絶望の花咲く東京で   作:ベイベ後藤

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5話 外側の沈黙

 

 それは、呪術界の歴史を紐解いても、いかなる文献にすら記述のない「想定外」のイレギュラーだった。

十月二十八日、午後一時。

秋の気配が色濃くなった東京・青山霊園。手入れの行き届いた緑豊かな敷地には、平日の昼下がりらしい穏やかな静寂が広がっていた。

立ち並ぶ無数の墓石の群れを見下ろすように、数羽の黒鳥が乾いた風に乗って悠然と輪を描いている。その墓道の真ん中に、一人の女性が佇んでいた。

 

「……おや」

 

 白髪の髪を艶やかな指先で弄りながら、冥冥は形の良い眉をわずかにひそめた。

彼女の脳裏には、自身の術式『黒鳥操術』によって共有されている鳥たちの「視界」が、リアルタイムの映像として流れ込んでいる。

広大な東京の街並みを上空から俯瞰するその鮮明なビジョン。だが、その視界のいくつかが、突如として激しい走査線に切り替わった。まるで古いテレビ画面のプラグを乱暴に引き抜いたかのように、砂嵐のようなノイズが五感を侵食していく。

 

「どうしたのですか、姉様」

 

 足元で、自分の体躯ほどもある大きなスーツケースを大事そうに抱えた弟の憂憂が、姉のわずかな変化を敏感に察知して、不安そうに顔を見上げた。

冥冥は視線を落とさない。ただ、遥か東の空――山手線の線路が描く巨大な円環の方角をじっと見つめたまま、冷淡に、しかし確かな警戒を孕んだ声で唇を動かした。

 

「鳥たちの目が、いくつか死んだよ。呪力による物質的な破壊でもなければ、呪霊の術式による妨害でもない。もっとこう……物理的な電磁波の遮断か、あるいは世界の『システム』そのものが、根底から書き換わってしまったような、ひどく不愉快な拒絶だね」

 

 直後、彼女の衣服のポケットの中で、かすかな電子音が途絶えた。

取り出したのは、呪術高専の技術部が特製した、呪力妨害にも一定の耐性を持つはずのスマートフォンだった。しかし、その液晶画面に表示されていたアンテナマークは完全に消失し、不気味な暗黒の画面へと沈黙している。電波の消失。それは単なる通信障害という規模を超えていた。

 同時に、山手線の内側を囲うように、天を衝くほどの『光の壁』が、蜃気楼のように立ち上るのを彼女は目撃した。

半透明でありながら、空間そのものを物理的に切断するような威容を持った光の檻。

霊園の周囲の一般道路では、突如として出動した自衛隊の装甲車が物々しいエンジン音を響かせ、信じがたい迅速さで検問所を構築し、一般車両の封鎖を開始していた。

 

「帳、ではないね」

 

 冥冥の切れ上がった瞳が、獲物の価値を値踏みするような鋭さを帯びる。

呪術師、あるいは呪詛師が用いる「結界術」であれば、そこには必ず残穢と呼ばれる呪力の痕跡が残る。呪力の揺らぎ、術者の五感、術式の構成。それらが一切感じられない。いま東京を包囲したこの巨大な光の檻からは、呪霊の呪詛も、怨霊の情念も、完全に欠落していた。

そこにあるのは、冷徹なまでに無機質で、神聖なまでに完成された「法(ルール)」の気配だけだった。

 

「十月三十一日の渋谷に配置される、というのが上層部から提示された私の取り分(報酬)の条件だったはずだが……。本番の三日も前に、これほど大掛かりで非呪術的な『お荷物』が割り込んでくるとはね。いったい誰の仕業だい?」

 

 彼女は懐から、現在の日本円にして数千万円に相当する報酬の数字を脳内で弾き出しながらも、この状況がもたらす経済的損失――否、戦術的な不利を瞬時に悟っていた。

これは、呪術師側の動向を完全に狂わせる、巨大なノイズだ。

 

 ◇

 

 同じ頃、東京から遠く離れた、天元の結界のお膝元である京都。

その市街地の外縁に位置する山道で、特級呪術師・九十九由基は、愛車である大型バイクのエンジンを乱暴に止めた。

 

「おいおい、冗談だろ……? なんだよ、この胸クソ悪い感覚は」

 

 ヘルメットを脱ぎ捨て、長いブロンドの髪を乱した彼女は、はるか東――東京の方角の空を睨みつけていた。

彼女の背後では、自身の術式によって具現化した『ガルダ』が、まるで巨大な蛇のようにのたうち回りながら、怯えるように身を震わせている。

特級呪術師の使役する式神が、戦いでもないのにこれほど明確な恐怖を示すなど、かつてない異常事態だった。

 

 日本全土を覆う天元の結界。それは国内の呪力の発生を最適化し、呪術師たちの結界術の強度を保つための、いわば日本の呪術界における「心臓」であり「絶対的な基盤」だ。

しかし、いま九十九が肌で感じ取っているのは、その基盤そのものが根底から揺らいでいるという戦慄だった。

東京を覆ったあの光の壁は、天元の結界という強固なシステムの上から、全く異なる『上位のプログラム』を強制的に上書き(ハック)しているかのような、圧倒的な異質さを放っている。

 

「夏油の連中が、十月三十一日に向けて仕掛けた計画の一部か? ……いや、あいつらの目的は呪術師の地位向上のはずだ。あいつらの思想の根底にあるのは人間の情念、つまり『呪力』そのものだよ。こんな、呪力そのものを電子ノイズに変えて磨り潰すような、無機質で冷徹な真似はあいつらの趣味じゃない」

 

 九十九はバイクのシートに深く腰掛け、自身の煙草に火をつけた。紫煙が秋の空気に溶けていく。

 

「東京の中で、天元以外の、別の『神様』が独自のルールで動き出したってワケかい。あーあ、ややこしいことになってきたねえ」

 

 東京の「外側」に取り残された呪術師たちは、一様にこの未知の事態に強い困惑を抱いていた。自衛隊の厳重な物理的隔離により、内側への侵入はもちろん、術式による通信や索敵の類も一切が遮断されている。

呪術高専の上層部すらも事態を把握できず、ただ混乱の極みにあった。

情報が完全に途絶した。

それは、最強の呪術師である五条悟すらも内側に抱き込んだまま動き出した、呪術界にとっての「見えない檻」の始まりだった。世界のルールが、彼らの知らない場所で、音も立てずに変質しようとしている。

 

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