「カズヤ、回復をみんなに頼む。
マリ先生たちを速攻で戦線に引き戻してくれ!」
戦況全体を冷静に俯瞰してアツロウが後ろのカズヤに指示を飛ばすと同時に、後方に陣取るカズヤの指先が、スマホの画面上を滑らかな手つきで滑った。
「OK――『ハリティー』、『ペリ』みんなの援護を頼む」
カズヤの静かな呼び声に応じ、彼の前方の空間が歪む。
大きなザクロの実を抱え、母性を思わせる慈愛のオーラを漂わせる地母神『ハリティー』、そして優美な翼を広げて紫檀の香りと魔力を撒き散らす妖魔『ペリ』が、光の粒子とともに召喚される。
ユズやミドリといった魔法・回復のエキスパートがこの場にいない現在、パーティーの魔法による属性攻撃、そしてヒーラーとしての全役割はカズヤ一人の肩に懸かっているが、ベルデル(バルドル)から奪い取ったベルの力は伊達ではない。
高められた「魔力」に加え、渋谷の過酷な死闘を耐え抜いた「体力」のステータス。
その圧倒的な魔力総量と高いタフネスから繰り出される魔法は、並の悪魔使いとは一線を画する絶大な効果と安定感を誇る。
カズヤと同調した二体の仲魔が、戦場に蔓延する邪悪な癪気と死臭を押し払うように、温かな治癒と清浄の波動を解き放つ。
――『ディアラハン』
――『献身、アムリタ』
完全回復『ディアラハン』の眩い光線が満身創痍のマリを包み込み、同時に状態異常を根こそぎ祓う浄化の秘法『アムリタ』の清冽な光の緩流が、苦戦していた3人の身体を丸ごと洗い流す。
その瞬間、虎杖の皮膚を激しい痛みとともに紫色に腫れ上がらせていたクドラクによる毒が、まるで嘘のように中和され、細胞の隅々から完全に消し去られた。それどころか、裂けた皮膚、打撲による鈍痛、疲弊しきっていた肉体ダメージが活性化し、急速に再生を果たしていく。
「な……ッ!? う、腕の毒が……痛みが消えてく!?」
虎杖は目を見開き、自分の両腕を何度も握り締めた。先ほどまで感覚すら麻痺しかけていた指先に、自然な血流と、まるで怪我などしていなかったかのような万全の力がよみがえってくる。
「……ハッ、相変わらず魔法のような回復ね! 毒が綺麗サッパリ消えてるじゃないの」
膝をついていた釘崎もまた、驚くべき速さで全身に漲る力を実感し、不敵な笑みを浮かべて立ち上がった。
枯渇しかけていた彼女の呪力そのものが戻るわけではないが、毒の麻痺と肉体のダメージがリセットされたことで、再び『芻霊呪法』を振るえる態勢が整ったのだ。
そして何より、その恩恵を最も強く受けたのは、クルースニクの神威を宿しながら戦いの矢面に立っていたマリである。
カズヤの『ディアラハン』と『アムリタ』は、クドラクによる攻勢の余波によって痛めつけられていたマリの身体を過不足なく癒やした。
傷口は跡形もなく塞がり、激しい呼吸も即座に整っていく。
肉体のダメージと毒の不快感という重荷が取り払われたことで、彼女の魂と同化している『クルースニク』の光を帯びた威光が、再び輝きを取り戻す。
マリの全身から、先ほどまでの明滅が嘘であったかのように、純白の光粒子が噴出する。
その光の眩しさは、雑木林の薄暗さを照らし出し、向かい合うクドラクの黒い皮膚をジリジリと焦がしていくようであった。
「チッ……仕留めるのに時間がかかって仲間が来ちまった
いつだってニンゲンは群れるのが大好きだよなァ!」
クドラクが苛立ちに顔を歪めながら吐き捨てる。
「マリ先生、虎杖、釘崎!
ここは俺たちで周囲をカバーしよう。
あの様子じゃあカイドーは連携なんてしないだろうし、任せた方がいい」
アツロウもCOMPを操作して更なる仲魔を召喚する。
雄々しい龍の姿をした『セイリュウ』と、雨雲と稲妻を纏うアステカの神『トラロック』だ。
カイドーと同様に純粋な『物理型』としてステータスを構成しているアツロウ自身も、前線へと一歩踏み出し、セイリュウとトラロックと共に強固な防衛陣形を展開。
虎杖やマリの死角を完全に塞ぐポジションへと素早く移動する。
「おうよ! 助かったぜアツロウ、カズヤ!」
虎杖が地面を力強く踏み締め、両拳を固く握り直す。その瞳には、完全復活を果たした戦士の絶対的な闘志が漲っていた。
「借りが一つ出来たわね。しっかり返してやるわよ!」
釘崎も数本の釘と藁人形を取り出し、鋭い視線をクドラクへと向けた。
カズヤの後方支援によってダメージを回復させたマリたち。
前線を維持しつつ敵の動きを牽制するアツロウパーティー。そして最前線でクドラクと対峙する怨念の炎を燃え上がらせるカイドー。
死の縁に立たされていた戦士たちは、今や逆にクドラクを包囲し、反撃の牙を研ぎ澄ませている。
雑木林の冷えた空気を震わせるのは、カイドーの右腕に握り締められた無骨な鉄パイプが、その凄まじい握力によって歪み、拉げていく鈍い金属音だった。
全快を果たしたマリ、虎杖、釘崎の三人が、アツロウと仲魔たちのカバーを受けて陣形を整えていく。だが、カイドーの意識の中に、そうした味方の完璧な連携や援護の光景は一切映っていない。
その血走った眼が捉えているのは、ただ一つ――目の前で苛立ちを隠そうともせず、ドス黒い瘴気を撒き散らしている吸血鬼『クドラク』のみ。
「おい……。さっき、なんて言った?」
低く、地底から這い出るようなカイドーの声が響く。それは怒りに任せて怒鳴り散らすような声ではない。
骨の髄まで冷え切った純粋な殺意と、二度と消えることのない復讐の念が凝縮された、死神の宣告にも似た呟きであった。
「あぁ……? 何だぁ、威勢だけはいい小僧が。耳まで腐ってんのか?」
クドラクは醜い鼻腔を鳴らし、爪の先から滴る黒い毒液を地面に払い落としながら、吐き捨てるように嘲笑した。
「教えてやったろうがよォ! オレ様が喰い散らかした有象無象の人間どものことだ!
どいつがテメェの『アニキ』だか知らんがなぁ……オレ様の血肉となり、マグネタイトとなって消えたんだ!感謝こそすれ、逆恨みでオレ様に刃を向けるなんざ笑止千万!
ニンゲンどもが群れたところで、このオレ様を倒せる道理など存在しねえんだよッ!!」
「……そうかよ」
カイドーの唇が、歪に吊り上がった。
感情が見えない凶悪な笑みが、その野性味あふれる顔に浮かぶ。
「言い逃れもできねえ、紛れもねえ犯人ってわけだ」
「ハッ! そうだと言ってるだろう?
泣いて命乞いでもするかァッ!?」
クドラクの咆哮とともに、彼の背後から無数の黒い影が沸き立つ。
先ほどパズスの衝撃波によって吹き飛ばされたはずのレギオンやモスマン。さらには周囲の樹木に潜んでいた無数の群小悪魔たちが、クドラクの死の瘴気へと引き寄せられるように集結し、黒い津波となってカイドーへ群がり跳びかかる。
「死ねや、威勢だけはいいガキがぁぁッ!!」
数にして数十……並の悪魔使いであれば、一瞬で取り囲まれて肉を削ぎ落とされる悪夢のような攻勢。だが、カイドーは一切の回避動作を取らなかった。それどころか、身構えることすらしない。
「――ジャマだ、雑魚どもがぁぁぁッ!!」
ドゴォォォォンッ!!
カイドーの全身から解き放たれたのは、理不尽極まりない超絶的な「物理質量」の奔流だった。
彼の背後に従える高位の魔王『パズス』が、四つの翼を激しく打ち振るい、暴風の壁を展開する。それと同時に、カイドー自身が足元の土砂を爆発的な踏み込みで粉砕し、無造作に鉄パイプを横一閃へと振り抜く。
ズバァァァァァンッ!!
ただの鉄パイプの一振りが、まるで大型重機が衝突したかのような凄まじい衝撃波を生む。
跳びかかってきたレギオンたちの集合体が、カイドーの放った一撃の軌道に触れた瞬間、打撃の圧力を受け止める間もなく爆散する。
肉片とドス黒い体液が雨のように降り注ぎ、周囲の樹木ごと数頭のモスマンが身体を半ばから叩き折られて吹き飛んでいった。
「なっ……何だとぉッ!?」
クドラクの目が驚愕に見開かれる。
悪魔特有の肉体強度を持つ集団が、肉体そのものを一瞬で粉砕されたのだ。
「カイドーのやつ……相変わらずメチャクチャな威力だな」
後方でCOMPを構えるアツロウが、舌を巻きながらも冷静にその戦闘データを分析していく。
「素で力のステータスが高いだけじゃない。
渋谷での戦いで悪魔召喚アプリがアナウンスした――『貫通』だ!
相手の物理耐性や無効、果ては吸収まで強引に突き破ってダメージを叩き込む、最凶の物理スキル」
「『貫通』……そういえば渋谷で真人を倒した後カイドーとミドリちゃん何か覚えてたなー
硬い身体や耐性なんて、意味が無いってことか!?」
虎杖が驚愕の声を上げる。
悪魔や呪霊との戦闘において、敵の持つ「耐性」や「無効化」の特性は極めて厄介な障壁となり得る。
どれほど強力な一撃であっても、相手の属性に阻まれれば威力を大幅に殺されてしまうのが理だからだ。だが、カイドーの前では、その世界の法則すら意味をなさない。
相手がどれほど強固な肉体を持っていようが、どれほどの耐性を誇っていようが関係ない。
彼の放つ打撃は、物理と分類される耐性を「無視」してダイレクトにその命を削り取る。まさに言葉通りの『貫通の暴力』であった。
「テメェの相手は俺だと言ったはずだぜッ!!」
肉片と血煙を突き破り、カイドーがクドラクの目の前へと肉薄する。
その移動速度は、見た目からは想像もつかないほどに鋭く、暴力的だった。
踏み込んだ地面がクレーター状に陥没し、雑木林の冷気がカイドーの発する熱気によって歪む。
「チッ、調子に乗るなよニンゲンがぁッ! 『虚空爪撃』ッ!!」
クドラクが叫び、その両腕の爪を激しく交差させた。
空間そのものを引き裂くような漆黒の軌跡が数本、カイドーの肉体を切り刻むべく解き放たれる。先ほどまでマリたちの肉体を苛み、クルースニクの光すら衰退させた殺戮の爪撃。
だが――。
「ぬるいんだよ、ボケがぁぁっ!!」
ガギィィィィンッ!!
カイドーは迫り来る黒い爪撃に対し、回避でも防御でもなく、右腕の鉄パイプを力任せに叩きつけた。
物理的な刃と、ただの歪んだ鉄パイプが激突する。
本来ならば金属など容易く切断されるはずの攻防。しかし、カイドーの異常な腕力と「貫通」の概念を纏った鉄パイプは、クドラクの衝撃波を真っ向から撃ち砕き、強引に拡散させて消滅させた。
「な……爪撃を、力任せに弾き返しただとぉ!?」
「……こんなもん、痛くも痒くもねえんだよッ!!」
間髪いれずに距離を詰めたカイドーが、クドラクの死角へと滑り込む。そして、背後の魔王パズスが凄まじい咆哮を上げ、カイドーの肉体と完全に同調した。
カイドーの全身の筋肉が膨れ上がり、握り締められた鉄パイプに、禍々しいまでの赤黒い闘気と重圧が収束していく。
強力な物理スキル――『デスバウンド』がクドラク目掛けて飛ぶ。
ドォォォォォォォンッ!!!!!
雑木林全体を揺るがす地鳴りのような爆音が轟いた。
カイドーが叩きつけた鉄パイプの一撃は、単なる打撃の域を完全に踏み越え二重、三重にクドラクに迫る。
振り下ろされた鉄パイプを中心に、不規則かつ壊滅的な衝撃の波動が、跳ね返る弾丸のようにクドラクの肉体へ何度も重なって炸裂した。
「ギャアアアアアアアアアッ――」
クドラクの口から、これまで聴いたこともないような悲鳴が上がる。
高位の吸血鬼として誇る強靭な肉体、死の瘴気を纏った防壁――それら全てが、カイドーの『貫通』によって文字通り何の意味もなさない「紙屑」と化していた。
一撃、二撃、三撃。跳ね返る衝撃波がクドラクの胸骨を砕き、内臓を潰し、黒い皮膚をズタズタに引き裂いていく。
「グハッ……腹が、肉がぁっ!?
なんなんだこれはァ……オレ様の肉体が破壊されるだとぉぉッ!?」
吐血しながら吹き飛ぶクドラク。
巨木を三本連続で叩き折り、土煙を上げながら地面を何十メートルもゴロゴロと転がっていく。
その胸元は激しく陥没し、自慢のドス黒い皮膚からは絶え間なく体液が吹き出していた。
「あ、圧倒的ね……」
釘崎が息を呑み、その光景を注視する。
「呪力による術式とは違うただの純粋な『力』による『暴力』で、アイツを一方的に叩きのめしてる!」
土煙の向こう側で、クドラクが激しく血を吐きながら、フラフラと立ち上がろうとしている。その顔からは先ほどまでの余裕と嘲笑が消え去り、あるのはカイドーという存在に対する激しい憎悪だけだった。
「ガハッ……ハァ、ハァ……! クソが……クソ小僧がぁッ! ニンゲンごときが……このオレ様に、ここまで泥を塗りおってぇぇッ!!」
クドラクの肉体から、これまで以上の不吉なドス黒いオーラが溢れ出す。
体内のマグネタイトを強引に燃え立たせ、傷ついた肉体を急速に修復しようと試みるクドラク。だが、どれほどマグネタイトで傷を塞ごうとも、カイドーの『貫通』によって刻まれたダメージは深すぎた。
一方のカイドーは、『デスバウンド』という絶大な威力を誇る技を使用した反動を感じながらもその瞳から殺意の光が消えることは無い。
ギチギチと歪んでいく鉄パイプを再び強く握り直し、カイドーは血の味のする唾を地面に吐き捨てた。
「おい……立てよ、吸血鬼
これで終わりじゃねえよな?」
カイドーが一歩、足を踏み出す。
「キ、キサマァァァッ!!」
クドラクの眼光が血走り、狂気の咆哮が雑木林を切り裂く。
仇敵への激しい復讐心を燃やすカイドーと、追い詰められて狂暴な本性を全開にするクドラク。
二人の殺気が膨れ上がり、戦場はいよいよ最終局面へと突入しようとしていた。