書くのに時間かかったけど冥冥さんに解説役をやってもらおうの回
太陽の日差しが届かぬ薄暗い雑木林の上空――静かに旋回する数羽の黒い影があった。
カラスである。
漆黒の羽を羽ばたかせ、不気味に静まりかえる木々を見下ろすその眼球は、鈍い不吉な光を宿していた。
その視界は、この場から程近い代々木公園内の丘の広場に佇む一級呪術師――冥冥へと、『黒鳥操術』による視界共有を介してリアルタイムで直接送られている。
清廉な風が吹き抜ける丘の広場。
人も疎らな静寂の中、大きな斧を傍らに配し、ゆるりと足を組む冥冥の口元に、どこか愉悦を孕んだ薄い笑みが浮かんでいた。
「ほう……これはまた、なんとも奇妙で興味深い盤面だね」
カラスの視界越しに流れ込んでくるのは、雑木林の最深部で繰り広げられる異様な死闘の全貌であった。
一級呪術師として数多の戦場を潜り抜けてきた冥冥の優れた観察眼は、カラスの目を介して戦場を支配する「異常」を即座に、そして正確無比に炙り出していく。
まず彼女の視線を強く惹きつけたのは、メインで前線に立ち、圧倒的な破魔の光と洗練された剣技で漆黒の怪物を押し込んでいる白衣の女――望月麻里の存在だった。
(不可解だね。あの女からは『呪力』の気配が感じられない。
術式を練る素振りすらなく、呪力による身体強化の痕跡すらない。それなのに、あの物理法則を無視した圧倒的な運動能力と、闇を打ち払うかのような光の奔流……。
呪詛師の独特な陰惨さともまるで違う。
一体どんな原理で動いているのか……ふふ、実にミステリアスだ)
冥冥の視点から言えば、マリに『クルースニク』という高位の悪魔が同化・憑依しているという内部事情までは分かりようもない。ただ呪力を持たぬ生身の人間が、未知の超常的な力を行使して怪異と真っ向から殺し合っているという底知れない異常性だけが、カラスの目を介して鮮明に焼き付けられていた。
そして何より特異であり、冥冥に深い興味を抱かせたのは、その戦闘の布陣だった。
普段であれば真っ先に前線へ飛び出し、その圧倒的な身体能力で暴れ回るはずの虎杖悠仁、そして勝気な攻撃性を持つ釘崎野薔薇の二人が、完全にバックアップへと回っているのだ。
虎杖は超人的な肉体を楯にして女への致命傷を防ぎ、毒と激痛に耐えながら味方の隙を消す。
釘崎は間合いを保ちながら『簪』による的確な遠距離支援で取り巻きを排除し、女の死角をカバーしている。
(あの二人が、あえて後方に下がって徹底的なサポートに徹している……。つまり二人にとっても、あの女の火力を軸に戦うのが最も勝率が高いと直感的に判断せざるを得ないほど、敵の存在感が突き抜けているということだね)
冥冥の視線と考察は、そのまま狂乱する漆黒の怪物――『クドラク』へと向けられる。
冥冥は、数値化された「レベル60」という明確な指標こそ知る由もない。だが、莫大な財を築くほど依頼をこなしてきた彼女の直感と経験は、あのクドラクという存在の脅威度を恐ろしい精度で弾き出していた。
(呪霊、呪術師、そして『悪魔』か……。実に面白い違いだね)
代々木公園の丘の上で、冥冥は脳内で三者の「質」を比較する。
(『呪術師』は人間の負の感情から精製した呪力を術式に通し、この世界の理を折り曲げる。
『呪霊』は人から漏れ出た負の感情そのものが形を成した怪異であり、存在の本質は呪力そのものの塊だ。
だが……あの黒い怪物は違う。呪力という概念そのものが存在しない。あれは世界そのものの理をダイレクトに書き換える『未知の法則』で動いているね)
クドラクが解き放つ『ムドオン』。
空間そのものをドス黒く染め上げ、触れた生命の概念を無条件で「死」へと書き換える絶対的な死の呪法。
(運が悪ければ一発で終わり、か。
通常の呪力膜による防御すら容易く突破されかねない恐怖の概念攻撃だ。もし私があの怪物を相手に単独で戦うとしたら……ふむ、正面からの打ち合いはリスクが高すぎるね。
黒鳥操術でカラスを捨て駒にした『神風(バードストライク)』の遠距離爆撃で、あの間合いに入る前に肉体を消し去るのが一番合理的だろう)
一級呪術師としての冷徹な戦術を組み立てながらも冥冥の思考は、さらにその先――この「東京封鎖」の行方へと巡っていく。
(特級呪霊すら霞むような、あんな桁外れの化け物がゴロゴロと街を徘徊し始めたら……。
奇妙なのは自衛隊の封鎖線など、このクラスの悪魔が数体本気を出せば一瞬で瓦解するはずだが、渋谷に出現した大物悪魔も封鎖の外に進軍する様子は見られない。
あの光の檻……憂憂の術式が無効化されたが、入ることはできても出ることはできない等の縛りで強度を上げた結界術というわけでもなさそうだ。そもそも全くの別物という可能性の方が高いだろう。
東京は、もはや呪術師だけで収拾がつく段階を越えている。さて、上層部はこの事態にどれほどの報酬を支払うつもりなのかな?)
丘の広場で満足げに笑みを深める冥冥の視線の先――雑木林の最深部では、ついに決定的な局面が訪れようとしていた。
「ハハハハハッ! 終わりだ、終わりだァクルースニクぅぅッ!!
護るべき重荷を背負ったお前に、オレ様を倒し切ることなどできやしないのさ!!」
クドラクが漆黒の肉体からドス黒い瘴気と狂ったような殺気を噴出させる。
度重なる『虚空爪撃』による傷と呪殺の余波を受け、マリの身体はついに限界を迎えていた。激しい呼吸と膝の震え。クルースニクの神聖なオーラすら明滅し、光が急速に衰えていく。
虎杖の両腕は打撲と毒で腫れ上がり、釘崎の呪力も底をつきかけている。
「ヒヒッ! 人間どもから順番に食い散らかしてやるぜぇぇッ!!」
クドラクが勝利を確信し、愉悦を覚えて爪を振りかざしながら襲いかからんとした、その瞬間――。
――バリバリバリバリッ!!!!
雑木林の北側から、空を真っ白に染め上げるほど強烈な「紫電の雷光」が突き抜けた。
「……なにッ!?」
クドラクが咄嗟に動きを止め、異変が起きた方向へと顔を向ける。
雷光とともに轟いたのは、COMPから召喚された空気を振るわせるような悪魔と、樹木を根こそぎ薙ぎ払うような、荒々しく苛烈な男の怒号だった。
「オラァッ!! どきやがれ雑魚悪魔どもがぁぁッ!!」
バキバキと音を立てて巨木が倒れ伏し、奥から圧倒的な熱量と暴風が吹き荒れてくる。
(……乱入者? このタイミングで!?)
傷つきながらもマリを援護しようとクドラクの前に立ち塞がり続けていた虎杖と釘崎が、驚愕とともに振り返る。
代々木公園の丘の広場からカラスの視界越しにそれを見た冥冥も、興味深そうに目を細めた。
悪魔が放つ雷光による魔力の波動。そして、先頭を切って立ち塞がる敵を木々を巻き込みながら粉砕しつつ、猛烈に突進してくるカイドーの姿。
窮地に追い込まれたマリたちの元へ、強力な援軍が戦場を打ち破って乱入してくる――
――ズザーッ! バキバキバキバキッ!!
雑木林の北側。漆黒の暗闇に覆われていた樹海の一角が、突如として眩い紫電の雷光に撃ち抜かれ、猛烈な破砕音とともに巨木群が根こそぎ薙ぎ払われた。
「ガハッ……なんだぁっ、この衝撃はぁ!?」
勝利を確信し、満身創痍の望月麻里と虎杖悠仁、釘崎野薔薇にとどめを刺そうと爪を振りかざしていたクドラクが、驚愕の声を上げて動きを止める。
あまりにも絶大な質量と熱量を伴った暴風が雑木林を吹き荒れ、クドラクの手下として暗闇に蠢いていたレギオンやモスマンといった群小の悪魔たちが、悲鳴をあげる暇もなく樹木もろとも吹き飛ばされていく。
倒れ伏す巨木が撒き散らす土煙と、落雷の余韻が生み出す青白い閃光の中。
その「男」は、一切の躊躇もなく、荒々しい足取りで戦場へと足を踏み入れた。
「オラァッ!! どきやがれ雑魚どもがぁぁッ!!」
片手に握りしめられているのは、無造作に折り曲げられた無骨な鉄パイプ。
肩を大きく揺らし、凶暴な野獣そのものな殺気を全身から撒き散らしている男――カイドー(二階堂征志)であった。
その背後には、異質な威圧感を放つ巨大な悪魔が蠢いている。
雄々しい鷹の頭部に獰猛な四つの翼、獅子の胴体と蠍の毒針を持った異形――高位の魔王『パズス』だ。
「ケッ……雑魚が群れてんじゃねえよ。おい、パズス!」
カイドーは横目に一瞥しただけで、背後の悪魔へと短く命じた。
「周りの目障りな雑魚どもを片付けろ! 一匹たりとも残すんじゃねえぞ!!」
カイドーの凶悪な一声に応じ、パズスがその四つの翼を広げて咆哮を上げる。
空気を狂わすような重低音の暴風が巻き起こり、パズスの巨体から放たれた衝撃波と邪悪な風の刃が、周囲を取り囲んでいたレギオンやモスマンの残党を一瞬にして肉塊へと変えていく。
圧倒的な力の差。クドラクが自らの「餌」あるいは「雑兵」として配置していた下位悪魔たちの包囲網は、カイドーとパズスの乱入によって、わずかな時間で完全に粉砕された。
「な……何者だッ!? 貴様ら、どこから湧いて出た人間どもだァッ!?」
クドラクがドス黒い瘴気を噴出させ、不快感と警戒感を露わにして身構える。だが、カイドーの視線は周囲の雑魚悪魔など最初から視界に入ってすらいなかった。
土煙の向こう側、激しい毒気と死の気配を撒き散らしている漆黒の怪物――クドラクの姿を捉えた瞬間、カイドーの瞳に宿っていた血走った怒火が、ドス黒い憎悪の猛炎となって爆発する。
「……見つけたぜ」
カイドーの低く絞り出すような声が、暗い雑木林に響き渡る。
握りしめた鉄パイプが、握力によってギチギチと嫌な音を立てて歪んでいく。
その全身から溢れ出る殺気は、冷気すら孕んだクドラクの死の気配を真っ向から押し返し、周囲の樹木を震わせるほどに重苦しく膨れ上がっていた。
「探したぜ……吸血野郎。いや、テメェみたいなドブネズミに呼びかける名前なんざ、どうでもいいか」
カイドーはゆっくりと一歩を踏み出す。その鋭い眼光が、真っ直ぐにクドラクの胸元を射抜いていた。
「会いたかったぜ……テメェがアニキを……。ブッ殺してやる!」
実の兄を無残に殺害し、その命を奪った忌むべき仇敵。
渋谷事変の地獄のような混乱の中、カイドーがずっと心の底で燃やし続けてきた復讐の炎が今、目の前に現れた仇そのものを前にして極限まで解き放たれている。
「ハァ? アニキだぁ?」
クドラクは一瞬ポカンとした顔を見せたが、すぐさまその醜い顔を歪め、狂ったような嘲笑を浮かべた。
「ハハハハハッ! ああ、思い出してきたぞ!
オレ様が何気ないオマエらの平和な日常に乗じて食い散らかした、あの出来損ないの人間どものことかァ!?
クククッ、どいつのことかは知らんが、オレ様の食い扶持になったのなら光栄に思うことだなァッ!」
クドラクの吐き捨てるような挑発。だが、カイドーは怒りで我を忘れて突撃するような真似はしなかった。むしろ、その表情から感情が消え去り、極限の冷徹さと純粋な殺意だけが瞳の奥でギラリと光る。
「喋るなよ、ゲスが。テメェの汚ねえ声をこれ以上聞くと、耳が腐る」
その時カイドーの背後から、さらに二人の影が深い雑木林から姿を現した。
片方の手にCOMPと化したPCを携え、鋭い眼光で戦況全体を的確に分析している少年――アツロウ。そして、その後方で静かにスマホの悪魔召喚アプリを操作し、仲魔を呼び出しながら戦場の魔力波動を過不足なく計測している少年――カズヤ。
「カイドー、熱くなりすぎるなよ!
相手は只の悪魔じゃない、多くの人間を襲ってマグネタイトを蓄えている高レベルの悪魔だ!」
アツロウが叫びながらCOMPのバックアップシークエンスを起動する。
「知ったこっちゃねえよ、アツロウ!
こいつの息の根を止めるのは、俺だ!!」
カイドーの咆哮とともに、戦場の空気が一変する。
一方、激闘の果てに満身創痍となり、死も覚悟しかけていた虎杖と釘崎、そしてマリは、突如として繰り広げられた圧巻の乱入劇に目を見開いていた。
「カイドー……それにアツロウに、カズヤまで……合流地点から来てくれたか!」
毒に冒された両腕を抱え、激しい痛みに耐えていた虎杖が、驚愕と安堵の混ざり合った声を漏らす。
「ハッ……遅いっつうのよ、バカ!
いい度胸で登場してんじゃないわよ……」
呪力が底をつきかけ、膝をついていた釘崎も、強がりながら胸を撫で下ろすような笑みを口元に浮かべた。そして、剣を支えにどうにか身体を維持していたマリの瞳にも光が宿る。
「……征志くん! それに二人までっ!」
マリにとって、カイドーは亡き恋人の弟であり、アツロウはかつて家庭教師として勉学を教えていた教え子である。
極限の疲労と毒の侵食によって意識が遠のきかけていたマリだったが、援軍として現れた頼もしい彼らの姿を認識した瞬間、その胸に温かい安堵感が込み上げてくる。
「マリ先生……! 無事ですか!?」
アツロウが素早く周囲の安全を確認しながら、マリの窮状に目を留めて叫ぶ。
「ええ……なんとかね。でも、虎杖君たちが庇ってくれなかったら本当に危なかったわ……」
マリは掠れた声で応えながら、頼もしい若者たちの無事を目にして、ぎこちなく口元をほころばせた。
渋谷事変をはじめとした死闘を共に潜り抜け、互いの絆と実力を知る仲間たちの合流。
超常の力を駆使する「悪魔使い」たちの存在がいかに心強いか、彼らが揃ったことでどれほど絶望的な戦局でも覆るかを、虎杖悠仁は骨の髄まで理解していた。
暗い雑木林を文字通り切り開いて現れた吹き荒れる激動の風。
兄の仇を前にして剣呑な殺気を滾らせるカイドー。
かつての家庭教師であるマリの危機に表情を強張らせ、冷徹に状況を見極めるアツロウとカズヤ。
そして、突如として現れた「悪魔使い」たちの乱入と、その背後から溢れ出る異質な魔力の波動に対し、高位悪魔としての狂暴な牙を剥き出しにするクドラク。
死の絶望に包まれていた暗鬱な戦場は、今まさに一触即発の緊張感と、兄の仇を討つための激しい復讐の炎が渦巻く、新たな闘争の舞台へと完全に塗り替えられたのだった。