害……帳の影響かしら?」
釘崎野薔薇が腕を組み、眉をひそめる。
「いいえ……単なる呪術の帳ではありません。これは――」
「『東京封鎖』だよ」
車へ寄りかかっていたユズが、静かに、しかし重いトーンで言葉を挟んだ。
手元のCOMPを見つめるユズの表情には、諦めと不安が混ざり合っている。
「東京封鎖……」
「たぶん見たと思うけど山手線の内側全体を囲むように、政府と自衛隊が物理的な壁と電波障害で東京を『隔離』したんだよ。悪魔が発生した直後、これ以上被害を外に広げないために。それに光が立ち昇っているでしょ?よく分からないけどアレもそう……」
「隔離ってことは知ってたけどまさか中がこんな事になってるなんて……じゃあ、外からの援軍が来たとしても、逆に出れないってこと!?」
新田明の声が裏返る。
「……そういうことです」
伊地知が眼鏡の奥の目を伏せ、悲痛な声で補足した。
「こちらから外部への救援は望めません。入ることはできるので上層部が事態をどう考えるか……
現状この封鎖の内部にいる私たちだけで、五条さんの封印という前代未聞の危機と、溢れ出す呪霊と悪魔?たちの双方に対処しなければならないんです」
「冗談じゃないわよ……ッ!」
釘崎は激しい怒りを露わにし、地面の瓦礫を強く蹴り飛ばした。
「五条先生が封印されて、街には化け物が溢れかえってて上層部は何やってんのよ!中の人間を全員見殺しにする気!?」
自らが置かれた極限の孤立無援。その圧倒的な現実が、夜の渋谷の冷たい空気とともに、彼女たちの肩に重くのしかかっていた。
極限の孤立感と絶望が漂う路上。
重苦しい沈黙を破ったのは、電子音の軽快なピピッという音だった。
「よし……落ちた!『鬼女・ユキジョロウ』落札成功!氷結特化の個体よ。これで戦力強化はバッチリね」
「ナイス、リツキさん。こっちは会員ランクがプラチナに上がったから上位の妖精、ローレライを落札したよ。回復に魔力攻撃、補助魔法とバランスが良いわ。
それにマカカジャ持ちの『魔神』を合成できた!魔法を軸に戦えるわよ。
今のうちに前線用のスキル継承も終わらせておこう」
「あ、それいいかも!弱点属性に耐性もつけておかないと、さっきみたいな変な呪詛師に襲われた時に困るもんね」
車のボンネットにCOMPを広げ、何やら真剣な顔で画面を操作しているユズとリツキ。その一見和やかで、どこかゲームでもプレイしているかのような会話に、眉を釣り上げたのは釘崎野薔薇だった。
「……ちょっと、あんたたち。人がこの状況に絶望してる時に、なに呑気にスマホいじってんのよ!?」
「あ、呑気にしてるわけじゃないのよ、野薔薇ちゃん」
ユズはCOMPの画面を釘崎に向けながら苦笑いを浮かべる。そこには、悪魔のイラストと複雑なパラメータ、そして競り市のように数字が踊っていた。
「これね、デビルオークション。外部との電話やネットは完全に遮断されてるんだけど、このCOMPに組み込まれてる『悪魔召喚プログラム』の独自ネットワークだけは、なぜか生きてるの」
「デビル……オークション……?悪魔を買ってんの……?」
「そうだよ。お金(マッカ)を払って強い悪魔を競り落としたり、持ってる悪魔同士を合体させて新しく強い悪魔を作ったりできるの。
待機時間の間にチームを強化しておかないと、今後の戦いについていけないから」
「悪魔を……合体……?」
新田明がポカンと口を開け、釘崎も絶句して画面を二度見した。
世界が崩壊しかかっている極限状態の中で、悪魔をオークションで取引し、さらに合体させて手札を増やしている少女たち。
呪術師の常識からはあまりにもかけ離れた異質な光景に、釘崎は額を押さえてため息をついた。
「……頭痛くなってきたわ。呪術師の世界もイかれてると思ってたけど、あんたたちの世界も相当ね……」
「あはは……まあ、東京封鎖を生き残るためには必要な事なんだよ」
リツキが苦笑いしながらCOMPをポケットに収めた、その時だった。
路地裏の闇を割って、足を引きずるような足音が近づいてくる。
警戒して即座に武器を構え、COMPを起動する一行。だが、闇の中から現れたのは、スーツを血と煤で汚した七海建人の姿だった。
「七海さん……!」
釘崎たちが駆け寄る。七海の服は破れ、ところどころ傷を負っていたが、致命傷は免れていた。
「……ええ、なんとか。直毘人さんと真希さんも安全な退避ルートへ移動させました」
七海は短く状況を説明すると、伊地知たちを見渡した。
「伊地知さん。上層部への連絡は?」
「……ダメです、七海さん。やはり『東京封鎖』の影響で、外部への通信は一切通りません。こちらからの報告も、本部の指示を仰ぐことも不可能な状態です」
「……そうですか」
七海は眼鏡のブリッジを押し上げ、静かに吐息を漏らした。だが、その瞳に混乱や絶望の色はない。すでに腹を括った者の冷静さがあった。
「指示がないのであれば、現場の判断で最善を尽くすまでです。……これより、戦力を再編します」
七海は全員の顔を順番に見つめ、明確な指示を出した。
「伊地知さん、新田さん。そしてユズさん、リツキさん。あなた方はこれより、首都高速3号渋谷線・渋谷料金所へ移動してください」
「えっ……?私たちもですか?」
ユズが驚いて声を上げる。
「あそこには夜蛾学長と、呪術高専の医師である家入硝子さんが救護拠点を展開してくれてます。
伊地知さんたちの安全を確保すると同時に、ユズさんとリツキさんの持つ魔法は、そこで傷病者の治療に当たる家入さんにとって最大の支援になります。……地上での後方連絡網の要となってください」
「なるほど……!家入さんのところなら、怪我人の治療もスムーズですし、後方の防衛も学長がいれば頼もしいですね!」
伊地知が深く納得して頷く。ユズとリツキも顔を見合わせ、自分たちの役割の重要性を理解して力強く頷いた。
「分かりました。渋谷料金所の所へ向かいます!でも、七海さんは……?」
「私と釘崎さんは、これより渋谷駅地下へ降ります。先行して地下に進んだチームと合流し、敵首謀者の打倒と五条さんの奪還を目指します」
「私の出番よ!!」
釘崎が待ってましたとばかりにギラギラとした鋭い視線を渋谷駅の方角へと向けた。
「では、各自移動を開始しましょう。健闘を祈ります」
七海の言葉を合図に、チームは二つに分かれた。
渋谷料金所へ向かうユズ、リツキ、伊地知、新田明。そして、暗く蠢く渋谷の地下深くへと足を踏み入れようとする七海と釘崎。
それぞれの決意を胸に、隔離された街での戦いは新たな局面へと向かっていくのだった。