ポケモン現代入り   作:ささみ

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第3話

 

 

 

 月曜日の朝。

 

 スマートフォンから鳴るアラームを止め、ベッドから身を起こした。

 

 土曜日から日曜日にかけて徹夜で掲示板に張り付いていたせいで、少しだけ身体に重さが残っている。だが、頭は妙に冴えていた。

 

 通知画面を確認すると、派遣会社の勤怠システムから連絡が入っていた。月曜日から一週間分の有給休暇は無事に承認されたらしい。担当者からのメッセージには「急ぎの用件があれば後で連絡するように」とだけ書かれている。

 

 ひとまず、時間的な制約はクリアできた。

 

 キャリーケースとリュックを床に置き、中身の最終確認を行う。

 

 リュックの中には、最初のポケモンであるポリゴンが入ったモンスターボールが一個。そして、アルセウスがチュートリアル用に用意した空の通常モンスターボールが五個。

 

 さらに、キズぐすり、どくけし、まひなおし、むしよけスプレーといった回復・探索用品が各五個ずつ。

 

 キャリーケースの奥底には、キーストーンやZリングといった特殊装備をポーチに隠してある。他にも、ゴーグルや防塵マスクなどの防護用品、昨日急遽追加した保存袋や密閉容器などの採取用品も収まっていた。

 

 スマートフォンの全国図鑑アプリとボックスアプリが正常に起動することも再確認する。

 

 部屋の隅に鎮座する大型の交換装置へ、ちらりと視線を向けた。

 

 関東遠征から戻った後、札幌の仕事と住居を整理し、十勝の実家へ移住する予定だ。このデカい装置は、その時に引っ越し業者へ頼んで運ばせるしかない。

 

 窓の鍵を閉め、電源と火の元を指差し確認してから、キャリーケースを引いて部屋を出た。

 

 新千歳空港の荷物検査は、拍子抜けするほどあっさりと終わった。

 

 モンスターボールやキーストーンなどの特殊装備は、X線検査を通しても、ただの丸いアクセサリーか変わった電子機器程度にしか見えないらしい。

 

 もちろん、人目の多いこの場所では、ポリゴンにはスマートフォンの中に隠れてもらっている。

 

 搭乗までの待ち時間、空港のテレビからは関東方面の混乱を伝えるニュースが断片的に流れていた。

 

 関東圏へ向かう一部航空便の欠航。

 

 到着地の変更。

 

 鉄道接続の乱れ。

 

 そして、「正体不明の果実や植物には触れないように」「未知生物への接近は危険です」というアナウンスが繰り返されている。

 

 新潟県の地方空港行きの便は、予定通りに離陸した。

 

 到着ロビーに降り立つと、関東へ入る予定を変更したらしい旅行者や、関東から家族を迎えに来たと思しき人々の姿があった。

 

 機材を抱えた報道関係者。

 

 作業着姿の復旧関係者。

 

 スマートフォンで交通情報を見ながら、眉間に皺を寄せている会社員風の男。

 

 とはいえ、空港の機能自体は正常に保たれている。難民キャンプのような極端な混乱は起きていなかった。

 

 スマートフォンで地図を確認し、予約していたレンタカーの営業所へ向かう。

 

 カウンターでの手続きは通常通りに進んだ。

 

 運転免許証を提示し、契約内容と補償についての説明を受ける。

 

 係員から「周辺のご旅行ですか?」と軽く尋ねられたので、「ええ、まあ。周辺を見て回る予定です」とだけ答えておいた。

 

 関東へ本物のポケモンを探しに行くことや、ぼんぐりなどの素材を採取する予定を話すつもりは毛頭ない。

 

 係員もそれ以上しつこく聞いてくることはなかった。営業所の壁に「関東方面への不要不急の移動はお控えください」というポスターが貼られているだけで、未知生物に関する特別な警告や専用の保険を勧められることもない。

 

 配車されたのは、シルバーのコンパクトSUVだった。

 

 悪目立ちしない色で、長距離運転にも向いている。後部座席を倒すとフラットな空間ができ、キャリーケースとリュックを積んでも、これから採取するぼんぐりやきのみを載せる余裕が十分に残っていた。

 

 車に乗り込み、周囲に人目がないことを確認してから、モンスターボールのボタンを押した。

 

 短い電子音とともに、カクカクとしたピンクと青の相棒が助手席のシートに現れる。

 

 ポリゴンは頭部を少し傾けるような仕草を見せた後、すぐにダッシュボードのカーナビ画面へと潜り込んだ。

 

 ナビの液晶に、いくつかのアイコンがポップアップする。

 

 通行止めの区間。

 

 渋滞情報。

 

 SNSから拾い上げたポケモンの目撃地点や、謎の植物の報告地点。

 

 それらが整理され、群馬県方面へ向かうルートが青いラインで表示された。

 

「よし、頼むぞ」

 

 声をかけると、ナビの画面が小さく一回点滅した。

 

 エンジンをかけ、アクセルを踏み込む。

 

 新潟県内を走っている間、車窓の風景はあくまで普通の日常だった。

 

 通勤や通学で歩く人々。

 

 通常通り営業しているコンビニやガソリンスタンド。

 

 道路上の電光掲示板には「この先一部区間通行止め」という警告が繰り返し流れているが、それでもここはまだ、異常の中心ではない。

 

 群馬県へ向かうにつれて、道路の雰囲気は少しずつ変わり始めた。

 

 反対車線には、関東方面から外へ出る車が目に見えて増えていく。

 

 家族を乗せたミニバン。

 

 荷物を満載したトラック。

 

 その一方で、こちらと同じように関東方面へ向かう車線には、警察車両や消防車、道路会社の黄色い作業車、報道の腕章をダッシュボードに置いたバンなどが混ざっていた。

 

 関東へ戻ろうとしている地元住民らしき一般車もある。

 

 関東全域から人が逃げ出しているわけではないのだ。

 

 やがて、新潟県と群馬県を隔てる長いトンネルが目の前に現れた。

 

 トンネルの内部は薄暗く、等間隔に並んだオレンジ色の照明が後ろへと流れていく。タイヤの反響音が壁に響き、前方を走る大型トラックの赤い尾灯だけが頼りだった。

 

 しばらく暗い空間を走り続け、ようやく出口の光が見えてくる。

 

 トンネルを抜けた瞬間、視界に『群馬県』と書かれた緑色の標識が飛び込んできた。

 

「……入ったな」

 

 短く息を吐く。

 

 トンネルを抜けたからといって、景色が劇的に崩壊しているわけではない。だが、間違いなく、ネット越しに見ていた異常な領域――関東へ、自分の足で踏み込んだのだ。

 

 群馬県側の郊外を走り続けると、少しずつポケモン世界由来の異物が風景に混ざり始めた。

 

 道路脇の植え込みに、元の地球には存在しない形の雑草が生えている。

 

 普通の杉や松の間に、不自然に色の濃い果実を付けた若木が混じっている。

 

 路肩では、ガードレールの支柱の下の土が何かに押し上げられ、ボコボコになっていた。標識のポールには鋭い噛み跡が残っている。

 

 近くのゴミ集積所では、カラス除けのネットごとゴミ袋が乱暴に破られていた。

 

 一時封鎖されたらしい小さな公園には、奇妙な植物を囲う黄色い規制テープが貼られ、作業員が遠巻きに写真を撮っている。

 

 一方で、すぐ近くのコンビニは普通に営業していた。

 

 家の前を箒で掃いている住民の姿もある。

 

 日常と非日常が、奇妙なバランスで混在していた。

 

 窓を少し開けると、遠くの林から聞き慣れない甲高い鳴き声が風に乗って聞こえてきた。

 

 スピードを落とし、慎重にハンドルを握り直す。

 

 人家がまばらになり、左手に草地と林が広がる県道へ出た時だった。

 

 カーナビの画面で、ポリゴンが赤いアイコンを小さく点滅させた。

 

 前方左側の草地だ。

 

 ウインカーを出し、車を安全に停められる路肩の退避スペースへ寄せる。

 

 ハザードランプを点灯させ、エンジンをかけたまま助手席の双眼鏡を手に取った。

 

 窓越しに草地を見つめる。

 

 数十メートル先の短い草の間で、茶色と黒の羽を持つ何かが動いていた。

 

 丸い頭。

 

 クリーム色の腹部。

 

 目の周囲にある黒い模様。

 

 短い嘴で地面をつつき、何かを探すように視線を動かしている。

 

「……ポッポだ」

 

 小さく呟き、スマートフォンで全国図鑑アプリを起動した。

 

 カメラ越しにその姿を捉えると、アプリに遭遇場所と時刻が自動的に記録される。

 

 双眼鏡を覗き直した。

 

 ただのゲームのグラフィックではない。

 

 風に羽毛が揺れ、土を踏みしめる足の動きがあり、周囲を警戒する野生動物としての確かな体温が感じられた。

 

 ポッポがふいに羽ばたくと、バサバサッという力強い音とともに土埃が舞った。

 

「本当にいるんだよな……」

 

 双眼鏡を持つ手に、じわりと汗が滲む。

 

 思わず笑みがこぼれた。

 

 ドアノブに手を伸ばし、リュックの中のモンスターボールを取り出して投げたいという強い衝動に駆られる。

 

 だが、ぐっとその手を止めた。

 

 ここは道路沿いだ。

 

 いくら人家が少ないとはいえ、時折トラックや一般車が通り過ぎていく。ドライブレコーダーにボールを投げる瞬間が映るかもしれないし、見知らぬ人間にスマートフォンで撮影されるリスクもある。

 

 モンスターボールの存在を、今は世間に知られるわけにはいかない。

 

 それに、初めての戦闘を道路脇でやるのは危険すぎる。

 

 周囲の林に別のポケモンが潜んでいるかもしれないし、驚いたポッポが車道へ飛び出せば大事故に繋がる。逃走経路も確保できておらず、ポリゴンへ落ち着いて指示を出せる環境ではなかった。

 

 静かに双眼鏡を下ろし、ポッポが羽ばたいて林の奥へ消えていくのを見送った。

 

「捕まえるのは、人目がなくなってからだな」

 

 スマートフォンをコンソールボックスへ置き、カーナビの画面を見る。

 

 ポリゴンが次の候補地として、群馬県内の山林地帯を表示していた。

 

 遊歩道や林道の入口があり、車を停められそうなスペースもある。

 

 一般的なポケモンの目撃情報に加えて、赤や青のぼんぐりらしき果実の報告も重なっている場所だ。

 

 通信の電波も届き、日没までに戻れる距離にある。

 

「まずは、駐車できる場所を確認するか」

 

 シフトレバーをDに入れ、ウインカーを操作した。

 

 さて。次は森か。

 

 シルバーのコンパクトSUVは、本物のポケモンたちが息づく群馬県の山林地帯へ向かって、ゆっくりと走り出した。

 

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