ポケモン現代入り 作:ささみ
7/29 修正
月曜日の朝。
スマートフォンのアラームを止め、ベッドから身体を起こした。
「……眠っ」
昨日はかなり早い時間に寝たはずなのに、まだ少し身体がだるい。土曜日の朝から日曜日まで掲示板に張り付き、その後に遠征準備までしていたのだから、一晩寝たくらいで完全回復しないのも当然か。
それでも頭は妙に冴えていた。
今日から、ポケモンがいる場所へ行く。
そう思えば二度寝なんてする気にはならない。
『ポリ』
「おはよ」
枕元のスマートフォンからポリゴンの顔が覗いた。
「今日は忙しくなるからね。ナビも情報収集も頼むよ」
『ポリ!』
「頼もしいねぇ」
ベッドから降り、顔を洗って簡単に朝食を済ませる。
月曜日から一週間分の有給休暇は、無事に承認されていた。担当者から届いたメッセージにも、急ぎの用件があれば連絡するようにと書かれているだけだ。
「これで会社から『今すぐ来い』もなし、と」
遠征から戻れば、札幌の仕事と住居を整理して十勝へ戻るつもりでいる。
まだ退職届を出したわけでも、アパートを解約したわけでもない。そこは帰ってきてから一、二週間ほどかけて進めればいい。
まずは今日だ。
床に置いてあったキャリーケースとリュックを開き、最後の確認をする。
リュックにはポリゴンのモンスターボールが一個。そして空のモンスターボールが五個。
キズぐすり、どくけし、まひなおし、むしよけスプレーも五個ずつ入っている。
キャリーケースには着替えや防護用品のほか、昨日になって急遽追加した保存袋、密閉容器、ラベル用のテープなどの採取用品も詰め込んだ。
キーストーン、Zリング、ダイマックスバンド、テラスタルオーブはポーチにまとめて、荷物の奥へ入れてある。
「忘れ物は……多分なし」
『ポリ』
「その『多分』に反応しないでよ」
全国図鑑とボックスアプリも正常に動く。
ポリゴンがモンスターボールへ戻れることも確認した。
最後に部屋を見回したところで、隅に置かれた交換装置が視界へ入る。
「……君だけは持っていけないんだよなぁ」
いくら移動可能とはいえ、飛行機へ持ち込めるような大きさではない。
関東から戻った後、実家へ引っ越す際に業者へ頼んで運んでもらうしかないだろう。ワンルームに置いておくには邪魔だが、一週間程度ならどうということもない。
「留守番よろしく」
機械に声をかけても返事はない。
「そりゃそうか」
窓の鍵を確認し、コンセントや火の元も指差しで確認する。
「よし」
キャリーケースを引き、部屋を出た。
昨日までなら普通に出勤する月曜日の朝だ。
それなのに今日は、北海道からポケモンを探しに行く。
改めて考えると、かなり訳の分からない生活になったと思う。
◆
新千歳空港の荷物検査は、思っていた以上にあっさり終わった。
少しくらい何か引っかかるんじゃないかと思っていたのだが、モンスターボールは特に問題なく通ったし、キーストーンなどの特殊な装備についても止められることはなかった。
「マジで普通に通るんだな……」
この世界の機械から見れば、丸いアクセサリーや用途不明の電子機器程度にしか映らないらしい。
何か聞かれた時の言い訳まで多少考えていたので、肩透かしだった。
もちろん、人目の多い空港でポリゴンを出すわけにはいかない。今はスマートフォンの中に入ってもらっている。
搭乗までの時間は、空港内のテレビとネットで関東方面の状況を確認して過ごした。
ニュースでは、一部航空便の欠航や行き先変更、鉄道との接続の乱れが報じられている。
画面が切り替わると、今度は見慣れない野生生物の映像が流れた。
『正体不明の生物には不用意に接近せず――』
「昨日からそれしか言えないよな、そりゃ」
まだ行政側も、何が起こっているのか整理し切れていない。
正体不明の果実や植物へ触れないように、未知生物へ接近しないように、といった注意喚起も繰り返されている。
正しい対応ではある。
実際には果実も植物もポケモンも、それぞれ危険度が全然違うのだが、現時点の行政がそこまで分類できるはずもない。
「まあ、二日目だしなぁ」
むしろよく動いている方なのかもしれない。
スマートフォンの画面には、ポリゴンが集めた目撃情報が次々と追加されている。
目的地周辺にもポッポやコラッタ、虫ポケモンを中心に報告が増えていた。
ぼんぐりらしき植物の写真もある。
見ているだけで早く向こうへ行きたくなってくる。
「まだかな」
『ポリ』
「分かってる。飛行機は急かしても早くならない」
自分で言いながら、完全に遠足前の子供だなと思った。
やがて搭乗案内が始まり、新潟県へ向かう便は予定通り離陸した。
◆
到着先の空港は、思っていたより普通だった。
関東へ行く予定を変更したらしい旅行者や、家族を迎えに来たらしい人。機材を抱えた報道関係者や作業着姿の人間も目につく。
スマートフォンを見ながら難しい顔をしている会社員もいた。
とはいえ、空港そのものが麻痺しているわけではない。
店も営業しているし、人も普通に歩いている。
「ネットだけ見てると日本終わったみたいに見えるけど、まあこんなもんか」
異常が起きているのは事実だ。
しかし、日本中が昨日までの日常を投げ捨てたわけではない。
荷物を受け取り、そのまま予約していたレンタカー会社へ向かう。
手続きも特に変わったところはなかった。
運転免許証を出し、契約内容と補償について説明を受ける。
「周辺のご旅行ですか?」
「ああ、はい。まあ、色々見て回ろうかなと」
「関東方面へ向かわれる場合は、交通規制などにお気をつけください」
「分かりました」
本物のポケモンを探しに行きます。
ついでに木の実も拾います。
なんて言う必要はない。
営業所の壁には『関東方面への不要不急の移動はお控えください』というポスターが貼られていたものの、それ以上の特別な説明はなかった。
未知生物に襲われた場合の特約保険なんてものも、当然まだ存在しない。
「そりゃ二日で保険商品は生えないよな」
配車されたのは、シルバーのコンパクトSUVだった。
長距離を運転するには十分だし、色も車種も悪目立ちしない。後部座席を倒せば荷物を置くスペースも広く取れる。
キャリーケースとリュックを積んでも、まだかなり余裕が残った。
「いいね。ぼんぐり積み放題」
そんなに拾える保証はないが。
運転席へ乗り込み、周囲に人がいないことを確認してからポリゴンのボールを取り出す。
「出ておいで」
白い光が助手席へ飛び、角張った身体が現れた。
『ポリ!』
「飛行機お疲れ」
ポリゴンは特に疲れた様子もない。
「俺より旅行向いてそうだな、君」
『ポリ?』
「とりあえずナビお願い。群馬まで」
ポリゴンが身体を傾けたあと、ふっと助手席から姿を消した。
ほぼ同時にカーナビの画面が一度ちらつく。
「おお」
ナビ上へ、通常のルート案内とは別にいくつもの情報が表示され始めた。
現在の通行止め。
渋滞。
道路規制。
さらにネットやSNSから拾ったポケモンの目撃地点や、謎の植物が報告された位置まで地図上に追加されていく。
「便利だなぁ」
全部自分で調べながら運転していたら、とてもじゃないが危ない。
「よし、頼むぞ」
カーナビの画面が短く点滅した。
エンジンをかけ、ゆっくりと駐車場を出る。
新潟県内を走っている間、窓の外に広がるのはまだほとんど普通の日常だった。
歩道には通勤や買い物らしい人たちがいる。
コンビニもガソリンスタンドも普通に営業している。
道路上の電光掲示板には、この先の一部区間が通行止めになっているという警告が流れていたが、それ以外は普段の地方都市と大差ない。
「ここだけ見たら、本当に何も起きてないみたいだな」
ただ、群馬へ近づくにつれて少しずつ雰囲気が変わっていった。
反対車線を走る車の数が増える。
家族を乗せたミニバン。
荷物を積んだトラック。
明らかに関東方面から離れようとしている車が混ざっている。
一方、こちらと同じ方向へ向かう車線にも、普段とは違う車両が増えてきた。
警察車両。
消防車。
道路会社の黄色い作業車。
報道関係者らしい機材を載せた車。
もちろん普通の乗用車もいる。
関東全域から人が逃げ出しているわけではない。
住んでいる人間からすれば、昨日今日突然知らない生物が出始めたからといって、すぐに生活の全てを捨てられるはずもないだろう。
「そりゃそうだよな」
少しずつ増えていく情報を横目に運転を続ける。
やがて、新潟県と群馬県の境を越える長いトンネルが見えてきた。
内部へ入ると、等間隔に並んだオレンジ色の照明が後方へ流れていく。タイヤの音が壁へ反響し、外の景色は一度完全に途切れた。
「……ここ抜けたら関東か」
知識としてはただ県境を越えるだけだ。
それでも妙に緊張した。
この先では、もうニュース映像の中だけじゃない。
本当にポケモンがいる。
『ポリ』
ナビの中から短い電子音が返ってくる。
「君は落ち着いてるね」
当然か。
ポリゴンからすれば、ポケモンがいる方が普通なのかもしれない。
しばらくして、トンネルの出口が見えた。
光の中へ車が抜ける。
「……来た」
群馬県。
本物のポケモンが現れている関東へ、自分の足で踏み込んだ。
とはいえ、トンネルを出た瞬間に景色が別世界へ変わるわけではなかった。
道路は道路のままだし、家も店もある。
ただ、走り続けているうちに、明らかに昨日までの日本にはなかったものが少しずつ風景へ混ざり始める。
「お」
道路脇の植え込みに、見覚えのない葉を持つ植物が生えていた。
普通の杉や松に混じって、妙に鮮やかな果実を付けた若木も見える。
「これだけでもテンション上がるな」
視線を奪われそうになるので、運転中なのを思い出して前を見る。
「見るのは停まってから、見るのは停まってから……」
路肩の土が妙に盛り上がっている場所もあった。
ガードレールの支柱には、何かに齧られたような痕が残っている。
ゴミ集積所では、カラス避けのネットごと袋が破かれていた。
「コラッタ辺りかな」
断定はできない。
だが、元の地球の動物だけでは説明しにくい痕跡が確実に増えている。
一時的に封鎖されたらしい小さな公園では、見慣れない植物の周囲へ黄色い規制テープが張られ、作業員らしい人間が遠くから写真を撮っていた。
そのすぐ近くのコンビニは普通に営業中だ。
家の前を掃除している人もいる。
「なんか変な感じだな……」
異常事態ではある。
でも日常は止まっていない。
ポケモン世界のものだけが、昨日までの日本へ無理やり差し込まれている。
それが今の関東らしい。
人家の数が減り、道路の片側に草地と林が広がる場所まで来た時だった。
『ポリ』
「ん?」
カーナビ上で赤い印が点滅する。
「左?」
『ポリ』
少し速度を落とし、周囲を確認する。
前方にちょうど車を寄せられそうな退避スペースがあった。
「よし」
ウインカーを出して車を停め、ハザードを点ける。
エンジンはそのままにして、助手席へ置いていた双眼鏡を取った。
「どこ?」
ポリゴンが示した方向を見る。
草地。
最初は何も分からなかった。
しばらく目を凝らしていると、短い草の間で小さな茶色いものが動いた。
「……あ」
双眼鏡を覗く。
丸い頭。
クリーム色の腹。
茶色と黒の羽。
目の周囲の模様。
短い嘴で地面をつつきながら、時々周囲を見回している。
「……ポッポだ」
知っている。
散々画像も動画も見た。
昨日から掲示板でも何度名前を書いたか分からない。
それなのに、実際に自分の目で見ると全然違った。
「うわ……」
思わず声が漏れる。
全国図鑑アプリを起動し、スマートフォンのカメラを向ける。
遭遇地点と時刻が記録され、画面上にもポッポの情報が表示された。
でも、そんなものは今どうでもよかった。
双眼鏡へ戻る。
ポッポが地面を歩く。
細い足が土を踏み、羽毛が風で小さく揺れる。
首を細かく動かしながら辺りを警戒し、何かを見つけたのか地面へ嘴を突っ込んだ。
「……本当にいるんだよな」
分かっていたはずなのに、どうしても笑ってしまう。
画面の中のキャラクターじゃない。
そこに一匹の野生動物として生きている。
しばらく見ていると、ポッポが急に翼を広げた。
バサバサッ、と想像していたよりずっと力強い音が響き、足元から土埃が舞い上がる。
「おおっ」
反射的に双眼鏡を少し離した。
「結構すごいな」
SNSで砂を目に入れられたと騒いでいた人間の気持ちが、少しだけ分かった。
近距離でこれをやられたら普通にきつい。
それでも、怖いというより感動の方がずっと大きかった。
「捕まえたいなぁ……」
リュックへ手を伸ばしかける。
中には空のモンスターボールがある。
ここまで来た目的の一つは、まさにそれだ。
だが、ドアノブへ触れたところで止まった。
「……いや、ダメだな」
ここは道路沿いだ。
通行する車は少ないとはいえ、ゼロではない。
レンタカーにはドライブレコーダーも付いている。
もし車外へ出て、存在しないはずのモンスターボールを投げるところまで撮影されれば面倒なことになる。
「初捕獲の動画がレンタカー会社に残るのは嫌すぎる」
『ポリ』
「そうだよ。記念映像としても最悪でしょ」
少し惜しい。
いや、かなり惜しい。
でもポッポなら他にもいる。
「捕まえるのは、人目がなくなってからだな」
双眼鏡を下ろす。
しばらくすると、草地にいたポッポは再び翼を広げ、そのまま林の向こうへ飛んでいった。
「……行っちゃった」
少しだけ名残惜しく見送る。
それでも気分は良かった。
初めて、本物を見た。
それだけで北海道から来た甲斐があったと思えるくらいには。
「さて」
スマートフォンをコンソールボックスへ置き、カーナビを見る。
ポリゴンが次の候補地を表示していた。
ここからさらに進んだ山林地帯。
遊歩道や林道の入口があり、車を停められそうな場所もある。
ポケモンの目撃報告が複数あり、それに加えて赤や青のぼんぐりらしき果実の写真も投稿されている。
通信も一応届く。
日没までに戻ってこられる距離だ。
「いいね」
シフトをDへ入れる。
「まず駐車できる場所探そうか」
『ポリ』
ウインカーを出し、道路へ戻る。
さっきまで遠く感じていた山が、少しずつ近づいてきた。
「次は森か」
自然と口元が緩む。
シルバーのSUVは、本物のポケモンたちが息づく山林地帯へ向けて走り出した。
◆
ポリゴンのナビに従って進み、山林の入口へ辿り着いた。
木々に囲まれた遊歩道の近くに、数台なら停められそうな未舗装のスペースがある。
他の車は一台もない。
「まあ平日の昼間に、今ここへ遊びに来る人も少ないか」
関東で正体不明の生物が出ている最中に、わざわざ郊外の森へ入ろうという物好きは多くないだろう。
車を停めてエンジンを切る。
まずスマートフォンを見る。
「電波は……ギリあるな」
完全な圏外ではない。
日没まではまだ数時間あるし、今日は森の奥深くまで踏み込むつもりもない。何かあったらすぐ車へ戻れる範囲だけを見る予定だ。
そう自分に確認してから、後部座席のリュックを引き寄せる。
中身をもう一度確かめる。
空のモンスターボールは五個。
一本は、すぐ取り出せるようサイドポケットへ移した。
キズぐすり、どくけし、まひなおし。
保存袋、密閉容器、使い捨て手袋、ラベル用テープ、油性ペン、剪定ばさみ、小型のスコップ。
「昨日はただ荷物詰めてるだけだったけど、ここまで来ると急にそれっぽいな」
この先には、本当にポケモンがいる。
ぼんぐりやきのみだって生えているかもしれない。
ニュースでも掲示板でもない。
自分がこれから歩いて入る場所の話だ。
ドアを開け、一度周囲を見回す。
人影はない。
監視カメラらしきものも見当たらない。
周囲を走っている車もない。
「よし」
ポリゴンのモンスターボールを取り出し、ボタンを押す。
白い光が地面の上へ飛び出し、見慣れ始めたピンクと青の身体を形作った。
『ポリ』
「ポリゴン。これから森入るよ」
『ポリ』
「無理はしなくていいからね。危ないと思ったらすぐ戻る」
ポリゴンは短く鳴くと、カメラのような目を周囲へ向けた。
初めての場所へ来たというのに、相変わらず落ち着いている。
「……君、本当に冷静だな」
『ポリ?』
「いや、何でもない」
多分、俺の方がよっぽど浮かれている。
リュックを背負い直し、遊歩道の入口を見る。
「じゃあ、行こうか」
本物のポケモンが暮らす森へ、初めて足を踏み入れることになった。