ナオヤの冷ややかな視線を浴びながらも、遊び人風の男は全く堪えた様子もなく、むしろ楽しげに鼻歌を口ずさみながらデスクの上で足を揺らし続けていた。
窓の外では、東京の夜を切り裂くように自衛隊のヘリのローター音が遠く響き、時折、悪魔たちの咆哮や一般人の悲鳴が混じった風がビルの壁面を叩いている。しかし、この男が纏う空気だけは、どこまでも軽薄で、退屈な日常の延長線上にあった。
「いやぁ、それにしてもさぁ」
男はパチリと指を鳴らし、ナオヤのマルチモニターの一つを勝手に指差した。そこには、網の目のように東京中に張り巡らされた「COMP」の通信ログと、その内部で急速に増大していく未知のバイナリデータが明滅している。
「本当に傑作だよ、この状況。呪術師だの呪霊だの、あいつらってさ、いつも『人間の情念』とか『魂の叫び』とか、そういう泥臭くてエモーショナルなもので世界が回ってると思ってたわけでしょ? そこに君がさ、完璧に整備された無機質な『プログラム』っていう冷たい水をぶっかけちゃったんだから。見てよこれ、完全にシステムエラーを起こして固まってるじゃないか」
男は喉を鳴らして笑い、大袈裟に肩をすくめてみせた。
「あっちの、ほら、額に縫い目のある可哀想な彼? 彼が一生懸命考えて用意したプロットなんてさ、もうボロボロさ。
あいつらのやる『結界術』っていうのは、部屋に鍵をかけるようなものなんだよね。だけど、『東京封鎖』はさ、部屋の壁そのものをデジタルデータに変換して、別のサーバーに隔離しちゃったようなものだ。これじゃあ、どれだけ強力な呪いを持ってようが、五条悟がどれだけ最強だろうが、チェス盤の枠組みごとひっくり返されたようなもんだよねぇ」
「……お前は喋りすぎる」
ナオヤはキーボードから手を離さず、氷のような声を低く響かせた。だが、遊び人風の男はその警告を心地よいBGMか何かのように受け流し、さらに身を乗り出してナオヤの横顔を覗き込んだ。
「冷たいねぇ。せっかく僕が、解説役を買って出てあげてるのにさ。いいかい、この『神の檻』の面白いところは、呪力っていう前時代的なルールを、悪魔召喚プログラムの『論理』が完全にハッキングして、上書きしちゃってるところなんだ。
普通なら、呪霊を倒すには呪力が必要。でもさ、君がバラまいたあのCOMPのアプリを通せば、ただの一般人が、スマホをちょっと操作するだけで『悪魔』を呼び出して、呪霊ごと街のすべてを磨り潰せる暴力を手に入れちゃう。これってさ、呪術界の連中からしたら、世界の前提が崩壊するような大パニックだよ?」
男の目が、暗がりの中で一瞬だけ、妖しく、そして冷酷に光った。
「呪術師の血統だの、天賦の才能だの、そんな不公平なものは全部おしまい。これからは、アプリの規約に同意した奴なら誰だって神の領域に触れられる、極めて民主的で、かつ最高に最悪な『生存ゲーム』の始まりってわけだ。……あ、そうそう、忘れてた。君が仕込んだ、あの悪趣味なシステムについても語っておかないとね」
男はわざとらしく自分の頭の上を指さしてみせた。そこには、何も表示されていない。しかし、COMPを手にした一般人たちの頭上には、今この瞬間も、彼らの残り寿命を示す残酷な数字――『ラプラスの魔』が告げる「余命システム」が明滅しているはずだった。
「『余命』なんていう、神様しか知り得ない絶対的な運命のコードを、君はデジタル数字にして一般人に可視化しちゃった。それも、あと数日で全員が死ぬっていう、確定した絶望のカウントダウンとしてね。
人間っていうのはさ、ただでさえ追い詰められると醜い本性を出すのに、自分の死の時間が一分一秒と減っていくのを見せつけられたら、一体どうなると思う?」
男はデスクから飛び降り、部屋の中をダンスでも踊るかのように軽快な足取りで歩き回った。
「奪い合うのさ。物資を、権力を、そして他人の『寿命』をね。
あの少年が、その醜悪な人間の限界を見せつけられながら、それでもなお『ベルの王』としての道を選ぶのか……。くぅーっ、ゾクゾクするねぇ! 君の想いは歪んでいるよ」
「……黙れと言ったはずだ」
ナオヤが初めて、キーボードから手を離し、椅子の向きを変えて男を正面から睨みつけた。
その灰色の髪の奥にある瞳には、ただ世界を冷笑するだけの天才の枠を超えた、底なしの暗黒と、執念の焔が揺らめいている。
「俺は、あいつに絶望を教えているわけではない。この偽りの世界が強いる『家畜の平穏』を、あいつ自身の手で叩き潰させるために必要なプロセスを踏ませているだけだ。
神が定めた因果も、呪詛師が描いた台本も、すべてはあいつが至高の座へ昇るための踏み台に過ぎない。お前はその結末を、観客として消費していればいい」
「おっと、怖い怖い。本気で怒らせちゃうと、僕の分のCOMPの権限まで消されちゃいそうだから、このへんでやめておくよ」
遊び人風の男は、両手を上げておどけたポーズを取ると、そのまま後ろずさりしながら、部屋の隅の闇へと溶け込んでいく。
「それじゃあ、僕は僕で、この大混乱の東京を楽しませてもらうとするよ。
五条悟がやってくる明日、十月三十一日の渋谷……。一体どんな『バグ』が起きるか、今から待ち遠しくて仕方がないよねぇ、ナオヤくん?」
軽薄な笑い声の残響だけを残し、男の気配は完全に消え去った。
静寂が戻ったペントハウスで、ナオヤは再びマルチモニターへと視線を戻した。画面の中央で、時間を刻む数字が、冷酷に、しかし着実に刻を進めていた。