ポケモン現代入り 作:ささみ
架空の技術でます、かなりオリジナルです
「……は?」
昼休みも半分を過ぎた頃、工場の隅から妙な声が上がった。旋盤の横で弁当を食べていた男が顔を上げると、少し離れた机でスマホを見ていた同僚が箸も持たずに固まっている。
「何だよ。嫁に逃げられたか?」
「縁起でもねえこと言わないでくださいよ。そうじゃなくて……これ、見てもらえます?」
差し出されたスマホには、見覚えのない相手から届いたメッセージが表示されていた。
『突然の連絡失礼します。掲示板で「ポケモン有識者」を名乗っている者です』
「偽物だろ」
「やっぱそう思いますよね」
「何だ何だ、面白そうな話してんな」
近くで飯を食っていた別の男も、椅子ごとずるずる寄ってくる。有識者から連絡が来たらしいと聞けば、その隣も顔を上げた。少し前、この工場で手製のボールを二十個以上作ったことは全員が知っている。その元になった情報をネットへ出した張本人となれば、食いつかない理由がなかった。
「本人確認しろよ。知らねえ奴のファイルなんか開くんじゃねえぞ」
「もう頼んでます。掲示板に指定した文章を書いてくれって」
「そこまでやって偽物だったら、そいつの熱意だけは本物だな」
「暇人の努力を評価しないでくださいよ」
数分後、掲示板を更新する。指定した文章が、本当にいつもの有識者アカウントから書き込まれていた。
「……マジで本人じゃねえか」
「うわ、本物!?」
「何の用だよ?」
「ボールの試作を頼みたいって。向こうから仕様を出すから、数個作れないかって話です」
その一言で、少し離れた場所で煙草を弄っていた年嵩の職人まで顔を上げた。
「ボール?」
「前に俺らが作ったやつ見てたみたいです」
「だったらやりゃいいじゃねえか。二十何個も作ったんだろ」
「ですよね」
以前のものも簡単ではなかったが、最終的には形になった。実際にポケモンの捕獲にも成功している。
その成功体験が良くなかった。
『数個程度であれば対応できます。詳しい仕様を送ってください』
男は大して悩まず送信した。すぐ横で画面を覗いていたCAD担当の若手が、何とも言えない顔をする。
「図面見てから返事した方がよかったんじゃないですか?」
「前にも作ったんだからいけるだろ。似たようなもんだって」
「その台詞、覚えときますからね」
「何だよ。丸いボールだぞ。どこまで変わるんだよ」
離れた場所から聞いていたベテランが、鼻で笑った。
「図面も見ねえで仕事受ける奴があるか、馬鹿」
「もう送った後に言わないでくださいよ」
「知らねえよ。おめぇが受けた仕事だぞ」
「手伝う気は?」
「面白けりゃな」
「その時点でもう手伝う気満々じゃないですか」
「馬鹿言ってねえで飯食え。昼休み終わんぞ」
そして、その日の夕方。有識者から設計データが届いた。
ファイルの数は予想していたより遥かに多かった。
外殻、内部機構、電子回路、素材指定、組立順序。部品表や加工時の基準値に加えて、制御プログラムと書き込み手順まで一式揃っている。
通常業務を終えた設計担当がデータをパソコンへ移し、最初の図面を開いた。
「……何見てんの?」
「例の有識者から図面来た」
「見せろ」
三人だったのが四人になった。
「何だよ、何か面白いの来たのか?」
「モンスターボール」
「マジで? どけどけ」
六人になった。そのうち誰かが奥へ向かって「おい、これ見ろ!」と呼び、機械の片付けをしていた職人までやってくる。
「見えねえ。前の奴しゃがめ」
「押すなって! マウス動かせないでしょうが!」
「そのページ戻せ。今の部品もう一回見せろ」
「俺そこより下の断面見てぇんだけど」
「だから順番に見るっつってんでしょうが!」
気づけば、十五人にも満たない工場の人間がほとんど一箇所へ集まっていた。工場長まで後ろから覗いている。
「お前ら仕事終わったら帰れよ」
「社長、ここ見えます?」
「どれだよ」
「ほら、ここの構造」
「……拡大しろ」
「社長も帰る気ないじゃないですか」
「見るだけだ」
全員が怪訝な顔をした。どう見ても工場長の顔が、見るだけ以上の感情を孕んでいたからだ。
図面を読み進めるにつれ、さっきまで飛び交っていた声が減っていった。
前に作った手製ボールとは別物だった。
外から見れば同じような球体でも、中身には精密な機構が何層にも組み込まれている。電子部品もあれば、図面だけ眺めていても、どうしてこの構成で成立するのか理解できない箇所まである。
一つずつ追えば、何をしようとしているのかは分かる。
なのに全部を合わせると、急に意味が分からなくなる。
「……俺さ」
最後まで読み終えたところで、依頼を受けた男が椅子へ沈み込んだ。
「数個くらいならできますって言いましたよね」
「言ったな」
「取り消していいですか?」
「好きにしな」
「そこは励ましてくれません?」
「何で俺がおめぇの安請け合いを慰めなきゃなんねえんだ」
「じゃあ『無理でした』って返しますよ?」
ベテランの顔が上がった。
「は?」
「いや、だってこれ」
「誰が作れねえっつった?」
「今、めちゃくちゃ嫌そうな顔してたでしょうが」
「めんどくせぇ図面だなって思ってんだよ。作れねえとは一言も言ってねえ」
「どっちなんですか」
「めんどくせぇ。でも作る。おめぇが適当に受けた依頼だが、仕事だからな」
「結局そこに戻るんですね」
「一週間は言えるぞ」
周囲から笑いが上がった。
「というか、プログラムまで付いてるじゃないですか」
輪の外から声が飛んできた。
電子制御を担当している男が、人の肩越しに画面を覗いていた。普段は工場内の設備や客先向けの専用機で、センサーや制御盤、PLC、簡単な組み込み機器まで雑多に面倒を見ている。
「そっちもあるの?」
「あります。書き込み用のデータもソースも、手順書まで全部」
「じゃあお前んとこ楽じゃねえか。そのまま入れりゃいいんだろ?」
「製作だけなら、そうみたいですね」
制御担当が添付された注意事項を開いた。
『添付されている制御プログラムは、指定された制御部へ原本のまま書き込んでください。解析、検証、複製については自由です。ただし、改変したプログラムを試作品へ使用しないでください』
「……解析は好きにしていいのか」
「そう書いてあります」
「じゃあ見るだろ」
「まだボールも作ってねえぞ」
「それとこれとは別でしょう」
「お前さっき帰る気だったろ」
「帰る前にちょっと見るだけです」
工場長が無言でそちらを見た。
「何です?」
「その台詞、今日二人目だぞ」
「俺は本当にちょっとだけですよ」
その言葉が守られなかったのは、それから十分も経たないうちだった。
「……なるほど」
「分かったの?」
「プログラムそのものは普通に追えます。少なくとも俺が読めない謎言語とかじゃないです」
「だったら問題ねえじゃねえか」
「製作するだけなら、そうですね」
制御担当が画面をスクロールする。
開閉、内部状態の監視、所有者情報の保持、安全処理。そこまでは組み込み機器として理解できる範囲だった。
ただ、捕獲が成立した後の処理に入ると様子が変わる。
「これ、捕獲した後に外部へ情報投げてますね」
「何に?」
「図鑑とボックスって書いてある」
「図鑑?」
「有識者がネットに出してた奴じゃないですかね。ボール側では種族まで判定してないみたいです。捕獲成立を通知して、個体情報は図鑑側から受け取る。手持ち数の照会もそっち」
「七匹捕まえたら?」
「六匹までは手持ち。それを超えたらボックス側へ転送要求出すみたいです」
「そのボックスは?」
「知りません」
「通信先は?」
「相手側の仕様がないです」
「じゃあ何も分かんねえじゃねえか」
「だから気になってんですよ」
コード上では、図鑑やボックスと情報をやり取りするための処理そのものは存在している。しかし相手になるシステムの中身まで同梱されているわけではない。工場にある普通のスマートフォンへ入れて試せるようなアプリでもなかった。
「この辺は有識者んとこで実機確認するしかないですね」
「じゃあ今見る意味なくね?」
「ありますよ。どういう処理してるかは分かる」
「何に使うんだよ」
「俺が楽しい」
「仕事しろ」
「仕事用には原本そのまま使いますよ。解析用は別です」
制御担当は早速フォルダを複製した。
「原本弄るなよ」
「弄りませんって。試作品に入れるのは送られてきた奴そのまま」
「なら好きにしろ」
「言われなくても」
その空気を切り替えたのは、設計担当の若手だった。
「ちょっと待ってください。これ……携帯時の寸法、おかしくないですか?」
「何がだ?」
「完成状態とこっち見比べてください」
資料を二枚並べる。
笑っていた連中の顔から、揃って表情が消えた。
「……縮んでねえか?」
「縮んでますね」
「ボールが?」
「ボールそのものが、です」
「折り畳んでるわけじゃねえぞ」
「内部配置も同じです。構造を維持したまま全体が小さくなってる」
「プログラムは?」
「縮小状態へ切り替える処理はあります。でもモーターを動かして畳んでるわけじゃない。指定部へ信号を出してるだけですね」
「その信号で何が起きんだよ」
「知りませんよ。だから今こういう顔してるんでしょうが」
一瞬だけ静かになった。
次に全員の顔へ浮かんだのは、困惑ではなかった。
笑みだった。
「……ヤベェな」
「ヤバいっすね」
「何だこれ。クッソ面白ぇじゃねえか」
「おい、前のぼんぐり余ってたよな?」
視線が一斉に工場の隅へ向いた。
以前の手製ボール製作で余ったぼんぐりと端材が、まだ箱へ入れて保管されている。
「機械側に小さくする構造ねえぞ」
「じゃあ素材側か?」
「それしか思いつかねえな」
「待ってくださいよ。木の実使った部品が機械ごと縮めるんです?」
「分からん。だから見てみんだろ」
「見て何が分かるんですか」
「それも分からん」
「最高ですね」
ベテランが立ち上がった。
「とりあえず切るぞ」
「今から?」
「おめぇ、この図面見たあと家帰って普通に飯食って寝れんの?」
「……無理ですね」
「だろ」
「その判断基準で残業決めるのやめません?」
その晩、依頼品には一切手をつけなかった。
代わりに余っていたぼんぐりを切った。
とはいっても、この工場は材料研究所ではない。
ノギスやマイクロメーター、秤、温度計、加工機、テスターといった仕事で普段使うものは揃っている。簡単な硬さの比較や電気抵抗を見るくらいならできるが、未知の素材を専門的に分析するための機材まで都合よく並んでいるわけではなかった。
「とりあえず寸法と重さ取れ」
「加熱前後?」
「両方」
「温度どうします?」
「最初は大雑把でいい。俺ら研究者じゃねえんだから」
「さっき切った時点でもう研究みたいなこと始めてません?」
「趣味だよ趣味」
「それ余計駄目じゃないですか?」
加熱して、削って、冷まして、もう一度測る。
手製ボールを作った時には、使える形まで加工できればそれでよかった。それが今回は、加工している途中で何が変わっているのかまで気になってしまった。
「抵抗値、ちょっと変わってません?」
「テスターで分かる程度?」
「分かるには分かる。ただこれ、ちゃんと測りたいならうちじゃ無理ですよ」
「○○測定に出すか?」
「依頼でもねえ素材調査ですよ。経費で出したら社長に怒られるでしょう」
「聞こえてるぞ」
奥から工場長の声が飛んできた。
「社長、外に出していいです?」
「依頼品作るのに必要なのか?」
「いや、純粋に俺らが知りたいだけです」
「だったら会社の金使うな」
「ですよねぇ」
「いくらだ?」
「項目絞れば、そんな馬鹿みたいな額にはならないと思います」
工場長が少し考えた。
「お前らで出すなら止めねえよ。あと、この仕事ちゃんと納めて利益出たら、その中から測定器一個くらい入れるのは考えてやる」
一斉に顔が上がった。
「マジですか?」
「考えるだけだぞ」
「何買います?」
「もう買う前提で話進めんな!」
「中古なら結構いいのありますよ」
「検索すんな!」
「社長、新しいLCRメーター欲しいです」
「お前は黙ってろ!」
「俺まだ何も言ってないでしょうが!」
制御担当が抗議する。
「顔に書いてあんだよ!」
結局その日は、工場にあるもので取れる数字だけ取った。
専門的な測定は保留。
依頼された仕事に必要な範囲と、自分たちが面白がってやっている範囲は、一応分けることになった。
「ぼんぐり調べた分、有識者に請求すんの?」
「するわけねえだろ。勝手にやってんだから」
「じゃあ完全に趣味じゃないですか」
「最初からそう言ってんだろ」
「開き直りやがった」
その隣では、制御担当がノートパソコンを開いてプログラムを追い続けている。
「お前のそれも趣味だよな?」
「当然でしょう。書き込むだけなら手順書通りやれば終わりですから」
「有識者、余計な許可出したな」
「最高の許可ですよ」
日付が変わる前には工場を閉めた。翌日の通常業務まで潰すわけにはいかない。
もっとも、工場を出たからといって終わったわけではなかった。
翌朝。
CAD担当の若手が休憩室へ紙束を置いた。
「んだこれ」
「昨日の図面、家でもう一回描いてきました」
「これ全部をか?」
「画面でぐるぐる回してたら訳分かんなくなったんで、構造ごとにバラして描きました」
紙にはボールの断面が何枚も描かれていた。完成図、内部部品だけを抜いた図、縮小前後を重ねた図。どこが何へ繋がっているのか、本人なりの推測まで色違いのペンで書き込まれている。
「お前……何時までやってた?」
「二時半」
「馬ッ鹿じゃねえの?」
「だって気になって寝れなかったんですよ」
「酒飲んで寝てろよ」
「先輩こそその袋何です?」
ベテランの手に紙袋があった。中から出てきたのは、昨夜持ち帰ったぼんぐりの端材だった。
「……ちょっと削った」
「家で?」
「手ぇ動かしてる方が考えやすいんだよ」
「何時まで?」
「知らん」
「人のこと馬鹿って言えないでしょうが!」
「俺はいいんだよ。年季がちげぇ」
「徹夜に年季出さないでくださいよ!」
「何の話してんです?」
制御担当までコーヒー片手に入ってきた。
「お前も何かやってきた顔してんな」
「プログラム読んでただけですよ」
「何時まで?」
「三時前」
「全員馬鹿じゃねえか!」
「いやでも面白いんですよ、これ」
机へノートパソコンが置かれる。
「捕獲後の処理はだいたい追えました。所有者情報付けて、図鑑側に捕獲通知。個体情報は向こうから受け取る。現在の手持ち状態も問い合わせて、六匹超えてたらボックス転送」
「そのボックスどこにあるかは?」
「だから分かりません。相手側のシステムがないんだから」
「一晩読んだんだろ? 分かれよ」
「一晩で未知技術全部解けるなら会社員やってませんよ」
「使えねえな」
「殴りますよ?」
そこへ別の職人が入ってくる。
「お、ちょうどいい。昨日考えたんだけどよ」
ノートが開かれた。
加工順が何通りも書かれている。
「これなら途中で掴み直せるんじゃねえか?」
旋盤担当が一目見て鼻で笑う。
「無理だな」
「何でだよ」
「二工程目でどこ掴むんだよ。お前、空気チャックできんの?」
「治具噛ませりゃいいだろ」
「こんな形のどこへだよ」
「だから今考えてんだろうが!」
「考えてから持ってこいや!」
「持ってきたから考えんだろうが!」
「朝から元気ですねぇ……」
新人が欠伸しながら通り過ぎようとする。
「お前も来い」
「なんで!?」
「若い頭使え」
「便利パーツみたいに新人使わないでもらえます!?」
二日目から、工場は完全に二つの顔を持ち始めた。
昼間はいつもの仕事をする。空いた時間や休憩になるとモンスターボールの図面かプログラムが開かれ、終業後になると誰かが勝手に部品を作り始める。
「この内側、一発で仕上げるの無茶ですよ。途中で持ち替えましょう」
「嫌だね。芯ズレたら終わりだろうが」
「だから専用治具を作るんです」
「試作品数個に治具何個作らせる気だ!」
「じゃあ腕一本増やしてくださいよ!」
「お前が増やせ! 若いんだから!」
「若さを万能素材みたいに扱わないでもらっていいですか!?」
別の作業台でも始まっていた。
「その回転数じゃ焼けるぞ!」
「焼けねえって。昨日俺がやった!」
「昨日のは外側だろ! 今削ってんの内側だぞ!」
「同じぼんぐりだろうが!」
「昨日測っただろ! 場所で削った感じ違うんだよ!」
「だったら実際削って確かめりゃいい!」
「素材なくしてから泣くんじゃねえぞ!」
「泣くのは俺じゃなくて、びびって何もしねえお前だ!」
「誰がびびってるっつったよ!」
十分後、二人揃って削り上がった試料をライトの下へ持っていく。
「……思ったより綺麗に出たな」
「だから言ったろ」
「調子乗んな。次は回転落とすぞ」
「上げる」
「何でだよ!」
喧嘩しているのか仲がいいのか、誰にも分からなかった。
三日目。
ぼんぐりが、本格的に技術屋たちを狂わせ始めた。
「おい! 七番どこやった!?」
「こっちです! 何かありました!?」
「寸法違ってんぞ!」
「……は?」
「昨日測った数字と合わねえ!」
「同じ場所です?」
「印付けてある!」
「測り直します」
マイクロメーターを持った人間が寄ってくる。
一回。
二回。
別の人間へ渡して三回目。
「……違いますね」
「だろ?」
「温度は?」
「昨日と大体同じ」
「湿度とか吸水じゃないです?」
「可能性はある」
「そこまで行くとうちじゃ追い切れねえな」
「外に出す?」
「何測ってもらうか」
「まず水分率とか……いや、そこまでやり始めたらキリないぞ」
一瞬静かになった。
「……キリいる?」
「依頼だったらいるが」
「趣味なら?」
「知らん」
「じゃあ出すか」
「待て待て、自腹だからな!」
「一人辺りなんぼだ?」
「なんで既に割り勘始めてんだよ!」
結局、付き合いのある測定会社へ問い合わせだけ入れた。
正体不明の新素材。
詳しい出所は伏せたまま、可能な測定項目と費用を聞く。
返ってきた見積もりを見て、全員が少しだけ冷静になった。
「……全部は無理だな」
「当たり前だろ」
「じゃあ二つくらいに絞る?」
「会社の金じゃねえぞ?」
「分かってますよ」
「俺五千出す」
「俺も」
「お前らほんと馬鹿だな」
「先輩は?」
「……五千」
「出すんじゃねえか!」
素材担当がサンプルを小分けし始めた。
「これで何か分かったら?」
「次考える」
「分からなかったら?」
「それも面白ぇ」
「もう駄目だこの工場」
四日目になっても、まともな完成品は一つもない。
その代わり、加工条件のメモとプログラムの解析ノートは恐ろしい勢いで増えていた。
「そろそろ本体作らないと、有識者に『何してんだこいつら』って思われません?」
「作ってんだろ」
「三日間まともなボール一個も組んでないですよ」
「前準備だ前準備」
「素材調査は?」
「趣味」
「プログラム解析は?」
「趣味です」
「趣味の比率高すぎません?」
「んなわけねぇだろ。七割くらいだ」
「それを高いって言ってんですよ!」
制御担当が横から口を挟む。
「俺は九割ですね」
「お前は仕事しろ!」
「製作用プログラムは完成品もらってるんだから、俺の本業部分ほとんど終わってるんですよ!」
「嬉しそうに言うな!」
ようやく一号機を組み始めたのは、四日目の夕方だった。
部品を一個作っては測り、仮組みしては外す。途中で「こっち先に入れた方がいい」「いや後だ」とまた揉め、三十分ほど組み立て順だけで消えた。
「閉めますよ」
「待て。噛んだら押すなよ」
「分かってます」
外殻を合わせる。
半分で止まった。
「……はい」
「当たったな」
「どこだ?」
「待て待て、擦れた位置残したい。開くな」
「一号から駄目かぁ」
新人が肩を落とした横で、ベテランはむしろ笑った。
「いいじゃねえか」
「何がです?」
「一発でできたらつまんねえだろ」
「納期ある仕事でその台詞言っちゃ駄目ですよ」
「有識者は急かしてねえんだろ?」
「『時間かかります』って連絡したら、『大丈夫です』って返ってきました」
「なら遊べんな」
「仕事ですってば!」
一号を分解した。
「ここ逃がせばいける」
「駄目です。そっち削ったら保持側の厚みが足りない」
「だったら反対詰めろ」
「詰めたら配線通らないって昨日やったでしょう!」
「じゃあ配線回せ!」
「この曲率で無理言わんでください!」
「できねえ理由ばっか並べんな。代案出せ!」
「今出そうとしてんです! 五分黙っててください!」
「五分ありゃ俺なら一個削り直せる!」
「だから勝手に削るなっつってんだろ!!」
「てめぇ今誰に向かって言った!」
「削るなっつってる相手ですよ!」
「よし表出やがれ!」
「今から加工するんでしょうが!」
近くで聞いていた連中が腹を抱えて笑った。
二号は閉じた。
開かなかった。
「……開かねえな」
「開きませんね」
「ハンマー」
「何でハンマーで解決しようとすんだよ!」
「開ける道具だろ」
「壊す道具だろ!」
三号は開閉した。
「おおっ!」
「まだ喜ぶな!」
「一回!」
開く。
「二回!」
閉じる。
「三回!」
開く。
四回目で内部から嫌な音が鳴った。
全員の笑顔が止まった。
「…………」
「……誰だ今、完成したって顔した奴」
「してねえよ」
「新人、お前しただろ」
「俺じゃないっすよ!」
「お前一番ニヤけてたぞ!」
「先輩もニヤけてたでしょうが!」
「俺は常にこういう顔だ!」
「便利だなその言い訳!」
失敗するたび、工場が盛り上がった。
四号が歪めば分解する。五号の回路が不安定なら、まず工場にある測定器で当たりをつける。それで分からなければ部品単体まで戻す。六号で一箇所改善すれば、そこを作った人間が得意げになる。
「ほら見ろ! 俺の加工は合ってた!」
「そこだけな!」
「何だその言い方!」
「次の部品が入らねえんだよ!」
「それ俺のせいじゃねえだろ!」
「お前が0.02攻めすぎたからだろうが!」
「攻めねえ加工に価値あるか!」
「加工で青春みたいなこと言うな!」
制御側だけは、ある意味ずっと安定していた。
組み上がった制御基板へ、指定されたプログラムをそのまま書き込む。
書き込み後の確認も手順書通り。
原本は一切弄らない。
「こっち正常」
「また?」
「またです」
「じゃあ機械側だな」
「毎回俺を見るのやめてくださいよ」
「お前んとこ正常なんだろ?」
「正常だから暇なんですよ。だから解析してるんです」
「仕事中に趣味やるな」
「終業後です!」
五日目の朝。
新人がホームセンターの袋を持って出勤してきた。
「何だそれ」
「ヤスリです」
「何で?」
「昨日、手で仕上げた時と機械だけで仕上げた時で感触違うって言ってたじゃないですか」
「……家でやったの?」
「テレビ見ながら二時間くらい」
「お前もこっち側に来たな」
「何すか、その宗教みたいな言い方」
「もう逃げられねえぞぉ?」
「会社ですよね、ここ?」
その横ではCAD担当がまた大量の紙を机へ広げていた。
「また描いたの?」
「縮小時にどこがどうなるか分かんなくて。だったら角度変えて描けば何か見えるかなって」
「見えた?」
「余計分かんなくなりました」
「駄目じゃねえか!」
「でも仮説三つ増えました」
「増やすな!」
「だって面白いじゃないですか!」
「……それはそうだがよ」
「でしょう?」
そこへ工場長が入ってきて、机に一枚の紙を置いた。
「何ですこれ?」
「中古機材の見積もり」
一瞬、全員が黙った。
「社長?」
「買うとは言ってねえ」
「これ何の?」
「簡単な電気特性見る奴。今の設備よりはマシなやつ」
制御担当が紙を奪った。
「これ、結構いいじゃないですか」
「だから買うとは言ってねえっつってんだろ!」
「でも見積もり取ったんですよね?」
「今回の仕事がちゃんと終わって、利益残って、今後も同じ素材扱うなら考えるってだけだ」
「じゃあ次も有識者から仕事来れば」
「お前らが勝手に研究するための機械じゃねえぞ!」
「仕事にも使えますよ」
「その顔で言うな!」
工場長自身も少し楽しそうだったので、誰も本気で止められているとは思わなかった。
六日目には、なぜここまでやっているのかを気にする人間はいなくなっていた。
加工担当と設計担当は百分の数ミリを巡って喧嘩し、制御担当は原本プログラムを試作品へ書き込みながら、その横で解析用コピーを好き勝手に調べている。素材について専門的に知りたいことが出れば、まず工場内で分かるところまで確認して、それ以上は「金払ってまで知りたいか」を全員で相談するようになった。
「ここの公差、もうちょい緩めていいだろ。実測で動いてる」
「二回しか通ってないでしょう。再現性ねえですよ」
「今は試作だ!」
「その『試作だから』で誤魔化したところ、あとで全部俺らが泣くんですよ!」
「先の俺らは先の俺らに任せろ!」
「最悪の仕事論だな!」
「今動かねえ方がムカつくだろ!」
「それはそうですけど!」
「じゃあやれ!」
「くそっ、何で納得しちまったんだ俺!」
工場長が横で聞いていたが、途中から図面を取り上げた。
「お前らそこばっか見てるけどよ。こっち先に逃がしたら収まるんじゃねえの?」
二人が同時に黙った。
「……社長」
「何だ」
「それ昨日言ってくださいよ」
「今気づいたんだよ」
「偉そうに途中参加しやがって」
「誰に口利いてんだお前」
「じゃあこれ通ったら昼飯奢ってくださいよ社長」
「何でそうなる!」
「一週間付き合わされてんですよ!」
「俺だって付き合ってんだろうが!」
「社長は途中から勝手に参加した側でしょうが!」
「俺の工場だぞ!」
その案は半分当たりだった。
加工順を組み直すと、一つ問題が消えた。
「……いけるな」
「いけますね」
工場長が満足そうに頷く。
「社長、昼飯な」
「何で勝手に約束成立してんだよ!」
七日目。
工場の隅には、失敗作が随分増えていた。途中から同じ外殻を使って中身だけ交換したものもあり、番号管理も怪しくなっている。
「これ何号?」
「知らん」
「管理しろよ!」
「お前が途中で三号改二とか言い出したから分かんなくなったんだよ!」
「カッコいいだろ!」
「兵器開発じゃねえんだぞ!」
それでも、作業台の中央に置かれた三個だけは別だった。
同じ手順で作った三つ。
制御プログラムも三個とも、送られてきた原本をそのまま書き込んである。解析用に散々弄り回したデータは別のパソコンの中にあり、試作品には一行たりとも反映されていない。
一個目を開閉させる。
問題なし。
二十回繰り返す。
まだ動く。
軽く衝撃を与えて、もう一度試す。
正常だった。
二個目も同じ。
三個目も同じだった。
「……もう一回」
「二十回やりましたよ」
「二十一回目で壊れるかもしれねえだろ」
「じゃあ二十一回目」
開く。
閉じる。
「……二十二」
「キリねえだろ!」
「壊れたら次作りゃいい」
「何で壊れる前提なんですか!」
「制御側も三個とも正常です」
端末を見ていた男が言う。
「原本そのまま。手順書上でこっちが確認できる範囲は全部通ってます」
「図鑑とボックスは?」
「それは有識者に使ってもらわないと無理です。こっちに相手側がないんで」
「じゃあここまでか」
「試作品としては、ですね」
笑いながらも、誰も壊れてほしいとは思っていなかった。
一週間前には画面の中にしかなかったものが、今は手の上にある。
ベテランが一個を拾い上げ、ゆっくり転がした。
「有識者んとこ送るぞ」
「いいんです?」
「ここから先はポケモンいねえとどうしようもねえ。捕まるか、小さくなるか、図鑑と繋がるか。実際に使ってもらわなきゃ分からん」
「じゃあ完成?」
「試作品としてはな」
「何ですか、その含み」
「駄目だったら次作るに決まってんだろ」
「まだやるんすか?」
ベテランは心底不思議そうに新人を見る。
「おめぇ、ここまでやって『駄目でした』って返事来たら終われんの?」
「……無理ですね」
「だろ」
それだけだった。
誰も社会のためなんて話はしていない。
これが未来の産業になるとか、人類の役に立つとか、そんな立派なことも考えていない。
依頼されたのは三個の試作品。
それを作るために必要な加工と組み立ては仕事だった。
その途中で、ぼんぐりが何なのか知りたくなって自腹で測定会社へサンプルを出したのは趣味だ。家で図面を描き直したのも、端材を削ったのも、プログラムを夜中まで解析していたのも、誰から頼まれたわけでもない。
手のひらに乗る球体が、その形を保ったままさらに小さくなる。
熱を入れれば素材の性質が変わる。
削り方一つで加工感覚まで違う。
プログラムを読めば処理そのものは追えるのに、図鑑やボックスという相手側がなければ最後まで確認できない。
調べれば一つくらい答えが出る。
その横から、また別の疑問が生えてくる。
そんなものを目の前へ放り込まれて、技術屋が大人しく仕事だけして帰れるわけがなかった。
「梱包ちゃんとしろよ。一週間かけたの運送屋に潰されたら泣くぞ」
「先輩、泣くんすか?」
「泣く前に営業所行く奴が何人かいるだろ」
「俺は行かねえぞ」
「誰もあんたとは言ってねえよ」
「こっち見ながら言うな」
試作品が箱へ収まっていく。
ようやく終わった。
少なくとも依頼された仕事については。
「そういや」
素材担当が何でもないことのように声を上げた。
「測定屋から連絡来てますよ」
梱包をしていた手が、一斉に止まった。
「……結果?」
「速報だけ。詳しいデータは明日だそうです」
「何て?」
「加工前後で、やっぱりちょっと面白い差があるみたいです」
「紙は?」
「メールです」
数人が動いた。
工場長が額へ手を当てる。
「お前ら今日は帰れよ」
「見るだけです」
「その台詞を一週間で何回聞いたと思ってんだ!」
「今回は外のプロが測った奴ですよ?」
「余計長くなるだろうが!」
「十分だけ」
「昨日も十分って言って一時間いたよな!?」
「じゃあ二十分」
「増やすな!」
制御担当まで横から顔を出した。
「電気系の結果あります?」
「あるっぽい」
「見せて」
「お前まで来んな!」
「いや、縮小処理の信号と関係あるかもしれないじゃないですか」
「だから今日は帰れって!」
「社長、例の測定器どうします?」
「今その話すんな!」
「今回ちゃんと利益出たら買うんですよね?」
「考えるって言ったんだ!」
「つまり候補選んどいていいってことだな?」
「何でそうなる!」
ベテランは既にメールを開いていた。
画面の数字を追う。
目が細くなる。
それを見た新人が嫌な予感を覚えた。
「……先輩?」
「おい」
「何です?」
「端材、あとどんだけ残ってる?」
「ありますけど……何するんすか?」
ベテランの口元が、子供みたいに上がった。
「決まってねえ」
「は?」
「だから面白ぇんだろ」
「こんのクソジジイ……!」
「明日条件変えてもう何個か削るぞ!」
「また測定屋に出すんですか!?」
「まず俺らで見れるとこまで見る!」
「その後は!?」
「面白かったら考える!」
「また自腹じゃねえか!」
「社長! 止めてくださいよ!」
「……今回の報酬入ってからにしろ。あと会社で使える機材なら導入は検討する」
「社長まで完全にそっちじゃねえか!」
「会社の設備投資だ!」
「さっき趣味に会社の金使うなって言ったでしょうが!」
「仕事にも使えるなら話は別だ!」
「言い訳が完璧なのうっぜぇ!」
試作品三個は、翌日有識者の元へ発送された。
その横ではもう、別のぼんぐりが作業台の上に置かれていた。
片方の机では次の加工条件について揉め、もう片方では解析用に複製されたプログラムが開かれている。その少し離れた場所では、中古測定器のカタログまで表示されていた。
この一週間で、依頼されたモンスターボールはひとまず形になった。
同時に、この工場にはどうやら金のかかる趣味が一つ増えてしまったらしい。