ポケモン現代入り 作:ささみ
そんなに甘い世界ではない、と言うこと
『よし、映ってるな。音も問題ない?』
手持ちのスマートフォンが左右へ振られ、草の生えた河川敷と、その先に続く林が映し出される。
画面が一度足元へ落ちた。
開いたリュックの中には、手作りらしい不揃いな球体が十数個。その横には、使い込まれた金属バットが一本置かれている。
:聞こえてる
:画面揺らすな酔う
:ボール結構持ってきたな
:横のバット何だよ
:嫌な予感しかしない
『これ? 捕まえるなら弱らせた方がいいんだろ。俺まだポケモン持ってねえから、自分でやるしかないじゃん』
バットを取り上げ、軽く肩へ乗せる。
『ちゃんと加減するって。捕まえた後に死なれたら俺が損するし』
:そういう問題か?
:ポケモン同士で戦わせる前提じゃないの
:最初の一匹問題はあるけどバットはどうなんだ
:まあ実際捕まるかは見たい
:怪我させすぎんなよ
『餌も水も用意してるし、飼う場所もある。そこまで適当じゃねえから』
そう言いながら歩き始める。
しばらくは草と木ばかりが画面を流れていった。時折足を止めて藪の中へカメラを向けるものの、何かが動いたように見えてもすぐに姿を消してしまう。
『全然いねえな。ネットじゃこの辺でも出るって話だったんだけど』
:お前がうるさいから逃げてる説
:もっと静かに歩け
:野生動物探すテンションじゃないんよ
:左の木の下なんかいなかった?
『左?』
言われた方向へカメラが向く。
木の根元。
枯れ草をつついていた小さな鳥が、こちらの気配に気づいて顔を上げた。
『お、いるじゃん。あれオニスズメってやつだろ』
:オニスズメだな
:目つき悪いなこいつ
:思ったより小さい
:近づきすぎんなよ
『一匹目にはちょうどいいな』
スマートフォンを持ったまま、もう片方の手でバットを構える。
ゆっくり近づいていくと、オニスズメも逃げずに身体を低くした。羽が広がり、鋭い目がこちらへ向けられる。
『お前もやる気じゃん』
:それ威嚇されてるんじゃね
:バット持って近づいてるからだろ
:普通にボール投げれば?
『このまま投げても逃げられるだろ』
さらに一歩。
その瞬間、オニスズメが先に飛び出した。
『うおっ!?』
画面が激しく揺れる。
羽音がスマートフォンのすぐ近くを通り過ぎ、配信者が慌てて身体を捻った。
『痛って! 頬やられた!』
カメラが一瞬顔へ向く。
大した傷ではないが、頬に細い赤い線ができていた。
:先に手出したのお前だろ
:普通に危ないじゃん
:もう離れろよ
:顔狙ってくるの怖いな
『これくらい平気だって』
再び飛び込んできたオニスズメへ身体を向ける。
今度はタイミングを合わせ、バットを振った。
鈍い音が響き、小さな身体が草の上へ落ちる。
『よし、当たった』
:普通に殴ったな
:結構飛んだぞ
:大丈夫か?
:まだ動いてる
:早くボール投げろ
『死んでねえって。ほら』
オニスズメは羽を動かし、立ち上がろうとしている。
そこへ自作ボールを投げつけた。
触れた瞬間に身体が光へ変わり、球体の中へ吸い込まれる。
『おお、入った!』
地面へ落ちたボールが揺れ始めた。
一度、二度。
少し間を空けて、もう一度。
そのまま動かなくなる。
『……これ成功だろ?』
:たぶん
:止まったな
:捕まったんじゃね
:開けた瞬間逃げたら笑う
:とりあえず一匹目おめ
『よっしゃ!』
拾ったボールをカメラの前へ掲げる。
『ほらな、普通にいけんじゃん。ネットじゃ野生のポケモン危ない危ない言ってるけど、ちゃんとやれば人間でも捕まえられるって』
:オニスズメ一匹で結論出すな
:お前もう頬切られてるぞ
:捕まえた後ちゃんと傷見てやれよ
:ボール自体は本当に使えるんだな
『後で出して確認するって。今やったらまた逃げるかもしれねえし』
ボールをリュックへしまう。
最初の一匹を捕まえたことで気分が良くなったらしく、先ほどまでより足取りも軽い。
『次もうちょいデカいの欲しいな。せっかく来たんだし、オニスズメ一匹じゃつまんねえだろ』
◇
それからしばらく林の中を歩き続けた。
何匹か遠目には見つけたものの、近づく前に逃げられる。途中で小さな虫ポケモンらしい影も見えたが、配信者はあまり興味を示さず、そのまま先へ進んだ。
『もっとこう、見栄えするやついねえのかな』
:選り好みし始めたぞ
:捕まえるだけなら今のでもよかっただろ
:どうせ配信映え目的だろ
『そりゃそうだろ。せっかく配信してんだから面白い方がいいじゃん』
そんなことを話しているうちに、前方の草が動いた。
今度は配信者自身もすぐに気づく。
『あ、待って。なんかいる』
カメラを向ける。
茶色い小柄な身体。
頭には骨を被り、手には細長い骨を一本持っている。
『カラカラだったか?こいついいな』
:武器持ってるぞ
:バット対骨か
:さっきより強そう
:無理に殴り合うなよ
『こいつ捕まえようぜ』
カラカラもすぐこちらへ気づいた。
逃げる様子はなく、握っていた骨を構える。
『やる気じゃん。そういうの好きだわ』
配信者が近づき、バットを振る。
カラカラも骨を振り上げた。
硬いもの同士がぶつかる甲高い音。
『うお、止めた!』
:普通に受けたぞ
:こいつ強くね?
:バットと打ち合ってるの面白いな
:笑ってる場合じゃないだろ
続けてもう一度。
今度はカラカラの方が先に振り込み、配信者がバットで受ける。
金属へ衝撃が響き、そのまま画面が少し下がった。
『結構痛えな、こいつ』
距離を詰めようとしたところで、カラカラが急に身を翻した。
『あ、逃げんな!』
草むらへ入り込む。
配信者も追いかけたが、数十秒もすると完全に姿を見失った。
『くっそ、見えなくなった』
:もう諦めろ
:深追いするほどじゃないだろ
:ちゃんと逃げ切ったな
:オニスズメと全然違ったな
『まあいいわ。ボール無駄にしてないし』
息を整えながらバットを見る。
表面には新しい傷が一つ増えていた。
『でもあいつ欲しかったな。普通にバット止めやがったし』
:また見つけた時にしろ
:相手によって全然違うって分かっただけでも収穫だろ
:そのまま川の方行くの?
『行く。水辺ならまた違うのいるだろ』
林を抜けると、視界が開けた。
緩やかな斜面の先に川が流れている。
配信者が水際へ向かって歩いている途中、コメントの流れが急に変わった。
:ちょっと待って
:奥になんかいるぞ
:右の方
:水面の青いやつ見える?
:かなりデカくないか
『どこ?』
カメラが右へ動く。
一度通り過ぎ、少し戻る。
『……あれ?』
遠くの水面。
青い何かがゆっくりと動いていた。
拡大すると画質が荒れる。それでも、水面から持ち上がった巨大な頭部と、長い身体までははっきり分かった。
配信者の声が一段上がる。
『いや待て待て……ギャラドスじゃん!』
:マジでギャラドスだ
:でかすぎる
:これ以上近づくなよ
:図鑑に危ないって書いてあったやつだろ
:撮れただけでも十分当たり配信だぞ
:捕まえろ
:いや絶対無理だろ
視聴者数の表示が目に見えて増え始める。
【同時視聴者数 1,426人】
『これ捕まえたらヤバくね?』
:その発想になると思った
:やめとけ
:さっきのカラカラですら逃げられただろ
:相手のサイズ見ろって
:遠くから映して帰れ
『別にいきなり殴りには行かねえよ。まずボール投げてみるだけ』
リュックから一つ取り出す。
ギャラドスはまだこちらへ興味を示していない。
水面をゆっくり進みながら、時折身体を揺らしている。
配信者は距離を測るように数歩ずつ近づき、投球できそうな場所で立ち止まった。
『ここなら届くだろ』
大きく振りかぶる。
『いけっ!』
ボールが弧を描き、ギャラドスの身体へ当たった。
巨大な身体が光へ変わり、一瞬で球体へ吸い込まれる。
『入った!!』
:マジか
:サイズ関係なく入るんだ
:これ捕まったらやばいぞ
:まだ確定じゃないから近づくな
水際へ落ちたボールが激しく跳ねる。
一度。
二度。
次の瞬間、強い光が弾けた。
ギャラドスが再び水面へ現れる。
『駄目か!』
低い鳴き声が周囲へ響く。
ギャラドスはこちらを見た。
しばらくそのまま動かなかったが、やがて身体を翻し、川の奥へ離れていく。
:失敗したなら終わりにしろ
:向こうから離れてくれてるぞ
:もう十分だろ
:追うなよ
『いや、でも一回入ったんだぞ』
配信者が後を追い始める。
『もう一回やればいけるかもしれねえだろ』
:また悪い癖出てるぞ
:逃げてる相手を追うな
:ギャラドスは流石に洒落にならないって
:同接増えたから引けなくなってるだけだろ
【同時視聴者数 3,807人】
『こんだけ見てんのに逃がせるかよ』
走りながら笑う。
だがギャラドスとの距離はなかなか縮まらない。
もう一度ボールを投げようとして、途中で手を止める。
『……やっぱこのままじゃ駄目だな』
視線がバットへ向く。
:やめろ
:まさかバット使う気か?
:オニスズメと同じ感覚でやるなよ
:それは本当に死ぬぞ
『ちょっと弱らせるだけだって』
水際まで近づいたところで、ギャラドスが振り返った。
大きく身体を持ち上げ、腹へ響くような鳴き声を上げる。
さっきまでとは明らかに違う。
『うるさっ……』
:それ警告だろ
:そこで下がれ
:完全に嫌がってるじゃん
:もう帰れって
『威嚇してるだけだろ』
バットを両手で握る。
ギャラドスが水際まで近づいた瞬間、思い切り振り抜いた。
硬質な音が響いた。
『いっっってぇ!』
配信者が手を振りながら後ろへ下がる。
『何だこいつ、めちゃくちゃ硬いんだけど!』
:そりゃそうだろ
:本当に殴りやがった
:今ので完全に怒らせたぞ
:ギャラドスの顔見ろ
ギャラドスは逃げなかった。
水面から身体を持ち上げたまま、真正面からこちらを見ている。
先ほどまで笑っていた配信者も、その様子を見て一度口を閉じた。
『……これ、結構怒ってる?』
:当たり前だろ
:見逃されたのに追って殴ったんだぞ
:今ならまだ下がれる
:そのまま帰れ
数歩後退する。
ギャラドスは追ってこない。
しばらく距離を取ったまま睨み合う形になった。
『……ほら、来ねえじゃん』
:来ないならそのまま帰れ
:最後の警告だと思えよ
:もう十分撮れ高あるって
配信者は迷うようにボールを見る。
そしてもう一度、ギャラドスへ視線を戻した。
『あと一回だけ。これで駄目ならマジで帰る』
:やめとけ
:その一回が余計なんだよ
:もうボール投げんな
:いけるいける
:煽るなって
投げる。
再びギャラドスが光へ変わった。
しかし今度はほとんど間を置かず、球体から飛び出してくる。
『クソッ!』
現れた直後、ギャラドスが大きく身体を振った。
尾が水面を叩き、大量の水が岸へ飛ぶ。
画面が水滴で覆われる。
その向こうから巨大な身体が迫った。
『うわっ――!』
激しい衝撃。
カメラが空と地面を何度も映しながら転がり、草地で止まった。
:めちゃくちゃ飛ばされたぞ
:もうやめろ
:救急呼んだ方がいいだろ
:声聞こえる?
『……っ、クソ……』
荒い呼吸が続く。
しばらくして手が伸び、画面の端に落ちていたバットを掴んだ。
:何でまだそれ拾うんだよ
:もう逃げろって
:意地張ってる場合じゃないぞ
:さっきまで煽ってた奴ももう止めろよ
身体を起こす。
歩き方は明らかに先ほどまでと違っていた。
『……舐めんなよ』
:まだやる気なのかよ
:もう勝ち負けの話じゃないだろ
:帰れ
:マジで死ぬぞ
『ここまでやって逃げられるかよ』
再び川へカメラを向ける。
ギャラドスは追ってきていなかった。
ただ、逃げてもいない。
水面から頭を出し、こちらを見ている。
『……何だよ』
ゆっくりと口が開いた。
その奥に、小さな光が生まれる。
:口の中光ってない?
:何か来るぞ
:これはマジで逃げろ
:今すぐ走れ
:バット捨てろ
『……は?』
光が急速に強くなった。
:逃げろ!!!
:走れ!!
:早く!!
:カメラ捨てろって!!
『ちょ、待っ――』
画面が激しく揺れる。
配信者が走り出した直後。
視界が白く染まった。
耳を潰すような音。
映像が激しく回転し、最後に横倒しになった状態で止まる。
草むらの向こうで、煙のようなものがゆっくり流れていた。
:おい
:大丈夫か?
:返事しろ
:誰か場所分かる?
:119した
:配信者映ってないぞ
:さっきの川から場所探せるだろ
:警察にも連絡した方がいい
:頼むから返事してくれ
画面は動かない。
遠くで水が流れる音と、風に草が擦れる音だけが残っている。
:場所ほぼ特定されたって
:救急向かってるらしい
:まだ配信繋がってる
:本当に何も聞こえないな
:無事でいてくれ
しばらくして、映像が突然暗転した。
【配信は終了しました】