ポケモン現代入り 作:ささみ
土曜日の朝。
カーテンの隙間から差し込む日差しに目を覚ました。
枕元を手探りし、スマートフォンの画面を点ける。時刻は午前九時を少し回ったところだった。
今日は休みだ。
アラームに叩き起こされることも、慌てて着替えて工場へ向かう必要もない。昨日まで延々と流れてくる弁当へ唐揚げを乗せていた分、もう少しくらい眠っていても罰は当たらないだろう。
一度閉じかけた目を開き、ベッドの中で大きく伸びをする。
そのまま寝返りを打ったところで、視線が止まった。
部屋の隅に、知らない機械が置かれていた。
「……なんだあれ」
目をこすってから、もう一度見る。
消えない。
昨日まで何も置いていなかったはずの場所に、ワンルームには明らかに不釣り合いな大型の装置が鎮座している。
金属と樹脂を組み合わせたような外装は、家電にしては大仰で、工場の設備にしては妙に丸みを帯びていた。表面では青や緑の小さなランプが規則的に明滅し、どこかから低い作動音も聞こえてくる。
寝ている間に誰かが運び込んだ。
そう考えるには大きすぎる。そもそも玄関を通るかどうかも怪しい。
ベッドから降り、恐る恐る近づいた。
見覚えはない。
ないはずなのに、何に使うものかは分かった。
ポケモン交換装置。
通信交換、ボックス間の転送、遠隔地との交換。特定のポケモンを進化させる際にも使われる。
名称だけではない。操作方法や内部の仕組みまで、前から知っていたことのように頭へ浮かんでくる。
「……寝ぼけてんのかな。いや、そんなわけないか」
頬をつねってみる。
しっかり痛い。
装置の側面へ手を当てると、冷たい感触が返ってきた。床へ固定されているわけではなく、一応は動かせるらしい。
ただし、持ち運べるという言葉から想像するような代物ではない。一人で抱えられる大きさでもなければ、少し押した程度で動きそうな重さでもなかった。
移動させるなら、最低でも台車と複数人の手がいる。遠くへ運ぶなら、トラックか引っ越し業者の世話になるだろう。
ひとまず機械から離れ、PCデスクへ目を向けた。
スリープ状態だったモニターを起動する。
デスクトップの中央に、見覚えのない画面が開いていた。
番号の振られた複数の枠。その背景には、草原や海岸らしき景色が広がっている。見覚えがある。
ポケモン預かりシステムのボックス機能だった。
マウスを動かしてみる。
初めて見る画面構成であるにもかかわらず、どこを押せば何が起きるのか、迷うことなく理解できた。
嫌な予感がして、スマートフォンへ視線を落とす。
ホーム画面には、昨日まで存在しなかったアイコンが二つ増えている。
全国図鑑とボックス。
全国図鑑を開くと、膨大な数の空欄が並んでいた。検索、絞り込み、個体情報の確認。説明を読まなくても操作できる。
ボックスアプリは、PC側の預かりシステムと連動しているらしい。今のところ中身は空だったが、こちらも使い方は自然と分かった。
試しにアイコンを長押しする。
削除の項目が出てこない。
アプリ情報を開こうとしても、通常のソフトウェアとは違う簡素な画面しか表示されなかった。
勝手にインストールされたというより、端末そのものへ機能を後付けされたように見える。
「ハッキングにしちゃ手が込んでるというか、趣味が良すぎるというか……」
スマートフォンを机へ置く。
そのとき、モニターの脇に白い物体があることに気づいた。
金色の装飾が付いた、妙に神々しい雰囲気の端末。
いや、端末と呼ぶには形が独特すぎる。
上下左右へ伸びた装飾のせいで、どう見ても持ちづらい。ポケットに入れようとすれば引っかかるだろうし、机へ置いても安定しそうにない。
それでも、何なのかは一目で分かった。
アルセウスフォン。
正直に言おう。
クソダサい。
何を考えてこの形にしたのか。神々しさを優先した結果、携帯端末としての使い勝手を全部捨てている。
手に取ろうと指を伸ばした瞬間、アルセウスフォンから着信音が鳴り響いた。
静かな部屋に不釣り合いな音量で、肩が跳ねる。
少し迷ってから、出っ張りを避けるように端末を掴み、通話ボタンへ触れた。
「……もしもし?」
『やあ。目覚めたようだな、
「誰ですか」
『私はアルセウス。単刀直入に言おう。君を元の世界から、別の並行世界へと移動させてもらった』
「は?」
アルセウス。
元の世界。
別の並行世界。
朝一番に聞かされるには、どれも話が大きすぎる。
『この世界には、君の知るポケットモンスターという創作作品が存在しない。ゲームも、アニメも、漫画もない世界だ』
「……マジで? ポケモンないんだ」
驚きはした。
ただ、目の前には交換装置があり、PCにはボックスが存在する。手にはクソダサいアルセウスフォンまである。
今さら全部幻ですと言われる方が無理があった。
『私は現代地球とポケモン世界の融合を開始した。ポケモンや関連する要素は、一か月ごとに地方単位で段階的にこの世界へ現れることになる。まずはカントー地方のモデルである関東周辺からだ』
「なるほど、大パニック必至のやつだ。で、世界を救えとか、全種類のポケモンを捕まえろとか、そういう使命があるわけ?」
『ない。君に課す使命や達成目標は一切ない。私が君を選び、この世界を融合させたのは、単に目新しいものを見たいという好奇心と、ちょっとした暇潰しだ』
「……お前、本当に邪神だな」
世界を二つ混ぜる理由が暇潰し。
人間の都合など、最初から考慮されていないらしい。
さすがに呆れはしたが、元へ戻せと怒鳴る気にはならなかった。少なくとも今のところ、身体にも部屋にも問題はない。住所や仕事まで消えている様子もなかった。
それに、本物のポケモンが現れる。
その部分だけを考えれば、怒るより先に興味が湧く。
同じ工場へ通い、唐揚げを乗せ、帰って寝るだけだった昨日までよりは、面白くなりそうだった。
『君には、ポケモンに関する完全な知識を与えておいた。ポケモンの生態、特性、技、進化条件から、アイテムの製法に至るまで、必要な情報は自然に頭へ浮かぶはずだ。君の部屋には、ポリゴンといくつかの初期装備も用意しておいた。これからの生活を存分に楽しんでくれ。それでは』
こちらが何か返すより先に、通話が切れた。
次の瞬間、手にしていたアルセウスフォンが淡い光へ変わる。
指の間から細かな粒子がこぼれ、端末は数秒もかからず跡形もなく消えた。
机にも床にも何も残っていない。
「……言いたいことだけ言って消えやがった。まあいいか」
消えたものを見つめ続けても仕方がない。
初期装備も用意したと言っていたが、それらしいものはどこにあるのか。
部屋を見回す。
PCデスクの脇に、見覚えのない黒いバッグが置かれていた。
旅行に使うボストンバッグより一回り大きい。交換装置ほど露骨ではないものの、昨日までは存在しなかったはずだ。
近づいて持ち手を引き上げる。
見た目よりは軽い。
ファスナーを開くと、内部は複数の仕切りに分けられていた。用途の異なる道具をまとめて持ち歩けるよう、最初から配置まで考えられているらしい。
片側には、小さく縮められたモンスターボールが六個。
一つだけ中央のボタンが赤く点灯している。手に取った瞬間、おそらくそこにポリゴンが登録されているのだろうと分かった。
残る五個は空だ。
別の仕切りには、キズぐすり、どくけし、まひなおし、むしよけスプレーが、それぞれ五個ずつ収められている。
さらに奥から、専用のケースに収められたキーストーン、Zリング、ダイマックスバンド、テラスタルオーブまで出てきた。
地方ごとの特殊な仕組みに対応する装備が、一通り揃っている。
「どんだけ過保護なんだよ……準備が過剰すぎるだろ」
どれも今すぐ使えるわけではない。
それでも、もらえるものはありがたく受け取っておく。
バッグから赤く点灯したモンスターボールを取り出し、机から少し離れた。
狭い部屋ではあるが、中央なら一匹くらいは出せる。
ゲームでは何度も見てきた動作だ。
それでも実際にやるとなると、少し緊張した。
「出てこい、ポリゴン」
中央のボタンを押す。
ボールが開き、白い光が床の上へ飛び出した。
光は一度大きく広がった後、角張った輪郭を形作っていく。
ピンクと青の身体。
丸い目。
人工物めいた姿をしたポケモンが、部屋の中央へ浮かび上がった。
短い電子音が鳴る。
機械の起動音にも、生き物の鳴き声にも聞こえる、不思議な音だった。
ポリゴンはこちらを見上げ、身体をわずかに傾ける。
画面越しにしか見たことのなかった存在が、手を伸ばせば触れられる距離にいた。
思わずしゃがみ込み、差し出した手を近づける。
警戒する様子はない。
ポリゴンは軽く身体を傾けた後、手のひらへ顔を寄せてきた。
表面は見た目どおり硬い。ただし金属そのものとも違う。生物なのか機械なのか、触っても余計に分からなくなる妙な感触だった。
スマートフォンでボックスアプリを開く。
ポリゴンの名前と姿。その横にはレベル五と表示されている。
全国図鑑にも、最初に登録された一匹として姿が追加されていた。
「よろしくな、ポリゴン。お前が相棒ってわけか」
返事の代わりなのか、ポリゴンは短い電子音を鳴らし、身体を上下させた。
試しにPCのモニターを指差した。
こちらの意図を理解したのか、ポリゴンの輪郭が一瞬だけ崩れる。そのまま光の線となってモニターへ吸い込まれ、数秒後には画面の隅から顔を覗かせた。
カーソルを追いかけ、開いているウィンドウの間を軽々と移動していく。
実際に目の前でやられると、かなり不思議な光景だった。
「さて、世界がどうなってるか、ちょっと確認してみるか」
椅子へ座り、ブラウザを開く。
検索窓へ「ポケットモンスター」と入力した。
表示されたのは、単語を分解した無関係な検索結果ばかりだった。
見覚えのあるゲーム公式サイトも、アニメの情報もない。
続けて「ポケモン」「ピカチュウ」と検索する。
やはり何も出てこない。
黄色い電気ネズミも、モンスターボールも、歴代ゲームも、この世界には最初から存在しなかったことになっている。
代わりに、勤めている派遣会社のサイトを開く。
普通に存在していた。
勤務先の食品工場もある。銀行口座や通販サイトの登録情報もそのまま。知っている人間のSNSアカウントも消えていない。
変わったのは、本当にポケモンだけらしい。
「本当にポケモンがない世界なんだな……。でも、これから本物が出てくるなら、元の世界より絶対面白いじゃん」
自然と口元が緩む。
そのまま、普段使っているSNSを開いた。
タイムラインには、いつもどおりの投稿が流れている。
朝食の写真。
これから仕事へ向かう人間の愚痴。
ペットの動画。
昨日放送された番組の感想。
一見したところ、特に変わった様子はない。
アルセウスが言っていた融合も、まだ誰も気づいていないのかもしれない。
そう思いながらスクロールを続けていると、一枚の写真が目に留まった。
『なんか変な鳩がいるんだけど』
公園らしき場所で撮られた、小さな鳥の写真だった。
茶色い身体に黒い模様。一般的な鳩よりも丸みがあり、短い嘴の周囲は淡い色をしている。
投稿者の所在地は関東。
写真を拡大する。
見間違えるはずがなかった。
関連する投稿を辿っていく。
『公園に丸っこい鳥いた。人に全然ビビらない』
『飛び立った時、すげー砂埃舞って目に入った最悪』
『ポッポーじゃなくて違う鳴き声だった。新種?』
別の場所で撮られた動画もあった。
鳥は地面をつついた後、撮影者を一度振り返る。次の瞬間には翼を大きく広げ、乾いた土を巻き上げながら飛び立っていった。
撮影者が慌てて顔を背け、動画が大きく揺れる。
合成には見えない。
足元の影も、羽毛の動きも自然だ。何より、映っている鳥には生物らしい重さがあった。
「これ、どう見てもポッポだな」
さらに検索を続ける。
ポッポほど鮮明ではないものの、ほかにも妙な投稿がいくつか見つかった。
『駅前のゴミ箱漁ってた紫色のネズミ、知ってる人いる? 歯がデカくて怖かった』
暗い路地を走り抜ける、紫色の小動物。
画質は悪かったが、大きな前歯と長い尻尾が一瞬だけ映っている。
コラッタだ。
『庭の木に変な芋虫ついてる。触角みたいなの赤いんだけど、これ毒ある?』
葉の上で身体を丸めている緑色の幼虫。
キャタピー。
『犬の散歩中に見つけた。めっちゃ黄色い虫。頭に角みたいなのある』
草むらの隙間から覗く、小さな黄色い身体と赤い突起。
ビードルだった。
ほかにも、街路樹の上を細長い影が這っていたという報告や、民家の軒下で見たことのない虫が糸を張っていたという書き込みがある。
どれも写真が不鮮明だったり、投稿者自身が半信半疑だったりして、大きく拡散されてはいない。
野生動物の見間違い。
海外から持ち込まれたペット。
作り物。
朝から変なものを見たという、軽い話題として流されている。
それでも、映っているものが何なのかは分かった。
ポッポだけではない。
関東のあちこちで、カントーのポケモンが同時に現れ始めている。
融合はすでに始まっていた。
しかも、言っていたとおり関東からだ。
画面内を移動していたポリゴンも、開いた画像の横で動きを止めている。次々と表示される同族たちを見ているらしい。
しばらく検索を続けたが、現時点で最も多く目撃されているのはポッポだった。
人目につきやすい公園や道路脇へ現れ、昼間でも普通に飛び回っている。写真も動画も撮りやすいため、ほかのポケモンより情報が集まっている。
もう少しまとまった情報がないか探すため、普段から暇潰しに覗いている匿名掲示板を開いた。
トップページには、すでにそれらしいスレッドが上がっていた。
【有識者求む】なんか知らん生き物いる【可愛い】
SNSで拡散され始めたポッポの写真を見つけた誰かが、早速スレを立てたらしい。
開いてみれば、ただの鳩だ、新種だ、フェイク画像だと好き勝手に言い合っている。
写真の撮影場所を探している者もいれば、捕まえて飼おうとしている者もいた。
スレの途中には、紫色のネズミや緑色の芋虫の投稿を貼り、同じ騒ぎと関係があるのではないかと疑っている書き込みも混ざっている。
大半は偶然だと笑い飛ばしているが、すでに別々の場所で複数種が確認されている。
書き込み欄にカーソルを合わせる。
名前、タイプ、特性、生態、覚える技、進化先。
知っていることなら、いくらでも書ける。
ただ、いきなり全部並べたところで信じられるはずがない。妙に詳しすぎれば、今度はどこで知ったのかと探られる。
世間の先頭に立つつもりはない。
専門家として名乗り出るつもりもない。
面倒な立場は御免だった。
「さて、なんて書き込んでやるかな」
スレッドを上から読み返しながら、書き込み欄を開いた。