ポケモン現代入り 作:ささみ
誰も答えなかった。もう一度、遠くで何かが折れる。今度は一度では終わらず、バキバキと連続した音が暗闇の向こうから響いてきた。
「……近づいてきてるな」
『ポリ』
「うん。分かってる」
ライトを向けても、まだ何も見えない。正確には、俺たちはさっきから車へ戻る方向へ進んでいた。アリアドスの巣で思っていた以上に消耗した以上、これ以上山奥へ入るつもりはない。戻りながら夜のポケモンを見ていくくらいならいいかと思っていただけだ。
その判断も、今ので完全に変わった。
「今日はもう帰ろう。何か知らないけど、わざわざ確認しなくていい」
コンパンはさっき毒を受けたばかりだ。治療はしたが、もう戦わせるつもりはない。他のみんなだって一日中動いている。そもそも俺は強いポケモンを探しには来たが、何でもかんでも喧嘩を売りに来たわけじゃない。
「好奇心で見に行っていい音じゃないでしょ、あれ。迂回できる?」
『ポリ』
スマートフォンに地形が表示される。少し横へ逸れて斜面を下れば、今まで使っていた林道へ戻れるらしい。
「じゃあそっち――」
その瞬間、足元の地面が揺れた。
「……っ」
今度は錯覚ではなく、足の裏からはっきりと振動が伝わってくる。前方で木が大きく揺れ、その奥でもう一本が続けて傾いた。直後、闇の中から凄まじい破裂音が響く。
「なに……」
ライトを向けると、一本の木が倒れるのが見えた。いや、それだけではない。最初の一本が傾き、その幹に巻き込まれるように隣の木まで倒れていく。そのさらに奥で枝が弾け、黒い影がこちらへ近づいてきた。
「……嘘だろ」
枝を避けているわけではない。草木を掻き分けているわけでもない。進路上にあるものを、そのまま押し倒しながら進んでいる。
「グルルルルル……」
低い唸り声が腹の底まで響いた。木々の間から大きな頭が現れ、丸い耳と茶色い毛、それから腹にある黄色い輪がライトに照らし出される。
「リングマ……」
もちろん知っているポケモンだ。でも、俺が知識として知っているリングマより明らかにデカい。ただ立っているだけなのに、自然と視線が上を向く。太い腕の先から伸びた爪は、ライトを反射して鈍く光っていた。
何より、こちらを見る目がおかしい。
「……オヤブン個体か」
本当にいたのかという興奮が頭の片隅にはある。でも今は、それどころではなかった。
「刺激しないで。ゆっくり離れるよ」
今日の状態で、明らかに普通ではないリングマへ挑む理由なんてない。俺たちは横へ動き、向こうの進路を空ける。
「そのまま行ってくれればいいから……」
ところがリングマは進む代わりに、四足へ身体を落とした。
「……ん?」
肩が沈み、後脚の爪が土を掴む。どう見ても、こちらを避けて通ろうとしている姿勢ではない。
「グォオオオオオッ!!」
「うわっ!?」
咆哮と同時に空気が震え、一瞬だけ身体が竦んだ。その直後にはリングマが地面を蹴っている。
「散って!!」
横へ飛ぶ。ポケモンたちも一斉に左右へ散り、さっきまで俺がいた場所を巨大な茶色い塊が通過した。
あの巨体からは想像できないほど速い。地面を蹴るたびに落ち葉と土が後方へ吹き飛び、ほんの数歩で十分な速度に達している。しかも、その進路上には太い木が立っていた。
「危な――」
それでもリングマは止まらなかった。
肩が木の幹へ叩きつけられ、凄まじい音とともに太い幹が大きくしなる。樹皮が弾け飛んでも速度はほとんど落ちず、そのまま肩で押し切るように前進した。やがて根元から嫌な音が鳴り、一本目が倒れ、その木に巻き込まれた二本目まで枝を折りながら大きく傾いた。
「…………」
土煙の向こうでリングマが立ち上がり、ゆっくりとこちらを振り返る。
「熊じゃねぇだろ、もう……」
いや、リングマなんだから当たり前なんだけど。現実の熊だって十分すぎるほど危険で、人間なんかまともに戦える相手じゃない。その熊を基準にしても、これは明らかにおかしい。
少なくとも、あいつにとって木は進路を変えるほどの障害物にはなっていない。そして今の突進を外した程度で、諦める様子もなかった。
「グルルル……」
リングマがもう一度俺を見据え、身体を低くする。
「……俺狙ってるな?」
『ポリ!』
「だよね!」
二度目の突進が始まる。
「バタフリー、ねんりき!」
頭上にいたバタフリーが即座に正面へ回り、目を光らせる。見えない力がリングマの全身を掴み、踏み出した前脚が空中で一瞬止まった。
「よし、そのまま――」
だが、リングマはそのまま止まってはくれなかった。
前脚が地面へ落ち、爪が土へ食い込む。全身の筋肉を膨らませ、ねんりきに身体を引かれながら、それでも一歩ずつ前へ進んでくる。
「嘘だろ!?」
バタフリーの羽が激しく震えている。真正面から力比べを続けさせるのはまずい。
「止めなくていい! 横へ逸らして!」
リングマを押さえていた力の向きが変わり、前進しようとしていた巨体が左へずれる。俺から狙いは外れたものの、それでも勢いまでは止まらず、そのまま脇を抜けたリングマが腕を振った。
爪が別の木へ叩き込まれ、四本の裂け目が幹を走る。傷は樹皮だけでは止まらず、内側の白い木質まで深く抉れていた。飛び散った木片の一つがライトのすぐ横を抜けていく。
「っ……一回離れる!」
まず横へ走り、そこから車の方向へ下がろうとして足が止まった。
「……あ」
地図を見る。今いる場所から山を下れば林道へ出る。その先には俺の車があり、さらに下れば昼間に普通に車が走っていた舗装道路へ繋がっている。
「……駄目だ」
背後でリングマが唸っている。
「こいつ連れて下がれない」
俺たちが逃げれば、おそらく追ってくる。少なくとも今のリングマは完全にこちらを敵として認識している。そのまま車まで逃げ、そこから車で離脱できたとして、その後リングマがどうするかは分からない。
俺たちを見失ったあと、そのまま山を下っていったら。
「この先、人いるんだよ。道路まで出たら洒落にならない」
普通のリングマでも十分危険なのに、目の前にいる個体はその比ではない。車へ突っ込み、家へ入り、人を追いかける。どれか一つでも起きれば、死人が出る可能性が高い。
そしてリングマは、こちらが考え終わるのを待ってくれなかった。
「グォオオオッ!!」
「来る!」
再び地面を蹴る。
「スピアー、右からミサイルばり! バタフリー、左へ押して!」
スピアーが右側から急降下しながら針を連射する。数発が肩と脇腹へ突き刺さり、リングマがそちらへ顔を向けた瞬間、反対側からねんりきが巨体を押した。
左右から力を受け、リングマの進路が二歩ほど横へ流れる。
「ヒトカゲ、出て! ゴースも!」
二つのボールから光が飛び出す。コンパンはもう戦わせない。ポリゴンは俺の近くに置き、残る四匹でリングマを押し返す。
「目的変更。こいつを下には行かせない。山の奥側だけ空ける! そっちへ戻すよ!」
倒す必要まではない。人がいる方向へ進もうとすれば危険な目に遭うと理解して、山奥へ引き返してくれればそれでいい。
「ヒトカゲ、正面からひのこ! スピアーは右、下側へ回らせるな! バタフリーは左から奥へ押して!」
炎がリングマの正面で弾け、毛先が焦げる。顔を背けたところへ右からスピアーが低空を横切り、反対側からねんりきが加わった。
こちらが山の下側を塞ぎ、リングマの背後にある山奥側だけを空ける。
「ほら、そっち行け……!」
リングマが一歩下がり、さらにもう一歩後退した。
「いける!」
追い詰めすぎる必要はない。山奥へ逃げるなら、そのまま行かせればいい。
「そのまま! スピアーは攻撃止めていい! バタフリーも弱め――」
ところがリングマは途中で足を止めた。
「……あ」
前脚を地面へつけたまま、ゆっくりと顔が上がる。正面から目が合った次の瞬間、耳を痛めるほどの咆哮が響いた。
「グォオオオオオオッ!!」
「駄目か!」
逃げ道として空けた山奥へは向かわない。むしろ攻撃されたことそのものに怒ったらしく、今度は最も正面にいたヒトカゲへ飛び込んだ。
「ヒトカゲ、左!」
ヒトカゲが横へ跳び、その直後にリングマの腕が地面を薙いだ。土が爆ぜ、小石が弾丸みたいに周囲へ散る。ヒトカゲはさらに後ろへ飛んで距離を取った。
「そのまま、りゅうのいぶき!」
青い息吹が横腹へ直撃する。毛が大きく波打ち、さすがの巨体も半歩ほど横へずれた。
「効いてる!」
攻撃そのものは通っている。ただ、それで止まってくれるような相手ではなかった。
リングマが一歩で向きを変える。
「ヒトカゲ!」
爪が横薙ぎに走る。ヒトカゲは後ろへ跳んだものの、リングマの腕は予想以上に長く、爪先が身体を掠めた。
「カゲッ!」
軽い身体が簡単に吹き飛び、地面を何度も転がる。
「ヒトカゲ!!」
リングマは倒れたヒトカゲから視線を外さず、そのまま追撃に入ろうとした。
「ゴース、止めろ! さいみんじゅつ!」
ゴースがリングマの顔の高さへ回り込み、目を怪しく光らせる。視線が噛み合った瞬間、リングマの前脚が止まり、頭がわずかに下がった。
「入った……そのまま寝ろ……!」
瞼が落ちかける。
だが、リングマは自分の爪を地面へ思い切り叩きつけた。
「グォッ!!」
「うっそだろ!」
衝撃か痛みで意識を繋ぎ止めたのか、激しく首を振ってゴースを見る。
「もう一回――いや、ゴース離れろ!」
リングマの口から巨大な舌が伸びる。ゴースは横へ逃げたものの、先端が身体を掠め、浮いていた身体が大きく揺れて数メートル後ろへ飛ばされた。
「そうだ、したでなめる覚えるんだった!」
ノーマルタイプだからゴースを出せば安全というほど、都合のいい相手ではない。
「バタフリー、サイケこうせん!」
横から伸びた光線がリングマの側頭部へ直撃し、顔が大きく振られる。
「スピアー、今! ミサイルばり!」
スピアーが上空から急角度で飛び込み、至近距離からミサイルばりを連射する。肩、背中、首元へ次々と針が刺さり、リングマが初めて明確に後ろへ下がった。
「よし、押せる!」
そう思った瞬間、リングマの顔がスピアーへ向く。
「まっず! スピアー、戻れ!」
指示より先に、リングマが地面を蹴った。
あの巨体が跳ね上がり、スピアーの飛んでいる高さまで一気に腕が届く。一撃目を身体を傾けて避けたスピアーへ、すぐ二撃目が追いかける。急上昇して逃れようとしたところへ、さらに三撃目が振るわれた。
「みだれひっかきか! もっと上逃げろ!」
連続する爪が周囲の枝まで巻き込み、次々とへし折っていく。最後の一撃がスピアーの翅のすぐ下を通り抜け、その風圧だけで飛行姿勢が大きく崩れた。
「危なっ……!」
こいつは適当に暴れているわけではない。自分へ攻撃を当てた相手を認識し、優先して潰そうとしている。
「ちゃんと狙ってる……!」
『ポリ!』
「え?」
ポリゴンの警告に振り向くと、今度はリングマがこちらを見ていた。スピアーへ向いていた視線が、明確に俺へ移っている。
「……うそだろ」
さっきから指示を出しているのが誰なのか、理解しているのかもしれない。後脚が沈んだのを見て、すぐ声を上げる。
「ポリゴン、あやしいひかり!」
怪しい光が真正面で弾け、リングマが一瞬だけ足を止めて頭を振った。
「バタフリー、俺から離して! ねんりき!」
横から加わった力で前脚が滑る。それでもリングマは俺から視線を外さず、体勢を崩しながら前へ出てきた。
「下がれ下がれ下がれ!」
そのまま背を向けて走る。背後で地面が鳴るたびに、数歩ずつ距離を詰められているのが音だけでも分かった。
振り返らず木と木の間を抜け、頃合いを見て横へ飛ぶ。その直後、リングマが俺のすぐ横を通過した。
「うわっ!」
肩が風圧に押され、思わず地面へ手をつく。リングマの進行方向には三本の木が並んでいた。
「また――」
今度も減速する様子はなかった。
一本目が幹の途中からへし折れ、二本目は倒れた一本目ごと肩で押し退けられて根が地面を割る。それでも止まらず三本目へ突っ込み、土ごと根元を持ち上げながら横倒しにした。
激しい振動が足元まで届き、折れた枝と葉が雨みたいに降ってくる。
「…………」
これで完全に分かった。あいつは脅しているだけでも、俺たちを縄張りから追い払おうとしているだけでもない。
捕まえれば噛み殺し、爪が届けば引き裂き、倒れればそのまま踏み潰すつもりで追ってきている。
「……これ、追い払うだけじゃ無理だ」
倒した木を押し退け、リングマが早くもこちらへ向き直る。
「一回完全に負けたと思わせないと止まらない」
大きく息を吸って声を張る。
「全員! もう遠慮しなくていい! 倒すつもりでやる!」
言い終えるより先に、リングマがまた走り出した。
「こっちが死ぬ! バタフリー、ねむりごな!」
バタフリーが上空から粉を撒く。
「右へ流して!」
羽ばたきで粉をリングマの進路へ広げるが、相手が速すぎる。濃く広がった範囲へ入る直前、リングマは斜めへ進路を変えた。
今度の狙いはヒトカゲだった。
「ヒトカゲ、えんまく!」
黒煙が一気に広がり、その瞬間リングマの巨体が見えなくなる。
「全員一回距離――」
煙の中から地面を踏み鳴らす音が聞こえた。次の瞬間には巨大な腕が黒煙を突き破る。
「ヒトカゲ!!」
避ける間もなく、リングマの両腕がヒトカゲを挟み込んだ。
「じゃれつく……!?」
技名だけなら可愛いが、目の前で起きていることは冗談では済まない。ヒトカゲを胸元へ引き寄せ、巨大な前脚で抱え込んだまま、自分の体重まで使って押し潰そうとしている。
「離せ! バタフリー、ねんりき! 腕を開け!」
見えない力がリングマの両腕を外側へ引く。腕の筋肉が盛り上がり、バタフリーが力を込めても簡単には開かない。
「スピアー、顔! ミサイルばり! ゴース、しっぺがえし!」
正面から針が顔面へ集中し、同時に足元の影からゴースの攻撃が突き上がる。顎が大きく跳ねたことで、ようやくリングマの腕がわずかに緩んだ。
「ヒトカゲ、今出ろ!」
「カゲ……!」
ヒトカゲが身体を捻り、僅かな隙間から抜け出す。その直後、リングマが振った爪が背中を掠め、地面へ叩き落とされた。
「ヒトカゲ!」
倒れたまま動かない姿を見て、一瞬だけ頭が真っ白になる。
それでも、すぐに小さな声が聞こえた。
「カゲ……」
「っ、大丈夫!?」
ヒトカゲが前脚を地面へつき、身体を震わせながらも起き上がる。
「無理するな! 戻っていい!」
だがヒトカゲはボールへ視線を向けず、再びリングマを睨んだ。尻尾の炎も、それに合わせるように激しく揺れている。
「……まだやれるか?」
「カゲ!」
「分かった。でも無茶は――」
言い終える前に、ヒトカゲの身体が白い光に包まれた。
「……え?」
この光を見間違えるはずがない。
「今!?」
『ポリ!』
「いや、進化は嬉しいけどタイミング!」
もちろんリングマには、進化が終わるまで待つ理由なんて一つもない。白く輝くヒトカゲを見た瞬間、即座に地面を蹴った。
「こいつマジで空気読まねぇな! バタフリー、止めろ!」
ねんりきが正面からリングマを掴み、突進の速度が目に見えて落ちる。
「スピアー、右からミサイルばり!」
右肩へ次々と針が刺さる。
「ゴース、あやしいひかり! ポリゴン、でんきショック!」
怪しい光に視界を乱された直後、リングマの全身を電撃が走った。前脚が一度止まったものの、それもほんの一瞬で、唸りながら頭を振って再び前へ出る。
「もう少し! バタフリー頑張れ!」
白い光の中でヒトカゲの輪郭が変わっていく。身体が大きくなり、腕と脚が伸び、爪もより鋭いものへ変わる。
その途中で、リングマがとうとうねんりきを押し破った。
「来る!」
拘束を振り切った反動でバタフリーが後方へ弾かれる。リングマはそのまま白く輝く身体まで迫り、巨大な爪を振り下ろした。
「避け――」
「リザァッ!!」
爪が届くより早く、白い光の中から青い息吹が真正面へ噴き出した。至近距離から顔面へ直撃し、リングマの頭が大きく仰け反る。
「グァアアッ!?」
この戦いが始まってから初めて、リングマが明確に何歩も後退した。前脚で地面を削りながら踏ん張ったところで、ようやく進化の光が消える。
「……リザード」
「リザァ!」
そこに立っていたのは、さっきまでより一回り大きくなった身体だった。爪は鋭く、額から角が伸び、尻尾の炎も明らかに勢いを増している。
「進化した……!」
めちゃくちゃ喜びたいところだが、リングマは既に顔を振って立ち直り始めていた。
「よっしゃ――って喜びたいんだけどなぁ!」
まだ戦闘は終わっていない。
「リザード、動ける!?」
返事の代わりに力強く頷く。
「じゃあ頼む!」
進化したからといって、突然リングマより強くなったわけではない。レベル差はまだ大きい。それでも、こちらの戦力が確実に上がったのは間違いない。
「全員もう一回組み直す!」
リングマは何度も攻撃を受け、毛を焦がし、身体のあちこちに針を刺したまま荒い呼吸をしている。それでもまだ立っているし、こちらも既に限界が近い。
これ以上は長引かせられない。
「バタフリー、左上! スピアーは右! ゴースは俺の後ろ! リザードは正面、ただし絶対近づきすぎるな! ポリゴンは俺の横!」
それぞれが指定した位置へ散る。
リングマが顔を上げ、大きく目を見開いた。
「……っ!」
こわいかおをまともに見た瞬間、自分が爪で引き裂かれる光景が頭の中へ勝手に浮かんだ。足が止まり、喉が詰まり、身体の全部が今すぐ逃げろと叫んでくる。
それでも、ここで止まっていた方が死ぬ。
「……動け!」
無理やり足を踏み出す。
「バタフリー、サイケこうせん!」
左上から伸びた光線に、リングマが腕を上げて顔を守る。
「スピアー、反対からミサイルばり!」
今度は右から針が連射され、リングマがそちらへ顔を向けた。
「リザード、今! りゅうのいぶき!」
正面にいたリザードが横へ回り込み、青い息吹を背中へ叩き込む。
「グォオッ!」
「来るぞ、リザード下がれ!」
振り返ったリングマから、リザードが一気に距離を取る。リングマはそのまま追いかけて踏み込み、こちらの狙い通り右脚を大きく前へ出した。
「まだ攻撃しない! バタフリー、ねんりき! 右脚だけ!」
今度は全身を止めようとせず、踏み込んだ右脚だけを横へ引く。体重を預ける寸前の脚をずらされたことで、リングマの重心が一気に崩れた。
「今スピアー!」
体勢が傾いて露出した脇腹へ、ミサイルばりが次々と突き刺さる。
「ゴース、さいみんじゅつ!」
崩れたリングマの顔の正面へゴースが滑り込み、視線を合わせる。リングマの動きが目に見えて鈍り、首が下がった。
「今度こそ……!」
ふらつきながら一歩進み、膝が曲がる。それでも前脚で地面を掻き、無理やり身体を支えようとしていた。
「まだ寝ないのかよ!」
リングマが再び顔を上げようとする。
「だったらバタフリー、ねむりごな!」
ねんりきで体勢を崩され、さいみんじゅつで意識まで鈍っている。今度は逃がさず、バタフリーが真上近くまで入り込んで粉をまともに浴びせた。
「グ……ォ……」
リングマの身体が大きく揺れ、片膝が地面につく。少し遅れてもう一方の脚からも力が抜け、その巨体がゆっくりと地面へ伏せた。
「入った!」
だからといって近づく気にはなれない。
「全員距離取ったまま! こいつ、すぐ起きるかもしれない!」
眠っただけで安全になったと思えるほど、この数分で見せられたものは優しくなかった。
「スピアー、ミサイルばり! リザード、りゅうのいぶき! バタフリー、サイケこうせん!」
三方向から同時に攻撃が入り、針が身体へ刺さり、青い息吹が胴体を打ち、光線が肩へ直撃する。
「グォ……!」
案の定、リングマの目が開いた。
「やっぱ起きる!」
伏せたまま腕を振り、迫っていたスピアーを追い払おうとする。スピアーがすぐ高度を上げて逃れる間に、次の指示を飛ばす。
「ポリゴン、でんきショック! ゴース、しっぺがえし!」
電撃が身体を走った直後、背後から忍んでいたゴースの一撃が入る。それでもリングマは前脚を立て、もう一度起き上がろうとしていた。
「マジかよ……!」
片脚が地面を捉え、震える巨体が少しずつ持ち上がっていく。
リザードを見る。
「最後もう一発! 顔じゃなく胸狙え!」
リザードが大きく息を吸い込む。
「リザァァッ!!」
放たれたりゅうのいぶきが正面から胸へ叩き込まれた。
「グ……ォ……」
リングマの巨体が大きく揺れ、前脚が再び地面へ落ちる。それでも爪を土へ食い込ませ、最後まで身体を持ち上げようとする。
「まだ立つのかよ……!」
全身の筋肉が震え、数センチだけ身体が浮く。
しかし、そこでとうとう力が切れた。
前脚が折れ、そのまま巨体が横へ倒れ込む。身体が地面へ叩きつけられた衝撃が、離れている俺の足元にまで伝わってきた。
「…………」
今度こそ誰もすぐには動かなかった。
「……倒れた?」
『ポリ』
「まだ近づかないで」
ライトを向けたまま、その場で一分ほど待つ。それでもリングマは起き上がらず、荒かった呼吸も少しずつ静かになっていった。
「……勝った、か」
ようやく全身から力が抜ける。
「はぁぁぁ……」
その場へ座り込みそうになったが、先にやることを思い出して踏ん張った。
「いや先にみんな!」
バタフリー、スピアー、リザード、ゴース、ポリゴンの順に状態を確認する。
「リザード、お前大丈夫?」
「リザ」
「進化で元気になったように見えるけど、さっき普通に食らってるからね。誤魔化しても駄目」
回復薬を取り出す。スピアーにも爪を掠めたような傷があり、バタフリーは何度もねんりきを使ったせいか明らかに疲れていた。ゴースとポリゴンにも異常がないことを確認していると、背後から小さな物音が聞こえた。
「……っ!」
全員で振り返る。
音を立てたのは倒れたリングマだったが、起き上がったわけではない。戦闘不能になった身体が、ゆっくりと本来の小さな状態へ縮んでいく。
「……来た」
その途中で、リングマの身体から溢れるように淡い光が浮かび、一か所へ集まり始めた。やがて光は小さな結晶へ固まり、地面へ転がり落ちる。
十分に様子を見てから近づき、それを拾い上げる。
「けいけんアメだ」
『ポリ!』
「本当に出るんだ……」
オヤブン個体を倒せば、余剰の力が結晶化する。そういう知識そのものは持っていた。でも、この世界でも本当に同じ現象が起こるかまでは確認できていなかった。
「これ、ポケモンに使えば成長を一気に進められる。めちゃくちゃ欲しかったんだけど……」
手の中にある結晶を眺める。
「これ目当てで今の奴を何匹も狩れって言われても無理だな」
そんなことを繰り返していれば、そのうち普通に死ぬ。少なくとも今の戦力では、気軽に相手をしていいものじゃない。
倒れたリングマへ視線を戻す。
「欲しいけどね。リングマも欲しい。というかオヤブン欲しい」
自作ボールなら残っているので、捕獲を試すこと自体はできる。
「……でも無理」
そこはすぐ諦めた。
「このレベルを所有者認証もボックスもない自作ボールで持ち歩く勇気ないわ」
何かの拍子に出てきて暴れたら、それだけで終わる。正式な空ボールがない以上、今は捕まえるべきではない。
「次会う時まで覚えてたら、その時はちゃんとボール持ってくるよ」
聞こえているかは分からないが、それだけ言って距離を取る。
戦闘中は何度も山奥側だけを空けるように立ち回っていた。その結果、最初に遭遇した場所よりもかなり山側まで押し戻せている。ここまで徹底的に負けた以上、人がいる方角へ進めば危険な相手がいると少しでも覚えてくれればいい。
「絶対とは言えないけど……何もしないよりはマシか。周辺の情報はしばらく見とこう。また下りてきそうなら考えないと」
スマートフォンを見ると、ボックスアプリ上でさっきまでヒトカゲだった表示が変わっていた。
そこには、きちんとリザードと表示されている。レベルも一つ上がっていた。
「……ほんとに進化したんだな」
「リザ!」
「いや、戦ってる途中はゆっくり見る暇なかったし」
改めて身体を見る。
「デカくなったね。強くもなった。あのりゅうのいぶき、かなり効いてたよ」
褒められたリザードが分かりやすく胸を張る。
「調子乗るなよ。お前、さっき握り潰されかけたからね?」
今度は露骨に目を逸らした。
「急に目逸らすじゃん」
思わず笑った。さっきまで本気で死ぬかと思っていた反動なのかもしれない。
「さて」
けいけんアメを厳重にしまう。
今日はぼんぐりときのみを採り、オタチを捕まえ、トランセルはバタフリーへ進化した。夜にはアリアドスの巣へ突っ込み、最後にはヒトカゲまでリザードへ進化して、オヤブンのリングマに殺されかけている。
「……初日に詰め込みすぎだろ」
『ポリ』
「今日は帰る。これはもう絶対帰る」
『ポリ?』
「何その疑ってる感じ。帰るって。さすがに学習したよ」
今度こそ車の方角へ身体を向ける。その前に、一度だけ倒れたリングマを振り返った。
「……木三本くらいまとめて倒してたよな」
普通のポケモンだけでも十分に危険だ。その中に、こんな個体まで混ざっている。あれが街の近くにでも出れば、本当に洒落にならない。
考えなければならないことが、また一つ増えた。
それでも、リュックの中にしまったけいけんアメの存在を思い出す。
「……まあ、それはそれとして」
『ポリ?』
「これ誰に使おうかな」
『ポリ』
「いや、帰ってから考えるって」
今度こそ寄り道せず、俺たちは車へ向かって山を下り始めた。