ポケモン現代入り 作:ささみ
会議室の机には、紙に印刷された資料と複数のタブレット端末が並んでいた。
壁際の大型モニターには、山岳地帯で発生した崩落事故の映像が停止した状態で映されている。岩の身体を持つ巨大な生物と、角の生えた四足歩行の生物。別の画面には、救助活動へ加わった人型生物の姿も並んでいた。
「イワーク、サイホーン、ワンリキー、ゴーリキー、カイリキー。名称は今回も全て一致しています」
担当者の報告に合わせて、机上の資料へ新しい印が追加される。
一週間ほど前、正体不明の人物から政府へ送られてきた資料だった。
送り主そのものは、それ以前から確認されていた。
ポケモンが関東各地へ現れ始めた初日から、ネット上の掲示板で異常なほど正確な知識を披露していた人物。最初は「ポッポ有識者」、現在は「ポケモン有識者」と名乗っている。
その人物が一週間ほど前、カントー地方に属するとする151種類の情報を一般公開した。
ほぼ同時期に、政府側にも別の資料が届いた。
こちらは一般向けの図鑑とは内容が違う。
ポケモン。
タイプ。
技。
特性。
進化。
捕獲。
瀕死と死亡の違い。
言語理解能力。
生態上の注意点。
行政や警察、消防が対応する際に留意すべき事項まで含まれていた。
最初に受け取った時点では、扱いに困る代物だった。
それまで国内のどの研究機関にも存在していなかった分類や用語が当然のように並び、数多くの生物について名称や生態まで記載されている。
匿名の誰かが、世界中の研究者よりも遥かに多くの情報を持っている。
それだけでも十分に異常だった。
だが、この一週間で状況は変わった。
「サイホーンについては、突進を始めると周囲への注意が極端に薄れるという記載があります。現地映像でも、進行方向にある樹木や岩をほとんど避けずに突破しています」
「イワークの地中移動も一致か」
「はい。岩盤内を掘り進む性質があると記載されています。今回の崩落がどの程度それによって引き起こされたのかは調査が必要ですが、少なくとも映像上の行動とは一致します」
別の職員が資料を捲った。
「カイリキー系統についても、極めて高い筋力を持つという記述があります。巨岩を持ち上げた映像を見る限り、少なくとも誇張として切り捨てることはできません」
「飛んできた岩を砕いた方は?」
「技の項目に類似するものがあります。『バレットパンチ』。拳を高速で繰り出す技とされています」
画面に救助現場の映像が再生された。
斜面から飛来する巨大な岩へ、四本腕のポケモンが立ちはだかる。
拳が銀色に変わり、その直後には巨岩が空中で砕け散った。
一度通常速度で再生した後、スロー映像へ切り替える。それでも腕の動きを完全には追えない。
「これをバレットパンチと断定できるか?」
「現時点ではできません。ただ、資料に書かれた特徴との一致度は高いと見ています」
会議室の端から小さなため息が聞こえた。
「また増えたか」
誰も何のことか聞き返さなかった。
机の中央に置かれた資料には、各項目の横へ色分けされた印が付けられている。
確認済み。
一部確認。
未確認。
資料そのものが届いてからはまだ一週間程度しか経っていない。
それでも、この三週間に国内で蓄積された目撃情報や映像、研究機関から上がってきた報告と照合すると、一致する内容があまりにも多かった。
完全に正しいと保証されたわけではない。
まだ確認できていない記述の方が多い分野もあるし、この世界でも全てが資料通りになる保証はない。
それでも、匿名の怪文書として片付ける段階はとうに過ぎていた。
「掲示板側は?」
「継続して確認しています。『ポケモン有識者』の書き込みと、政府へ送られた資料では、名称や用語だけでなく情報の傾向も一致しています」
「同一人物と見ているのか」
「可能性は高いですが、確証はありません」
大型モニターの一つに、掲示板の記録が表示された。
初期の投稿まで遡れば、まだ誰も名前を知らなかった生物をポッポと呼び、ビードルの毒を警告し、ゴースやゲンガーについて説明している。
その後も一貫していた。
分かるものには答える。
危険な種類には近づくなと警告する。
分からない映像を無理に断定しない。
タイプ相性の情報を、人間が野生のポケモンへ攻撃するために使うなとも書いている。
そして一週間ほど前には、カントー地方の151種類をまとめた図鑑まで公開した。
政府へ届いた資料は、それよりさらに詳しい。
「接触は?」
「できていません」
「掲示板経由でも?」
「こちらから直接接触を試みること自体は可能です。ただ、現状では見送っています」
「理由は?」
「所在を把握できていない状態で表から接触して、警戒される可能性があります。現在も一般向けに危険行為を抑える情報を出していますし、書き込みそのものを止められる方が困るという判断です」
表面上は何もしていない。
その裏では、一週間前に政府向け資料を受け取った時点から、情報提供者の特定が本格的に始まっている。
一般の掲示板で知識を披露しているだけなら、詳しい民間人で済ませることもできた。
政府が把握していない情報を大量に持ち、その一部を選別して行政へ直接送りつけてきたとなれば話が違う。
「追跡状況は?」
質問されたサイバー担当が、露骨に嫌そうな顔をした。
「進展なしです」
「一週間やって?」
「一週間やって、です」
端末を操作し、複数の記録をモニターへ映す。
「掲示板への書き込みについては過去分を含めて追っています。政府へ送られたファイルについても、受信直後から記録を保存して解析しています。ただ、肝心なところから先が繋がりません」
「匿名化サービスか?」
「それならもう少し楽なんですが」
サイバー担当が首を振った。
「複数の経路から追っても、途中から必要な情報だけが綺麗に拾えなくなります。単にログが残っていない、という感じでもありません。あるはずの繋がりが、発信元へ近づくほど成立しなくなる」
「痕跡を消している?」
「そう考えるのが一番自然です。ただ、普通は消したなら消したで、その作業の痕跡が残ります」
「今回は?」
「それすらまともに取れません。添付ファイルのメタデータも綺麗です。端末固有の情報も使えない。経路を変えても、最終的には同じようなところで途切れる」
そこでサイバー担当は一度言葉を切った。
「正直、気持ち悪いですよ」
率直な言葉に、何人かが苦笑した。
「腕がいいという話では済まない?」
「腕がいい奴なら、腕がいい奴なりの痕跡があるんです。これはこっちが欲しいものだけ最初から置かれていないように見える」
「個人ではない可能性は?」
「当然考えています。複数人の組織か、相当な設備を持っているか。ただ、それなら別の疑問が出る」
「目的か」
「はい」
そこが一番分からなかった。
情報提供者は金を要求しない。
地位も保護も要求しない。
特定の政策を実行しろとも言わない。
脅迫もない。
面会を求めることすらない。
政府へ大量の情報を渡して、それで終わりだった。
内容も、これまで確認した限りでは事故防止や生態理解、今後の制度設計に利用できるものが中心になっている。
「敵対的な意図は今のところ確認できないが」
「だからといって、これだけ知っている人物を放置することもできるわけがない」
「それは全員分かっています」
会議室に短い沈黙が落ちた。
最初は、ポケモンに妙に詳しい匿名の人物だった。
今では、その人物が何を知っているのか、その上限が見えないこと自体が問題になりつつある。
「ひとまず精査を続けよう。本人の話は、追える材料が増えてからだ」
会議は資料へ戻った。
捕獲器具の原理。
ポケモン自身が持つ縮小能力。
戦闘不能と死亡の違い。
技と特性。
人間の言葉を理解する可能性。
種類によっては、適切に身体を動かしたり技を使わせたりすることが健康維持に関わるという記述。
どれも従来の動物行政だけでは扱いづらい。
「言語理解については、山岳災害の救助事例でかなり確度が上がりました」
「人間の言葉そのものを理解しているのか、それとも状況から判断しているのかは?」
「まだ切り分けられません。ただ、単純な模倣だけでは説明できない行動が複数あります」
警察からは、施設周辺に居着いていたガーディが警察官とともに逃走犯の確保へ関わったという報告まで上がっている。
こちらも正式な警察犬ではない。
訓練すら受けていない。
それでも人間が誰を追っているのかを判断し、警察官の指示に反応したという。
「数日前なら、こんな報告をまともに会議資料へ載せたか怪しいな」
「今は映像がありますからね」
「映像ばかり増えて、理解が追いつかん」
ぼやきに何人かが笑った、笑うしかなかった。
資料を精査すればするほど、疑問が解決するというより、新しい問題へ形を変えていく。
そんな中、サイバー担当の端末が短く鳴った。
最初は誰も気にしなかった。
本人だけが画面を見て、数秒後に姿勢を変える。
「……ちょっと待ってください」
「どうした?」
返事をせず、何度か端末を操作する。
その表情を見て、周囲の会話も徐々に止まっていった。
「来ました」
「何が?」
「例の情報提供者です。前回とほぼ同じ形式で、新しいファイルが届いています」
空気が一変した。
「記録は?」
「全部取ってます。追跡も開始済みです」
「中身は開けるか?」
「隔離環境へ回します」
別の担当者が受信したファイルを開く。
表示されたタイトルを見て、そのまま数秒黙った。
「どうした」
「……『ジョウト地方』」
「ジョウト?」
「そう書かれています」
会議室にいる誰にも馴染みのない名称だった。
ただ、一つだけ思い当たるものがある。
カントー地方。
情報提供者は、現在関東を中心に現れているポケモン群をそう呼んでいる。
その名称と同じ形式だった。
「映してくれ」
資料の最初のページが大型モニターへ表示された。
冒頭の文章を読み始めたところで、会議室から小さな物音まで消えた。
『これまでの発生状況から、三日後前後に近畿・東海・四国周辺を中心として、新たな種類のポケモンが出現する可能性が高い。』
数秒、誰も口を開かなかった。
「……三日後?」
ようやく声が上がる。
「しかも地域指定だぞ」
「続きを」
ページが送られていく。
ジョウト地方に属するとされるポケモン。
既に関東で確認されている種類との重複。
これまで国内で確認されていない種類。
森林、山岳、洞窟、河川、湖沼、都市近郊。
生息する可能性がある環境ごとの注意事項まで整理されている。
これまで確認されていない進化方法。
毒、麻痺、睡眠を始めとした人体への危険。
不用意な接触を避けるべき種類や行動。
資料の量そのものは前回に劣らない。
むしろ行政側が既にポケモンの基本を理解していることを前提にしているため、説明は簡略化され、実務で使うための情報が増えていた。
「これは……前の資料とは意味が違うぞ」
低い声が漏れた。
誰も否定しなかった。
これまで抱えていた疑問は、なぜこの人物がポケモンを知っているのか、だった。
どこかで研究していたのか。
政府の把握していない施設や組織があるのか。
海外に既知の生息域でも存在するのか。
どれも根拠はない。それでも、既に存在している生物について知っている理由なら、無理を承知で仮説を並べることはできた。
今回は違う。
「現在、近畿、東海、四国で大規模な変化は?」
「ありません。少なくとも、関東で初日に起きたような同時多発的な出現報告は確認されていません」
「新種の集中報告も?」
「ありません」
「……じゃあ、なんで三日後って分かる」
答えはなかった。
情報提供者が書いているのは、まだ起きていない出来事だった。
しかも時期だけではない。
場所まで指定している。
「こいつ、ポケモンについて知ってるだけじゃないんじゃないか」
一人がモニターを見たまま呟いた。
「出現する仕組みか、少なくとも次に何が起こるかを知っている」
その言葉で、改めてサイバー担当へ視線が集まった。
担当者はそれどころではない様子で端末を操作し続けている。
「どうだ?」
「……駄目です」
「早くないか?」
「今回は受信と同時に見てたんですよ。それでも同じです」
声に苛立ちが混じる。
「通信は存在しています。途中までの経路も追えます。そこから発信元へ近づこうとすると、また必要な記録だけ拾えなくなる」
「前回と同じ?」
「ほぼ同じです。というより、こっちが前回の解析を踏まえて追い方を変えた部分まで潰されてます」
会議室が僅かにざわついた。
「偶然とは考えにくいな」
「自分もそう思います」
「こちらが追跡していることを知っている?」
「可能性はあります。断定はできませんが」
サイバー担当は端末から目を離し、少し疲れたように息を吐いた。
「少なくとも、向こうが何も考えず同じ方法で送ってきてるようには見えません」
相手が人間なのか。
個人なのか。
そもそも、どんな技術でこちらをかわしているのか。
何一つ分からない。
「追跡は継続。ただし、強引な接触はするな」
「了解です」
「情報提供そのものが止まる方が困る」
所在を突き止めたいという方針は変わらない。
直接話ができるなら、それに越したことはない。
知りたいことはいくらでもある。
だが、現状では相手が一方的とはいえ協力している。
その関係をこちらから壊す理由もなかった。
「それより、この三日後をどうする」
会議の焦点が切り替わる。
大型モニターには、今も近畿、東海、四国という地域名と三日後という文字が表示されている。
「信用するんですか?」
「全面的に?」
「それは無理だろう。相手が誰かすら分かっていない」
「だが無視できるか?」
返事はなかった。
一週間。
たったそれだけの間にも、送られてきた資料の内容は現実と何度も一致した。
それ以前の掲示板での発言まで含めれば、的中例はさらに増える。
「外れた場合に無駄になる準備と、当たった場合に何もしていなかった被害を比べるべきでしょう」
「同意する」
そこから先の判断は早かった。
「関係自治体へ情報を回す。ただし情報源は限定して共有」
「警察、消防にも準備を要請します」
「山林、洞窟、河川、湖沼周辺の対応計画を洗い直せ」
「交通事業者と電力にも事前連絡を。関東で起きたことを前提に準備させる」
「医療関係には、毒と麻痺を優先して新しい資料を回します」
「自衛隊にも情報共有。今の段階では派遣じゃない。必要になった場合にすぐ動けるようにしておけ」
最初の出現時には存在しなかったものが、今はある。
経験。
現場から集まった記録。
そして、正体不明の情報提供者が残した資料。
本当に三日後に起きるのかは分からない。
それでも、何も知らないまま待つ必要はなかった。
「一般への公表は?」
「今すぐは駄目だ」
「三日前から出現地域を公表すれば、避難準備する人間だけじゃなく、捕獲目的で入り込む人間も出るでしょうね」
「既に手製のボールが流通している。場所によっては人を呼び込む結果になる」
「まず内部の準備を進める。一般への公表時期と内容は別途判断する」
方針がまとまり、会議室が再び慌ただしく動き始める。
受け取ったジョウト資料は複製され、必要な部分から関係部署へ共有されていった。
机の上には、一週間ほど前に届いたカントー地方の資料と、つい先ほど届いたジョウト地方の資料のデータが並んでいる。
最初の資料ですら、受け取った当時は到底そのまま信用できるものではなかった。
今では、その中身を一項目ずつ現実と照合しながら、行政の対応へ組み込んでいる。
そして新しい資料には、まだ起きていないことが書かれていた。
「三日後か」
誰かが小さく呟いた。
もし一週間前に同じものだけを渡されていたなら、荒唐無稽だと切り捨てた人間もいただろう。
今は誰も笑わなかった。
大型モニターには、資料の冒頭が映されたままだった。
三日後前後。
近畿、東海、四国。
その下には、まだ誰も見たことのないポケモンたちの名前が並んでいた。