HXH世界を旅する少年王子のお話   作:azuazu000

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最終試験後、ハンゾーはアズリルとの戦いを振り返る。
そんな彼の話を聞いたネテロは、アズリルに対してある決断を下します。


狩る側、狩られる側

 アズリルが医療班に運ばれたあとも、最終試験は続いた。

 

 そうして、いくつかの波乱を残したまま、長かったハンター試験は、ひとまず幕を下ろした。

 

 その後、受験者たちは講堂に集められ、ネテロたちから最後の説明を受けていた。合格者に与えられる資格や今後の手続き、そして、試験中に起きたいくつかの出来事について。

 

 ようやく長い話が終わる頃には、講堂の空気も少しずつ緩み始めていた。合格者たちはそれぞれの行き先へ向かうため、荷物をまとめたり、知り合った者同士で言葉を交わしたりしている。

 

 ネテロはその様子を横目に、ある場所へ向かうべく、ゆっくりと廊下を進んでいた。

 

 その途中で、ふと足を止める。

 

 廊下の先にある手洗い場の方から、水の流れる音が聞こえてきた。

 

 静けさの中で止まる気配もなく続くその音を辿って、ネテロが中を覗くと、ハンゾーの姿があった。

 

 洗面台にかがみ込むようにして、蛇口の下へ両手を差し出し、何かを落とそうとするように、ハンゾーは手のひらを何度も水にさらした。

 

 ネテロは、しばらくその背中を眺める。

 

「何か、洗い流せんものでもあるのかの」

 

 ハンゾーの手が止まり、鏡越しにネテロを見た。

 

「……いえ」

 

 そう答えたきり、ハンゾーはしばらく黙っていた。

 

 そしてまた、自分の両手へ視線を落とす。

 

「……後味のいい試合ではありませんでした」

 

 やがて、ハンゾーは低く言った。

 

「勝つためなら、相手を痛めつけることにためらいはありません。そのために、この手を鍛えてきたつもりです。けど、あれは……」

 

 言葉が途切れ、ハンゾーは濡れた指先から水滴が落ちるのを、しばらく見つめていた。

 

「あいつに覚悟なんてありませんでした。痛みに耐える準備も、死を受け入れる肚も据わっていない。……俺の拷問にちゃんと泣き、怯え、苦しんでいた。痛みは確かに届いていたはずなんです。それでも、降参だけはしなかった」

 

 蛇口から流れ続ける水音だけが、二人の間に響いていた。

 

「ゴンみたいな子どもの方が、まだ分かりやすかったかもしれません。あいつは自分の意思で前へ出た。何が怖いかも分かった上で、最初から最後まで一本筋を通せるやつだ」

 

 ハンゾーは、奥歯を噛みしめる。

 

「でも、あの少年は違う。何も知らないまま、誰かに背中を押されて、崖の端まで来ちまったみたいだった。逃げたいはずなのに、逃げることだけは何かに縛られて許されていないような」

 

 その声には、かすかな苛立ちが混じっていた。

 

「あいつは、その無防備さがどう見えるのか分かっていない。怯えたまま急所を晒して近づいてくるようなものだ。あんなの見せられて、守りたくなるやつもいるだろう。だが、その一方で……」

 

 言いかけた言葉を飲み込み、ハンゾーは蛇口を力任せに捻った。水音が止み、洗面所に冷え切った静けさが戻る。

 

「一瞬、思ってしまったんです」

 

 革紐に手を伸ばしたあの一瞬。逃げ場を失い、ふいに色を変えたあの目を思い出す。

 

 恐怖に呑まれながらも、こちらが差し出す悪意をそのまま受け入れてしまいそうな目だった。

 

 それだけは奪わないでくれ。

 代わりに、何をされてもいい。

 

 その姿に、奥底へ沈めていたはずの狩りの本能が、嫌なほど疼いた。

 

 あの目が、どんなふうに濁るのか。

 

 そんな残虐な好奇心が、一瞬だけ脳裏をよぎった。

 

「……あの子を、壊してみたいと」

 

 ハンゾーは、ハッとしたように片手で口元を覆い、自分で自分の言葉に顔を歪めた。

 

 そのまま項垂れるように洗面台へ両手をつく。

 

「最悪だ、俺は」

 

 ネテロは責めることも、慰めることもなく、静かに見ていた。

 

 長い修行を積み、身体も精神も鍛え上げてきたはずの男が、たった一人の少年を前にして揺さぶられている。

 自分の中にあるはずがないと思っていたもの。もっと奥にある、出してはならないもの。

 それを、あまりにもたやすく引きずり出されていた。

 

 その事実を、ネテロは黙って受け止めていた。

 

 ハンゾーはしばらく肩を落としていたが、やがて掠れた声で続けた。

 

「あの子は、こっち側に立てる人間じゃない。外に出れば、真っ先に狩られる側です」

 

 ハンゾーは濡れた手をゆっくりと握りしめた。

 

 ネテロはしばらく細い目でハンゾーを見ていたが、やがて口を開いた。

 

「気に病むなとは言わん。おぬしの中に顔を出したものを、なかったことにもできんじゃろう。じゃが、おぬしはそこで踏み越えんかった。最後に選んだのは、壊すことではなく、退くことじゃ」

 

 ネテロは踵を返す。

 

「あの子にも必要なのは、そういうものじゃろうな。踏み越えそうになった時に、踏みとどまれる力。あるいは……」

 

 ネテロはそこで一度、言葉を切った。

 

「踏み越えた先でも、呑まれずに立っていられるだけの力じゃ」

 

 そして、静かに続ける。

 

「それさえ見つかれば、化けるかもしれん」

 

 その顔には、隠しきれない期待が、恐ろしいほどはっきりと滲んでいた。

 

 その言葉だけが、水音の消えた空間に残った。

 

 ネテロが出て行ったあとも、ハンゾーはしばらくその場に立ち尽くしていた。

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