ポケモン現代入り 作:ささみ
最初に異変へ気づいたのは、母親だった。
午後6時を過ぎても、小学2年生の娘が帰ってこない。学校から家までは歩いて15分ほどで、友達と遊んで帰る日でも5時半には戻るよう言い聞かせていた。
最初は誰かの家に寄っているのだと思った。何人かの保護者へ連絡して、そのうちの1人から、公園までは一緒だったらしいと聞いた。
「途中で別れたみたいです。なんか、珍しいポケモンがいたとかで」
「ポケモン?」
「紫色の……風船みたいなやつ。最近出てきた種類らしいですよ」
フワンテ。
子供たちの方が、そういう名前には詳しかった。
午後7時を過ぎた頃には警察へ連絡し、近所の住民も捜索に加わっていた。通学路、公園、空き地、川沿い。娘の名前を何度呼んでも返事はなく、日が落ちるにつれて母親の声だけが掠れていった。
防犯カメラの映像が見つかったのは、その日の深夜だった。
午後5時11分。公園近くのコンビニのカメラに、娘が1人で歩いている。その少し前を、紫色のものが浮かんでいた。
風に流されているようにも見えたが、娘が立ち止まると、それも止まった。娘は何かを言いながら手を伸ばし、そのまま映像の外へ歩いていく。
400メートルほど先のカメラでは、午後5時17分。
今度ははっきり映っていた。
フワンテの細い腕のような部分を、娘が握っている。
「この先、カメラは?」
「駅前までないですね。ただ、駅には映ってません」
「じゃあ、途中で曲がったか」
付近の住宅を一軒ずつ回り、個人宅の防犯カメラも確認した。
午後5時23分。娘が映っていたが、そこにフワンテの姿はなかった。
それなのに娘の右腕は肩の高さまで上がり、何もない空間へ差し出されている。誰かと手を繋いでいるような格好のまま、ゆっくりと道を歩いていた。
途中で娘が横を向く。何かを見上げ、楽しそうに笑った。口も動いているが、カメラに音声は残っていない。
そのまま住宅街の端へ向かっていく。
道路の先には畑があり、その向こうには林が広がっていた。
翌朝になっても娘は見つからなかった。林も、川も、用水路も調べた。警察犬も入ったが、ランドセルも靴も服も見つからない。
何もなかった。
ただ翌日の夕方、娘が最後に友達と遊んでいた公園には、昨日と同じように何匹ものフワンテが浮かんでいた。
◇
「お母さん?」
階段の下から声がした。
ベッドの上でスマートフォンを見ていた少女は、反射的に返事をする。
「何?」
返事はなかった。
そのまま画面へ目を戻しかけて、指が止まった。時刻は午後11時46分。母親は夜勤で、父親も出張に出ている。
今夜、この家にいるのは自分だけだった。
少女はしばらく階段の方を見ていた。聞き間違いだと思おうとしたが、あまりにもはっきりした声だった。
母親へ電話をかける。3回目の呼び出し音で繋がった。
『どうしたの?』
「今どこ?」
『仕事だけど。急にどうしたの』
「病院いる?」
『いるよ』
その時、階下から声がした。
「ねえ、ちょっと来て」
少女は息を止めた。
『どうしたの?』
「……今、お母さんの声した」
『え?』
「下から」
電話の向こうが一瞬静かになった。
『玄関の鍵は?』
「閉めてる」
『部屋から出ないで。警察呼ぶから』
「うん」
少女はベッドを降り、部屋のドアに鍵をかけた。
「ねえ」
今度は階段の途中から聞こえた。
母親と同じ声だった。声の高さも、話し方も、何も違わない。
「どうしたの? 具合悪い?」
さっきより近い。
少女はドアを見つめたまま後ずさった。足音は一度も聞こえていないのに、声だけが少しずつこちらへ近づいている。
「開けて」
もう、ドアの向こうだった。
『絶対に開けちゃ駄目だからね』
「分かってる」
「ねえ。開けて」
ドアノブは動かない。ノックもない。ただ母親の声だけが、何度も少女の名前を呼び続けた。
少女はベッドの隅まで下がり、スマートフォンを握りしめる。
やがて、声が止んだ。
それからしばらくは何も聞こえなかった。外を走る車の音まで分かるほど、家の中は静まり返っている。
『まだ聞こえる?』
「……ううん」
『警察、もうすぐ着くって。そのまま待ってて』
「うん」
少女はようやく息を吐いた。
恐る恐るベッドへ戻り、壁際へ身体を寄せる。
「もういないかな」
『分からないから、まだ――』
ベッドの下から声がした。
「もう寝た?」
自分の声だった。
◇
「これ、なんてポケモン?」
「知らねえ。初めて見た」
「なんか虫っぽくね?」
3人はスマートフォンを向けながら、木の幹に張り付いているポケモンを囲んでいた。
茶色い身体に薄い羽。頭の上には輪のようなものが浮かび、近づいてもほとんど動かない。
「これ生きてんの?」
「さっき動いたぞ」
「全然動かねえじゃん」
動画を撮っていた男が横へ回り込み、すぐに声を上げた。
「あ、こいつ背中穴空いてる」
「マジで?」
「見てみ」
背中の中央に、大きな穴が開いていた。中は暗く、奥がどうなっているのか分からない。
「何これ。中、空っぽ?」
「ライト当ててみれば?」
男がスマートフォンを近づける。ライトが身体の表面を白く照らしたが、穴の中だけは黒いままだった。
「暗っ」
「もうちょい寄れよ」
「ぶつかるって」
笑いながら手を伸ばし、カメラを穴へ近づける。
画面いっぱいに黒い穴が映った。
そこで映像が消えた。
「あれ?」
「何、消えた?」
「映ってない。録画は動いてんだけど」
別の方向へカメラを向けても、画面は真っ黒なままだった。
「壊れたんじゃね?」
「さっきまで普通だったぞ」
「一回閉じれば?」
「ちょい待って」
男はスマートフォンを下げ、自分の目で穴を覗き込んだ。
数秒経っても動かない。
「……何か見える?」
呼びかけられて、ようやく身体を起こした。
「いや」
「何だった?」
「何もない」
その場では、それだけだった。
翌日も男は普通に学校へ来た。
ただ、名前を呼んでもすぐには振り返らなくなった。
「おい」
「…………何?」
「聞こえてた?」
「聞こえてるよ」
昼飯を半分以上残した。その翌日は、ほとんど手をつけなかった。
3日目に友人が家へ遊びに行くと、男は自室の窓際に立っていた。カーテンを閉めたまま、暗い窓ガラスをじっと眺めている。
「何してんの?」
「見てる」
「何を?」
答えなかった。
「お前さ、あのポケモン見てから変じゃね?」
「別に」
「一回病院行った方がよくない?」
「大丈夫だよ」
そう答えてからも、男は窓の方を向いたままだった。
翌朝、母親がベッドの上で横になったままの息子を見つけた。
呼吸はしている。脈も正常だった。目を開けさせることもできた。
けれど、呼びかけても、身体を揺すっても、何の反応も返さなかった。
病院へ運ばれ、いくつもの検査を受けたが原因は分からなかった。
数日後、友人の1人があの日の動画を思い出した。
預かっていたスマートフォンからファイルを開く。
木に止まっているポケモン。3人の笑い声。背中へ回り込み、穴へカメラを近づける。
そこで映像が黒くなる。
ファイル自体は壊れていない。録画はその後も4分以上続いていた。
残っているのは音だけだった。
『暗っ』
『もうちょい寄れよ』
『ぶつかるって』
少し経って、
『あれ?』
『何、消えた?』
『映ってない。録画は動いてんだけど』
衣擦れの音と、誰かの笑い声。
それから長い沈黙が続いた。
友人は再生位置を飛ばしかけたが、最後の方に小さな音が入っていることに気づいた。
音量を上げる。
穴を覗いた男の声だった。
『あ』
しばらく、何も聞こえない。
『まだ、いる』
そこで録画は終わった。
◇
最初は、公園に珍しいポケモンがいるというだけだった。
黄色い身体に白い襟巻き。手には小さな振り子を持っている。
ベンチの近くへ立ち、子供が集まっても逃げない。攻撃してくる様子もなく、近づいてきた子供の前で振り子をゆっくり左右へ揺らしているだけだった。
何日もそこにいるうちに、近所の大人も存在を知るようになった。
「あの黄色いやつ、今日もいた?」
「いたよ」
「近づいたりしてないでしょうね」
「別に何もしてこないよ。ずっと立ってるだけ」
「だからって触ったりしないの」
「してないって」
変化が出始めたのは、それからだった。
授業中に眠る子供が増えた。
最初は夜更かしでも流行っているのかと思われたが、保護者同士で話してみると、家へ帰ってからも長時間眠り続けている子が何人もいた。
それも、公園へ遊びに行っていた子供ばかりだった。
「夢見るんだよ」
小学3年生の息子が、夕食の途中で母親へ話した。
「どんな夢?」
「あの黄色いやつがいる」
「公園にいるやつ?」
「うん」
「何してるの?」
「歩いてる」
「一緒に歩くの?」
「前にいるから、ついてく」
母親はその時、さほど気にしなかった。夢などそんなものだと思った。
ところが次の日も、その次の日も、息子は同じ夢を見た。
「今日はどこまで行ったの?」
「橋」
「昨日は?」
「コンビニのとこ」
「毎回先まで行くの?」
「うん。ちょっとずつ遠くなる」
数日後、朝食を食べていた息子がぽつりと言った。
「昨日、帰れなかった」
「夢で?」
「うん」
「どこまで行ったの?」
「分かんない」
「怖くなかった?」
息子は少し考えてから首を振った。
「楽しかったよ」
その日の深夜、午前2時13分。
玄関に設置された防犯カメラが、人の動きを検知した。
映っていたのは寝間着姿の息子だった。
玄関で靴を履き、自分で鍵を開けて外へ出ていく。道路へ出るとしばらく歩き、やがて何もない場所で足を止めた。
誰もいない道路の先を見ている。
少し待ってから、また歩き出した。
別の住宅のカメラにも映っていた。そこでも息子は途中で立ち止まり、前方を見つめてから歩き出している。
さらに先のカメラでも同じだった。
何かが前を歩いていて、それを見失わないようについていっているようにも見えた。
最後に姿が確認された映像で、息子は楽しそうに笑いながら、誰もいない前方へ話しかけていた。
その先にカメラはなかった。
翌朝、公園から黄色いポケモンはいなくなっていた。
息子も帰ってこなかった。
◇
エンジンが止まったのは、日が完全に落ちてからだった。
何度キーを回しても、乾いた音が返ってくるだけでエンジンは掛からない。
「圏外?」
「俺も駄目」
「うわ、マジかよ。どうする?」
道路の両側には荒れた大地がどこまでも続いていた。昼間なら遠くまで見渡せただろうが、今はヘッドライトの先に道路と砂地が見えるだけだった。
最後に通った町まではかなり距離がある。
「朝まで車ん中いる?」
「水そんな残ってないぞ」
「夜のうちに戻った方がまだマシじゃね?」
「歩くの?」
「ここで明日の昼迎えるよりは」
少し揉めた末、3人は必要なものだけ持って道路を戻ることにした。
最初にそれを見つけたのは、30分ほど歩いた頃だった。
「……なあ」
最後尾を歩いていた男が足を止める。
「何?」
「あれ」
道路から少し離れた荒野に、人ほどの大きさの影が立っていた。月明かりの中で、緑色の身体と、棘のように伸びた腕が見える。
「何あれ」
「ポケモンじゃね?」
「こんなとこにもいるのかよ」
「知らん。近づいてこないならいいだろ」
大きなサボテンのような姿だった。
こちらへ来る様子はなく、ただ離れた場所から3人の方を向いている。
「行こうぜ」
気味悪さはあったものの、それだけで立ち止まっている理由もない。3人は再び町へ向かって歩き始めた。
10分ほど経って、最後尾の男が何となく後ろを振り返った。
まだいた。
先ほどと同じように、道路から離れた場所に立っている。
「……あいつ、ついてきてない?」
「さっきの?」
「そう」
「別のやつじゃねえの」
「だったら、なんでまたこっち向いてんだよ」
「知らねえよ。行こう」
また歩いた。
それから何度か振り返ったが、そのたびに緑色の影はいた。
近づいてくる様子はない。
けれど、どれだけ歩いても離れなかった。
誰もそのことを口にしなくなった。
さらに30分ほど経つ頃には、最初の勢いもなくなっていた。喉が渇き、足も重い。
「ちょっと休ませて」
「もう少し行けない?」
「足痛ぇ。5分でいいから」
道路脇へ座り込み、少しずつ水を飲む。
最後尾を歩いていた男が後ろを見た。
すぐに立ち上がった。
「何?」
「……増えてる」
今度は2匹いた。
荒野の中で少し間隔を空け、どちらもこちらを向いている。
「さっき1匹だったよな」
「いたのは1匹だった」
「じゃあ、もう1匹どこから来たんだよ」
誰も答えなかった。
休憩はそこで終わった。
3人はまた歩き始めたが、それからは誰も後ろを見ようとしなかった。
足音も鳴き声も聞こえない。
だからこそ、まだいるのかどうかが気になった。
しばらくして、先頭を歩いていた男が速度を落とした。
「……一回見るぞ」
「やめとけって」
「来てんのか分かんない方が嫌だろ」
3人で振り返った。
4匹いた。
しかも、さっきより近かった。
「走るぞ」
誰が言ったのか分からなかった。
3人は同時に走り出した。
すでに疲れていた身体は長く持たなかった。すぐに呼吸が乱れ、1人が遅れ始める。
「待って、無理!」
「早く来い!」
「ちょっ……待てって!」
前を走っていた2人が振り返った。
後ろには何もいなかった。
「……いなくなった?」
遅れていた男は答えなかった。
道路の反対側を見たまま、立ち尽くしている。
「おい?」
「あっち」
緑色の影が立っていた。
それだけではなかった。
道路の反対にも、少し先にも、来た道の方にもいる。
何匹いるのか、一目では数えられなかった。
どれも襲ってこない。走り寄ってくることもない。
ただ、3人を囲むように立っていた。
「……なんなんだよ、こいつら」
「行こう。止まってんの嫌だ」
「どっちに?」
「町の方に決まってんだろ。行くぞ」
3人は道路から外れないように歩き始めた。
少し経って、後ろから乾いた音が聞こえた。
砂を踏む音だった。
男たちは同時に立ち止まった。
音も止んだ。
「……聞こえた?」
「ああ」
「後ろ見る?」
「やめとこう」
再び歩き出す。
少し遅れて、また砂を踏む音が始まった。
こちらが歩く間だけ聞こえる。
1人が耐えきれずに振り返った。
「……近い」
さっきまで荒野の奥にいたノクタスが、道路のすぐ脇まで来ていた。
「止まるな。行くぞ」
「これ、ずっと来るのかよ」
「知らねえよ。いいから歩け」
歩く速度を上げる。
後ろの音も速くなる。
走れば追ってくるのか。
それとも、こちらが疲れるまで待つのか。
確かめようとする者はいなかった。
やがて1人が泣き始めたが、それでも3人は道路を進み続けた。
翌日の昼、通りかかった車が道路脇に停まったままの乗用車を発見した。
車内には誰もいなかった。
捜索が始まり、ほどなく道路沿いから3人の靴跡が見つかった。
その周囲には、人間とは違う足跡も残っていた。
最初は1つ。
しばらく進むと2つになり、さらに先では数が増えている。
どの足跡も3人から距離を置いたまま、同じ方向へ続いていた。
やがて人間の足跡は道路を外れた。
そこから先は歩幅が乱れ、何度も転んだ痕跡が残っていた。互いの足跡も入り乱れ、真っ直ぐ進んでいた形跡はなくなっていく。
最後には、3人分の靴跡が1か所へ集まっていた。
そこで途切れていた。
血はない。
衣服も荷物も落ちていない。
3人がどこへ行ったのかを示すものは、何も残っていなかった。
その場所から先へ続いていたのは、ノクタスの足跡だけだった。
今後の展開として伝説ポケモンのサイズどうしよっかなって思ってるんですよね〜
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図鑑通りのサイズ
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図鑑よりかなりデカくしてもいい