ポケモン現代入り 作:ささみ
会議室の壁際には、数日前までなかった資料が積み上がっていた。
九州で発生した被害の暫定集計。グラードンとカイオーガの移動経路。避難区域と交通規制の記録。そこへ7月1日から北海道で確認され始めた新たなポケモンの一覧と、同日上空に現れた巨大な個体についての報告まで加わっている。
机に並べられた紙束だけを見れば、何ヶ月もかけて積み上がった資料のようだった。
実際には、その大半がここ数週間で増えたものだ。
誰かが置いた紙コップのコーヒーはとうに冷めている。壁際の時計は午前を示していたが、集まった者たちの顔には朝らしいものがほとんど残っていなかった。
「今回の北海道での新種確認についてですが、法案の骨格そのものを見直す必要はない、という認識でいいですね?」
問いかけを受け、向かい側に座っていた男が資料から顔を上げた。
「そこは大丈夫です。最初から、現在確認されている種類だけに通用する形では作っていません。今後も増えることは分かっていましたから」
「となると……やはり、そっちですか」
言われる前から分かっていたのだろう。
男は小さく頷いた。
「施行です。制度を動かす側が、どうしても追いつきません」
短い沈黙が落ちた。
驚いた者はいない。
ただ、改めて口にされると重かった。
ポケモンを捕獲するには一定の資格を必要とする。捕獲した個体は登録し、所有者と使用するモンスターボールを紐付ける。譲渡や売買にも条件を設け、飼育する以上は周囲へ危険を及ぼさないよう管理する責任を負わせる。
骨組みはできる。
そこから先が、ひどく遠い。
「免許の受付は、先行地域を増やしながら広げています。ただ、全国一斉は無理です。窓口だけ置けばいい話じゃない。担当者への教育も必要ですし、登録手続きもあります」
「オンライン化で減らせる部分は?」
「もちろん進めています。ただ、本人確認とモンスターボール側の登録をどう確実に結びつけるか。そこを雑に始めたら、後で全部やり直しになります」
説明を聞きながら、別の男が額を指で押した。
「急げと言われて、急ぎすぎるなとも言われるわけですか」
「どちらも正しいのが困るんですよ」
誰かが苦笑した。
その笑いも、長くは続かない。
結局、段階的に広げるしかなかった。
捕獲と登録。譲渡。最低限の管理責任。
まずはそこを社会の中で回るようにする。
職業利用や専門資格、教育制度まで一度に手を伸ばせば、どれも形だけになりかねない。
「後へ回したものも、すぐ必要になるんでしょうけどね」
呟きに近い声が落ちる。
「なるでしょうね」
返した側にも、否定する気はなかった。
後回しにしたからといって、問題が待ってくれるわけではない。
ただ今は、何を捨てるかではなく、何から拾うかを決めている。
「所有数の上限については、一律に設けない方針を維持します。頭数だけでは判断できません」
「小型を10匹と、大型を2匹では話が違う、と」
「ええ。土地も設備も違います。一定数を超えた場合に管理状況を確認できる仕組みは必要でしょうが、何匹からと今決めるには材料が足りない」
その言葉に、少し離れた席からため息が聞こえた。
「また、実例待ちですか」
「適当に数字を置くよりはいいでしょう」
「それはそうなんですが……」
そこで言葉が途切れる。
誰も反対しているわけではなかった。
ただ、何かを決めようとするたび、その手前に「まだ分からない」が立ちはだかる。それが積み重なって、少しずつ人を疲れさせていた。
ポッポなら、一般家庭でも暮らせる。
ではイワークはどうする。
ギャラドスは。
空を飛ぶものがいる。地面を掘るものがいる。水の中でしか暮らせないものもいれば、毒を持つもの、人間の感覚へ干渉するものまでいる。
法律に「適切に管理すること」と書くのは簡単だった。
その適切が何なのかを決める方が、遥かに難しい。
「種族ごとの細かな飼育基準については、必要性の高いものから追加します。全部を調べ終えてから捕獲を認めるというのは、もう現実的ではありません」
「だから、まず誰が飼っているのかだけでも分かるようにする」
「そういうことです」
最初。
最近、その言葉をよく使うようになった。
まず始める。
使ってみる。
問題が出れば直す。
平時なら、もっと時間をかけただろう。検討を重ね、試験運用を行い、十分な準備期間を設けてから全国へ広げる。
けれど、準備をしている間にもポケモンは増える。
社会の方も待ってはいなかった。
昼を過ぎる頃には、窓から差し込む光の向きが変わっていた。
誰かが新しいコーヒーを持ち込み、空になった紙コップをまとめて回収していく。会議室から出る者はいない。
「事故の方ですが、件数はやはり増えています」
映し出された資料には、既に現実に起きた事例が並んでいた。
飼育されていたポケモンが隣家の塀を壊した。技が外れて駐車中の車を傷つけた。興奮した個体が通行人へ怪我を負わせ、別の地域では農地へ入り込んで作物を荒らしている。
どれも、ニュースの全国トップを飾るような事件ではない。
だからこそ厄介だった。
これから日常の中で、何度でも起こる。
「既存の動物飼育に関する考え方は参考にできます。ただ、そのまま当てはめるのは無理がありますね」
「犬や猫は電撃を飛ばしませんから」
「毎回それを言われるんですが、私も分かっています」
くたびれた返事に、何人かが笑った。
張りつめ続けていた空気が少しだけ緩む。
「基本は飼育者、あるいは管理を任されている人間に責任を負わせる。ただ、ポケモンそのものを従来のペットや所有物と同じ扱いにするかは、別で考えた方がいいでしょう」
「意思疎通できますからね」
「それも個体差があります。人間の言葉をほぼ理解しているとしか思えない個体までいる。この辺りを真正面から始めると、たぶん今日一日では済みません」
「今日どころか今年で終わりますかね」
冗談めいた声だったが、誰も笑わなかった。
あり得る話だった。
「そこは続けて考えるとしても、事故は待ってくれません。被害を受けた側が泣き寝入りしないことと、管理していた人間が責任から逃げられないこと。先に必要なのはそちらでしょう」
少し乱暴な切り分けだった。
それでも、現実を止められない以上はそうするしかない。
全部の答えを出してから始めることを、この国は少しずつ諦め始めていた。
「業務利用については、問い合わせがまた増えています」
画面が切り替わる。
農業法人。建設会社。警備会社。自治体。
既にポケモンを仕事へ取り入れ始めているところもある。
農作業を手伝わせる。荷物を運ばせる。野生ポケモンから畑や施設を守る。警察ではガーディが使われ始め、消防や捜索救難でも導入を望む声が出ていた。
「専用の資格は必要でしょうね」
「いずれは。ただ、今作れと言われても困ります」
「一般免許に安全管理と業務知識を足せば――」
「その業務知識を、誰が教えるんです?」
言われた側が口を閉じる。
責める口調ではなかった。
だからこそ、その一言で十分だった。
「農業と警備では必要なことが違う。消防や救難まで同じにはできません。試験を作る側にも、まだ実績がないんです」
「……そうですよね」
資料の中では、既に社会が動いている。
国が制度を完成させるまで、企業も自治体も立ち止まってはいなかった。
役に立つ。
それが分かれば使う。
人手が足りない場所ほど、その動きは早かった。
「当面は一般の免許を前提にして、業務で使う場合は事業者側にも安全管理を求める。専用資格は実例が集まってから、ですか」
「今はそれが精一杯でしょう」
返事のあと、少し間が空いた。
「……また後追いですね」
「最近、そればっかりですね」
誰かが肩を落とした。
けれど、そこで別の男が首を振った。
「後追いでも、走ってはいますよ」
少しだけ空気が変わる。
「将来必要になるものが分かっていないわけではないんです。ただ、その全部を今作るだけの人も時間も、知識もない。それだけでしょう」
「慰めになってます?」
「多少は」
今度は笑いが起きた。
疲れているからこそ、その程度の軽口がありがたかった。
教育も同じだった。
大学では既に生物学、獣医学、農学を中心に研究が始まっている。しかし研究者を育てることと、ポケモンと暮らし、仕事をする人間を教育することはまるで違う。
「専門的な学校はいずれ必要になります。ただ、今作っても先生をどこから連れてくるのかという話になる」
「教科書もないですしね」
「資格制度もこれからです」
資料の余白へ書き込みながら、一人が小さく笑った。
「後って、あといくつ残ってるんですかね」
何人かが紙の山を見る。
「……数えない方がいいんじゃないですか」
「そうします」
それだけで、少しだけ肩の力が抜けた。
午後も深くなると、議題はもっと生活に近いところへ移っていった。
野生ポケモンへの餌付け。
人を襲った相手へポケモンを使って身を守った場合。
警察が容疑者を制圧するために技を使う場合。
空を飛ぶポケモンに、人間が乗り始めた時の交通ルール。
一つ片づけようとすると、その横から別の問題が顔を出す。
「餌付けを全部禁止するのは無理でしょう。怪我したポケモンへ一度食べ物を渡しただけで違反、では誰も納得しません」
「問題になっているのは、毎日餌をやって住宅地へ居着かせたのに、『飼ってはいない』と言い張る例です」
「そこまで行けば、周囲からすれば飼育と大して変わりませんね」
「本人にその気があるかだけでは決められません。回数や期間、実際に定着したかどうかも含めて判断するしかないでしょう」
また一つ、実際に運用しながら線を引くことが決まった。
ポケモンを人へ向けて使用した場合も同じだった。
「正当防衛や緊急避難の考え方は使えます。ただ、殴りかかってきた相手へ『かえんほうしゃ』を浴びせても全部正当防衛、とは当然なりません」
「相手もポケモンを出していたら?」
「状況次第ですね」
「その言葉、最近便利すぎません?」
「便利だから使ってるんですよ」
笑いながら返したものの、誰もそれで十分だとは思っていなかった。
最低限の指針は作る。
それでも最後には、実際に何が起きたかを見て判断するしかない。
前例はこれから生まれる。
できれば、生まれない方がいい前例まで含めて。
「飛行ポケモンに人が乗る場合は、交通関係との調整が必要になります。ただ、これは少し優先順位を下げたい」
「そのうち絶対やりますよね、人」
「やるでしょうね」
返事が早かった。
そこにはもう誰も疑問を持っていない。
「だから検討自体は続けます。でも、今月中に全国で飛べる制度を作れと言われても無理です」
「水上は?」
「同じです」
「地中を移動する種類も――」
「勘弁してください」
思わず出た声に、会議室のあちこちから笑いが漏れた。
「私に言われても困りますよ」
「分かってます。分かってますけど、今は増やしたくなかったんです」
わずかな笑いが残る。
それも、次の画面が映るまでだった。
九州。
焼けた大地。
荒れた海。
そして、その中心にいた2体。
グラードン。
カイオーガ。
さっきまでの疲れた空気が、静かに引き締まる。
捕獲免許。
登録。
管理責任。
そのすべてが、何の意味も持たない相手だった。
「こちらは、通常の制度から切り離しましょう」
異論は出なかった。
「人間が管理できる相手ではありません。あれに対して捕獲だの規制だのを考えるのは、前提から間違っています」
人間を襲いに来たわけではない。
都市を壊そうとしていたわけでもない。
ただ、2体が争った。
それだけで広い地域の環境が変わり、大勢の人間が逃げることになった。
その事実は、映像で何度見ても重かった。
「今後も、同じように人間側から止められない存在が現れる可能性は前提に置きます。こちらは管理ではなく、防災です。観測して、分かった時点で警報を出す。逃がす。道路を止める。必要なら航空も船舶も止める」
「自治体単独では無理ですね」
「都道府県を跨いだ避難も考えましょう。自衛隊も、戦わせることを前提にはしない。輸送、救助、道路確保。その方が現実的です」
「米軍との連携は?」
「必要なら使います。今回みたいに国内の戦力が災害対応へ集中しているなら、他の警戒まで意地を張って全部抱える意味はありません」
そこまで話したところで、北海道の映像へ切り替わった。
レジギガス。
レジロック。
レジアイス。
レジスチル。
九州の2体のような被害は、今のところ起こしていない。
それでも、画面を見る目は自然と慎重になる。
「通常の地方出現なら、まだ準備できます」
一人が静かに言った。
「事前に時期が分かっている。地域も分かっている。そこまでなら、こちらも先回りできます」
誰かが頷く。
「怖いのは、こっちですね」
指先が画面の4体へ向く。
「予告の外から来るもの」
グラードンとカイオーガもそうだった。
ジガルデもそうだった。
そして今日、北海道へ現れた4体もそうだ。
いつ来るのか。
どこに来るのか。
何をするのか。
分からない。
「次はいつでしょうね」
誰かが、ぽつりと零した。
答えは出なかった。
冗談で「明日かもしれない」と返す気にもならない。
誰も、それを否定できないからだった。
夕方。
窓の外は、いつの間にか赤くなっていた。
朝から同じ席にいる者も多い。机の上には新しい資料と古い資料が混ざり、何度目か分からないコーヒーが置かれている。
すぐに動かさなければならないものがある。
捕獲免許と個体登録。譲渡や売買。飼育する者の責任。事故が起きた場合の救済。野生ポケモンへの餌付け。警察や消防が運用する際の最低限の基準。
その次には、業務利用や保険、医療、専属トレーナー制度、危険性の高いポケモンの飼育基準、移動手段として利用する際の交通ルールが待っている。
さらにその先には、教育や競技、新しい産業。
まだ名前すら付いていない問題も、きっと残っている。
「全部を一度に始めるのは、やめましょう」
会議の終わりが近づいた頃、最上座にいた男が資料を閉じた。
紙の擦れる音が、やけに大きく聞こえた。
「大枠は変えない。種類が増えるたびに法律そのものを作り直していたら、それこそ何も進みません。動かせるものから始めて、分かったことを後から足していく。それでいきましょう」
「問題は出ますよ」
「出るでしょうね」
迷いなく返す。
「出ないように全部整えてから、なんて言っていたら、その間にも誰かがポケモンを捕まえる。一緒に暮らす。仕事に使う。事故も起きる。こちらが止まっていても、社会は止まってくれません」
しばらく誰も口を開かなかった。
朝から何度も繰り返されてきた話だった。
けれど一日かけて大量の資料を見たあとでは、その意味が少し違って聞こえた。
「完成するのは……いつになるんでしょうね」
誰かが尋ねた。
最上座の男は、すぐには答えなかった。
窓の外へ一度目を向け、それから苦笑する。
「完成するんですかね、これ」
今度は、誰も笑わなかった。
悲観しているわけでもない。
ただ、妙に納得してしまった。
ポケモンが増えなくなり、人間の使い方も変わらなくなれば、いつか落ち着く日は来るのかもしれない。
けれど今は、その日を考えるには早すぎる。
「……まあ、明日必要なものからやりましょう」
「ですね」
それで会議は終わった。
椅子を引く音が重なり、資料を抱えた人間たちが一人、また一人と部屋を出ていく。
廊下の向こうでは、別の会議がまだ続いていた。
日本の対応が遅いわけではない。
むしろ平時なら考えられない速度で法律が考えられ、制度が組まれ、現場へ送り出されている。
それでも、現実の方が速かった。
少し前まで存在しなかった生き物が、今では人の家で眠り、畑で働き、警察官の隣を歩き、街の空を飛んでいる。その一方では、人間には止めることすらできない存在が大地と海を揺らした。
もう、いつか元に戻ることを待つ段階ではない。
ポケモンは残る。
人もまた、彼らと暮らし始めている。
ならば、社会の側が変わるしかなかった。
全部を整えてからでは遅い。
必要なものから作り、使い、足りないところを埋めていく。
そうしている間にも、また何かが変わる。
追いつく日は、まだ見えない。
それでも立ち止まることだけは、もうできなかった。
今後の展開として伝説ポケモンのサイズどうしよっかなって思ってるんですよね〜
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図鑑通りのサイズ
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図鑑よりかなりデカくしてもいい