ポケモン現代入り 作:ささみ
7/29 修正
次スレッドが立ったのを確認したところで、ようやく掲示板から目を離した。
「……疲れた」
椅子の背もたれへ身体を預け、固まった肩を回す。窓の外はもう完全に明るくなっていた。
土曜日の朝にアルセウスから電話がかかってきて、それからポケモンの出現を追い続け、掲示板に張り付き、気づけば日曜日の朝である。
「初日から徹夜する予定なんてなかったんだけどな」
『ポリ』
「君は元気そうで羨ましいよ」
モニターの中を漂っていたポリゴンが、短く電子音を返す。
眠い。
ただ、不思議と今すぐ寝る気にはならなかった。
関東にはもう、本物のポケモンがいる。
ポッポ、コラッタ、キャタピー、ビードル。ほかにも一晩で随分な種類が確認された。
札幌でネット越しに眺めているだけでも十分面白かったが、それで満足する気はない。
「行くよなぁ、そりゃ」
関東へ。
自分の目で見て、捕まえて、実際に育てる。
そのために必要な物を考え始めたところで、眠気が少し引っ込んだ。
「よし。寝る前に準備だけしよう」
『ポリ?』
「大丈夫大丈夫。こういう時の『ちょっとだけ』は本当にちょっとだから」
自分で言って、説得力がないなと思った。
まず机の引き出しから、アルセウスにもらったモンスターボールを取り出す。
ポリゴンが登録されているものが一個。
そして空の通常のモンスターボールが五個。
「五個か」
改めて並べてみると、少ない。
ゲームならショップへ行けばいくらでも買えるが、この世界にはポケモンという作品そのものが存在しない。当然、フレンドリィショップもモンスターボール工場もなければ、コンビニで売っているわけもない。
この五個を使い切れば、現時点では補充手段がない。
「ヒトカゲ見つけても、いきなり全部投げるわけにはいかないな」
掲示板にはヒトカゲらしき個体の報告も出ていた。
欲しい。
ものすごく欲しい。
とはいえ、現実で初めてポケモンを捕獲するのに、いきなりヒトカゲ相手へ突っ込むほど無茶をするつもりもなかった。
投げれば必ず捕まるわけでもないし、戦闘になった時にゲームと同じ感覚で指示を出せる保証もない。
「最初はポッポとかコラッタだな。キャタピー、ビードル辺りでもいいし」
『ポリ』
「そうそう。まず練習」
ポリゴンが何に同意したのかは分からないが、都合よく受け取っておく。
「慣れてからヒトカゲ。順番は大事」
自分へ言い聞かせるように呟きながら、六個のボールをリュックの取り出しやすい位置へ収めた。
続いてキズぐすり、どくけし、まひなおし、むしよけスプレー。
各五個。
こっちも補充手段がない以上、雑には使えない。
「ゲームみたいに『減ったから百個買っとくか』ができないの面倒だな」
便利な世界へ行ったようで、変なところだけハードモードだった。
キーストーン、Zリング、ダイマックスバンド、テラスタルオーブは、まとめてポーチへ入れてキャリーケースの奥へしまう。
今のところ使う予定はない。
対応するポケモンも石もクリスタルもないし、ダイマックスやテラスタルについても、この世界でどこまで条件が成立するのか分からない。
「これ空港で引っかかったら最悪だな」
『ポリ』
「何て説明するんだよ。変なアクセサリーです、とか?」
まあ、嘘ではない。
少なくとも今は、使えない変なアクセサリーに近い。
スマートフォンで全国図鑑とボックスアプリが正常に動くことも確認する。ボックスが使えるなら、捕獲したポケモンを何匹も物理的なケージへ入れて連れ回さずに済む。
これはかなり大きい。
野生動物を遠方から連れてくるだけなら、輸送方法ひとつでも大仕事になる。それがモンスターボールとボックスで済むのだから、ポケモン側の仕組みはやはり便利だった。
次は普通の装備。
長袖と長ズボン。登山靴。厚手の手袋。
ゴーグル、防塵マスク、懐中電灯、救急用品、モバイルバッテリー。水や保存食も必要になる。
「完全に山歩きだな」
実際、山へ入る可能性が高いので間違ってはいない。
相手は未知の野生生物だ。
俺にとっては知っているポケモンでも、この世界へ現れた個体がゲーム通りの行動しかしない保証はない。そもそもゲームでは表現されない細かい生態だって山ほどある。
観察用のカメラと双眼鏡も持っていく。
メモ帳、使い捨て手袋、保存袋や容器もあった方がいい。
「……いや、保存袋はまだいいか」
この時点では採取するものまで決まっていなかったので、一度脇へ置いた。
荷物を広げているうちに、今度は現実側の問題を思い出す。
「有給取らないと」
今日は日曜日。
明日から動くなら、申請だけでも先にしておく必要がある。
派遣会社の勤怠システムを開き、月曜日から一週間分の有給休暇を選択する。理由は「私用のため」で十分だろう。
ただ、直前の申請になるので、担当者へ念のためメッセージも残しておく。
『急な申請で申し訳ありません。家庭の事情と今後の生活について実家と相談する必要があり、月曜日から一週間ほど休暇を希望します。必要であれば改めてご連絡します』
「……よし」
完全な嘘ではない。
関東へポケモンを捕まえに行く、とは当然書かないだけだ。
休暇申請を送信してから、今度は別のことを考える。
この先、札幌に住み続ける意味はあるのか。
ポケモンの出現地域は今のところ関東だが、一か月ごとに地方単位で広がるとアルセウスは言っていた。
そうなれば、捕まえたポケモンをこの狭いワンルームで何匹も飼うのは無理がある。
外へ出す場所もない。
技の練習など論外だ。
「……実家戻るか」
思いつきではなく、考えてみるとかなり現実的だった。
俺の実家は北海道、十勝の田舎にある農家だ。
家も土地も広い。
納屋や作業場所もあるし、空き地なら人目を気にせずポケモンを出せる。ぼんぐりやきのみのような植物が手に入れば、栽培を試す場所にも困らない。
両親も年を取ってきている。
農作業の人手が余っているわけでもないし、いずれ家や農地をどうするのかという話も出てくる。
だったら、戻って手伝いながらポケモンを育てるのは悪くない。
「交換装置も置けるしな」
部屋の隅に鎮座している大型装置を見る。
このアパートでは完全に邪魔だが、実家に残っている俺の部屋なら入るだろう。入口だけは確認する必要があるものの、最悪納屋へ置いてもいい。
「関東から帰ったら、仕事辞めて引っ越すか」
そう考えると、急に話が具体的になった。
退職や部屋の解約はまだ何もしていないが、実家側の確認くらいは先にしておいた方がいい。
スマートフォンから母さんへ電話をかける。
数回の呼び出し音の後、すぐに繋がった。
『もしもし? 朝からどうしたの』
「ちょっと相談なんだけどさ。関東行った後、実家戻ろうかなと思ってる」
『……何? 会社クビになったの?』
「違うよ!」
第一声がそれか。
「まだ普通に働いてる。というか辞めるならこれから辞める」
『じゃあ何で急に帰ってくる話になるのよ』
「色々あって。そっちの方が都合よくなりそうなんだよね」
『色々って何』
「色々」
『怪しい』
「息子をもうちょい信用して?」
『急に会社辞めて帰るって言い出す息子を無条件で信用する親の方が怖いでしょ』
「それはそう」
反論できなかった。
「とりあえず、前使ってた部屋まだ空いてる?」
『空いてるよ。荷物は少し置いてるけど』
「じゃあ使っていい?」
『帰ってくるなら別にいいけど。お父さんにも話さないと』
「それはお願い」
『自分で話しなさいよ』
「いや、もちろん俺からも話すけどさ。先に母さんから軽く言っといてくれると助かるじゃん」
『こういう時だけ要領いいんだから』
呆れた声が返ってきたが、拒否する様子はない。
「あと、荷物とか先に送るかもしれない」
『どのくらい?』
「まだ分かんない。家具とか家電も持っていく予定だから、引っ越す日が決まったら改めて連絡する。それとは別に、関東から木の実とか苗とか、資材みたいなのを何箱か送るかも」
一瞬、電話の向こうが静かになった。
『……木の実? 苗?』
「うん」
『あんた本当に何始める気なの』
「ちょっと試したいことがあって」
『腐るものじゃないでしょうね』
「そこはちゃんと見る。送る時に保存方法とかも書くから、届いたら置いといて」
『危ない物じゃないんでしょうね』
「危なくないから」
『危ないか確認しないといけない物が送られてくる時点で怪しいのよね』
「正論で殴らないでくれる?」
交換装置のことまで説明するわけにはいかない。
話せば余計にややこしくなる。
ただ、実家へ戻ること、自室を使うこと、荷物を送ることについては了承が取れた。
『……まさか、ニュースに出てる変な生き物を連れて帰る気じゃないだろうね』
最後に母さんが言った。
「…………」
思わず、モニターの中にいるポリゴンを見る。
鋭い。
「北海道にはまだいないんでしょ」
『質問に答えてないよ』
「とにかく危ないことはしないから。帰る日決まったらまた連絡する」
『絶対してね。あとお父さんにも自分で話しなさいよ』
「分かった分かった。じゃあまた」
追及が深くなる前に通話を切る。
スマートフォンを机へ置くと、ポリゴンがこちらを見ていた。
「……何?」
『ポリ』
「嘘は言ってないよ。まだ何捕まえるか決まってないし」
『ポリポリ』
「本当に?」
返事はなかった。
「君、たまに俺より母さん側じゃない?」
そんなやり取りをしながら、再びネットの情報へ目を向ける。
ポケモンの目撃情報はまだ増え続けていた。
だが、それに混じって朝方から少し違う種類の投稿が増え始めていることに気づいた。
『昨日まで何もなかった庭に木が生えてる』
『公園に変な木増えてない? 赤いドングリみたいな実が落ちてる』
『青い実を変な鳥が食ってた』
『甘い匂いに釣られて、見たことない虫が集まってる』
『正体不明の実フリマに出してる奴いて草』
『味見配信始めたバカいるんだけど』
「最後二つは笑えないって……」
ポリゴンが鮮明な画像を拾い出し、モニターへ表示する。
青い果実。
見た瞬間、名前が頭へ浮かんだ。
「オレンのみ」
さらに別の写真。
赤や緑の、ドングリに似た硬そうな実。
「……ぼんぐりじゃん」
思わず椅子から少し身を乗り出した。
「本当に丸ごと持ってきてるな、あの邪神」
ポケモンだけではない。
きのみ。
ぼんぐり。
彼らが食べ、利用していた植物まで、この世界へ流れ込んでいる。
そして、ぼんぐりを見た瞬間、頭の中へ別の知識が繋がった。
モンスターボールの製法。
ぼんぐりを加工し、木材や金属部品と組み合わせる初期型の構造。捕獲時には蒸気が噴き出すような、現代的なモンスターボールよりずっと原始的な形式だ。
作り方は分かる。
ただし、知っていることと実際に作れることは別だった。
「加工は普通に失敗するよなぁ」
ぼんぐりの削り方。
内部の成形。
部品の位置合わせ。
知識があっても、俺自身に職人としての経験があるわけではない。
十勝へ戻ったら、何度か失敗しながら試すことになるだろう。
それでも。
「材料さえ取れれば、ボール増やせるじゃん」
空の既製品は五個しかない。
その五個を使い切った後も自分で捕獲手段を補充できるなら、意味は大きい。
関東へ行く目的が一つ増えた。
「採取もしないとな」
先ほど脇へ置いた保存袋を引っ張り出す。
今度は密閉容器、ラベル、使い捨て手袋も追加した。
画像だけでは、どの種類のきのみなのか判断しづらいものも多い。落ちている実を合法的に確保できるなら、現物を一つ持ち帰って調べたい。
ただし、ネットでは早くも変な方向へ走っている人間がいる。
「知らない実を味見する勇気、どこから湧いてくるんだよ……」
せめて最低限の注意くらいは出しておいた方がいい。
掲示板の次スレッドへ移動し、いつもの名前で短く書き込む。
『知らない果実を人間やペットに食べさせないこと。植物自体に毒や刺激性がある可能性もある。実を狙って生物が集まることもあるから、採取前に必ず周囲を確認。住所が分かる画像は消して、他人の庭や立入禁止区域には入るな。不鮮明な画像だけで種類を断定するのもやめとけ』
送信。
ぼんぐりがモンスターボールの材料になることまでは書かない。
今それを公開すれば、どこに生えているのか探し回る奴が出る。
転売目的の乱獲や、不法侵入まで始まりかねない。
「これはまだ黙っとこう」
『ポリ』
「欲しいし」
『ポリ?』
「いや、独占するって意味じゃないよ? まず自分の分確保したいだけ」
ポリゴンは何も言わなかった。
「その無言やめて?」
必要な準備を一通り終え、今度は交通状況を確認する。
関東方面では鉄道の運休や道路規制が少しずつ増えている。東京都心へ直接入るより、別の県から陸路で入った方が動きやすそうだった。
航空便を調べ、地図と目撃情報を並べていく。
「新潟まで飛んで、そこから群馬かな」
新潟側なら今のところ大きなポケモン出現の報告はない。
そこからレンタカーで群馬へ入れば、都市部の混乱をある程度避けながら山林地帯へ向かえる。
本格的な関東入りは群馬から。
「この辺ならポッポとか虫系も探しやすいだろうし……いいな」
ヒトカゲの報告があった場所へ向かうのは、それからでいい。
まず捕獲と戦闘へ慣れる。
ぼんぐりやきのみも探す。
予定が決まってくるほど、眠気とは別の興奮が湧いてきた。
床には荷物を詰めたリュックとキャリーケース。
モンスターボール。
回復道具。
防護用品。
採取用品。
スマートフォンには、新潟から群馬へ入るルートが表示されている。
「……よし」
『ポリ』
「明日は新潟。そこから群馬」
声に出すと、急に現実味が増した。
「本物の関東入りだな」
楽しみだった。
画面の向こうではなく、実際にポケモンがいる場所へ行く。
探して、見つけて、戦って、捕まえる。
やりたいことが頭の中で次々浮かんでくる。
そのまましばらく考えていたが、大きな欠伸が出たところでさすがに限界を認めた。
「……まず寝るか。寝不足で本物のポケモンに会って事故るとか、さすがに笑えない」
土曜日の朝からほとんど休まず動き続けている。
荷造りも終わった。
有給申請も出した。
実家への話も通した。
あとは起きてから確認すればいい。
「モンスターボール五個とポリゴン一匹。初期装備としては、まあ悪くないよね」
『ポリ!』
「明日からよろしく」
パソコンの電源を落とし、ベッドへ倒れ込む。
目を閉じると、まだ会ったことのないポケモンたちが頭へ浮かんだ。
ポッポ。
コラッタ。
キャタピー。
ビードル。
そして、その先にいるヒトカゲ。
「……楽しみだな」
今度こそ眠気に逆らわず、そのまま意識を手放した。