絶望の花咲く東京で   作:ベイベ後藤

3 / 6
3話 支配と庇護

 

 鉄パイプを肩に担いだ男たちの視線は、獲物を値踏みする肉食獣のそれだった。

緊迫した空気が流れる。しかし、渡辺梨月の脳細胞は、恐怖にすくむどころか、冷徹な生存の数式を弾き出し始めていた。

 

(相手は三人。全員がCOMP持ち。まともに戦えば、ネコマタがいても私の消耗が大きすぎる……)

 

「おいおい、黙り込んじまって。カイドーさんの名前を聞いて腰が抜けたか?」

 

 先頭の男が下卑た笑みを浮かべ、一歩間合いを詰めてくる。その瞬間、梨月はポケットの中の端末をタップし、ネコマタへ無言の指示を送った。

 

「しゃがんで、梨月!」

 

 ネコマタの声と同時に、梨月は身を屈めた。男たちの足元の影から黒い閃光が飛び出し、先頭の男の顔面へ向けて鋭い爪が振るわれる。

 

「ぎゃあッ!? なんだこれ、猫──」

 

 突如として視界を襲った漆黒の獣に、男たちが動揺する。だが、梨月の目的は彼らを倒すことではない。

 

「ネコマタ、走るよ!」

 

 立ち上がると同時に、梨月は脱兎のごとく明治通りを渋谷駅方面へと駆け抜けた。背後から「クソッ、待ちやがれ!」という怒号が響くが、彼らが追ってこられないことは分かっていた。なぜなら、ここから先は『ダイモンズ』の本拠地──カイドーが絶対的なルールを敷く領域だからだ。末端の不埒者が勝手な略奪を働いていい場所ではない。

 

 息を切らしながら宮下公園の脇を抜け、渋谷駅の東口ロータリーへと滑り込んだ時、梨月は思わずその光景に圧倒された。

そこは、高田馬場のような無秩序な混沌とは一線を画していた。

 

 放置された車両は綺麗に整列されて防壁と化し、その内側では多くの一般市民が、怯えながらも一定の規律を保って身を寄せ合っている。そして何より、周囲のビルや歩道橋の上には、COMPを手に悪魔を従えた『ダイモンズ』の構成員たちが、周囲を厳重に警戒していた。

力による支配。しかしそれは同時に、この極限状態においては確実な『庇護』を意味していた。

 

「おい、見ない顔だな」

 

 駅ビルの薄暗いエントランスへ足を進めようとした梨月を、一人の構成員が呼び止めた。だが、先ほどの掠奪者たちとは違い、その目は理性を保っている。

 

「高田馬場から歩いてきました。ダイモンズのルールに従います。中に入れてください」

 

 梨月が迷いのない瞳でCOMPを提示すると、男は少し驚いたように鼻を鳴らした。

 

「腹が据わってるな。いいぜ、大人しくしてる限り、カイドーさんはお前らみたいな一般人を無駄に殺しゃしねえよ。ただし、揉め事を起こしたら即座に悪魔の餌だ。……奥へ行け」

 

 許しを得て、梨月は駅構内の即席のシェルターへと足を踏み入れた。コンクリートの床に座り込み、リュックを抱きしめてようやく長い息を吐き出す。

上着のポケットから取り出したCOMPの画面を見る。

【 1 】

 余命、一日。

十月三十日。封鎖三日目の夜が、静かに更けようとしていた。

 

 明日には、このカウントはゼロになる。だが、これだけ悪魔の防衛線が強固な渋谷であれば、明日起きるはずの理不尽な死を回避できるかもしれない。梨月は、そう自分に言い聞かせた。

 

 夜が深まるにつれ、シェルターの中は不気味な沈黙に包まれていった。

生き残った人間たちは疲れ果て、言葉を交わす気力もなく横たわっている。梨月も壁に背を預け、浅い眠りに落ちようとしていた。

 ──だが。

その静寂の底で、何かが脈打っていた。

 

「……ねえ、梨月。なんか、おかしいよ」

 

 膝の上で丸くなっていたネコマタが、耳をぴんと立てて、暗闇の奥――ハチ公前広場や地下街へと続く通路の方向を睨みつけた。

 

「悪魔の気配じゃないの。もっとこう、人間の死体から立ち上る煙みたいな……すっごく、嫌な血の匂いがする」

 

 梨月は目を開け、暗闇を見つめた。

確かに、空気の質が変わっていた。COMPの電子ノイズとは明らかに違う、肌にへばりつくような粘り気のある寒気。それは、この数日間で梨月が学習した「悪魔の出現コード」には存在しない、まったく未知の不快感だった。

 

 東京を覆う神の檻(東京封鎖)

その檻の内側で、悪魔使いの縄張り争いとは全く別の次元の、ドロドロとした黒い質量が、じわじわと渋谷の街の底に溜まり始めている。

 

(気のせい……? いいえ、何かが、ここに集まってきてる……)

 

 梨月は胸騒ぎに突き動かされ、COMPの画面を起動した。

日付が変わる。十月三十一日。

赤い余命の数字が【 1 】から【 0 】へと書き換わったその瞬間、端末が激しく震動し、血のように赤い文字で新たな『予報』を吐き出した。

 

【ラプラスメール:10月31日の予報】

本日、19時00分。渋谷駅周辺において、大規模な『帳』が降ろされます。

死亡者数:計測不能。

原因:呪術師、呪詛師、および特級呪霊の衝突による、不可避の霊的災害。

 

「……呪術師? 帳……?」

 

 かつてない異常なラプラスメールの内容に、梨月の息が止まる。

 

 生きるために選んだ安全地帯。

 しかし彼女はまだ知らなかった。

自分がいるこの渋谷こそが、この後、この世の終わりのような劇薬――『渋谷事変』の爆心地になるということを。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。