絶望の花咲く東京で   作:ベイベ後藤

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6話 東京校の焦燥

 

 東京の西端、深く生い茂る山々に囲まれた東京都立呪術高等専門学校。

結界術によって外界から隠されたその敷地は、本来であれば世間の喧騒とは無縁の静寂に包まれているはずだった。しかし、十月二十八日の午後は、その隠れ里のような学び舎にさえも、目に見えない強烈な「不協和音」を突きつけていた。

 

「おい、マジでどうなってんだよこれ。ネットも電話も、全っ然繋がんねえ!」

 

 高専の木造校舎の廊下に、虎杖悠仁の困惑した声が響き渡った。

彼は自動販売機の前のベンチで、自身のスマートフォンの画面を何度も親指で叩いていた。

画面の上部、いつもなら表示されている電波のシグナルは完全に消失し、ただ不気味に『圏外』の文字だけが点滅している。

 

「うるさい。あんたの声のせいで、余計にイライラするわ」

 

 すぐ近くの壁に背を預けた釘崎野薔薇が、不機嫌そうに自身の端末をポケットにねじ込んだ。

彼女のスマートフォンの画面もまた、完全に沈黙している。

 

「でもさ、おっかしいだろ? 高専の専用回線まで死んでるんだぜ? 補助監督の伊地知さんたちとの連絡も一瞬で切れたし……。なぁ、伏黒、お前なんか知らされてねえの?」

 

 虎杖に水を向けられた伏黒恵は、ベンチに深く腰掛けたまま、腕を組んで床の一点を見つめていた。その表情は、通信が途絶したことへの焦りというよりも、もっと根源的な「何か」を警戒しているかのように、異常なほど硬い。

 

「……俺たちが知る術はない。だが、ただの通信障害じゃないことだけは確かだ」

 

 伏黒の言葉を証明するように、彼の足元の影が不自然に大きく、歪に揺らめいた。

生み出された影の術式から、伏黒の使役する式神――白と黒の二匹の『玉犬』が、音もなく床に這い出てくる。だが、その二匹の猛獣は、いつものように堂々と周囲を威嚇するのではなく、耳を限界まで後ろに伏せ、長い尾を股の間に巻き込みながら、主である伏黒の膝に縋り付くようにして激しく身を震わせていた。

 

「おいおい、玉犬が怯えてんのか? 強い呪いでも近くにいるのかよ」

 

 虎杖の顔からお気楽な表情が消え、呪力を宿した鋭い目が周囲の空間を射抜く。しかし、伏黒は静かに首を振った。

 

「違う。もし近くに特級クラスの呪霊がいるなら、俺の呪力がそれを感知してるはずだ。だけど、残穢も呪気の揺らぎも一切ない。玉犬たちが怯えているのは……この空気だ」

 

 伏黒は立ち上がり、校舎の窓から遥か東の方角を見据えた。

奥多摩の山々の向こう、遮るもののない天空の果て。東京の中心部――山手線の内側が位置するはずのその全天が、にわかに陽炎のような不自然な歪みを帯びている。

肉眼では、ただ空気が揺れているようにしか見えない。しかし、彼ら呪術師の五感は、その揺らぎの向こう側から、聞いたこともないような「音」を捉えていた。

 パチパチ、と。

それは、空間そのものがショートしているかのような、電子的なノイズの唸り。

何千何万もの、目に見えない電子の端末が、東京の心臓部で一斉に起動し、同期し、一つの「巨大な網(システム)」を編み上げているかのような――無機質で、冷酷で、人間味の欠片もない怪異の胎動だった。

 

「呪霊の呪詛とは全く別のベクトルだ。……あそこに、何か『別の世界のルール』が降りてきてる」

 

 伏黒の言葉に、釘崎もまた窓の外の異様な空を見つめ、無意識のうちに呪符を握り締めた。

 

「何が起きてるっていうのよ。三十一日の渋谷の件と、何か関係があるわけ?」

 

「わからん。だが、夏油の連中が仕組んだ計画にしては、あまりにも呪術からかけ離れすぎている……」

 

 高専の一年生たちが深刻な沈黙に沈む中、廊下の奥から、軽快でありながらどこか地響きのような重みを持った足音が近づいてきた。

 

「よお、三人とも。集まって暗い顔して、ハロウィンの出し物の相談か?」

 

 白い髪に、目を覆う黒い目隠し。およそこの世のあらゆる緊張感とは無縁の男――現代最強の呪術師、五条悟が、いつも通りの軽い調子で姿を現した。

 

「五条先生!」

「先生、ネットが──」

 

「ああ、全部死んでるね。高専の結界の管理システムも、外の補助監督たちの端末も一発で全滅さ。僕のスマホも、今はただの文鎮だよ」

 

 五条は笑いながら、自身のスマートフォンを指先でくるくると回してみせた。しかし、その目隠しの奥にある『六眼』は、生徒たちには決して見えない、世界の「バグ」を克明に捉えていた。

五条悟の六眼は、万物の呪力の流れを原子レベルで視認し、その術式の構成を見抜く。

その彼が、山手線の方角にそびえ立つあの「光の壁」を視たとき、覚えたのは強烈な『違和感』だった。

 

(呪力が、ない。呪術の結界術なら、天元の結界を基盤にしている以上、必ず呪力の電子的な流れが見えるはずなのに。……あの壁を構成しているのは、完全に未知の数式(プログラム)だ。世界そのものに、僕たちの知らない『新しい法律』が強制上書きされてる)

 

 最強であるがゆえに、五条はその異質さの恐ろしさを誰よりも理解していた。

あの光の檻の内部では、呪術師がこれまで絶対の拠り所としてきた「呪力」というルールそのものが、無効化されるか、あるいは別の形に変質させられている可能性がある。

 

「先生、俺たち、どうすればいい?」

 

 虎杖が真っ直ぐな瞳で五条を見上げる。五条は一瞬だけ目隠しの奥の視線を東の空へ固定したが、すぐにいつもの不敵な笑みに戻り、虎杖の頭を乱暴に撫で回した。

 

「どうもしなくていいよ。上層部(お偉いさん)は今頃、ひっくり返って泡吹いてるだろうけどね。自衛隊が街を封鎖して一般人を隔離してるみたいだし、僕たちが勝手に動くとややこしい」

 

「でも、三十一日の渋谷の件は……」

 

 伏黒の問いに、五条はポケットに両手を突っ込み、背を向けた。

 

「予定通りさ。何が起きようが、僕が渋谷へ行って、全部ひっくり返して終わらせる。……それだけだよ」

 

 その言葉は、確かに絶対的な安心感を伴っている。だが、五条の背中を見送る伏黒の胸の底には、どうしても拭い去れない冷たい予感が残っていた。

最強の男が、その「六眼」をもってしても、まだ全貌を掴めていない未知の檻。

 

 十月二十八日。東京封鎖初日。東京郊外の高専校舎は、日本の中心から放たれる不気味な電子ノイズの震動を浴びながら、ただ焦燥の夜を迎えるしかなかった。

 

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