ポケモン現代入り   作:ささみ

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第4話

 

 

 

 

 ポリゴンのナビに従ってシルバーのSUVを走らせ、群馬県内の山林地帯の入口に辿り着いた。

 

 木々に囲まれた遊歩道の入口付近に、車数台が停められる未舗装の駐車スペースがある。

 

 周囲を見回すが、他の車はない。平日の昼間、しかも関東周辺で異常事態が起きている最中に、こんな郊外の森へ来る物好きは少ないのだろう。

 

 エンジンを切り、スマートフォンで通信状況を確認する。

 

 アンテナの表示はギリギリ立っている。完全な圏外ではない。

 

 日没まではまだ数時間ある。森の奥へ入るつもりはないし、何かあればすぐ車へ戻れる距離だ。

 

 とはいえ、ここから先は完全にニュースや掲示板の向こう側ではない。

 

 実際にポケモンがいて、きのみやぼんぐりが生えている可能性がある場所だ。

 

 深く息を吐き、リュックの中身をもう一度確認する。

 

 空のモンスターボールは五個。

 

 そのうち一つをサイドポケットへ入れ、指先ですぐ触れられる位置にずらしておく。

 

 キズぐすり、どくけし、まひなおしも定位置にある。

 

 採取用の保存袋、密閉容器、使い捨て手袋、ラベル用テープ、油性ペン、剪定ばさみ、小型スコップ。

 

 昨日詰め込んだ物が、急に現実味を帯びて見えた。

 

 周囲に人がいないこと、監視カメラや車載カメラの類が見当たらないことを確認してから、手持ちのモンスターボールのボタンを押す。

 

 白い光と共に、角張ったピンクと青の相棒が姿を現した。

 

「ポリゴン。これから森へ入る。無理はしなくていい。危ないと思ったらすぐ戻れ」

 

 ポリゴンは短い電子音を鳴らし、カメラのような目で周囲をゆっくりと見回した。

 

 初実戦だというのに、相変わらず冷静で淡々としている。

 

 こちらの方が、よほど落ち着いていない。

 

 アスファルトが途切れ、土と落ち葉の道に変わる遊歩道へ足を踏み入れた。

 

 森の浅い場所。

 

 木々の間から差し込む光が、下草を斑に照らしている。

 

 匂いは元の地球の森とそう変わらない。

 

 湿った土。

 

 落ち葉。

 

 草木の青臭さ。

 

 そこに、微かに甘い匂いが混ざっていた。

 

 果物に近い。

 

 けれど、山でよく嗅ぐ野生の木の実とは少し違う。

 

 意識した瞬間、知識の中からいくつかの候補が浮かび上がった。

 

 きのみ。

 

 ぼんぐり。

 

 あるいは、それ以外のポケモン世界由来の植物。

 

 思わず足を止めかけたが、まずは周囲の確認が先だ。

 

 ポリゴンが先行するように低く滑り、身体の一部を小さく点滅させた。

 

 前方。

 

 草地と林の境目。

 

 足音を殺して木の陰に身を隠し、示された先を凝視する。

 

 丈の低い草地の中で、茶色と黒の羽が動いていた。

 

 丸い頭。

 

 クリーム色の腹部。

 

 短い嘴で地面を突き、何かを探している。

 

 時折、首を細かく動かして周囲を警戒する仕草は、ほとんど野鳥そのものだった。

 

 ポッポだ。

 

 さっき道路沿いで見た個体とは別の、この山林地帯に棲んでいる野生個体だろう。

 

 サイズも動きも、知識にある低レベル帯の個体と大きく外れてはいない。

 

 強敵ではない。

 

 けれど、弱いという意味でもない。

 

 相手は画面の中のドットでも、数値でもない。

 

 野生で生きている生き物だ。

 

 周囲に人目はない。

 

 車にもすぐ戻れる。

 

 初戦闘の相手としては申し分ない。

 

 大きく息を吸い、ポリゴンへ視線を送る。

 

「……行くぞ」

 

 ポリゴンが音もなく滑るように草地へ近づく。

 

 その気配に気づいたポッポが、ビクッと身体を震わせた。

 

 羽を半開きにし、短く鋭い鳴き声を上げる。

 

 威嚇というより、恐怖と警戒が混ざった反応だった。

 

 逃げられる前に動く。

 

「ポリゴン、でんじは!」

 

 ポリゴンの角張った身体の表面に、細い青白い電気の線が走った。

 

 空気が小さく弾けるような、バチッという音。

 

 次の瞬間、ポッポの羽と足が一瞬こわばり、姿勢が崩れる。

 

 直撃。

 

 だが、ゲームのように完全停止するわけではない。

 

 ポッポは必死に羽ばたき、動きが鈍りながらも距離を取ろうと地面を蹴った。

 

「逃がすな、追え!」

 

 指示が一瞬遅れた。

 

 その隙を突くように、ポッポが地面の土を蹴り上げる。

 

 すなかけ。

 

 ただの土と枯葉の塊だが、狙いすましたようにポリゴンの顔面――目にあたる部分へ散った。

 

 ポリゴンが短い電子音を鳴らし、反応が一拍遅れる。

 

 飛んできた砂埃に、こちらも反射的に目を細めてしまった。

 

 ゲームの「命中率低下」なんて、文字で見る分には地味な効果だ。

 

 けれど現実では、視界を潰され、動き出しが遅れ、次の指示までずれる。

 

 普通に厄介だった。

 

 その隙に、ポッポが低く飛び上がる。

 

 完全に逃げるというより、距離を取って安全な枝か茂みに移ろうとしている。

 

 ポリゴンの身体表面を走る光の線が、一瞬だけ強くなった。

 

 ダウンロード。

 

 細かい理屈はともかく、ポリゴンの動きにほんの少しだけ力が乗ったように見えた。

 

「たいあたり!」

 

 ポリゴンが低く滑るように突進する。

 

 麻痺で動きが鈍っているはずのポッポも、黙って当たってはくれない。

 

 大きく羽を広げ、必死に羽ばたいた。

 

 かぜおこし。

 

 下草と砂埃が巻き上がり、頬に風が当たる。

 

 小規模な風だ。

 

 人間を吹き飛ばすような威力ではない。

 

 だが、低く突っ込んでいたポリゴンの軌道をわずかに逸らすには十分だった。

 

 直撃ではない。

 

 それでも、ポリゴンの身体の側面がポッポの羽の付け根あたりを掠めるようにぶつかった。

 

 乾いた衝撃音。

 

 ポッポが短く鳴いてよろめき、飛び立つタイミングを失う。

 

 草の上へ着地した足がもつれ、羽がばたついた。

 

 まだ動ける。

 

 もう一度飛ばれたら追いきれない。

 

 倒し切る前。

 

 今しかない。

 

 サイドポケットから空のモンスターボールを掴み出す。

 

 ゲームならボタンを押すだけ。

 

 けれど現実は違う。

 

 距離を測り、狙いを定め、外さないように投げる必要がある。

 

 手汗でボールの表面が滑りそうになった。

 

 握り直す。

 

「いけっ!」

 

 右腕を振り抜いた。

 

 赤い軌跡を描いたボールが、よろめいたポッポの背中に当たる。

 

 ポンッ、という音と共にボールが開き、ポッポの身体が赤い光に包まれた。

 

 そのまま、ボールの中へ吸い込まれる。

 

 カチャリと蓋が閉まり、草の上に落ちた。

 

 揺れが始まる。

 

 コロン。

 

 ……コロン。

 

 ただボールが揺れているだけなのに、時間が異常に長く感じられた。

 

 森の静寂の中で、ボールの動く音だけがやけに大きく響く。

 

 近くの草むらが風で擦れる音。

 

 遠くで聞こえる鳥とも虫ともつかない鳴き声。

 

 自分の呼吸。

 

 全部が妙に大きい。

 

 三度目の揺れの後。

 

 カチッ、という小さな音がして、中央のランプが消えた。

 

 捕獲成功。

 

 周囲を見回す。

 

 人の気配はない。

 

 ゆっくりとボールに近づき、土のついたそれを拾い上げる。

 

 手が、微かに震えていた。

 

「……捕まえた」

 

 小さく呟く。

 

 ゲームの一戦目なんて、ほとんど作業でしかなかった。

 

 けれど現実の初戦闘は、比べ物にならないほど緊張した。

 

「緊張した……思ったより怖かった」

 

 安堵の息を長く吐き出す。

 

 スマートフォンを取り出し、全国図鑑アプリとボックスアプリを開いた。

 

 画面には、新しく『ポッポ』のデータが登録されている。

 

 タイプはノーマル、ひこう。

 

 レベルは初期のポリゴンと同じくらい。

 

 捕獲場所は群馬県内の山林地帯。

 

 使用した技として、たいあたり、すなかけ、かぜおこしが記録されていた。

 

 今はまだボールから出さない。

 

 いきなり懐くわけがないし、ここで暴れられても困る。

 

「ポリゴン、お疲れ」

 

 相棒の方を向くと、ポリゴンは淡々と短い電子音で応えた。

 

 表面にはたいあたりの反動による擦れや、すなかけの土埃が付着している。

 

 でんじはを使った後の名残なのか、身体の端で微かな放電が瞬いていた。

 

 動きに異常はない。

 

 キズぐすりを使うほどの消耗ではなさそうだ。

 

 ポリゴンはボールへ戻さず、そのまま周囲の警戒を任せる。

 

 初捕獲の余韻に浸っていたい気分はある。

 

 だが、ここに来た目的は捕獲だけではない。

 

 さっきから漂っている、微かな甘い匂い。

 

 ポッポがいた草地の奥へ視線を向けると、少し開けた場所に、不自然に青い実を付けた低木が見えた。

 

「……オレンのみか?」

 

 足元を確認しながら、草地の縁まで進む。

 

 近づくほど、青い実の形がはっきりしてきた。

 

 知識にあるオレンのみと、ほとんど同じ。

 

 丸みのある実。

 

 鮮やかな青色。

 

 枝の付き方。

 

 完全に熟しているものがいくつか残り、足元にも一つ落ちている。

 

 ポリゴンが短い電子音を鳴らし、スマートフォンの画面に小さな注意アイコンを表示した。

 

 周囲に別の反応があるわけではない。

 

 ただ、長居はするなという警告に近い。

 

「分かってる、無理はしないから」

 

 リュックから使い捨て手袋と保存袋を取り出す。

 

 素手では触らない。

 

 まずは地面に落ちていた実を拾い、表面の傷や虫食いを確認する。

 

 潰れてはいない。

 

 保存袋へ入れ、ラベル用テープに場所と時刻を書いて貼った。

 

 枝になっている実は、剪定ばさみで二つだけ切り取る。

 

 全部持っていく気はない。

 

 これが本当にポケモンの食料として機能しているなら、周辺の野生個体にとっても必要な資源だ。

 

 取りすぎるのは危険以前に、普通にまずい。

 

 周囲をもう一度見回す。

 

 草地の端には、小さな足跡のようなものがいくつか残っていた。

 

 ポッポのものか。

 

 別のポケモンのものか。

 

 判断はつかない。

 

 スマートフォンで写真を撮り、通常のカメラにも記録を残す。

 

 全国図鑑アプリだけに頼ると、後で人に見せられない情報まで混ざる可能性がある。

 

 普通の写真として残しておく分には、ただの調査記録に見せられる。

 

 さらに視線を巡らせると、木々の根元に赤や緑のドングリに似た実が落ちていた。

 

 ぼんぐりだ。

 

 思わず口元が緩む。

 

 モンスターボールの材料。

 

 今の空ボールは、さっきの捕獲で四個に減った。

 

 たった一回の戦闘でそれを強く意識させられた後だと、ぼんぐりの価値はかなり重い。

 

 保存袋を分け、落ちているものだけを拾う。

 

 赤いものを二つ。

 

 緑のものを二つ。

 

 少し離れた場所に青いものも一つ落ちていた。

 

 枝から無理に取るのはやめておく。

 

 木の状態も、周辺のポケモンへの影響も、まだ現地では分からない。

 

 拾ったぼんぐりは、色ごとに袋を分けた。

 

 ラベルには、場所、時刻、色、落果か採取かを書いておく。

 

 こういうところを雑にすると、後で絶対に困る。

 

 十勝の実家で試作する時、どの色のぼんぐりをどう加工したか分からなくなるのは最悪だ。

 

 ポリゴンが近くで身体を点滅させた。

 

 スマートフォンの画面に、駐車スペースまでの簡易ルートと、現在時刻が表示される。

 

 日没まではまだ余裕がある。

 

 だが、初戦闘の直後にさらに奥へ進むのは違う。

 

 この場所だけで、十分すぎる成果があった。

 

 ポッポの入ったモンスターボール。

 

 オレンのみらしき青い実。

 

 赤、緑、青のぼんぐり。

 

 初戦闘。

 

 初捕獲。

 

 初採取。

 

 いきなり大成果と言っていい。

 

 けれど、調子に乗るには早すぎる。

 

 ポッポ一匹相手でも、砂をかけられただけで指示が遅れた。

 

 かぜおこしで軌道が逸れた。

 

 ゲームの序盤とは違う。

 

 現実の一戦目は、ちゃんと怖い。

 

 保存袋をリュックの中で潰れない位置へ収める。

 

 ポリゴンの表面についた土埃を軽く払うと、短い電子音が返ってきた。

 

「よし。車に戻るぞ」

 

 ポリゴンをボールへ戻し、来た道を引き返す。

 

 森の奥から、また聞き慣れない鳴き声がした。

 

 足を止めそうになる。

 

 だが、今は追わない。

 

 手の中のモンスターボールを見下ろす。

 

「ポリゴンとポッポ。これで手持ちは二匹。材料も少し確保。大戦果だな」

 

 言葉にしてみると、ようやく実感が追いついてきた。

 

 ここからが、本番だ。

 

 木漏れ日の下、リュックの重みを少しだけ感じながら、駐車スペースへ向かって歩き出した。

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