クラブクアトロの暗いフロアで、作戦会議のため輪になって話しが進められる。
テーブルの中央には、COMPが映し出す渋谷から原宿、代々木にかけての電子マップが淡く青い光を放っている。その周囲を取り囲む面々の表情は引き締まり、静かな緊張感が漂っていた。
「では、状況を整理した上で、これより二手に分かれて行動します」
七海建人がネクタイの結び目を少し緩め、マップの一点――原宿・中央図書館付近を指し示した。
「我々の最優先目標は二つ。一つは、単身で代々木方面へと向かった望月麻里さんの保護。そしてもう一つは、本日のラプラスメールによって予告された『暴動』に対する対処および『魔王ベリアル』に関する情報収集と、封鎖内の治安維持です」
「……あちこちで小競り合いが進行してるのは確かだ」
カイドーが苛立ちを隠さずに新しい煙草の箱を取り出す。
「物資の投下地点だけじゃねえ。悪魔使いの連中が、生き残るために他の悪魔使いからCOMPや食料を奪い取り始めてやがる。
ダイモンズの縄張りは、うちのメンバーがガードしてるが東京各地で潰し合いになるんだろうよ」
「だからこそ、戦力を無闇に分散させるわけにはいきません」
七海は眼鏡の奥の鋭い瞳で、全員の顔を順に見回した。
「代々木・原宿方面への捜索隊を【A班】。
このクラブクアトロを拠点として周囲の監視と治安維持、ならびに他エリアとの連絡を担当する部隊を【B班】とします」
最初に指名されたのは、感情の熱量が高い面々だった。
「A班の構成は、カイドーくん、虎杖くん、釘崎さん、そしてカズヤくんとアツロウくんの五名です」
「よっしゃ! 任せとけナナミン!」
虎杖が拳を握りしめて前に出る。その隣で釘崎も「そのマリさんって人をさっさと見つけて、怪しいバケモノもろとも蹴り飛ばしてやるわ」と頼もしく胸を張った。
「待ってください、七海さん」
アツロウが即座に意図を汲み取り、マップの縮尺を変えながら口を開く。
「俺とカズヤがA班に入るのは、マリ先生の顔を知ってるというだけじゃありませんよね?」
「その通りです」
七海は深く頷いた。
「虎杖くんと釘崎さん、そしてカイドーくんは行動力に長けていますが直情型です。その熱量は時に危険な死地へ突っ込みかねない。
カズヤくん、アツロウくん、あなた方ふたりの冷静な観測・分析力とCOMPによるデータ解析は、暴走を起こしかねないチームの『ブレーキ』として不可欠となります」
「了解した」
カズヤが力強く頷く。
「カイドーや虎杖くんが突っ込みすぎないよう、アツロウと一緒にしっかり周囲を警戒するよ」
「……けっ、アクセルとブレーキ扱いかよ」
カイドーは悪態をついたが、カズヤとアツロウの眼差しを見て取り、それ以上は何も言わなかった。
一方で、拠点防衛と後方支援を担う【B班】にも、揺るぎない信頼が置かれている。
「B班は、私と東堂くん、新田くん、そしてミドリさんです」
「フッ……大船に乗ったつもりでいるがいい、こちらの事は任せてもらおう、我がブラザーよ!」
東堂葵が長身を揺らし、虎杖の肩をポンポンと力強く叩いた。
「この東堂葵が控える限り、このクラブクアトロという要塞が陥落することは万に一つもない!
余計な懸念を捨て、その溢れんばかりの情熱で迷える乙女を救い出してくるがいい!」
「おう! 頼むぜ東堂!」
虎杖が笑顔で応える。
新田新も穏やかながらも確固たる口調で続けた。
「自分は反転術式じゃないから治療はできないけど、それ以上悪化するのは止められるんで大怪我する前に早めに来て下さいよ!」
「私……みんなの足を引っ張らないように、ここでしっかり情報収集の手伝いをします。
回復魔法もあるのでみんな無理しないでね!」
ミドリもまた、不安を押し殺して力強い瞳でカズヤたちを見つめた。
「リーダー……一人でいるマリ先生を、絶対に助け出してね」
「ああ、約束する」
カズヤの返答には、一切の迷いがなかった。
七海が静かに全員を見渡す。
「A班の皆さん。原宿・代々木方面は、ダイモンズの縄張りとはいえ、いつ過激化した悪魔使いや悪魔の奇襲を受けるか分かりません。危険と判断した場合は、躊躇なく撤退を選択してください。我々の目的は生存です」
「分かってるわよ、七海さん。そっちこそ、朝から根詰めすぎて倒れないでよ」
釘崎が少し生意気な口調で軽口を叩くが、その目には七海への信頼が宿っていた。
「では――作戦を開始します」
七海の短い号令とともにクラブクアトロの重いシャッターが、わずかに持ち上げられた。
外の冷たく淀んだ空気が流れ込む。
前線へと飛び出すA班と、揺るぎない拠点として背中を支えるB班。
二つのチームの絆が固く結ばれ、少年たちは混沌とした街へと一歩を踏み出した。
クラブクアトロを出発したA班の五人は、カイドーの案内のもと、渋谷の喧騒を抜けて明治通り沿いを原宿・代々木方面へと向かっていく。だが、彼らの視界に飛び込んでくる光景は、わずか数日前までの東京とは変貌していた。
「……ひでぇな、これ……」
虎杖悠仁が思わず足を止め、絶句する。
通り沿いには、打ち捨てられた自動車が何台も重なり合い、黒い煙を上げて焦げ付いていた。店舗のショーウィンドウは悉く叩き割られ、散らばったガラスの破片が太陽の光を浴びて不気味に輝いている。
路上には散乱した商品のパッケージ、踏みにじられた服、そして乾いて黒ずんだ血痕が、幾筋も惨劇の痕跡を描いていた。
「食料品店と薬局が、完全に荒らされてるわね……」
釘崎野薔薇が割れたガラスを踏み締めながら、路地裏の暗がりに視線を向ける。
「関わるな」
カイドーが低い声で制した。
「腹を空かせた群衆に下手に情けをかけるなよ。
うちらダイモンズが他人の事どうこうは言えねぇが今の街は、パン一切れのために平気で人を暴力で排除しようとする奴らで溢れてる。
全員を助ける余裕なんざ、今の俺たちにはねぇ」
「カイドーの言う通りだ」
アツロウがCOMPのレーダー画面を見ながら警戒を強める。
「周囲に強い悪魔の反応は無いけど……人間のマグネタイトによる揺らぎみたいな反応があちこちで渦巻いてる。
ラプラスメールにあった通り『暴動』ってのは、もう現実になってるんだ」
カズヤは黙って周囲を観察していた。
インフラがストップし、物資が底を突いたことで、人間の理性が剥ぎ取られていく過程がここにあった。
悪魔や呪霊の脅威だけでなく、極限状態に置かれた人間そのものが脅威と化しているのだ。
(マリ先生はこんな狂気に満ちた街を、たった一人で……)
カズヤは胸の奥で渦巻く焦燥感を押し殺し、確実な足取りでカイドーを先頭にした一行の後を追った。
やがて、チームは竹下通りの入口を越え、原宿エリアへと足を踏み入れる。
普段ならカラフルな看板と喧騒の音で溢れているはずの通りは、異様なほどの静寂に包まれていた。
時折、風に煽られたペラペラのポスターやゴミがカサリと音を立てるたび、釘崎の指先が自身の武器へと伸びる。
「カイドー、ダイモンズのメンバーがマリさんを見たってのはどの辺だ?」
虎杖が低く尋ねる。
「この先の、裏原宿に抜けるキャットストリート付近だ」
カイドーは物陰に身を隠しながら、路地の奥を指さした。
「手当たり次第に聞き込みをしてたらしい。
『以前に起きた連続吸血事件のことを知っているか』『変な男を見かけなかったか』ってな。
悪魔や暴徒が彷徨く街で、だぞ? 正気の沙汰じゃねえ」
「でも……それだけ必死だったってことだよね。自分の恋人を殺した犯人を突き止めるために」
カズヤが足元に目を落とす。
路地のコンクリートの上に、比較的新しい何かが引きずられたような小さな痕跡が残されていた。
アツロウが即座に屈み込み、COMPで残留データをスキャンする。
「……間違いない。COMPの検知に引っかかった。ここでごく最近、人間じゃない『何か』が移動した痕跡がある」
「呪霊の仕業なの!?」
釘崎が身構える。
「そこまで詳しくは分かんないんだけどさ……」
アツロウは眉をひそめ、表示された波形データを分析した。
「微かに『血』のような成分が検知されてる」
「血か……」
虎杖の表情が強張る。
「じゃあ、例の吸血野郎の痕跡なのか!?」
「焦るな、虎杖」
カズヤが虎杖の肩を叩いて制した。
「まだ確定したわけじゃない。でも、マリ先生がこの痕跡を追って、代々木公園方面へ向かった可能性があるな」
「代々木公園か……」
カイドーが眉をひそめる。
「あそこは今、ちょっと特殊な状態になってるんだ」
「特殊な状態……?」
釘崎が問い返す。
「ああ。代々木公園は敷地がバカデカい上に、震災対策用の応急給水施設があってな。だから東京封鎖以降、水に困らない避難場所として、一般人も悪魔使いもかなりの数が押し寄せてる。
だが、それだけじゃない」
アツロウは、カイドーの話しに合わせてCOMPのマッピングシステムを利用して代々木公園の全体図を画面に表示させた。
「あの公園には、メキシコ政府から寄贈された『ケツァルコアトルの像』があるんだけどよ。
東京封鎖以降、あの像が触媒になって今や代々木公園全体が龍神ケツァルコアトルの強い影響下に置かれてる」
「ケツァルコアトル……アステカ神話の神様だな」
カズヤが呟く。
「そうだ。その強力な神の影響なのか、他のエリアに比べて悪魔が野放しになりにくい『聖域』みたいな扱いになっててな。
だからこそ人が集まってるんだが……当然、そこに目を付ける怪しい奴らも集まってくる」
虎杖はその解説を聞きながら、ふと代々木公園の方角を見つめた。
どこか遠くで、感じたことのある呪力の揺らぎのようなものを感覚の端で捉えた気がしたからだ。
(……なんだ? 今の感じ……)
「迷ってる暇はないわね」
釘崎が鋭い眼光で代々木公園の方向を見つめる。
「痕跡が残ってるうちに追うわよ。そのマリさんって人を無事に助けなきゃ」
「ああ! すぐに追おう!」
虎杖の力強い声にカイドーも、
「へッ、足引っ張るなよ」とニヤリと笑い、武器の鉄パイプを握り締める。
「みんな、行こう。代々木公園へ!」
カズヤの号令とともに、五人は重苦しい静寂が支配する原宿の街を走り抜け、人間と悪魔の思惑が渦巻く代々木公園へと向かって駆け出した。
頭上に広がる東京の空は、どんよりとした濁った灰色に染まり、これから訪れるさらなる事件と、闇の奥に潜む影を不気味に感じさせていた。